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2014年12月31日 (水)

2014年を振り返る/追悼特集

今年も、あとわずかですね。いかがお過ごしでしょうか。

恒例となりました、この1年間に亡くなられた映画人の方々の追悼特集を、今年も行います。

今年は特に、私の敬愛する映画人の方々が次々と亡くなられ、大きなショックを受けました。悲しい気持ちでいっぱいです。

ではまず、海外の映画俳優の方々から。

2月1日 マクシミリアン・シェル氏  享年83歳
オーストリア・ウィーン生まれ。舞台俳優として頭角を表し、1955年に映画界入り。57年からはアメリカ映画に進出。61年のスタンリー・クレイマー監督の秀作「ニュールンベルグ裁判」でドイツ側弁護士役を熱演し、見事アカデミー主演男優賞を受賞して一躍有名になりました。ジュールス・ダッシン監督の泥棒映画「トプカピ」(65)でも好演しました。その後も多くの映画に出ていますが、代表作といえるのがこの2本くらいというのがやや寂しいですね。個人的にはチャールトン・ヘストンと丁々発止の演技合戦を繰り広げた「誇り高き戦場」(67)が割と好きなのですがね。その後70年には監督業にも進出。ドミニク・サンダ主演の「初恋」、他数本監督作品があります。「最後の橋」「居酒屋」で有名な名優マリア・シェルはお姉さんです。

2月2日 フィリップ・シーモア・ホフマン氏  享年46歳
1992年にデビュー後、多くの作品に助演し、渋い演技を見せてましたが、あまり人気は上がりませんでした。97年に、ポール・トーマス・アンダーソン監督「ブギーナイツ」の好演が認められ、同じアンダーソン監督「マグノリア」でも力演。そして2005年に自ら製作総指揮を兼ねた、作家トルーマン・カポーティの伝記映画「カポーティ」の主演で見事アカデミー賞他の主演男優賞を総ナメし、人気スターとなりました。近年もシドニー・ルメット監督の遺作「その土曜日、7時58分」「脳内ニューヨーク」、P・T・アンダーソン監督「ザ・マスター」、今年日本でも公開された「誰よりも狙われた男」など、精力的に映画出演し、楽しませてくれました。2月に亡くなったと聞いた時には驚きましたが、薬物の過剰摂取が原因とは何とも残念です。46歳は若すぎますね。

2月10日 シャーリー・テンプルさん 享年85歳
古い映画ファンなら誰もが知っている、アメリカ映画の子役スターとして世界的に有名な人。4歳にして映画に出演、6歳で既に大人気スターとなり、10歳にして史上最年少の百万ドルスターとなったというからいかに凄いかが分かります。わが国で公開された映画の邦題も、多くが「テンプル(ちゃん)の○○」というものでした。1979年にはわが国未公開だった「テンプルちゃんの小公女」(39)も公開され、これで知った人も多いでしょう。ただ、大きくなるにつれて可愛らしさが薄れた為かパッとしなくなり、21歳過ぎに映画界からは引退しました。その後政治家に転出し、ガーナ大使なども歴任。それにしても、映画俳優としてはもはや伝説上の人。まだご存命だったとは。

2月24日 ハロルド・ライミス氏 享年69歳
「ゴースト・バスターズ」での怪演?で知られていますが、どちらかと言うと脚本・監督業が本職のようです。ジョン・ランディス監督「アニマル・ハウス」「ゴースト・バスターズ」などの脚本作や、デ・ニーロ主演の「アナライズ・ミー」「悪いことしましョ!」等の監督作があります。私が好きなのは、脚本・監督を手がけた、ビル・マーレィ主演の「恋はデジャ・ブ」(93)。同じ一日が何度も繰り返されるというパターンの代表的佳作でしょう(本家は押井守監督「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」でしょうが)。遺作は2009年のわが国ではビデオのみ発売の「紀元1年がこんなんだったら?」。製作・脚本・監督・出演もこなし、主演がジャック・ブラック。面白そうなので借りて見たいですね。

4月6日 ミッキー・ルーニー氏 享年93歳
こちらも、テンプルちゃんと並ぶ名子役スター。両親はボードヴィル芸人で、1歳で舞台に出て、4歳でハリウッドデビューを果たす辺りもテンプルちゃんと似てます。ただテンプルと違うのは、青年時代、大人時代、そして現代に至るまで一線の俳優として活躍し続けた、という辺りでしょうか。1930~40年代には「初恋合戦」「青春一座」など、やはり子役出身のジュディ・ガーランドとのコンビ出演作が多数あります。そんな中、スペンサー・トレイシーと共演した「少年の町」(38・ノーマン・タウログ監督)は代表作と言えるでしょう。中年になってからの異色作はヘップバーン主演「ティファニーで朝食を」におけるヘンな日本人(笑)ユニヨシ役でしょうね。近年も「ナイト・ミュージアム」等コンスタントに映画出演を続けていました。

Mickysharly
4月29日 ボブ・ホスキンス氏  享年71歳
イギリス出身で、元は舞台俳優。1974年頃より映画に出演。86年の「モナリザ」(ニール・ジョーダン監督)で全米批評家協会の主演男優賞の他、主演賞を総ナメして脚光を浴びました。一番有名なのはロバート・ゼメキス監督「ロジャー・ラビット」(88)の主演でしょうね。ただ以後は段々と脇役に回ってしまい、パッとしなくなってしまったのは残念です。「スーパーマリオ/魔界帝国の女神 」(93)でゲームとそっくりのマリオを演じているようじゃ情けないです。役柄を生かせる監督と出会えなかったのでしょうかね。

