「KANO 1931海の向こうの甲子園」プラスその他の野球映画
「バンクーバー-」と「KANO」は共に戦前の海外が舞台で、弱小チームが次第に強くなって優勝を狙えるまでになり、そして戦争の影が忍び寄る…と似た内容だし、「アゲイン」と「KANO]がこれまた、地区予選を勝ち抜いて最後、甲子園球場に立つ…と共通する展開。これだけ似たような作品が同時期に重なるとは不思議な巡り合わせである。しかもここ数年、本格的な野球映画はとんとご無沙汰だっただけに。
で、結論を先に言うと、この3本勝負、圧倒的な差で「KANO」の勝ち。前の2本がまるで前座のような存在だった。
「KANO」を観ると、「バンクーバー-」のどこがダメだったかがよく分かる。詳しくは後述。
「KANO 1931海の向こうの甲子園」
2014年・台湾
配給:ショウゲート
監督:マー・ジーシアン
脚本:チェン・チャウェイ、ウェイ・ダーション
製作:ウェイ・ダーション、ジミー・ファン
音楽:佐藤直紀
日本統治下の1931年、台湾代表として甲子園の全国高校野球選手権大会に出場した嘉義農林学校(通称:嘉農=かのう)野球部の活躍を描いた作品。製作・脚本は「海角七号 君想う、国境の南」、「セデック・バレ」2部作を監督したウェイ・ダーション。監督は「セデック・バレ」にも出演した俳優のマー・ジーシアン。本作が劇場映画としては初の監督作となる。主演の野球部監督・近藤役を永瀬正敏が演じ、その他台湾人俳優に混じって大沢たかお、坂井真紀ら日本人キャストも多数出演している。台湾版アカデミー賞といわれる第51回金馬奨で、「観客賞」「国際映画批評家連盟賞」を受賞し、興行的にも台湾で大ヒットを記録した。
1929年、台湾・嘉義農林学校の弱小野球部に、日本人・近藤兵太郎(永瀬正敏)が監督として就任した。かつて松山商業で監督を経験していた近藤は、選手たちの特性を見抜き、目標を甲子園出場に定めて猛練習を開始した。選手たちも近藤の熱意に打たれ、次第に勝利への強い思いを抱くようになる。そして31年、台湾予選大会で勝ち進んだ嘉農は、遂に甲子園で開催の全国高校野球選手権大会に台湾代表チームとして出場する事となった。エース呉明捷の快投もあって、嘉農はとうとう決勝戦まで勝ち進むが…。
上映時間が3時間5分と長いが、緊迫した展開でまったく長さを感じさせず、あっという間に3時間が経ったという印象である。特にクライマックスの甲子園決勝戦は、本当に野球の実況中継を観ているかの如く、手に汗握り、固唾を呑んで観守り、最後は感動に震えた。野球映画はこう作るべし、というお手本のような見事な出来。
本作の成功は、まず1点は野球部員たちに、現役の野球選手を含め、野球経験者ばかりを起用している点にあるだろう。
エースの、呉明捷・通称アキラを演じたツァオ・ヨウニン、チームの強打者・蘇正生を演じたチェン・ジンホンは、共に現役の大学野球選手であり、この映画のために1年間大学を休学したそうである。そのおかげで、試合シーンにリアルな迫力が生まれている。
2点目としては、試合のシーンにおいて、ポイントとなる試合経過を丁寧に描いている点が挙げられる。無論、端折るべき所は端折り、観客がここでどうなるか、と息を呑むシーンはじっくり、スリリングに描く。まるで本物の試合を観戦しているかのようである。上映時間が3時間以上に及んだのはその為である。
そして3点目は、弱体だった嘉農野球部の監督に就任した近藤兵太郎という人物とその指導ぶりを、その過去も含めて丁寧に描いた点にある。
かつては名門・松山商業の監督を務め、松商を初の全国大会出場(夏ベスト8)に導くなど、指導経験豊富な近藤は、嘉農野球部においても個々の選手の能力を的確に認め、漢人、原住民に対しても分け隔てなく指導した。
