「柘榴坂の仇討」
幕末の安政7年、主君・井伊直弼(中村吉右衛門)の御駕籠回り近習役として仕えていた彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は、登城途中の桜田門外において水戸浪士に襲われ、目を離した隙に主君を殺害されてしまう。切腹も許されず、藩から仇討ちを命じられた金吾は、時が明治へと移り変わってもなお、井伊を殺害した刺客を探し続けていた。そして暗殺から13年後の明治6年、金吾はついに水戸藩浪士の最後の一人・俥(くるま)引きの直吉と名を変え生きていた佐橋十兵衛(阿部寛)を探し出す。だがその日、明治政府は仇討ち禁止令を布告していた…。
いかにも浅田次郎原作らしい、激動の時代の中で翻弄されて行く侍の矜持と、彼を支えた妻との夫婦愛をしっとりと描いた作品としてまとまった出来である。
大老・井伊直弼を水戸藩浪士が暗殺した“桜田門外の変”を題材とした映画は、過去に何本か作られているが、多くは暗殺する側の水戸藩浪士たちを主人公にした作品で(注1)、主君を討たれた彦根藩士の側から描いた作品は珍しい。
原作は40ページ足らずの短編で、これに原作にないエピソードを追加して物語を膨らませ、2時間の映画にしたのが本作である。
この映画のテーマは大きく分けて2つ。
時代が幕末から明治へと変わる、大きな変革の流れの中で、その存在意義を失ってしまった武士が、どう生きて行けばいいのか。それでも武士の大義を通すべきなのか。
特に本作の主人公志村金吾のように、重大な失態を犯し、主君の仇(かたき)を討つまでは切腹も事も許されないという、まさに生きている事自体が恥でありを屈辱でありながら、それでも生きざるを得ない侍の心中はいかばかりか。
そして2つ目として、その夫にずっと寄り添い共に生きてきた妻との夫婦愛である。
(以下ネタバレあり、注意)
妻のセツは、国許へ帰れという金吾の言葉に従わず、苦しい暮らしが待っているにも関わらず、金吾を支える道を選んだ。さらに、本懐を遂げれば夫は主君の後を追い切腹し、そうなれば妻も後を追う事となる。
それを知りながらも、場末の酌婦という、武士の妻としてはあまりに辛い仕事に就きながらも、夫を支え続けた妻の献身には、金吾ならずとも泣けて来る。
この妻の支えがなければ、金吾はやがて心が折れ、自死していたかも知れない。
セツを演じた広末涼子が、この難しい役を好演している。
そして圧巻は終盤、金吾が司法省元警部の秋元和衛(藤竜也)の自宅を訪ね、一人生き残っていた仇の所在を教えてもらうシーンと、それに続き目当ての佐橋十兵衛と遂に出会い、柘榴坂において対決するシーンである。
実は原作は、ほぼこの2つの場面だけで成り立っている。ここだけがビシッと引き締まっているのも当然ではある。
秋元宅のシーンでは、金吾に扮する中井貴一と、秋元に扮する藤竜也との、そして柘榴坂のシーンでは中井貴一と十兵衛に扮する阿部寛との、共に相手の腹の中を探りあいつつ対決する、火花を散らす演技合戦がどちらも素晴らしく見応えがある。ここだけでも料金分の値打ちはある。
秋元に、井伊大老こそ多くの国士を葬り、時代を混乱させた大罪人と言われた金吾が激怒し斬りかかろうとし、それに対して斬るなら斬れと動じない秋元の豪胆な姿は、まるで歌舞伎の名シーンを見ているようで大向こうから声をかけたくなる(注2)。
前半の、出番は僅かだが、井伊大老に扮する中村吉右衛門もさすがの貫禄で、こうした味のあるベテラン俳優の重厚な演技をじっくりと見ているとホッとする。安心して見ていられるのである。
言っちゃ悪いが、ジャニタレやテレビタレントの演技とは雲泥の差がある。これが本物の演技である。
柘榴坂での、金吾と十兵衛の対決シーンでは、さりげない会話を通して互いに相手の正体、心情を推し量ったり、共にサムライとして、己の誇りと矜持を示すシーンが味わい深い。
ここで金吾が、本当は十兵衛を殺すつもりはなかった事が明らかになるのだが、それなら、これまで足を棒にして仇を探し回っていたシーンとはやや整合が会わない気がするのだが…。
つまり、サムライとして死に場所を探していたと思っていたのだが、そうではなくて十兵衛に、“死ぬな、生きよ”と伝える為に彼を探し当てたという事らしい。
たまたまこの日、政府の“仇討ち禁止令”が出た事を言い訳にしているようだが、侍の道を通すならそんな命令など無視するだろうし、政府令に従うなら、廃藩置県で彦根藩が消滅した時点で、藩命の仇討ちも意味がなくなり、よって仇を探すのも止めればいいのである。
ちょっと拍子抜けの結末と言えなくもない。
まあここは、いかにも浅田次郎らしい、“どんな辛い事があっても、生きる道を選べ、妻と共に”というテーマを強調したいが故の結末なのだろう。
そのテーマはよく出ており、大目に見てもいいだろう。また“死ぬ事と見つけたり”とする武士道のアナクロニズムを、やんわりと批判する狙いもあるようだ。
