「ビッグ・アイズ」
2014年・アメリカ/ワインスタイン・カンパニー
配給:ギャガ
原題:Big Eyes
監督:ティム・バートン
脚本:スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー
製作:リネット・ハウエル、スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー、ティム・バートン
製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーベイ・ワインスタイン、ジェイミー・パトリコフ、カッテルリ・フラウエンフェルダー、デレク・フライ
1960年代、アメリカのポップアート界で人気を博した「ビッグ・アイズ」シリーズにまつわる驚きの実話の映画化。監督は「チャーリーとチョコレート工場」、「フランケンウィニー」のティム・バートン。主演は「魔法にかけられて」のエイミー・アダムスと「ジャンゴ 繋がれざる者」のクリストフ・ヴァルツ。
1950年代から60年代にかけてのアメリカで、悲しげで大きな目をした子供を描いた「ビッグ・アイズ」シリーズは、ハリウッド女優たちにも愛され、世界中で大ブームになる。作者とされたのはウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)。彼は美術界の寵児として脚光を浴び、名声を博するが、実はその絵はウォルターの妻マーガレット(エイミー・アダムス)が描いていたものだった。内気な性格のマーガレットは、夫の命ずるままに「ビッグ・アイズ」シリーズを描き続けるが、やがて度重なる夫の嘘に遂に我慢の限界を超え、真実を公表することを決意する…。
いわゆる、ゴーストライターならぬ、ゴースト・ペインターの物語である。日本でも昨年ゴースト作曲家騒動が話題になったが、根っ子にある問題点は共通している。即ち、“才能はあり、素晴らしい芸術作品は作れるけれど、内気で売り方がヘタな作家と、芸術的才能はないけれど、プロデューサー能力と表現力(と嘘のつき方)は天才的な人間”がコラボを組んだ事で、作品は大ヒットしたけれど、プロデューサーの男が自分が作ったと嘘を言い続け、最後に、内気だった作家が真実を明らかにするに至った…と、まるでそっくりの構図。
この映画を観ると、なぜ長い間、日本の方の本当の作家がゴーストに甘んじていたかもよく分かる。
アーティストというのは、芸術作品を産み出す才能はあっても、自分でアピールしたり積極的に売り込んだりするのは苦手なのだろう。イメージ的にも、アトリエとか個室に閉じこもって黙々と作品作りに没頭する姿が目に浮かぶ。
そういう芸術作品が売れ、幅広い人気を獲得するまでには、やはり巧みに売り込み、アピールするプロデューサー的存在が必要不可欠だろう。
本作のマーガレットも、性格的には内気で弱腰。なんせ路上で似顔絵描きをやってても、1枚2ドルを1ドルと値切られて文句も言えないくらいだから。
さらに1950年代当時は、女性がまだまだ社会的に低く見られていた時代で、ましてや芸術分野で名を上げるなんてとんでもない事だっただろう。
だから、ウォルターと出会った事は、マーガレットにとっては幸運だったと言える。彼がいなかったら、「ビッグ・アイズ」シリーズは一生陽の目を見なかったかも知れない。
その恩があるから、またこの時代では、女性がアーティストとして売り出すにはまだまだ難しいという認識もあったから、一種の共存共栄の関係として、ウォルターが「ビッグ・アイズ」シリーズの作者として名声を高めて行っても黙って見ているしかなかったのだろう。
ウォルターは悪い奴には違いないのだが、しかし映画を観ていると、ティム・バートンは決してウォルターをとことん悪人としては描いていない。
むしろ、ペテン師だけれど、どこか憎めない男、愛すべきバカな奴、という眼差しが感じられる。
ウォルターは最初の頃は、なんとか妻の絵を売り込もうと努力している。
だが、画廊で“ビッグ・アイズ”を、「これは誰が描いた?」と問われた時、ついポロっと自分だと言ってしまう。
それは、自分もアーティストとして認められたい、という潜在願望の表れだろう。決して、最初から自分の絵だと言うつもりはなかったのかも知れない。
しかし、一度ついた嘘は、アリの一穴、どんどんと膨れ上がって、もはや自分でも歯止めが効かなくなる。悲しい人間の性である。
クリストフ・ヴァルツがうまい。ちょっと間違えれば狡猾で嫌な奴になってしまう所を、どこか愛嬌のある、歌の題名になぞらえば「憎みきれないろくでなし」を絶妙に演じきっている。
最後の裁判所での大芝居には、爆笑してしまった。
才能はないのに、でも絵が好きで、有名になりたいという願望は人一倍強い、バカだけど憎めない。…こうした人物像、思い起こせばティム・バートンのもう1本の実話に基づく監督作品、「エド・ウッド」(1994)の主人公エド・ウッドとそっくりである。
あの作品でもバートンは、やはり才能はないけれども映画に対する情熱は人一倍強い、このダメな男に、限りない愛情を注いでいる。こういうタイプの人間がバートン好みなのだろう。
ちなみに、本作の脚本を書いたスコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキーの2人は、「エド・ウッド」の脚本コンビでもある。
そういう点でも、この2本のバートン作品は表裏一体の関係にあると言っていいだろう。
本作をバートンらしくないという声もあるようだが、こうして見れば、やはりまぎれもなくこれはバートン作品なのである。
そして、忘れる所だったが、マーガレットを演じたエイミー・アダムスもなかなかの巧演。
特に、シングル・マザーとして、娘のジェーン(デラニー・レイ)に寄せる愛の強さも、物語のもう1本の芯として描かれているのがいい。
3度にわたって登場する、右手を後ろに回してジェーンの手と固く繋ぎ合うシーンが特に印象に残る。
バートン作品では、親と子の愛、というテーマでは、「ビッグ・フィッシュ」という秀作もあった。
どちらにも、題名に「ビッグ-」が入っているのが、偶然とはいえちょっと面白い。
いろんな意味で、バートンの新境地を示した、これは力作である。 (採点=★★★★☆)
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コメント
主演のエイミー・アダムスとクリストフ・ヴァルツは良かったですね。
特にクリストフ・ヴァルツのアクの強い演技が光ります。
ラストのウォルターの末路はちょっと哀しい、、
これはこれで十分に面白い映画でしたが、個人的にはバートン監督にはやはり実話ではなくキレのあるファンタジー映画を作って欲しいです
投稿: きさ | 2015年2月 8日 (日) 09:17