5月2日 エフレム・ジンバリストJr.氏  享年95歳
懐かしい名前です。1958年にテレビ放映開始の「サンセット77」で主役の探偵を演じ、65年放映開始の「FBI」でもアースキン捜査官役を演じてテレビにおける人気を不動のものにしました。映画も49年から出てはいますが、こちらは代表作と言えるものは少なく、オードリー・ヘップバーン主演の「暗くなるまで待って」におけるオードリーの夫役が印象に残る程度。やはりテレビの人ですね。

6月24日 イーライ・ウォラック氏  享年98歳
この人の名前を聞いて映画ファンが思い浮かべる作品は多分、ジョン・スタージェス監督「荒野の七人」(60)の盗賊の頭領役、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン「続・夕陽のガンマン・地獄の決闘」(66)における、イジけた奴テュコ役、の2本でしょう。しかしこの人、実は映画界に大きな貢献を果たしており、47年、リー・ストラスバーグと共にあのジェームズ・ディーンも学んだ「アクターズ・スタジオ」を創設した方なのです。映画界に入る前には、ブロードウェイの舞台劇「バラの刺青」でトニー賞も受賞している実力派。その後も数多くの映画で貴重なバイ・プレイヤーとして活躍。数年前にも、ナンシー・メイヤーズ監督の楽しいコメディ「ホリディ」(2006)で健在振りを示していました。遺作は多分ロマン・ポランスキー監督「ゴースト・ライター」(2010)。この時94歳なんですね。         

7月19日 ジェームズ・ガーナー氏  享年86歳
1956年頃から映画に端役で出ていましたが、翌年より放映のテレビの西部劇「マーベリック」で有名に。映画では63年のジョン・スタージェス監督「大脱走」の調達屋ヘンドリー役で一気にブレイクしました。以後66年のジョン・フランケンハイマー監督「グラン・プリ」、67年のこれもスタージェス監督「墓石と決闘」のワーアット・アープ役、と押しも押されもせぬ大スターに出世しました。しかし一方、バート・ケネディ監督のおトボケ西部劇「夕陽に立つ保安官」「地平線から来た男」にも出演する等、幅の広さも見せます。69年には「かわいい女」で私立探偵フリップ・マーロウ役にも挑戦。近年でも仲のいいクリント・イーストウッドの監督作「スペース・カウボーイ」(2000)で元気な姿を見せておりました。         

Jamesshigeta7月28日 ジェームズ繁田氏  享年81歳 
「ダイ・ハード」(88)における、ナカトミ商事のタカギ社長役でご存知の方も多いでしょう。ハリウッド映画で、よく日本人役を演じていましたね。「ミッドウェイ」(76)の南雲中将役も印象的です。アメリカ・ハワイ州生まれの日系人で、元々は歌手で結構人気があったようです。日本にも何度か来て、NHK紅白歌合戦にも2度ほど出場してるそうです。ブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品「フラワー・ドラム・ソング」(61)でも歌ってました。北野武監督の「BROTHER」(2000)にも出演する他、近年まで映画出演を続けていたようです。でも、こうした日系で、ハリウッドで活躍する映画人、少なくなりましたね。            

Texaschainsaw8月5日 マリリン・バーンズさん  享年64歳
なんと言っても、トビー・フーパー監督のショッキング・ホラーの傑作「悪魔のいけにえ」(74)での、レザーフェイスに追われ、キャーキャー逃げ回るヒロイン役で強烈な印象を残しました。以後もやはりフーパーの「悪魔の沼」(76)、チャールズ・マンソン事件を扱った「ヘルター・スケルター」(76)とか、ホラー専門女優のイメージが定着してしまったのはちょっとお気の毒。後年に作られたリメイク作品「悪魔のいけにえ/レジェンド・オブ・レザーフェイス」 (95)なんかにもカメオ出演してました。
   
8月11日 ロビン・ウィリアムズ氏  享年63歳
最初にこの人を見たのは、ロバート・アルトマン監督のコミックの実写映画化「ポパイ」(80)。アニメそっくりの特殊メイクには笑ってしまいました。その後は「ガープの世界」(82・ジョージ・ロイ・ヒル監督)、「グッドモーニング、ベトナム」(87)などでどんどん有名になって行きます。スタンダップ・コメディアン出身だけに、アニメの「アラジン」(92)も含めて、早口のマシンガントークは絶品でした。「ミセス・ダウト」(93)の怪演も忘れられません。しんみりした感動作から、ハチャメチャの爆笑コメディまで、幅の広さは天下一でした。死因はうつ病による自殺だそうですが、陽気に見えた外面からは計り知れない悩みがあったのでしょうか。惜しいですね。            

8月12日 ローレン・バコールさん  享年90歳 
ファッションモデル出身で、「ハーパース・バザー」という一流雑誌のモデルとして活躍。それがハワード・ホークス監督の目に留まり、45年ホークス監督の「脱出」で映画デビュー。これが縁となって共演者のハンフリー・ボガートと結婚しましたが、以後もボガート主演作「三つ数えろ」(46)、「キー・ラーゴ」(48)で共演し、おしどりコンビぶりを発揮しました。鼻にかかったようなハスキー・ボイスが魅力的で、私は大好きな女優でした。「脱出」におけるバコールのセリフ「用があったら口笛を吹いて」にはシビれましたね。他にも多数の映画に出演していますが、上に挙げた3本が強烈な印象を残しているおかげで、他の作品が霞んでしまってる感があります。そうそう、ジョン・ウェインの遺作「ラスト・シューティスト」(76)もよかったですね。

