「GODZILLA ゴジラ」 (2014)
2014年・米/レジェンダリー・ピクチャーズ=ワーナー
配給:東宝
原題:Godzilla
監督:ギャレス・エドワーズ
原案:デビッド・キャラハム
脚本:マックス・ボレンスタイン
撮影:シーマス・マッガーベイ
製作総指揮:パトリシア・ウィッチャー、アレックス・ガルシア、坂野義光、奥平謙二
1954年の第1作から60年、今や世界的に有名な怪獣キャラクターとなった「ゴジラ」を、ハリウッドが巨額の製作費をかけてリメイクしたSFX超大作。監督はデビュー作「モンスターズ 地球外生命体」で注目されたイギリス出身の新鋭ギャレス・エドワーズ。主演は「キック・アス」のアーロン・テイラー=ジョンソン、「インセプション」等ハリウッドの活躍目覚しい渡辺謙。他にエリザベス・オルセン、ジュリエット・ビノシュ、サリー・ホーキンス、デビッド・ストラザーンら実力派キャストが集った。
1999年、フィリピン。採掘現場の調査にやって来た芹沢博士(渡辺謙)とグレアム博士(サリー・ホーキンス)は謎の巨大生物の痕跡を発見する。同じ頃、科学者のジョー・ブロディ(ブライアン・クランストン)とその妻サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)が働く日本の原子力発電所が謎の大振動に見舞われ崩壊、サンドラは命を落としてしまう。それから15年後。ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は米海軍に所属し、妻と息子と共にサンフランシスコで暮らしていた。ある日、ジョーが、15年前に事故を起こした日本の原発の立入禁止区域に侵入して逮捕されたとの知らせを受け、フォードは急ぎ日本へ向かう。今も事故の真相究明に執念を燃やすジョーに説得され、フォードはジョーと共に再び立入禁止区域への侵入を図るが…。
予告編を見る限りでは、都市がいたる所で崩壊し、この世の終わりのような惨状が広がり、そして土煙の中にチラリと姿を見せるゴジラの咆哮…。
これは、あの1954年の第1作のイメージをそのまま引き継いだ完全リメイクか、と大いに期待したのだが…。
(以下ネタバレあり)
正直言って、これは微妙な出来の作品である。褒めるべきか批判すべきか、迷うところである。
まず良い点。ゴジラの造形が、本家の日本製ゴジラに極めて近い。どっしりした下半身でノッシノッシ歩く姿も、顔も背びれも昔のゴジラそのまま。それにちゃんと放射能光線も吐く。顔の表情の変化も自然(キング・コングも演じたアンディ・サーキスのモーション・キャプチャーは相変わらず見事)。咆哮するシーンでは感動しウルウルした。
SFXも言うことなし。金子監督が平成ガメラで確立した、低い目線からのカメラ・アングルも効果的に使われている。
ゴジラの熱烈なファンだというエドワーズ監督のこだわりが結実した、まったく完璧なゴジラの姿がそこにあった。
もう、これだけで満点を差し上げたいほどだ。
1998年のローランド・エメリッヒ監督によるハリウッド製ゴジラは、どう見てもトカゲのお化けで、まったくトホホな駄作だっただけに、なおの事感動し、歓喜にむせんだ。
だが、そうしたSFXやアクション・シーンの見事さに比べて、残念ながらお話の方は物足りない。脚本がよくないのである。
エドワーズ監督が、ゴジラの大ファンで、過去のいろんなゴジラ・シリーズを相当研究している事はよく分かる。
だが、それ故却って、ゴジラとはいかなる存在なのか、という立ち位置が中途半端になってしまっている。
本作では、最終的に人類を破滅に導きかねない凶悪怪獣・ムートーを倒して悠然と去って行くラストを見る限りにおいては、まるで地球と人類を救った救世主のような扱いである。
だが、これは本来のゴジラのキャラクターとは似て非なるものである。どちらかと言えば、金子修介監督の傑作「ガメラ 大怪獣空中決戦」を思わせる仕上がりになっている。ムートーもギャオスとレギオンを足したような怪獣だし。
では、ゴジラとは、如何なるキャラクターなのか。それを解く為には、過去に28作も作られた“ゴジラ”シリーズをチェックしておく必要がある。
そもそも、この稀代のヒーローは、他に例を見ないほど、シリーズを重ねるごとにそのキャラクターが大きく変容して来た点で、きわめて特殊な存在である。