最も心を打ったのが、宴席で日本人記者が、原住民選手に対して侮蔑的な言葉を発した時に、激しく怒りを示したシーンである。そして「漢人、原住民、日本人それぞれが持つ能力をうまく組み合わせれば絶対に嘉農野球部は強くなる」と宣言する。
実際に近藤は、足の速い先住民選手には盗塁、パワーのある漢人は打撃、器用な日本人選手は守備と、それぞれの能力を最大限に引き出し、またピッチャーには変化球を教える等、見事な指導力、統率力を発揮し、1931年、嘉農を甲子園へと導くのである。
近藤の存在は、“日本統治下で、いばったり差別したりする日本人が多くいたけれども(この物語と同時期の1930年には「セデック・バレ」でも描かれた霧社事件が起こっている)、こんな素晴らしい日本人もいた”事の証明でもあり、これによって“人種、国が異なっても、人は分かり合え、仲良く出来るのだ”という、現代にも繋がる、いやむしろ今の時代だからこそ訴えるべき重要なテーマが押し出されている。
本筋とは関係ない、嘉南大圳に大規模なダム工事を行って、台湾南部を豊かな大穀倉地帯に変えるという功績を果たした八田與一(大沢たかお)のエピソードが盛り込まれているのは、このテーマをさらに強調補完する意図があっての事だろう。
野球シーンも素晴らしいけれど、こうした奥深いテーマがある事によって、この作品は更に重厚で深い感動を呼ぶ力作となっている。
そして何より、下手にお話を作らず、史実をありのままに丁寧に再現している基本姿勢が素晴らしい。従って登場人物もほとんど実名である。
エンドクレジット前には、字幕で近藤監督や選手たちのその後についても一人一人説明を加えているのがまた感銘を呼ぶ。
日本人選手3人のうち、2人が後に戦死した、という話は胸を打つ。
なお、劇中でまだチビの少年が目を輝かせて嘉農の選手たちを見つめるシーンがあったが、この少年が後に嘉農野球部に入り、日本プロ野球・巨人、阪神でも大活躍した呉昌征だった、というエピソードが微笑ましい。
さらによく出来ていると私が思ったのは、冒頭、1944年のエピソードとして、1931年の甲子園で嘉農と対戦し敗れた札幌商業のエース・錠者博美(青木健)が戦地に向かう途中、列車が嘉義で止まっている間に、嘉義農林学校のグラウンドに足を運ぶシーンである。
甲子園での嘉農対札幌商業の試合シーンは、かなり長い時間をとって描かれており、敗れた錠者投手は、素晴らしい投球をした呉明捷に敬意を示し、自分のボールを勝利のお守りとして呉に手渡すが、呉は「そんな物はいらない、実力で勝つ」とボールを渡し返す。
嘉農のグラウンドは、自分たちの立派なグラウンドとは比較にならない、狭くて粗末なものだった。こんな劣悪な環境で甲子園の決勝まで勝ち進んだ嘉農及び呉明捷に錠者は改めて尊敬の念を抱く。
そして、手渡せなかったあのボールを、ホームベースにそっと置く。ここも感動的である。
実際には、錠者博美は台湾には渡っておらず、これは全くのフィクションなのだが、これを入れる事によって、甲子園で闘った記憶がいつまでも球児たちの心に強く刻まれている事、さらにその後の球児たちが、戦争の荒波に翻弄された歴史をきちんと押え、この物語を単なる野球映画を超えた、壮大な歴史と人間のドラマに昇華させているのである。
ちなみに、映画では語られていないが、錠者博美もまた戦死している。
3時間という上映時間は無駄になっていない。ウェイ・ダーションが監督した「セデック・バレ」でもパート1、2合わせて4時間半に及んだが、それでも冗長な感じは受けなかった。ウェイには、描きたいものをきちんと描くには、長い時間も必要だという信念があるのだろう。
野球ドラマとしても見事な完成度だが、1930~44年までの台湾の歴史をも俯瞰した緻密な構成にも唸らされる。必見である。上映時間が長いので、前もってトイレに行っておく事をお勧めする。 (採点=★★★★☆)
さて、他の2本については簡潔に。
2014年・日本/フジテレビ=東宝
配給:東宝
監督:石井裕也
脚本:奥寺佐渡子
