「TATSUMI マンガに革命を起こした男」
2010年・シンガポール/Zhao Wei Films
配給:スターサンズ
原題:Tatsumi
監督:エリック・クー
原作:辰巳ヨシヒロ
製作:エリック・クー、フレディ・ヨー
音楽:クリストファー・クー、クリスティーン・シャム
「劇画」の生みの親である伝説的漫画家・辰巳ヨシヒロの半自伝的作品「劇画漂流」をもとに、彼の半生を辰巳タッチの劇画調で描いた長編アニメーション。辰巳原作の短編作品5本もアニメ化され登場する。監督はシンガポールで活躍する映画作家、エリック・クー。俳優・別所哲也が、ナレーション他、一人六役に挑戦している。2011年の第64回カンヌ映画祭・ある視点部門に出品され、第84回アカデミー賞外国語映画賞にシンガポール代表作品にも選ばれる等、国際的にも高い評価を得ている。
昭和30年代初期までは、手塚治虫を中心に、マンガは子供たちだけが楽しむものだった。ところがやがて、海外のアクション映画に影響を受けたマンガ作家たちが、ハードボイルド・タッチの現代アクションや、リアルな残酷描写も盛り込んだ時代劇などの、やや青年・大人向けのマンガを描き始める。その発表の場となったのが、“貸本”というシステムである。今で言うレンタルブックスであるが、下町や路地裏等に小さな店を開き、各種のマンガ単行本を並べて低料金で2~5日間、客に貸し出していた。無論、子供向けや少女マンガもあったりの玉石混交で、子供たちにも人気があったが、そうした子供向けマンガに飽き足らないファンは、やがて前記のようなハードボイルド、リアル時代劇ものにも目を向け、固定ファンが付くようになり、次第に人気を博して行く。もっとも、売れたと言っても、大手出版社の足元にも及ばないマイナーな文化ではあったが。
そんな中から頭角を現して来たのが、現代アクションではさいとうたかを、佐藤まさあき、横山まさみち、時代劇では白土三平、平田弘史、小島剛夕、怪奇ファンタジー系の梅図かずお、水木しげる、つげ義春などである。
その後、白土三平、つげ義春は雑誌「ガロ」という発表の場を得、さいとうたかを、横山まさみち、小島剛夕らは、やがて次々と創刊される事となる「漫画アクション」、「ビッグコミック」等の青年漫画誌にスカウトされ、水木しげる、梅図かずおらは少年週刊誌でも人気を博し、それぞれメジャーになって行く。
こうした青年向け漫画雑誌の台頭によって、また多くの有能作家を失った事もあって、貸本文化は急速に衰退し、やがて消滅する。今ではそんな文化があった事も、若い人はほとんど知らないだろう。だが、上記に挙げた作家たちのその後の活躍ぶりを見ても、漫画の歴史の上で、貸本が果たした役割は大きいと言えるだろう。
ところが、そんな貸本マンガの中で、どのジャンルにも属さない、マイナーな貸本作品の中でもさらにマイナーな作風を持っていたのが、辰巳ヨシヒロである。
主人公はいずれも、社会の底辺で、貧困に喘ぎながらも、必死で生きている若者や中年男、水商売の女たちばかりで、リアルな生活描写、暗くて救いようのない話ばかりであった。
実は私も少年時代、貸本には随分お世話になった。佐藤まさあきの「影男」や平田弘史の残酷時代劇、梅図かずおのホラーものなどは、怖いもの見たさでドキドキしながら読んでいた。
で、何故か、辰巳ヨシヒロ作品に、不思議に共感を覚えた。登場する、底辺に生きる名もない人たち、落ちこぼれ人間たちへの愛情が作品からヒシヒシと感じられた。私自身の、当時の心境にフィットしたのかも知れない。
内容はほとんど忘れたけれど、「夜がまた来る」という題名の作品では、貧相な中年男がストリップ小屋に通い、女にも相手にされず、騙され、それでも今夜もストリップ小屋にやって来る、というような話だったと思う。
偶然だが、辰巳つながりで、日活ロマンポルノで数々の名作を発表した、神代辰巳監督の作品とも共通するテイストがあるように思う。神代監督も、ストリッパーや底辺の人間たちをよく取り上げていた。
さて、本作だが、その辰巳ヨシヒロに焦点を当て、数年前に発表された彼の半自伝的作品「劇画漂流」をベースに、辰巳の半生を描いたアニメである。
終戦直後から漫画を描くのが好きだった辰巳は、憧れの漫画家・手塚治虫と会い、手塚に勧められて漫画家になることを志す。最初の頃は子ども向けの作品も描いていたが、やがて既成の漫画に飽き足らず、昭和32年、22歳の時に大人向けの内容と表現を用いた漫画を描き始める。