まず、記念すべき第1作では、ゴジラは当時繰り返された原水爆実験によって眠りから覚めた巨大生物という設定で、その怒りから東京を破壊し尽くし、多くの人々を殺した、人類にとっての災厄であり、荒ぶる破壊神であり、倒すべき悪役であった。
その後も、ゴジラはしばらくは悪役であり続ける。3、4作目のタイトルが「キングコング対ゴジラ」、「モスラ対ゴジラ」と、ゴジラの名前が後ろに来ている事からも分かる通り、ゴジラは善玉のコングやモスラの引き立て役で、どちらも最後にはゴジラがカッコ悪く倒される結末となっている。
ところが5作目「三大怪獣 地球最大の決戦」から微妙な事になる。キングギドラという凶悪宇宙怪獣が出現し、この怪獣を倒す為、それまでバトルを繰り広げていたゴジラ、ラドンがモスラに説得されて人類の味方になってしまうのである。
その後はどんどんゴジラは地球を救う正義のヒーローになって行き、6作目「怪獣大戦争」では当時流行の“シェー”のポーズはやらかすは、8作目「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」では子育てパパになるは、すっかりよい子の人気アイドルになってしまうのである。1970年代には、「東宝チャンピオンまつり」と称して、旧作を短縮バージョンにして「パンダコパンダ」等のアニメと併映するなど、完全に子ども向けキャラに成り下がってしまった。
ゴジラの熱烈なファンであった私も、この頃からすっかり失望してしまい、1969年の10作目頃からはあまりゴジラ映画を観なくなってしまった。
1975年の15作目「メカゴジラの逆襲」で、この路線はいったん終焉を迎え、以後9年の間、ゴジラ映画は作られなくなる。ちなみに同作はゴジラの生みの親である本多猪四郎監督の、最後の監督作品である。
そして、1作目から30年目の1984年、ゴジラは復活する。題名も1作目と同じ「ゴジラ」。この作品では、原点に帰って、ゴジラは再び、人類を脅かす恐怖の破壊神である、という位置付けがなされる。
これ以降のゴジラ作品(一般に“平成シリーズ”と呼ぶ)は、多少の変動はあるものの、“人類の敵”であり、倒すべき悪役、という位置付けはほぼ踏襲されていると言えるだろう。
平成ガメラ・シリーズの金子修介が監督した第25作「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」(2001)では、ゴジラは“太平洋戦争で死亡した人々の怨念の集合体”とされ、白目を剥いた凶暴な顔のデザインとも併せ、まさに恐怖の悪霊を思わせた。こんなに怖いゴジラは1作目以来ではないだろうか。
こうした経緯ゆえ、熱烈なゴジラ・ファンは、ゴジラは基本的に“人知を超えた恐怖の象徴であり、畏怖すべき存在”であると位置付け、ゴジラが人間を襲うのは、おごれる人類に対する自然界からの報復である、と見る考えもある(1作目のゴジラは、当時の日本人にとっての、原水爆と放射能という恐怖のメタファーでもあった(注1))。
そうしたファンにとっては、中期のお子さま向け正義のヒーロー時代の作品は、無かった事にしたい作品群であるとも言える。
だが、キンゴジ(3作目のこと)や、モスゴジ(4作目)辺りの怪獣バトルを愛好する熱烈なファンがいるのもまた事実である。
特に、'70年代作品としては異色の、凶悪怪獣との死力を尽くした攻防戦に終始した11作目「ゴジラ対ヘドラ」には熱烈なファンも多い。
ちなみに同作の監督、坂野義光氏は、本作の製作総指揮にも名を連ねている。
きわめて特殊な存在と言ったのは、ゴジラ映画は、この“恐怖の悪役”と、“怪獣バトル”という、2つの異質な面を併せ持っているからである。また“平成ゴジラ”シリーズは、悪役でありながらも、怪獣バトル路線でもあるという、両側面がミックスされた面も持っているからさらにややこしい。
本作に対して、絶賛する意見と、否定的な意見が相半ばしているのはそれ故である。
怪獣バトル・エンタティンメントと割り切れば、本作は極めて迫力ある面白い作品に仕上がっているのだが、1作目をゴジラ映画の最高傑作とするコアなファンにとっては、これは“本来のゴジラの映画とは違う”という思いにかられる事だろう。
両方のゴジラとも好きな私にとっては、アンビバレンツに引き裂かれる気分である。
微妙と言ったのは、そういう事なのである。
ただ、この作品でどうしても指摘しておきたい難点が2つある。まず、ゴジラの出現に対するアメリカ軍の対応が中途半端、もう1点は、核兵器の扱いのいいかげんさである。
