「おみおくりの作法」
2013年・イギリス・イタリア合作
配給:ビターズ・エンド
原題:Still Life
監督:ウベルト・パゾリーニ
脚本:ウベルト・パゾリーニ
製作:ウベルト・パゾリーニ、フェリックス・ボッセン、クリストファー・サイモン
孤独死した人を弔う仕事をする民生係の男が、新たな人々との出会いを通して人生を見つめ直して行くイギリス製ヒューマンドラマ。監督はヒット作「フル・モンティ」のプロデューサーで、これが監督2作目となるウベルト・パゾリーニ。主演は「戦火の馬」、「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」等のイギリスの名バイプレイヤー、エディ・マーサン。ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で、監督賞含む4賞を受賞した。
ロンドン市ケニントン地区の民生係ジョン・メイ(エディ・マーサン)は、孤独死した人を弔う地味な仕事を黙々と誠意をもってこなして来たが、ある日人員整理で解雇を言い渡されてしまう。最後の案件となったのが、ジョンの家の真向かいに住むビリー・ストークという男の弔い。これまでも誠実に故人と向き合い、弔いをしてきたジョンだったが、最後の仕事にはこれまで以上にに熱心になり、故人を知る人を訪ね、葬儀に招く旅を重ねるうちに、心の中に変化が生じて行く…。
地味な作品である。大きな変化もドラマチックな展開もなく、物語は淡々と静かに進んで行く。本作に関するレビューの中には、単調で眠くなったという声もある。
だが、人間誰しも迎える、“死”、および葬送というものについてじっくり考えさせられ、最後に深い感動を呼ぶ、これは素敵な作品である。
監督自身も言及しているが、本作はわが、小津安二郎監督作品から少なからぬ影響を受けており、ゆったりとした物語のテンポ、落ち着いたカメラワーク、ごく普通のの日常生活描写の積み重ね、等々、小津作品と共通する要素がいくつかある。
小津監督作品を観て来た観客なら、十分に楽しめるだろう。
特に現在、高齢化が進み、老人の孤独死が増加しているわが国の現状を見る時、これは日本人にとっても身近なテーマを抱えた作品であると言える。
(以下ネタバレあり。注意)
死者を丁寧におくる仕事…という事で、滝田洋二郎監督の傑作「おくりびと」を連想する人もいるだろうが、あちらの職業は民間の“納棺師”、こちらの職業は民生係という、いわゆるお役所仕事であり、その職業の違いが作品のムードにも反映している。
主人公ジョン・メイはまさにお役人、毎日毎日、孤独死した人の葬儀を取り仕切るだけの単調な仕事を、黙々と、しかし丁寧にこなしている。
その日常もまさに役所仕事と同様、判で押したように同じ事の繰り返し。家族もおらず、人とも交わらず、食事すらもほとんど毎日代わりばえせず、いったい何を楽しみに人生を生きているのだろうかと思ってしまう。
そんなある日、役所の上司から、人員整理で解雇を言い渡されてしまう。
その理由が「仕事に時間をかけすぎる(丁寧すぎる)」というのだから皮肉である。一応、再雇用先は探してやるとは言ってくれてるが、22年間単調な仕事をやって来たジョンが、新しい仕事にすぐ馴染めるか心もとない。本人も多分自信はないだろう。
退職前の最後の仕事が、ジョンの家のすぐ真向かいに住んでいた孤独な老人ビリー。そんな近くにいながらビリーと言葉も交わしていなかった事にジョンは愕然となる。
彼は、せめて、最後の仕事はとことん丁寧にやろうと決意する。それは、遺品の中に彼の娘と思しき若い女性の写真を見つけた事も影響しているのかも知れない。
写真を手がかりに、わざわざ自費で列車に乗り、遺族探しの旅を開始する。
それは多分、町から出る事もなかったジョンの、初めての冒険の旅でもあるのだ。ある意味では、人生の中で初めて、人間として生きている実感を味わった時間でもあるのだろう。
そしてついに、ビリーの娘ケリー(ジョアンヌ・フロガット)を見つけ出す。父と確執を抱えているらしいケリーは、最初は葬儀出席も拒絶するが、ジョンの誠実な人柄には好意を示す。やがては葬儀出席を受諾し、葬儀の後、ジョンとお茶を飲む約束まで交わす。
これまで、多分女性にも愛された事のなかったジョンにとっては、おそらく初めての恋心と言えるのかも知れない。ペアのマグカップをイソイソ購入する辺りが微笑ましい。
こうした展開を見て思い起こすのが、黒澤明監督の名作「生きる」である。
こちらの主人公(志村喬)も役所勤めの役人である。彼もまた、毎日判で押したような単調な生活。周囲からはミイラと仇名され、それこそ死んだような人生を送っていた。