同じような考えを持っていたさいとうたかを、佐藤まさあき、石川フミヤスらと語らい、漫画と一線を画す為、辰巳の発案で「劇画」という言葉を創案する。これがさいとうらの「劇画工房」のスタートとなる。
だが、やがて作風の違いから「劇画工房」も脱退した辰巳は、さらに独自の世界を切り開いて行く。
映画は、そんな孤高の作家、辰巳ヨシヒロの現在に至る軌跡、それと並行して、彼の作品から5編を選んで、辰巳の劇画調作風をそのまま再現しアニメートしている。自伝部分はカラー、短編部分はモノクロで描かれる。
これが素晴らしい。あの辰巳タッチの絵がアニメとなって動いている、それだけでもファンとしては感涙ものだが、辰巳を知らない観客であっても、その独特の絵柄、短編作品で描かれる、リアルでデスペレートな物語展開に惹きつけられる事だろう。
特に短編の最初の作品「地獄」は衝撃的である。原爆投下直後のヒロシマで、壁に焼き付けられた母と子(と思われる)の影を見つけたカメラマンの主人公はそれを写真に撮り、それが美談としてマスコミに取り上げられ、母子の銅像まで立てられる。が、その影には実は恐ろしい秘密があった、という話で、戦争の悲惨さ、人間そのもののおぞましさが、短い時間の中で簡潔に描かれて見事である。
その他、猿だけが話し相手の、町工場で働く男の悲劇、会社に居場所のない、定年間際の男の悲哀、公衆トイレに描かれた卑猥な絵に魅せられて行く男、最終話は終戦直後、米兵の娼婦となっている女の捨て鉢な人生、等々が描かれる。
辰巳が作品を発表していた頃は、日本は高度経済成長の真っ只中。そんな浮かれていた時代に、わびしい辰巳劇画は受け入れられる筈もなかった。
だが、バブル崩壊を経て、非正規雇用、格差社会が拡大する今の時代、辰巳劇画は、そんな閉塞感が蔓延する未来をも予見していたのかも知れない。今の時代こそ、辰巳ヨシヒロの世界は再評価されるべきではないだろうか。
映画の最後には、現在79歳となった辰巳氏自身も実写で登場する。そして今も創作意欲は衰えていないという。今後のご活躍を期待したいと思う。
だが、そんなわが国の伝説的な作家を取り上げ、映画化したのが、日本ではなく、シンガポールの作家だったというのがなんとも悔しい。いつもの事だが、わが国で正しく評価されなかった(いや、不当に低評価に甘んじる)作家や作品が、外国で正当な評価を受ける、という情けない事態が何度繰り返されて来たことか。猛省して欲しい。
また、製作されてから、わが国での公開までに3年もかかっている点も困ったものだ。
ともあれ、外国の作家が作ったにも係らず、戦後から今に至る日本の風景、社会風俗がきちんと正しく描かれているのも素晴らしい。
エリック・クー監督の着眼と、辰巳作品世界を完璧に再現した努力には心から敬意を表したい。
わが国のマンガ、特に劇画の歴史に興味のある方は必見であるが、そうでない方も、是非観ていただきたい。本年を代表する傑作アニメーションである。 (採点=★★★★☆)
本作に出て来る短編を中心とした作品集
原作本 |
|
| 固定リンク
コメント
にも関わらず、あまり観客が付いていないというのもねえ。世知辛いですなあ。やっぱりこういうのは何か宣伝に起爆剤がいるんですよね。予算が許すならテレビで辰巳と鉄拳あたりをリンク出来れば良かったのに(タッチ違いすぎるか)。
投稿: ふじき78 | 2014年12月 7日 (日) 20:49
◆ふじき78さん
こういう映画を当てようとするなら、やはり出版社とタイアップして、原作の宣伝とコラボしたメディアミックス戦略を取らないと無理でしょうね。
せっかく原作が講談社漫画文庫で出てるので、講談社が音頭取って動いてくれたらなあと思います。が、辰巳ヨシヒロを知る人はほとんどいないし、どう頑張ってもヒットしないでしょうね。
まあとにかくも、おクラにならずに上映されただけでも良しとしましょうか。
投稿: Kei(管理人) | 2014年12月 7日 (日) 23:57
DVDを輸入しちゃおうかとも考えたんですけど、まさかこれが日本公開されない訳はないと思って、待ち続けて結局三年。
しかもガラガラ。
いやあ映画は期待通りの素晴らしい作品でしたけど、なんだか映画以外の事ががっかりでした。
これは日本の映画文化の大きな問題ですよねえ。
私自身も含めて、考えねばならないと感じました。
投稿: ノラネコ | 2014年12月28日 (日) 22:49