物語の中で、1954年に盛んに行われたビキニ環礁での水爆実験は、実はゴジラを抹殺するのが目的だった、と説明するくだりがあるが、これは多分1作目を愛するファンからは、「とってつけた言い訳」、「核実験を正当化している」と批難が出る事だろう。
その意見をさておいても、これだと後の展開に矛盾が生じる。
そういう事だとすると、当時の米軍にとってはゴジラは、核兵器を使ってでも抹殺したかった怪物だったという事になる。得体の知れないモンスターなのだから当然ではある。
それなのに、ゴジラが姿を現しても、現在の米軍はまったく攻撃する気配がない。米本土に向かう海上では、ゴジラと米艦隊が平行して仲良く航行する始末である。
いつから米軍とゴジラはおトモダチになったのか。では60年前の核攻撃は何だったのか、という事である。
この時点で、ゴジラは地球の守り神だ、と米軍が理解していたとは思えない。得体の知れない存在である事に変わりはないからである。
せめて、ムートーを倒した後、死んだように横たわるゴジラを見て、「今のうちに退治してしまおう」と米軍隊がゴジラに攻撃を加え、反対に米軍が完膚なきまでにぶっ潰された後、ゴジラが海に帰って行く、という展開なら大いに納得出来たかも知れない(注2)。
もう1点、せっかくムートーを退治する為に時限式の核爆弾を用意したものの、ムートーに取られてしまうは、慌てて解除に向かったら今度は蓋が開かず、海に捨てに行く破目になるは、としまらない事おびただしい。
本作に限らずアメリカ映画では、タイムリミット直前の時限式核爆弾を、ほんの少し海の沖合いに捨てに行けば爆発しても大丈夫、てな安直な作品が多過ぎる。「トゥルーライズ」(ジェームズ・キャメロン監督)しかり、「ダークナイト・ライジング」(クリストファー・ノーラン監督)しかりである。
核兵器の怖さがまるで分かってない。本作でも船で5分少々の沖合いで核爆弾が爆発するのだが、そんな距離では間違いなくサンフランシスコは放射能に汚染されてしまうだろう。
冒頭近くでも、メルトダウンから15年後の原発でジョーが線量計で図ったら、数値がゼロを示すシーンがある。ムートーが放射性物質を食べ尽くしという事らしいのだが、それでメルトダウンで飛び散った放射性物質濃度がゼロになるはずがない。福島の例で分かるように、いくら地表を削って除染しても、森林や落ち葉の除染は進まず、今も線量は下がらないままである。ムートーは落ち葉や森林の木々まで全部食べてしまったという事なのか(笑)。
ついでにツッ込みを入れると、芹沢博士が広島で被爆死した父の形見の懐中時計を肌身離さず持っているのだが、1945年に生まれていたとすると、現在では69歳以上のはず。渡辺謙扮する芹沢博士、70近い老人には見えないのだが(笑)。
どうもビキニ水爆実験の理由といい、この件といい、とってつけたエクスキューズのような感が拭えない。
どうせエンタティンメントなんだから、と割り切って映画を楽をしむ事も否定はしない。ゴジラ映画でなかったら私自身も、やれやれ仕方ないなと苦笑しながらも映画を楽しんだかも知れない。
しかし「ゴジラ」第1作は、唯一の核被爆国である日本として、本多監督が当時の日本人の気持ちを代弁して、核実験に対する怒り、批判を込めて作った作品である。それだけの、重いテーマが込められた傑作なのである。
その事を「ゴジラ」を作る方も、観る側の我々観客も、忘れてはならないと思う。
まあこれが、ハリウッド映画の限界なのだろうし、またヘタに核批判を盛り込んだりすれば、世界的な大ヒットは望めなかっただろう。十分に優れたエンタティンメントの快作として認めざるを得ないが、前記2項目の難点分だけは減点しておく事とする。 (採点=★★★☆)
(注1)
1作目「ゴジラ」の冒頭、太平洋を航行中の漁船が突然閃光を浴び、沈没するシーン(後でゴジラの仕業と分かる)は、同年3月、水爆実験に巻き込まれた“第五福竜丸事件”を容易に連想させる。
また、テレビに映るゴジラに破壊され、焼け野原となった東京の惨状が、まるで原爆投下後の広島のようである。
ラストでは山根博士(志村喬)がポツリと以下のように呟く。「あのゴジラが最後の1匹とは思えない。水爆実験を続ける限り、ゴジラの同類がまた世界のどこかに現れて来るかも知れない」
(注2)
