「るろうに剣心 伝説の最期編」
日本征服を企てる志々雄真実(藤原竜也)に連れ去られた薫を追って、志々雄の鋼鉄艦・煉獄に乗り込んだ剣心(佐藤健)だが、海に落とされた薫を追って剣心も海に飛び込み、一人岸へ打ち上げられたところを、かつての師匠・比古清十郎(福山雅治)に拾われる。今の自分では志々雄を倒せない…剣心は清十郎に奥義の伝授を懇願する。一方、剣心が生きていると知った志々雄は、政府内務卿の伊藤博文(小澤征悦)に圧力をかけ、剣心を人斬り時代の暗殺の罪で公開打ち首にするよう迫った。その頃、剣心は志々雄に最後の戦いを挑むべく、東京へと向かっていた…。
前作、「京都大火編」には唸った。
チャンバラ映画史の歴史を変えるかの如きスピーディなソード・アクション、それでいて、単なる娯楽映画に留まらず、「殺さずの誓い」を立てた緋村剣心というニューヒーローの、人を殺す事の空しさ、“復讐の連鎖”に対する批判、という現代的なテーマが盛り込まれた内容にも感動した。
まさに、近年まれに見るチャンバラ映画の秀作であった。
その後編である本作にも、否が応でも期待は高まったのだが…。
うーん、期待しすぎたせいだろうか、やや物足りない出来であった。
無論、アクション・シークェンスは前作以上に素晴らしい。次々と登場する激しいチャンバラには興奮させられた。アクションに関しては十分満足出来る仕上がりではある。
だが、1作目や前作に見られた鋭いテーマ性が、本作ではやや希薄である。
矢継ぎ早に展開する膨大な原作のストーリーを追いかけるのに精一杯で、登場人物たちの内面心理等が描ききれていない。
例えば、四乃森蒼紫(伊勢谷友介)は何故剣心にしつこく戦いを迫るのか、そして剣心に敗れた後、今度は一転剣心に協力し、共に志々雄と戦うようになるのは何故なのか。
原作ではきちんと描かれているのだろうが、映画を観る限りにおいては分かり難い。
剣心の師匠、比古清十郎が登場し、剣心は清十郎に奥義の伝授を依頼するのだが、その奥義も分かったようで分かり辛い。どうやら、「死ぬ事よりも、命の重さを心に留め置く」という事らしいのだが、剣心は既に1作目にして“人を殺す事の空しさ”を悟り、命の大切さを重んじるようになっている。
であるなら、今さらという感じで、こんな終盤に至って比古清十郎が登場する必要性は薄いように思う。時間がないのだからカットしてもよかったのでは。
比古は剣心に別れ際「死ぬなよ」と言うのだが、相手に敗れれば死ぬわけだから、結局は勝て、という事で、言わずもがなではないだろうか。
志々雄の配下、十本刀が前編に登場した沢下条張、本作の瀬田宗次郎と安慈を合わせても3人しか対戦相手として登場しておらず、残りはほとんどその他大勢扱いで、どんな強敵かと期待したのに拍子抜け。まあ時間が足らないので致し方ないが、それなら最初から“三本刀”としておいたら問題なかったのに。
ついでに言うなら、伊藤博文ら明治政府の位置付けがあいまい。剣心にしろ志々雄にしろ、都合よく利用して、用済みになれば捨てるという権力者のエゴイズムを鋭く批判するのかと思ったら(実際、煉獄に剣心らがいるのに砲撃しているし)、最後は剣心たちに最敬礼、には唖然とした。剣心たちも、皮肉の一つでも言うべきだろう。
その他、鋼鉄艦・煉獄の建造費はどうやって捻出したのかとか、志々雄の目的は明治政府の転覆だったはずなのに、いつの間にか剣心と戦う事が目的のようになっている、とか、突っ込み所も多い。
…とまあ難点を挙げたが、これはそれだけ期待値が高い事への裏返しである。映画を観ている間はアクションに次ぐアクションに十分興奮させられたし、娯楽映画として水準以上の秀作であるのは間違いない。
大友啓史監督と谷垣健治・アクション監督のコンビには、今後もさらに躍動感溢れる、アクション映画の力作を生み出す事を期待したい。
採点は、本作「伝説の最期編」については(★★★★)。但し前・後編トータルでは(★★★★☆)としておこう。
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コメント
面白かったです。
前編と同様アクションが快調で楽しめました。
船上のアクションが凄かったです。
ただ、お話はちょっと、、私もラストの伊藤博文のセリフには納得できません。
結構好きな滝藤賢一、前作よりは活躍したかな。
投稿: きさ | 2014年10月 2日 (木) 22:47