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Richardkeal9月10日 リチャード・キール氏  享年74歳
これはもう、「007/私を愛したスパイ」(77)、「007/ムーンレイカー」(79)における、鋼鉄の歯の殺し屋ジョーズできまりですね。もう他の作品は全く思い浮かびません(笑)。1961年以降、最近に至るまで多くの映画に出てるのですが、ほとんど印象にないです。まあ、こうした当たり役で映画ファンに記憶されるのも、俳優冥利と言えるのかも知れません。   

12月18日 ヴィルナ・リージさん  享年77歳
イタリアの女優で、「エヴァの匂い」(62)、「女房の殺し方教えます」(65)などがありますが、アンリ・ヴェルヌイユ監督のナチス批判映画「25時」(67)における、アンソニー・クインの妻役が特に印象に残っています。ウィリアム・ホールデンと共演の号泣映画「クリスマス・ツリー」(69・テレンス・ヤング監督)も記憶に残ります。   

さて、日本の俳優に移ります。   

1月11日 淡路恵子さん  享年80歳 
松竹歌劇団出身。映画デビューは黒澤明監督「野良犬」(49)の踊り子役。以後多数の映画に出演。54年にはハリウッド映画「トコリの橋」にも出演。映画全盛期という事もありますが、50年代には年間15本もの映画に出演した事もあります。57年の稲垣浩監督「太夫(こったい)さんより 女体は哀しく」ではブルーリボン助演女優賞を獲得しました。東宝の「駅前」シリーズ、「社長」シリーズにも多数出演。個人的に代表作を挙げると、市川雷蔵主演「切られ与三郎」(60・伊藤大輔監督)におけるお富役、中村錦之助と共演の「花と龍」(65)二部作における蝶々牡丹のお京役でしょう。その錦之助と66年に結婚して芸能界を引退しましたが、87年に三船敏郎と共演の「男はつらいよ 知床慕情」で映画界に復帰。以後もコンスタントに映画、テレビで活躍しておりました。しかし、映画界デビューと、20年ぶりの映画界復帰作が共に三船敏郎と共演というのも、不思議な縁ですね。   

1月16日 高橋昌也氏  享年83歳 
俳優座出身の貴重なバイ・プレーヤー。映画は1961年の「名もなく貧しく美しく」以来映画各社の芸術作からB級プログラム・ピクチャーまで多彩。松竹「吸血鬼ゴケミドロ」、東映「温泉ポン引き女中」、大映「夜の診察室」などのホラー、ポルノまで、幅の広さには感心します。'90年代は舞台演出家としても活躍されました。最近もホラー「クロユリ団地」で白髭の老人を演じ元気な姿を見せていました。   

3月3日 安井昌二氏  享年85歳
なんと言っても、市川崑監督の名作「ビルマの竪琴」(56)における主役の水島上等兵役でしょう。残念ながら、この印象が強過ぎて、その他の作品は思いつきません(笑)。日活、東映を中心に、無数の映画で渋い脇役を務めました。むしろ奥様が黒澤「生きる」で印象的な好演を見せた小田切みき、娘さんが子役スターの四方晴美という芸能一家という事で有名な方でしたね。後年は新派に所属し、舞台俳優として活躍されました。
   
3月14日 宇津井健氏  享年82歳 
俳優座養成所出身で1953年に映画デビュー。新東宝で数多くの映画に出演。この時代の作品で我ら映画ファンの間でいつも話題になるのが、SFヒーロー・アクション「鋼鉄の巨人(スーパー・ジャイアンツ)」シリーズ(57~59)。主演のスーパー・ジャイアンツを演じてるのですが、タイツがピチピチで、“モッコリ”とからかわれておりました(笑)。本人も後で恥ずかしいと思ってたでしょうね。新東宝倒産後は大映に移り、「黒の報告書」などの「黒」シリーズ、テレビでも主演した「ザ・ガードマン」シリーズ等で活躍しました。代表作を挙げれば、早稲田大学の創設者・大隈重信を演じた「巨人・大隈重信」(63・三隅研次監督)、定時制高校の熱血教師を演じた「ごんたくれ」(66・村野鐵太郎監督)、それともう一人の(高倉)と共演した、新幹線運転指令長を演じた「新幹線大爆破」(75・佐藤純彌監督)あたりでしょうか。近年も渋い役を演じていますが、私は大映時代の脂の乗った頃の活躍に愛着がありますね。
   
3月30日 蟹江敬三氏  享年69歳
この方を強烈に印象付けたのは、長谷部安春監督のロマン・ポルノ「犯す!」(76)でした。ほとんど喋らず、暴力的に女を犯す強姦魔役で、誰だこの役者は、と思いました。その後も、曽根中生監督の傑作「天使のはらわた・赤い教室」(79)の村木役を好演。以後の活躍はご承知の通りです。テレビ「スケバン刑事Ⅱ」で南野陽子扮するサキをサポートする西脇役も好きですね。テレビのドキュメンタリー番組「ガイアの夜明け」のナレーションも印象的でした。個人的には、代表作と言えば前記の日活ロマン・ポルノ2本、という事になりますね。

 
6月4日 林隆三氏  享年70歳
この方も俳優座養成所出身。映画初出演「妹」(74・藤田敏八監督)の秋吉久美子の兄役でいきなり強い印象を残しました。新藤兼人監督の「竹山ひとり旅」(77)での竹山役も素晴らしかったですね。その他では、崔洋一監督「友よ、静かに瞑れ」(85)における、ラストの鮮烈な死に様が記憶に残ります。   

6月20日 横山あきお氏  享年83歳
漫才コンビ「青空はるお・あきお」の相方で有名ですが、映画でもちょっとトボけた、漫画家の馬場のぼるさんにも似た風貌で、得がたいバイ・プレーヤーとして活躍されました。1本だけ代表作を挙げておきますと、石井輝男監督の「ゲンセンカン主人」 (93)で、その中のエピソード、「李さん一家」における李さん役が、つげ義春の原作マンガとそっくりで感心するやら笑うやら。名優とはお世辞にも言えませんが、でもこういうタイプの役者、探してもなかなかいませんね。
   