1966年に大映が作った特撮時代劇「大魔神」(安田公義監督)は、神を恐れぬ悪人たちが大魔神の石像を壊そうとして魔神の逆鱗に触れ、怒り狂った魔神によって悪人たちは滅ぶのだが、それでも怒りがおさまらない大魔神は善良な村人たちも踏み潰して暴れまくる。大魔神は、決して人間の良き味方ではない、という視点が面白い。“荒ぶる神”であり、“自然界の畏怖”的存在でもあるという点で、大魔神とゴジラとは共通点が多いのだが、その意味でも、本作のゴジラにもこうした視点を盛り込んで欲しかった。
ちなみに、「大魔神」の音楽を担当したのが、「ゴジラ」の伊福部昭であったという点からも、両者の結び付きは深いと言える。
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コメント
> 芹沢博士が広島で被爆死した父の形見の懐中時計を肌身離さず持っているのだが、1945年に生まれていたとすると、現在では69歳以上のはず。
連れ子だったんだな、きっと(ピカを受けたが、その場で死んだとは言ってないし)。
投稿: ふじき78 | 2014年8月 2日 (土) 23:05
◆ふじき78さん
時計が焼け爛れて原爆投下の8時15分で止まってた訳ですから、持ち主は即死を免れたとしても瀕死で、遅くとも数日後には亡くなってるでしょうね。
父ではなくて、祖父の形見、だったら辻褄が合うんですがねぇ(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2014年8月 3日 (日) 00:48
管理人さんの感想にはほぼ同感です。
なかなか面白かったですが、、
東宝特撮映画ファンとしては色々と言いたくなりますね。
渡辺謙の役は映画では芹沢博士としか呼ばれませんが、フルネームは芹沢猪四郎!
ちらちらと怪獣を見せる演出はなかなかうまい。
ムトーとゴジラは天敵同士の様な関係で、人類はその戦いに巻き込まれるという世界観は私も平成ガメラシリーズだと思いました。
ビジュアルは素晴らしかったのですが、お話にツッコミ所が多いのも全く同感。
演出も新人監督の2作目という事もありもうちょっと頑張って欲しかったかな。
という事で個人的には「パシフィック・リム」ほどは燃えませんでしたが、楽しめました。
投稿: きさ | 2014年8月 3日 (日) 08:12
◆きささん
「パシフィック・リム」は人類=正義、カイジュウ=倒すべき悪
という図式が分かり易いので、理屈抜きで楽しめましたね。
本作では、原水爆を作ってしまった人間の立ち位置があいまいと言うか、ボカされてる(て言うかしょーもない言い訳してる)ので、個人的にはすんなり楽しめませんでした。
既に決定してる2作目にはモスラ、ラドン、キングギドラが出るそうで、ますます不安になりますね。シェーだけは勘弁を(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2014年8月 5日 (火) 00:48
ゴジラ自身は強大な自然の猛威でありながら、同時に巨大な野生動物でもありましたから、特に自身にとって脅威でもない虫けら(人間)に構うことはしなかったのです(天敵ムートーの排除に忙しかったので特に)。
実際には芹沢博士の父親自身は爆心地から離れた場所にいたので死んでいません。
その後紆余曲折あり、マッカーサーが設立した極秘研究機関「モナーク」に参加しています(この辺りは前日譚のアメコミ「GODZILLA AWAKENING」にて触れられています)。
博士がゴジラに拘っていたのはこの父親の影響です。
しかし芹沢博士自身はその時既に生まれていたので(当時0歳)、やっぱりおかしいままです。
あと今回の監督は広島・長崎の原爆投下や水爆実験についてのドキュメンタリーを製作した経験があるので、核の威力は十分に知っていた筈なのですがね…米軍から規制が入ったか、無理矢理解釈すれば、核弾頭のエネルギーを周囲に産み付けられた卵が吸収していたのかもしれません。
もしそうなら、あのまま吸収し続けてエネルギーを空っぽにしていたら、子ムートーがそのまま一斉に孵化する危険性もあったのかもしれません。
投稿: 名無し | 2014年8月 6日 (水) 05:33
◆名無しさん
情報ありがとうございます。
>芹沢博士の父親自身は爆心地から離れた場所にいたので死んでいません。
それだと、片身の懐中時計が、なんで原爆が炸裂した時間で止まっていたのでしょうか。
離れた場所にいたのなら、時計が止まる事はないでしょうし。
あの時計見せられて、「形見です」て言われたら、アメリカ司令長官ならずとも「芹沢の父は原爆で死んだ」と思ってしまうでしょう。まぎらわしいというか、話をややこしくしてません?