製作:石原隆、市川南
1914~41年、戦前のカナダで活躍し、2003年にカナダ野球殿堂入りを果たした日系移民の野球チーム「バンクーバー朝日」の実話をベースにした作品である。
内容的には、「KANO」と非常によく似たタイプの作品である。過酷な環境と差別という厳しい現実下にあった日系移民の弱小野球チームが、次第に強くなって行き、遂に優勝を争うまでになるが、戦争の影が忍び寄り…と、実話でありながら感動しそうな題材が一杯あり、うまく作れば興奮と感動の秀作になっただろう。
だが、石井演出は、全体に淡々としており、テンポがよくない。冗長なシーンが繰り返され、盛り上がりに欠ける。
野球の試合シーンですら、ここで息詰まる対決が…という所でポンとシーンが飛ぶので肩透かしを食らう。これでは野球映画としては楽しめない。
大柄のカナダ選手たちと比べて、体力的に劣る日系選手たちは、当初は大敗を喫する。ところがある時、キャプテンのレジー笠原(妻夫木聡)が、偶然バットにボールが当たり内野に転がった事で出塁出来た事から、バントと盗塁を多用する、いわゆる"Brain
Baseball"(頭脳野球)を駆使して、以後連戦連勝、となる。
そこまではいいのだが、バントと盗塁だけで連勝出来るほど野球は甘くない。当然警戒されるだろうし、もっと緻密な戦略を描かなければならない。ピッチャーにしても最初の頃はボカスカ打たれている描写があるので、どうやって打たれない投球術を身に着けたのか、という辺りがまったく無視されているのは納得が行かない。脚本が悪い(と言うか野球を知らない)。
そして、私が疑問に思ったのが、監督の存在感が薄い点である。ほとんど試合シーンに絡んでいない。
野球は選手だけでは勝てない。サインプレーも必要だし、個々の選手の能力を見極めたり、弱点を指導するなり、監督の力量は絶対に重要である。
以下はwikipediaからの抜粋である。
「(1921年以降)ハリー宮崎が監督をつとめた。ハリーはブリティッシュ・コロンビア州各地の白人チームから有力な選手を引き抜く一方、堅い守りとバントやエンドランなどの緻密な機動力を駆使する「Brain Ball」(頭脳野球)と呼ばれた戦術を編み出す。1926年に朝日は前年から加盟していたターミナル・リーグで優勝を果たし、その後1930年と1933年にもリーグ制覇を遂げている。当時ハリーは選手に対して、ラフプレーを禁じ、抗議も一切行わないよう指導した。これは当時の日本人社会と白人社会との間の軋轢をかんがみたものと考えられている。結果、朝日は日系人だけでなく、白人も応援するチームになっていった。」
“頭脳野球”を編み出したのは、ハリー宮崎監督なのである。頭脳野球を持ち出すなら、この監督をこそ主人公にすべきだった。
それ以前にも、1914年に就任した初代監督・宮本松次郎が精力的な指導を行い、猛練習の末に、5年目の1919年に、マイナーリーグにあたるインターナショナル・リーグで優勝している。いずれにせよ、こうした名監督のどちらかを主役に据えて、どうやって強くなって行ったかを丁寧に描くべきではなかったか。
「KANO」を観れば、この映画の弱点がよく分かる。(1)監督の存在を軽くしてしまったこと、(2)試合シーンで、迫力ある場面をテンポよく描き、クライマックスに向かって盛り上げて行く、という基本を疎かにしたこと。
これらが、本来面白くなるはずの本作をつまらなくした原因である。
石井裕也監督は、「舟を編む」にしろ「ぼくたちの家族」にしろ、静かなドラマを淡々と描いて感動を呼ぶタイプの作品には向いているが、こうしたスポーツものとかダイナミックなテンポを要求される作品には不向きな監督ではないだろうか。これは石井監督の責任ではなく、監督人選を誤ったプロデューサーの責任が重大である。
脚本がまた、「八日目の蝉」や「おおかみ子供の雨と雪」などの奥寺佐渡子である。この人選も良くない。野球をよく分かっているベテラン脚本家はもっといるだろうに。