8月26日 米倉斉加年氏  享年80歳
劇団民芸の演劇研究所出身。この人も長いアゴが特徴でしたね。映画出演作で思いつくままに挙げると、「真田風雲録」(63・加藤泰監督)における根津甚八役、「座頭市と用心棒」(70・岡本喜八監督)における小仏の政五郎役、そして何より、山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎真実一路」 (84)における、妻を置いてふっと蒸発してしまうサラリーマン役が絶品でした。「男はつらいよ」シリーズでは他でも警官役とかチョイ役でよく出演してました。後年は舞台の出演、および演出でも精力的に活躍されました。映画では今年公開の「ふしぎな岬の物語」が遺作となりました。惜しい名優でしたね。   

8月29日 龍虎勢朋氏  享年73歳
大相撲の元小結を務めたお相撲さんですが、引退後は映画、テレビでも活躍。で、ここで取り上げたのは、日活の大ヒットシリーズ「嗚呼!! 花の応援団」(曽根中生監督)3作で、剛田先輩役を貫禄たっぷりに演じていたのが印象に残っているからです。ややこしいのは一時“放駒(はなれごま)清一”という名前も使っていて、「花の応援団」1、2作目では放駒名義、3作目は龍虎名義で出演しています。その他ではやはり曽根中生監督「博多っ子純情」(78)にも出演。映画出演は少なく、テレビがずっと多かったですが、豪快な役柄が好印象でしたので、もっと映画にも出ていただきたかったですね。   

Yamagutiyoshiko9月7日 山口淑子さん  享年94歳
この方が亡くなられた事も私にはショックでした。映画史のみならず、日本の昭和史に残る、伝説の女優でした。
戦前・戦中は、中国人歌手・俳優、李香蘭として絶大な人気を博し、長谷川一夫と共演の「白蘭の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」が日本でも大ヒット。1941年の日劇でのワンマンショーでは大勢のファンが日劇の周囲を七周り半も取り巻いたと言われるほどの空前の人気でした。また、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子とも親交があったとか、満映理事長甘粕正彦とも懇意だったとか、、戦後は中国人なのに日本に味方したという理由であわや処刑されかけたとか、どれもがフィクションよりも数奇で波乱万丈の半生を送りました。
これだけでも凄いのに、帰国後は日本人女優・山口淑子として「わが生涯のかゞやける日」(48・吉村公三郎監督) 、「 暁の脱走」(50・谷口千吉監督)、「醜聞(スキャンダル)」(50・黒澤明監督)と、名だたる名監督の力作に主演。かと思うと今度はシャーリー山口の名でハリウッド映画「東は東」(51)にも出演する等八面六臂の大活躍。さらに映画界引退後はワイドショーの司会者をやったり、政治家・大鷹淑子として世界を飛び回ったり…と、この人はいくつの人生を持っているのかと呆れるやら感心するやら。1991年には、その生涯が劇団四季で「ミュージカル 李香蘭」としてミュージカル化され、以後数度となく再演され続けています。まったく、生きた伝説の人でした。   

11月3日 桂小金治氏(2代目)  享年88歳
落語家出身で、ワイドショーの司会者として有名ですが、映画にも多数出ています。日活映画の出演が多いですが、印象に残っているのは川島雄三監督の「グラマ島の誘惑」(59)、「貸間あり」(59)あたりでしょうか。キップのいい下町の職人役なんかはハマり役だったように思います。   

11月10日 高倉 健氏  享年83歳
追悼記事掲載済。    

11月16日 片山明彦氏  享年88歳
「路傍の石」(38)、「風の又三郎」(40)などで、天才子役として活躍しました。大人になってからも多くの映画に出演。印象に残っているのは、伊藤大輔監督、坂東妻三郎主演「素浪人罷通る(47)の天一坊役、黒澤明脚本、森一生監督の秀作「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」 (52)の渡辺数馬役あたりでしょうか。1970年頃には俳優を引退していたようです。   

11月19日 ジョニー大倉氏  享年62歳
ロックバンド、キャロルの元メンバーで、解散後は俳優に転出。多くの映画に出ていますが、印象深いのは根岸吉太郎監督の秀作「遠雷」(81)、そして川島透監督の「チ・ン・ピ・ラ」(84)の2本ですね。近年はオリジナル・ビデオの任侠やくざ映画専門みたいになってました。   

11月28日 菅原文太氏  享年81歳
この方が亡くなられたのもショックです。なんで次々と素敵な名優の方々が鬼籍に入られるのか…呆然となってしまいます。
元は男性モデル出身。1958年新東宝に入社し、多くの映画に出ています。が、新東宝が傾きだして会社がエログロ路線になった事もあり、ヘンテコな題名の映画に出ています。「海女の化物屋敷」とか「九十九本目の生娘」だとか。笑ってしまいます。新東宝倒産後は松竹に移籍。ここでも下積み暮らしが続きます。それでも木下恵介監督「死闘の伝説」(63)とか加藤泰監督「男の顔は履歴書」(66)などでは凄みのあるいい演技を見せてました。同作品の主演者・安藤昇に誘われ今度は東映に移籍。いきなり「網走番外地 吹雪の斗争」(67)で高倉健と共演を果たします。何本かの脇役を経て、ようやく「現代やくざ 与太者の掟」(69)で主役に昇格。少しづつ人気が高まって行きます。
健さんと異なるのは、「緋牡丹博徒 一宿一飯」(68)で敵側の悪役を演じたり、若山富三郎主演の「極悪坊主」シリーズで不気味な盲目の僧を演じたり、はたまた「まむしの兄弟」ではコミカルなキャラクターを開拓したりと、役柄に大きな幅がある点でしょう。特に、深作欣二監督による72年の「現代やくざ 人斬り与太」「 人斬り与太 狂犬三兄弟」では、凶暴で、女は強姦する、仁義もヘッタくれもなく無茶苦茶に暴れまくり、最後は惨殺される、と、ダーティなアンチ・ヒーローを演じて我ら映画ファンを熱狂させました。個人的にはこの2本が大のお気に入りです。これが突破口となって、翌年の深作監督「仁義なき戦い」になだれ込んで行くわけです。デビュー以来15年目の、遅咲きの開花と言えるでしょう。後はご承知の通り。
それにしても、今も根強い人気がある「トラック野郎」シリーズの監督(鈴木則文)と主演俳優が同じ年に亡くなられるとは。健さんも亡くなり、東映プログラム・ピクチャーを支えた人たちの逝去は、ファンとしては寂しい限りです。   