>核弾頭のエネルギーを周囲に産み付けられた卵が吸収していたのかもしれません。
としたら、ムートー退治に核爆弾使用しても効果ない…どころか逆効果ですね。相手にしたら、おいしいご飯食べさせてくれる訳ですから(笑)。
て言うか、なんで時限装置付き?ミサイル攻撃の方が手っ取り早かったのでは?。
投稿: Kei(管理人) | 2014年8月 7日 (木) 00:42
>片身の懐中時計が、なんで原爆が炸裂した時間で止まっていたのでしょうか。
>離れた場所にいたのなら、時計が止まる事はないでしょうし。
"父親自身は"というのが答えです。
>まぎらわしいというか、話をややこしくしてません?
それでも形見には違いありませんし、そして本人は死ななかったとはいえ、あの爆発に巻き込まれた被害者であるのは間違いありませんしね。
>としたら、ムートー退治に核爆弾使用しても効果ない…どころか逆効果ですね。相手にしたら、おいしいご飯食べさせてくれる訳ですから(笑)。
核兵器とは本来、核分裂反応により発生した高温の熱波や衝撃波で標的を破壊するものです(劣化ウラン弾のような例外もありますが)。
いくら放射能を吸収出来るムートーやゴジラも、それらを吸収することなど出来ませんよ。
>て言うか、なんで時限装置付き?ミサイル攻撃の方が手っ取り早かったのでは?。
どうやってミサイル当てるんですか?ムートーを中心に100km以上の範囲で電波障害が発生しますから、誘導は無理ですよ。
怪獣達はサンフランシスコを目指していたので、サンフランシスコから32km離れた沖に餌を置いて怪獣達を誘き寄せて、そこで3体もろとも消し飛ばすという作戦だったのですが失敗しました。
投稿: 名無し | 2014年8月 7日 (木) 16:23
◆名無しさん
そもそも映画は、見ている劇場で体感する事がすべてで、前日譚のアメコミなんかであれこれ書かれても、観客でそんなの見ている人なんかほとんどいないでしょう?
で、芹沢博士の父が原爆で死んだか死ななかったかなんて、どっちでもいい事で、その事がストーリー展開に重要な影響を与えたわけでもないし、それがどうしたって感じですね。まるごとカットした方がよっぽどすっきりしますよ。
>どうやってミサイル当てるんですか?
過去のゴジラ作品でもロケット砲やミサイルは攻撃兵器の定番で、エメリッヒ版ゴジラでも、最後ミサイルでゴジラを倒してますね。
映画の中で、ミサイルは効果がない、なんて説明ありましたっけ?
>核兵器とは本来、核分裂反応により発生した高温の熱波や衝撃波で標的を破壊するものです(劣化ウラン弾のような例外もありますが)。
>いくら放射能を吸収出来るムートーやゴジラも、それらを吸収することなど出来ませんよ。
なかなか爆発しない時限装置付の核兵器なんか使うから、ぶん取られておいしいご飯になってしまった事を言ってるわけです。
ミサイル攻撃も、どっちもどっちと言えるかも知れませんが、名無しさんおっしゃる通り、>あのまま吸収し続けてエネルギーを空っぽにしていたら、子ムートーがそのまま一斉に孵化する危険性もあった
ていう事で、まだミサイル攻撃の方がマシかと。
投稿: Kei(管理人) | 2014年8月10日 (日) 02:51
ご無沙汰しています。
「超高速!参勤交代」「るろうに剣心 京都大火編」と
ロケされた庄内映画村がある
鶴岡市在住ですが、本多猪四郎監督の
出身地でもあります。
隣市の酒田市は初代ゴジラ俳優の
中島春雄さんの出身地で、二市間にある
イオン三川で鑑賞。旧作思うと感慨深いですね。
ただ旧作の繋がりがあるのに地元民は普通の対応…
私的にはこんなに喜ばしい事はないのに。
『パシフィック・リム』エンドロールでも
「この映画をモンスターマスター、
レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ」と出たましたね。
エメリッヒ版は酷過ぎましたが、本作は
多少の粗があってもかなり満足しました。
投稿: | 2014年8月20日 (水) 14:19
◆お名前が漏れてますが、文面から察してぱたたさんですね?
>ただ旧作の繋がりがあるのに地元民は普通の対応…
まあ、映画に興味がない人はそんなもんじゃないでしょうか。
本多猪四郎監督にオマージュ捧げた映画が2年連続で公開されるのも、ファンには嬉しい事ですね。
残念なのは、日本映画でそれをやってくれないこと。次は是非日本でもゴジラ作って欲しいのですが、早々とハリウッドが2作目製作を発表しましたから、いつになることやら…。気長に待ちますか。
投稿: Kei(管理人) | 2014年8月24日 (日) 12:40
すみません、その通り私です…。
また何か有りましたら書き込みますね。
投稿: ぱたた | 2014年8月25日 (月) 15:26