あと、本作で初めて知ったのだが、井伊大老一行が雪の中登城する際、雪で着物が濡れるのを防ぐ為、羽織の上に桐油塗の雨合羽、刀の柄にも桐油を引いた柄袋を被せたエピソード。史実でもそうだったとある。
行列には警護の侍が60人もいたのに、なんでたった18人の水戸藩浪士の大老暗殺を防げなかったのか不思議だったのだが、刀に柄袋を被せ、紐で結んでいた為、刀が抜けなかったのだとしたら、暗殺を防げなかったのも仕方がない。桜田門まですぐ近くだし、油断してリスク管理を怠っていたのが災いしたわけだ。
本作を観たおかげで疑問が解けた。映画はいい歴史の勉強になる(笑)。
演技達者な役者の堂に入った名演技も堪能出来たし、若松監督の丁寧な演出も悪くない。見ごたえのある力作と評価したい。
ただ、ちょっと引っかかるのが、金吾がいつも月代を綺麗に剃って、きちんと髷を結ってる所。
禄預りの、生活の苦しい、いわゆる浪人なら、普通は月代は伸びているもの(浪人が主人公の映画やドラマを見ても一目瞭然)。着物も綺麗なままだし、リアリティに欠けるように思う。
原作を読んだら、金吾は散切頭(ざんぎりあたま)で、秋元の家に出向く時も粗末な単衣羽織のままである。下駄の歯もすり減り、足は皸(あかぎ)れていたとある。それが妥当なところだろう。
なんで、わざわざ原作の設定を変えてまで、こんなパリッとした風体にしたのだろう。散切頭ではサムライらしく見えないという事だろうか。それでも服装・履物くらいはくたびれたものにすべきだと思うのだが。これでは昭和30年代の市川右太衛門主演の時代劇である(笑)。
そんなわけで、映画の出来は悪くないけれど、そうしたリアリティ欠如部分が減点となって採点は… (★★★★)
(注1)
大老・井伊直弼を水戸藩浪士が暗殺した“桜田門外の変”を描いた映画としては、最近では「桜田門外ノ変」 (佐藤純彌監督)がある。これは暗殺に関わり、その後逃亡した水戸藩浪士たちを主人公にした、かなり史実に忠実な力作であった。
桜田門外の変を題材とした映画は、他には群司次郎正原作「侍ニッポン」が過去何度も映画化されている(主演は坂東妻三郎、三船敏郎等一流時代劇スターが多い)が、これも主人公・新納鶴千代をはじめ、やはり水戸藩浪士たち側から描いた作品である。
ちなみにその「侍ニッポン」映画化作品のうち、1957年の大曽根辰保監督・ 田村高廣主演作、1965年の岡本喜八監督・三船敏郎主演作(公開題名「侍」)では、どちらも 井伊直弼を演じたのが、八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)…即ち、本作で井伊直弼を演じた中村吉右衛門の父親であった、というのが面白い(幸四郎は舞台でも直弼を演じている)。不思議な縁とも言えるが、過去に直弼を当り役としていた八代目の息子と知っててキャスティングしたのなら、粋な計らいだと言えよう。
(注2)
このシーンで秋元が語る、水戸藩浪士暗殺隊のその後の顛末で、自訴した7名の浪士がいずれも切腹となったとあるが、これは史実ではない。実際は全員打ち首になっている。幕府の要人を殺したのだから当然だろう。ただし逃げ延びて明治以降も生きていた浪士はいたらしい。
また、警護に失敗した彦根藩士の方は、事変から2年後に、軽傷者は全員切腹が命じられ、無疵の士卒は全員が斬首・家名断絶となった。
従って、金吾のように無疵だった藩士は、斬首になったわけである。
さらに、彦根藩邸では水戸藩に仇討ちをかけるべきとの声もあったが、家老・岡本半介が叱責して阻止したという(出典はwikipedia)。
よって、原作は史実を無視した、単に桜田門外の変という事件をヒントにした、全くのフィクションという事になる。そのつもりで鑑賞した方がいいだろう。
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コメント
月代と和装はいいんじゃないですかね。月代はやり方さえ覚えればプロじゃなくてもやれそうだし。和装も二着を代わりばんこに着れば古びても乞食のようにはならないと思います。
武士の形そのままに残ってるところが融通が利かない感じでよかったです。
投稿: ふじき78 | 2014年10月 6日 (月) 21:17
◆ふじき78さん
冒頭で金吾が刀で無精髭を剃るシーンが出てきますね。
原作にも出て来ますが、あれは秋元邸に出かける日の朝で、日頃は無精髭のままでいた事を示しています。
髭剃る余裕もないのに、月代だけは綺麗に剃ってた、って矛盾してません?
てか、原作を先に読んで、金吾のみすぼらしいナリが頭に入ってて映画を見たら、なんか違和感を感じてしまったのですね。あれは原作者の意図と違うんじゃないかと思いました。
せめて「たそがれ清兵衛」状態ならまだ納得出来たかも(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2014年10月 7日 (火) 00:33