さて、映画監督に移ります。まず外国勢から      

2月16日 ジミー・T(テルアキ)・ムラカミ氏(アニメーション監督)  享年80歳
米国生まれの日系人。第二次大戦中は日系人強制収用所暮らしも経験してます。1950年代よりアニメ界で活躍。1982年、レイモンド・ブリッグス原作のアニメ「スノーマン」の監修を担当。86年には核の恐怖を描いた「風が吹くとき」を監督。これは秀作でした。2001年にはディッケンズの「クリスマス・キャロル」(日本未公開)を監督。が、異色なのは1980年、ロジャー・コーマン製作の実写映画「宇宙の七人」を監督してるのです。アニメ作家になんでコーマンが監督を依頼したのか謎です。出来はイマイチですが、あのジェームズ・キャメロンが特撮スタッフとして参加している事の方で知られている作品でもあります。      

3月1日 アラン・レネ氏  享年91歳
日本でロケした、大映との合作「二十四時間の情事」(59・原題は「ヒロシマ、わが愛」)、「去年マリエンバートで」(61)で知られるフランスの名匠。しかし私が一番感銘を受けたのは、ナチスの残虐行為を描いたドキュメンタリー「夜と霧」(55)です。アウシュビッツ収容所の惨たらしさに息をのみました。もともとはドキュメンタリー作家で、初期には「ヴァン・ゴッホ」(アカデミー短編賞受賞)、「ゲルニカ」などの芸術家を捉えたドキュメンタリーの佳作も発表しています。その他「戦争は終わった」「薔薇のスタビスキー」など秀作がいくつもあります。最近でも2009年に「風にそよぐ草」を監督し、さらに遺作「愛して飲んで歌って」(2014)が近日公開予定です。生涯現役だった、フランスを代表する偉大な監督だったと言えましょう。

6月30日 ポール・マザースキー氏  享年84歳 
何と言っても、キネ旬ベストワンに輝いたニュー・シネマの傑作「ハリーとトント」の監督として有名。元々は俳優で、スタンリー・キューブリックの監督デビュー作「恐怖と欲望」で主役を演じたり、「暴力教室」等数本に脇役で出たりしてましたが、やがて脚本を書くようになり、テレビ「ザ・モンキーズ」のクリエイター・チームにも参加したりと、かなり異色の経歴。監督作は他に、監督デビュー作となる、夫婦スワッピングを描いた「ボブ&キャロル&テッド&アリス」「グリニッチ・ビレッジの青春」「敵、ある愛の物語」など、いずれも捨てがたい佳作があるのですが、日本ではあまり話題にならなかったのは残念です。      

8月24日 リチャード・アッテンボロー氏  享年90歳
イギリス出身で、王立演劇アカデミーに学び、俳優として舞台や映画で活躍。「大脱走」(63)や「飛べ!フェニックス」(65)など、印象深い演技が記憶に残ります。「素晴らしき戦争」(69)で監督業にも進出。「ガンジー 」(82) で遂にアカデミー監督賞を受賞。その後も「コーラスライン」(85)、「遠い夜明け」(87)、チャップリンの伝記映画「チャーリー」(92)と力作、秀作を監督しています。名匠と言えるでしょう。俳優としては、「ジュラシック・パーク」シリーズのオーナー、ジョン・ハモンド役も渋い名演でしたね。         

11月19日 マイク・ニコルズ氏  享年83歳
この方のお名前を聞けば、すぐに「卒業」(67)が思い浮かびます。代表作と言えるでしょう。
元は舞台劇の演出家。ニール・サイモン原作の「裸足で散歩」の演出でトニー賞監督賞を受賞してます。それに注目した映画会社が監督としてスカウト、映画デビュー作「バージニア・ウルフなんかこわくない」(66)はいきなりアカデミー賞で13部門にノミネート、5部門で受賞、続く「卒業」でアカデミー賞監督賞も受賞と、順風満帆の滑り出しでした。以後も「愛の狩人」(71)、「イルカの日」(73)、「ワーキング・ガール」(88)とコンスタントに監督作を発表していますが、それ以降はややレベルダウンは否めないですね。最新作、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」(2007)ではやや持ち直した感はあったのですが。これが遺作となりました。   

日本の監督では、今年は以下のお二人くらいでした。少ない方がいいですね。   

5月15日 鈴木則文氏  享年80歳 
追悼記事掲載済。
それにしても、キネマ旬報で12ページもの追悼記事を掲載していただけるとは思いもよりませんでした(市川崑監督よりも多かったのでは)。結構隠れファンが多かったのかもしれませんね。   