そんな彼がある日、胃ガンで余命わずかである事を知る。自らの死を間近に知って、彼は初めて生きる意味を模索し、公園作りという大きな目的を見つけ、その仕事に懸命に取り組む。
本作の主人公ジョンも、“解雇”という、言わば死刑宣告を受けて、初めて「生きる」とはどういう事なのかを考え、大きな仕事に取り掛かり、生きている喜びを見つけて行くのである。
パゾリーニ監督自身もインタビューで「この映画は『生』についての映画だと考えています。どう生きたらいいのか、周りの人間と関わるべきかということを含めて『生』についての映画なのです」と語っている。小津監督作品だけでなく、黒澤監督のこの名作も頭の中にあったのではないかと思われる。
(注:ラストに触れます)
ところが、ようやく新しい人生が見えかけたその直後、悲劇が彼を襲う。なんとも悲しいジョンの人生である。
そしてラスト、ジョンの尽力のおかげで、ビリーの埋葬に、ケリーや、ビリーと親しかったホームレスも含めたゆかりの人たちが大勢集まり、少しは賑やかな「おみおくり」がなされている、その近くで、誰も参列しないジョンの埋葬が寂しく行われていた、というのがやるせない。
しかし最後の最後で、映画は素敵な、心温まるファンタスティックなエンディングを用意する。
これには泣けた。ジョンの人生が寂しく、切なかっただけに、ジョンに対する、最高の「おみおくり」と言えるこのラストには素直に感動してしまう。
ポスターのデザインは、空を見上げるジョンを上空から見下ろした構図になっているが、ジョンが見ているのは、もしかしたら“天国”ではないだろうか。思えば、やがては天国に旅立つジョンの最期を暗示しているのかも知れない。
ジョン役を演じたエディ・マーサンがいい。いかにも実直で融通がきかない役所人間を的確に演じている。
これまで、多くの映画でバイプレーヤーとして演じて来たとの事だが、ほとんど印象がない。前掲の出演作も観ているが、どこに出てたのかまるで覚えがない。今回は一世一代の主役抜擢で、これから顔も覚えてもらえるだろう。
年老いた両親がいる人、特に両親や祖父母と離れて暮らしている人には是非観ておいて欲しい。誰にも必ず訪れる“死”を看取る儀式を通して、「生きる事の意味」を問いかける、これは素敵な秀作である。 (採点=★★★★☆)
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コメント
ジョン・メイはとても好感の持てる人間である。というのは、誰もが自分の中にジョン・メイの部分を多い少ないはあるにしても持っているからだろう。誰から見られることがなくとも、ちゃんと仕事をコツコツとこなしていく実直な性分。
ふと、これが正反対に本宮ひろ志のマンガに出てくるモーレツ主人公だったらどうだろうと連想した。残っている葬儀を全て1日で終わらせ、予約受注注文をドッサリ取ってくる。高度経済右肩上がりみたいな威勢のいい葬儀ビジネスを立ち上げ、いやいやいやいや、普通にジョン・メイに見送られたいな。
投稿: ふじき78 | 2015年3月 8日 (日) 08:56
◆ふじき78さん
本作を見て本宮ひろ志のマンガを連想するふじき78さんも相当変わった(もとい、ユニークな)方とお見受けますが、「おみおくりの作法」の直後に「シャークトパスVSプテラクーダ」をレビューする私も相当変わってるなあと自分で呆れておりまする(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2015年3月13日 (金) 00:51
「おくりびと」が撮影された私が住む鶴岡市。
「おみおくりの作法」も鶴岡まちなかキネマで
上映されました。
序盤は殆ど台詞無しで淡々と静かに進行、
しかし伏線のエッセンスはラスト1分の
感動場面に繋がっているとは…。
ラストも良いですが、3人並んで階段でウイスキーを
回し飲みする場面やケリーとの喫茶店の場面も
(特にケリーの表情の変化)良い場面だなぁと。
こんな出会いも有るから劇場鑑賞はやめられませんね。
投稿: ぱたた | 2015年3月17日 (火) 10:27
◆ぱたたさん
こういう、静かな余韻を残す優れた映画が、地方でも公開されてるのはいい事ですね。配給会社の努力を称えたいですね。
>こんな出会いも有るから劇場鑑賞はやめられませんね。
おっしゃる通りです。劇場で、いい映画に出会った時の心の満足感は、何物にも変えられませんね。出来うれば、1日1回でもいいから、長く上映を続けて、一人でも多くの人に見ていただきたいものです。
投稿: Kei(管理人) | 2015年4月 5日 (日) 22:28