石井監督の熱烈なファン、にとっては面白いかも知れない。だが多くの観客は、感動と興奮の熱血野球ドラマを期待しているのである。いい題材なのに、もったいない。 (採点=★★★)
2014年・日本/東映、光和インターナショナル他
配給:東映
監督:大森寿美男
原作:重松清
脚本:大森寿美男
元高校球児たちが再び甲子園を目指す「マスターズ甲子園」をテーマにした重松清の小説「アゲイン」の映画化。
実際に2004年より開催されている、元甲子園球児たちが対戦する「マスターズ甲子園」を題材にした作品で、脚本・監督が、これもスポーツもの、箱根駅伝を扱った「風が強く吹いている」を監督した大森寿美男なので期待したのだが…。
甲子園出場を目前にして、部員が傷害事件を起こした為決勝戦を辞退した苦い記憶を持つ主人公坂町晴彦(中井貴一)とその仲間たちが、中年になって、かつて出られなかった甲子園での試合に挑む、というストーリー概要はなかなか面白く、これも涙と感動のお話になると思ったのだが…。
正直、余計なエピソードを詰め込み過ぎで、かえってつまらなくなっている。
そもそも、主人公が46歳になって、もはや仕事に張りはなく、妻とは離婚し、その元妻が亡くなって以来、一人娘の沙奈美(門脇麦)とは絶縁状態で嫌われている…なんて、どれだけマイナス要因網羅してるんだ、と言いたくなる。
そして、「マスターズ甲子園」のボランティア・スタッフとして坂町宅を訪れた美枝(波瑠)が、傷害事件を起こしたチームメイト・松川典夫の娘で、坂町にマスターズ甲子園出場を勧めるのだが、坂町や他の元野球部員たちは当然拒絶反応を示す。
実は美枝の父の傷害事件には裏の真相があった、という事が最後に明らかになるのだが、いくら理由があるとはいえ、傷害事件を起こしたのは事実なのだし、事件を起こせば甲子園に出られなくなるのは分かっていながらやってしまったのだから、やはり松川のやった事は軽率で間違いである。また部員にわざわざ隠すほどの事でもない。これを美談風に持って行くのはどこか不自然である。
坂町と同じ野球部員で、元エースの高橋直之(柳葉敏郎)は、自分がプロに入れなかったのも、現在リストラ中なのも、すべて松川のせいだと愚痴るが、情けない男だ。実力があれば甲子園不出場だってプロ野球選手になれる。そりゃ自分自身の責任でしょうが。
神戸大学の学生である美枝が、毎週のように遠く埼玉の川越まで通って来るのだが、その交通費や宿泊代はどこから出てるのだろうかとか、余計な事まで心配してしまう。神戸大学がマスターズ甲子園に深く関わっているからこういう設定にしたのは分からなくもないが。
また、それまで父を毛嫌いしていた坂町の娘が、ラストで甲子園キャッチボールを父と始めるのも唐突な印象。なぜ父と和解する気になったのか、その心境変化プロセスは描いておくべきだろう。
ダジャレみたいな「一球人魂」を、最後まで引っ張るのもどうかと思う。泣いた人もいるらしいが、私にはイマイチだった。
野球の試合シーンも、も一つ迫力不足。素人でもいいから本物のマスターズ甲子園出場経験者を数人、出演者に加えておくべきだった。これも「KANO」に劣る要因である。
この映画はむしろ、マスターズ甲子園出場を果たした実在の元選手たちの誰かをモデルにして、中年になって練習を再開し、家族に励まされ、予選を勝ち抜いて出場するまでの話をセミドキュメンタリー風に描いた方が、もっと感動出来たのではないか。惜しい。
と、いろいろ不満を述べたが、それでも観ている間、少しホロっと泣けるシーンもあったので、決して悪い出来ではない。人生に疲れかけた中年世代や、年頃の娘を持つお父さんにはお奨めである。 (採点=★★★☆)
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