8月26日 曽根中生氏  享年76歳
日活の助監督時代、鈴木清順監督のブレーンとして、「殺しの烙印」(67)の脚本チーム、具流八郎に参加。また若松孝二監督の「壁の中の秘事」(65)の共同脚本を変名で書いた事もあります。監督デビュー作はロマン・ポルノ「色暦女浮世絵師」(71) 。以後多くのロマン・ポルノの秀作を監督しています。中でも「天使のはらわた 赤い教室」(79)は傑作ですね。一般映画でも「嗚呼!!花の応援団」(76)を大ヒットさせたり、「博多っ子純情」(78)という青春映画の佳作を監督しています。一時消息が途絶えてましたが、2011年に湯布院映画祭でひょっこり姿を現し話題となりました。   

さて、その他の方々ですが、今年は、カメラマン(撮影監督)の方が多くお亡くなりになりましたので、まとめて挙げておきます。   

3月17日 オズワルド・モリス氏  享年98歳
イギリスの撮影監督で、映画史に残る名作をいくつも担当しています。ジョン・ヒューストン監督とのコンビが多く、「赤い風車」(52)、「白鯨」(56)、「王になろうとした男」(75)等で組んでいます。その他では、ルネ・クレマン監督「しのび逢い」(54)、J・リー・トンプソン監督「ナバロンの要塞」(61)、S・キューブリック監督「ロリータ」(61)、ノーマン・ジュイソン監督「屋根の上のバイオリン弾き」(71)等々。「白鯨」の銅版画のような映像は特に印象に残ります。    

3月22日 水野尾信正氏  享年不明
1974年、日活ロマン・ポルノで撮影監督のキャリアをスタート。以後ほとんどがロマン・ポルノばかりだったのはちょっとお気の毒。代表作はやはり傑作「天使のはらわた・赤い教室」でしょうね。強く印象に残ったのは、相米慎二監督のデビュー作「翔んだカップル」(80)。瑞々しい映像に感銘を受けました。その他では、大森一樹監督の吉川晃司三部作「すかんぴんウォーク」「ユー・ガッタ・チャンス」「テイク・イット・イージー」、同じ大森監督の「満月 MR.MOONLIGHT」(91)などが記憶に残ります。ちょっと腹立たしいのは、どの訃報サイトを覗いても記載がなかった事。キネ旬にもありませんでした。無論新聞系もなし。やっと名前を見つけても、この人だけ享年がブランクでした。従って享年も不明です。誰か調べてくれませんでしょうかね。
…それにしても、ロマン・ポルノの傑作「天使のはらわた・赤い教室」に係った監督・カメラマン・俳優(蟹江敬三)がみんな同じ年に亡くなったわけですね。      

5月18日 ゴードン・ウィリス氏  享年82歳
フランシス・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」(72~90)シリーズの撮影が有名です。影を強調した映像が印象的でした。その他初期の頃はアラン・J・パクラ監督とのコンビが多く、「コールガール」(71)、「パララックス・ビュー」(74)、「大統領の陰謀」(76)等の秀作があります。77年の「アニー・ホール」以降はウディ・アレン監督とのコンビが多く、「インテリア」(78)、「マンハッタン」(79)、「スターダスト・メモリー」(80)、「カメレオンマン」(83)、「ブロードウェイのダニー・ローズ」(84)、「カイロの紫のバラ」(85)  と立て続けに傑作群を産み出しました。映画史に残る名カメラマンと言えるでしょう。最近ではアレンに関するドキュメンタリー「映画と恋とウディ・アレン」(2011)にインタビュー相手の一人として出演。これが最後の姿となりました。    

6月11日 森田富士郎氏  享年86歳 
大映京都撮影所に所属し、「座頭市」シリーズ、「眠狂四郎」シリーズ、その他の多くの代表的プログラム・ピクチャーの撮影を担当しました。特撮時代劇「大魔神」(66)シリーズでは特殊撮影も担当、これで三浦賞(カメラマンに与えられる技術賞)を受賞しました。大映倒産後は映像京都の設立に関わり、テレビの「木枯し紋次郎」「座頭市物語」などでも活躍。後年は五社英雄監督とのコンビが多く、「鬼龍院花子の生涯」(82)、「 陽暉楼」(83)、「北の螢」(84)、「極道の妻(おんな)たち」(86)、「肉体の門」(88)  、「226」(89)、「陽炎」(91)、そして五社監督の遺作「女殺油地獄」(92)まで、五社美学を支えた功労者と言えましょう。    

6月13日 坂本典隆氏  享年79歳
松竹大船で、名カメラマン成島東一郎に師事。撮影監督のデビュー作は斎藤耕一監督の傑作「約束」(72)。以後「旅の重さ」(72)、「津軽じょんがら節」(73)、「無宿(やどなし)」(74)と斎藤監督とのコンビが続きます。和製ルルーシュと言われた斎藤耕一ワールドを支えた名カメラマンと言えるでしょう。その他では山根成之監督の「さらば夏の光よ」(76)、「パーマネント・ブルー 真夏の恋」(76)、「突然、嵐のように」(76)などでもフォトジェニックな映像が印象的でした。94年の「女ざかり」以降は大林宣彦監督とのコンビも多くなります。「あした」(95)、「あの、夏の日~とんでろ、じいちゃん」(99)の尾道の風景も絶品でした。映像で魅了させられる、本当のカメラマンではなかったでしょうか。   

