「神々のたそがれ」
2013年・ロシア/Studio Sever=Russia 1 TV
配給:アイ・ヴィー・シー
原題:Hard to Be a God
監督:アレクセイ・ゲルマン
原作:アルカージー・ストルガツキー、ボリス・ストルガツキー
脚本:アレクセイ・ゲルマン、スベトラーナ・カルマリータ
地球より文明が800年ほど遅れた惑星都市アルカナルを舞台に、地球から送り込まれた調査団が遭遇する、地獄絵のごとき権力者たちの蛮行を描いた問題作。原作はA・タルコフスキー監督作「ストーカー」の原作者ストルガツキー兄弟のSF小説「神様はつらい」。監督は「フルスタリョフ、車を!」などで知られるロシアの巨匠アレクセイ・ゲルマン監督。構想35年、製作期間は15年に及び、完成を目前にして急逝したゲルマン監督の遺志を継ぎ、息子の映画監督アレクセイ・ゲルマン・Jr.が完成させた。
地球より800年ほど進化が遅れている惑星に、科学者や歴史家ら30人の調査団が派遣された。その惑星は地球の中世ルネッサンス初期を思わせたが、首都アルカナルでは、文明の発展を拒むかのように圧政や虐殺、知識人の抹殺が繰り返されていた。惑星の人々から神のように崇められる存在となった地球人の男ドン・ルマータ(レオニド・ヤルモルニク)は、政治に介入することは許されず、権力者たちの蛮行を傍観するのみであった…。
いやはや、スゴい映画を観てしまった。凄いとしか言いようがない。その凄さにただただ圧倒される。
モノクロで、上映時間が3時間に及ぶ、渾身の力作である。
その3時間の間、映画の中ではただひたすら、権力者たちによる文明の破壊、知識人の処刑、虐殺が繰り返され、雨が降り続けて地面はぬかるみ、そこに汚物、糞尿、破壊された死体が所狭しと地表を覆い、腐敗しかけた死体からは内臓がはみ出し、まるで地獄絵そのものが延々と続く。ストーリーはあってなきが如しである。
まさに目を背けたくなる惨状で、従って気の弱い人、体調の良くない人にはお奨めできないと最初に言っておく。
だが、それでもこれは見ごたえのある力作であった。過去の映画を引き合いに出すなら、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督「ソドムの市」、フェデリコ・フェリーニ監督「サテリコン」、黒澤明監督「乱」、今村昌平監督「神々の深き欲望」、園子温監督「冷たい熱帯魚」等々をミキサーにかけて三池崇史とQ・タランティーノをまぶしたような作品である、と言えば分かり易いだろうか。
徹底した力わざで迫って来る、異様な迫力に圧倒される。
一応、地球から離れた他の惑星を舞台としたSF…という設定なのだが、登場人物のコスチュームも、持っている道具も、建物の外観も土地の風景も、すべてが地球における中世ヨーロッパのものと同じで、さらには地球から来た調査団の人間も、この惑星の人たちも、同じ言葉(ロシア語)を喋って会話している。
つまりは、何の予備知識もなく観たら、中世ヨーロッパを舞台にした歴史ドラマ、としか見えないのである。
それならなぜSF仕立てにしたのか…それは、原作が発表された1964年当時の国家=ソビエト連邦の政治状況を思えば理解出来る。
当時のソ連は、例えば「収容所群島」を書いたアレクサンドル・ソルジェニーツィンが投獄されたように、国家に批判的な著作物の刊行はご法度であった。
本作のように、あからさまな権力者批判を展開したなら、(例え舞台がソ連でなく近隣諸国としても)当局に睨まれ、発禁処分となるのは間違いない。
そこで、“これは地球とは全く関係ない、宇宙の果ての星を舞台とした、サイエンス・フィクションである”とする事で、当局の介入を逃れようとしたのではないだろうか。
実際ストルガツキー兄弟の作品は、それまでも反体制的な風刺に満ちあふれた作品が多く、ソ連国内で発禁処分となった作品も少なくないそうだ。
そしてこの映画の構想が立てられた1960年代後半当時も、まだソ連はアメリカと並ぶ2大陣営の一角で、やはり国内では反体制知識人の弾圧もあったし、1968年には、ソ連のチェコに対する軍事介入事件も起きている。
そうした、自由主義抑圧や、言論弾圧、知識人投獄、等が現実に起きていた、当時のソビエト連邦の状況を明らかに投影した本作の映画化は、ソ連国内ではまず不可能だっただろう。
ソ連が崩壊し、ロシアとなった後の1990年代末期になって、ようやく映画化が動き出したという事である。ゲルマン監督の執念と粘りには敬服する。
この映画を観る前に、そうした歴史としての予備知識を仕入れておけば、この映画の狙いがある程度理解出来るだろう。
映画はそんなわけで、ただひたすら、グロテスクに、執拗に、人間の残虐行為を描き続けるのであるが、ラストに至って、雪が降り積もる白銀の世界が現れる。
それまでの、泥と汚物だらけの醜悪な世界を3時間近くも見続けていた後だけに、この真っ白な世界の映像にはホッとさせられる。浄化作用とでも言うべきか。
その白い世界をバックに、ルマータはサックスにも似た楽器を奏でながら、静かに去って行く。
世界は混沌としているけれども、いつかは人間の知恵と理性で、破壊も殺戮もない世界が到来するのではないか…そうした祈りにも似た作者の思いが感じられた、美しいラスト・シーンであった。
だが、現実は厳しい。21世紀になっても、いや、9.11とその後のイラク戦争を経て、今のこの時代も、IS等過激派による文明破壊、残虐な処刑、虐殺は留まる所を知らない。むしろ、9.11以前に着手されたこの映画は、ゲルマン監督死去数年後の今現在、起きている殺戮と混沌の時代を予感していたかのようである。
観る人を選ぶ、難解な映画ではあるが、それでも勇気ある(?)映画ファンなら是非観ておいて欲しい、本年を代表する傑作である。ズシリと重く心にのしかかる圧倒的な迫力においては、本年最高と言えるのではないだろうか。 (採点=★★★★★)
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