11月28日 大津幸四郎氏  享年80歳
小川紳介監督による、「現認報告書 羽田闘争の記録」(67)から始まり、「圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録」 (67)、「日本解放戦線 三里塚の夏」  (68)に至る秀作ドキュメンタリーの撮影を担当しました。それ以降はやはり、土本典昭監督の「パルチザン前史」 (69)  、「水俣 患者さんとその世界」 (71)、「不知火海」  (75)、「医学としての水俣病 1~3部」(75)と、これまた傑作ドキュメンタリーも担当。日本における、反体制、告発ドキュメンタリーの歴史に大きな足跡を残したカメラマンでした。他にもいくつか、劇場映画の撮影も担当しているのですが、やはりこれらドキュメンタリーのカメラマンとして記憶されるべきでしょう。今年も、成田空港建設反対闘争の歴史を、膨大なアーカイブ映像と当事者たちの証言によって明らかにするドキュメンタリー「三里塚に生きる」を監督・撮影を兼任して完成させたばかりでした。改めて、すごい人だと敬服いたします。    

12月6日 斎藤孝雄氏  享年85歳
この人はなんと言っても、黒澤明監督の「椿三十郎」(62)以降、「天国と地獄」(63)、「赤ひげ」(65)、「どですかでん」(70)、「影武者」(80)、「乱」(85)、「夢」(90)、「八月の狂詩曲」(91)、「まあだだよ」(93)…と、遺作に至るほとんどの黒澤作品の撮影を担当された事で有名です。隠れたエピソードとしては、黒澤作品「用心棒」(61)において、クレジット上では名手宮川一夫さん単独となっていますが、実際はBキャメラ担当であった斎藤さんの撮った映像の方が完成作品では宮川さん撮影部分よりも多かったそうです。それほど黒澤さんに信頼されたという事ですね。他には、クレージー・キャッツもの、若大将シリーズ等も撮っていますが、やはり黒澤映画を支えた功労者として高く評価すべきでしょう。      

…こんなに多くの、映画史に残る秀作を手がけられた優れたカメラマンの方々がお亡くなりになっていたなんて、残念ですし悲しいですね。      

さて、以下はその他の方々です。        

1月3日 ソウル・ゼインツ氏(映画プロデューサー)  享年92歳
「カッコーの巣の上で」「アマデウス」「イングリッシュ・ペイシェント」で3度もアカデミー作品賞を受賞した名プロデューサー。あと、アニメ版の「指輪物語」(ラルフ・バクシ監督)、その実写版「ロード・オブ・ザ・リング」も手がける等多彩な活躍をしました。

1月3日 浜野保樹氏(メディア学者)  享年62歳
東大名誉教授。いくつかの映画、アニメに関する評論集を著述してますが、最大の功績は別巻も含めて全5冊の「大系 黒澤明」の編纂でしょう。膨大なクロサワに関する文献、黒澤自身の発言・随筆等のほとんどを集め、さらにはこれまで存在が知られていなかった未発表シナリオまで掲載した、まさに黒澤明研究の集大成です。映画界に遺した功績は偉大だと言えます。
で、この方には個人的思い入れもあって、昔キネマ旬報で「読者の映画評」がスタートした頃に、常連投稿者の中にこの方の批評もあって、よく読ませていただいてました(実は私も投稿してました)。なんか、すごいエラい人になったなあ、という実感です。62歳とは若い。もっと素晴らしいお仕事ができたはずなのに、残念です。

1月7日 ラン・ラン・ショウ(邵逸夫)氏 (映画プロデューサー)  享年106歳
なんとすごい長寿ですね。1950年代から東南アジアを拠点に映画製作を開始。55年には大映・溝口健二監督の「楊貴妃」の製作にも係っています。1958年、兄と一緒に香港で映画製作会社「ショウ・ブラザース」を設立、以後多くの武侠映画、カンフー映画を製作しました。キン・フー監督「大酔侠」、77年のリュー・チャーフィ主演の「少林寺三十六房」などが日本でも知られていますが、多くは日本未公開。1960年代には、日本からカメラマン西本正、監督の井上梅次、中平康、村山三男らを呼び寄せて、日本映画の「狂った果実」、「嵐を呼ぶ男」などをリメイクさせ、これらが香港で大ヒット、香港映画の水準向上にかなり貢献しました。まあなかなかの商売人ですね。ともあれ、香港映画の歴史に残る大物映画人と言えるでしょう。         

1月23日 リズ・オルトラーニ氏(イタリアの作曲家)  享年87歳
この方はなんと言ってもグァルティエロ・ヤコペッティ監督の世界的大ヒット・ドキュメンタリー「世界残酷物語」(1962)の音楽でしょう。ゲテモノ的な内容とは正反対の美しいメロディーに聴き惚れました。主題歌「モア」はアンディ・ウィリアムズ他多くの歌手が歌い、今もスタンダード・ナンバーとして歌い継がれています。ヤコペッティ作品のほとんどの音楽を担当。あと「黄色いロールスロイス」(1964)の主題歌もヒットしました。その他、マカロニ・ウエスタン、戦争映画、ギャング映画に至るまで数多くのイタリア映画の音楽を担当しています。でも「モア」以外に大ヒット曲はありませんし、映画史に残る名作映画もありません。もっと作品を選んでいただきたかったですね。         

3月27日 朝倉摂氏(舞台美術家)  享年91歳 
舞台が主な活躍の場ですが、映画でも「薔薇の葬列」(69)、「修羅」(71.・いずれも松本俊夫監督)の美術を担当。75年以降は篠田正浩監督作品が多く、「桜の森の満開の下」(75)、「夜叉ケ池」(79)、「悪霊島」(81)、「舞姫」(89)、「写楽」(95)、「梟の城」 (99)などを手がけました。いかにも舞台的な凝った美術が印象的です。

4月17日 鈴木晄氏(映画編集者)  享年85歳
日本を代表する名編集マン。1954年の日活映画製作再開時より活躍。生涯で400本以上の作品に携わっています。手がけた作品は石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」「憎いあンちくしょう」他、吉永小百合、小林旭、和田浩治の主演作、ニューアクション「野良猫ロック」シリーズ、さらにはロマン・ポルノ「一条さゆり・濡れた欲情」他まで、30年以上に亘って日活映画を支えて来た大ベテランと言えましょう。日活以外では、長谷川和彦監督「太陽を盗んだ男」、相米慎二監督「セーラー服と機関銃」「お葬式」に始まる伊丹十三監督作、鈴木清順監督「陽炎座」「夢二」…と数え切れません。本当にお疲れ様でした。        

4月30日  葛井欣士郎氏( 映画・演劇プロデューサー)  享年88歳
1961年、日本アート・シアター・ギルド(ATG)創設に参加。新宿文化劇場の支配人を務める傍ら、71年以降はプロデューサーとして「儀式」「夏の妹」「あらかじめ失われた恋人たちよ」「股旅」「竜馬暗殺」「田園に死す」「サード」といった、ATG配給の諸傑作を精力的にプロデュース、日本映画の発展に大いに貢献しました。また67年には新宿文化地下に「アンダーグラウンドシアター蠍座」も開設、前衛的な演劇や、アングラ系映画も上映する等、多岐にわたって芸術の発展に寄与しました。本当に尊敬すべき偉大な人だったと思います。

6月21日 藤井浩明氏(映画プロデューサー)  享年86歳
この方も映画史に残る名プロデューサーです。大映に所属しながら、大手映画会社の枠を超えたユニークな秀作をプロデュースしました。増村保造監督とのコンビが多く、増村監督のデビュー2作目「青空娘」(57)以降、増村監督作だけでも「巨人と玩具」(58)、「最高殊勲夫人」(59)、「からっ風野郎」(60)、「偽大学生」(60)、「盲獣」(69)、「遊び」(71)と異色作揃い。また市川崑監督とのコンビでは「穴」(57)、「炎上」(58)、「野火」(59)、「おとうと」(60)、「黒い十人の女」(61)、「破戒」(62)、「私は二歳」(62)と、こちらも傑作揃い。大映倒産後は自ら製作会社「行動社」を設立、増村監督とのコンビで「大地の子守唄」(76)、「曽根崎心中」(78)とここでも傑作を連打します。さらに、三島由紀夫が脚本・監督・主演を兼ねたワンマン映画「憂国」(66)の製作までやってのけてます。この人がいなければ、増村も市川崑も、大映という会社の中で自由に映画を作れなかったのではないでしょうか。敬服に値します。         

5月12日 H・R・ギーガー氏(画家・デザイナー)  享年74歳
スイス出身。なんと言っても、「エイリアン」(79)におけるエイリアンのデザインで有名ですね。作品集「ネクロノミコン」のデザインも不気味です。他では「スピーシーズ/種の起源」(95)のクリーチャー・デザインも手がけました。変わった所では「キラーコンドーム」(96)の モンスター・デザインもあります。名デザイナーにナニやらせるんだか(笑)。最近では「ホドロフスキーのDUNE」 (2013)に、当初「DUNE」に参加予定だった事もあって 出演もしてました。             

7月31日 ディック・スミス氏(メイクアップアーティスト)  享年92歳
数多くの映画で、特殊メイクアップを担当。デビュー作はワニの頭が乗った人間、というトホホな「恐怖のワニ人間」(59)。見たら怖いより笑えます(笑)。しかしその後はハリウッドで「小さな巨人」(70)の100歳を超えたダスティン・ホフマンのメイクとか、「ゴッドファーザー」(72)、「エクソシスト」(73)、「エクソシスト2」(77)、「アマデウス」(84)と映画史に残るメイクアップを手がけ第一人者となりました。日本でも、黒沢清監督のホラー「スウィートホーム」(89)の特撮を担当しました。        

12月5日 川北紘一氏(特撮監督)  享年72歳
「ゴジラ」をはじめ、東宝特撮映画ファンには忘れられないお名前です。最初の頃は「ウルトラマンA」「流星人間ゾーン」他のテレビ作品の特撮を担当してましたが、テレビ版「日本沈没」の特撮で腕を買われ、76年「大空のサムライ」から映画の特撮を手がける事となります。中でも小松左京原作「さよならジュピター」(84)、原田眞人監督「ガンヘッド」(89)は素晴らしい出来でした。そしていよいよ「ゴジラVSビオランテ」(89)に始まり、「ゴジラVSデストロイア」(95)に至るまでの平成ゴジラ・シリーズ6本を手がける事となります。この時期の「ゴジラ」の面白さは、川北さんの確かな技術力による所が大きかったと思います。ここ数年はテレビでも活躍されてました。亡くなった日は、奇しくも川北さんの誕生日でした。        

12月13日 品田雄吉氏(映画評論家)  享年84歳 
この方の映画評はいつも的確で、読むのが楽しみでした。現在もキネマ旬報に毎号映画レビューを執筆していましたが、数ヶ月前からパタリとレビューが掲載されなくなり(しかし枠だけは残ってました)、お身体が悪いのかなと心配していた所に訃報でした。残念です。
北海道大在学中に映画誌「キネマ旬報」の懸賞論文に入選。卒業後は同誌や「映画評論」の編集部を経て、映画評論家として独立しました。いくつかの映画祭の審査員も務められました。著書もいくつかあります。おヒゲがトレードマークで、辛口だけど愛情のこもった、品田さんの文章がもう読めないかと思うと寂しいですね。


素晴らしい功績を残された方々がお亡くなりになりました。私の大好きな人たちも多くいます。こうやって振り返ると、改めて思い出が蘇えります。
慎んで哀悼の意を表したいと思います。

今年1年、おつき合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしく、良いお年をお迎えください。

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