「ラン・オールナイト」
2015年・アメリカ
配給:ワーナー・ブラザース映画
原題:Run All Night
監督:ジャウム・コレット=セラ
脚本:ブラッド・インゲルスビー
製作:ロイ・リー、ブルックリン・ウィーバー、マイケル・タドロス
製作総指揮:ジャウム・コレット=セラ、ジョン・パワーズ・ミドルトン
かつてマフィアの殺し屋だった男が、疎遠だった息子の命を守る為に奮闘するクライム・アクション。主演は「96時間」シリーズ等のリーアム・ニーソン。監督は「アンノウン」「フライト・ゲーム」に続き、ニーソンとのタッグはこれが3度目となるジャウム・コレット=セラ。共演にエド・ハリス、ヴィンセント・ドノフリオ、ニック・ノルティと通好みの渋い役者が並んでいるのも魅力である。
ニューヨーク、ブルックリンを縄張りとするマフィアの殺し屋ジミー・コンロン(リーアム・ニーソン)は、歳も重ね、これまでに犯した罪の重さに苛まれ、酒に浸る事も多くなっていた。そんなある日、殺害現場を目撃した息子マイク(ジョエル・キナマン)が命を狙われる。マイクを救う為、ジミーはその相手を殺害してしまうが、彼が殺したのは、マフィアのボスで長年の親友、ショーン(エド・ハリス)の息子だった。ショーンが差し向けた殺し屋と警察の両方から追われ、ジミーとマイクは夜のニューヨークの街中を逃げ回る…。
もう還暦を越えたというのに、リーアム・ニーソン(1952年生れ)はこの所派手なアクションづいている。リュック・ベッソン製作の「96時間」シリーズ、コレット=セラ監督とのコンビ作「フライト・ゲーム」、いずれもニーソンの年齢を感じさせないスピーディなアクション、プラス頭を使った戦術等も見どころだった。
(以下ネタバレあり、注意)
本作は、“家族を守る為に戦う”というストーリーも含めて、「96時間」シリーズと被っていると指摘する人も多い。
だが、「96時間」シリーズや「フライト・ゲーム」とは大きく異なる要素が本作にはある。それは職業で、前者ではニーソンの職業はアメリカ政府の元CIA秘密工作員、後者は航空保安官と、いずれも政府や航空会社という組織に所属し、犯罪を防止する役割を担っていた。
それに比べて本作のジミーの職業はマフィアの殺し屋…。明らかに犯罪者の側である。汚い事も、大勢の人間を無慈悲に殺す事もやってきた。世間に背を向ける日陰者である。おそらくは、自分の人生に引け目も感じている事だろう。歳も取って、そうした罪の意識に苛まれる事も多くなり、酒でその意識を紛れさせる時もある。そんな彼を慰めてくれるはずの家族にすら疎まれている。ボスの息子にエアコンを買う金をせびる程の金欠ぶりで、ほとんどドツボの情けない体たらくである。こんなショボくれたニーソンの姿を見るのも珍しい。
だが、ある日息子マイクの命が狙われている事を知ったジミーは、自分の命を賭けてでも息子を守ろうと動き出す。
家庭をないがしろにして来た父ジミーを激しく憎むマイクだが、自分も家族を持っており、家族の為にも死ぬわけには行かない。心ならずも、自分を守ってくれる父と行動を共にせざるを得ない。
物語はこうして、一夜の逃走劇を通して、疎遠だった息子と父の絆が次第に回復して行くさまを描く。
さらに見逃せないのは、30年以上にわたって続いて来た、マフィアのボス、ショーンとの男の絆である。深い友情に結ばれていたジミーとショーン。だが溺愛する息子を殺されたショーンは、友情の絆を断ち切り、ジミーへの復讐を開始する。信頼していただけに、裏切りに対する憎悪は底知れぬ程深いのである。
この映画は、2つの異なる、男たちの絆に関する物語である、と言えるのである。
殺し屋が主人公という事もあるが、本作に漂うのは、フランス、フィルム・ノワールの感触である。フィルム・ノワールと言えば、暗黒街に生きる、明日をも知れぬ男たちの生き様や、男同士の深い友情が描かれる事が多い。主人公も殺し屋やギャング役が多い(注1)。
マイクの妻を除いて女がほとんど登場しないのも、本作がそうした、男たちの映画である事を示しているからだろう。
ジミーがショーンのいるパブに殴り込み、夜明けの操車場でショーンを倒し、やがてそっとショーンの亡骸を抱きしめるシーンも印象的だ。深い友情で結ばれていたはずなのに、殺しあう事となってしまったジミーの悲しみに、こちらもちょっとジンとなった。エド・ハリスがいい。
ハリウッド映画らしい、派手なカーチェイス、銃撃アクションについ惑わされがちだが、こうした男のドラマにも是非目を配って欲しい。
ついでだが、ジミーがオートマチックでなく、リボルバー銃を愛用している点も見逃してはならない。そして最後の決闘に使用するのもウインチェスター・ライフルである。
どちらも西部劇で使われる銃である。西部劇もまた、男たちのドラマである(注2)。
そしていいのがラスト。朝、仕事にでかけるマイクが、部屋を出る直前にじっとみつめていたのが、ジミーと並んだ子供時代のマイクの写真。これだけで、亡き父に寄せるマイクの気持ちが伝わる、いいエンディングである。
最初に登場した時はヨレヨレだったジミーが、途中から俄然「96時間」ばりにスピーディな動きを示すのがちょっと違和感があるし、ところどころ、展開がご都合主義的なシーンもあったりするが、それを補って余りある、男の臭いが充満する物語に堪能させられた。
夜の上空から、急激に下降し登場人物たちを捕らえるカメラワークも面白い。地理関係を分かり易く見せる狙いもあるのだろうが、“神の視点で人間の運命を凝視している”事も示しているのだろう。
アクション映画としてだけ見ても十分面白いが、男たち、親と子の、それぞれの絆のドラマ、として見ればより楽しめるだろう。
新進、ジャウム・コレット=セラ監督、脂が乗って来た、と言えるだろう。次回作も楽しみである。 (採点=★★★★)
(注1) フランス映画と言えば、殺し屋が、子供を守って組織を相手に闘う…という展開の、リュック・ベッソン監督、ジャン・レノ主演の「レオン」(1994)を思い出す。こちらは血は繋がってはいないけれど、レオンと少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)との間にはやがて親子のような絆が結ばれ、最後にはレオンはマチルダを守り死んで行く辺りも、本作と似ている。
そう言えば、リュック・ベッソンは「96時間」シリーズのプロデューサーであり脚本家だった、というのも何かの縁か。
(注2) 西部劇と言えば、思い出した映画がある。ジョン・スタージェス監督の「ガンヒルの決斗」(1959)である。
保安官の主人公カーク・ダグラスの妻が、傍若無人に振舞う若者に殺されるが、それは長年の親友、アンソニー・クインの息子で、ダグラスは息子を逮捕するが、それに怒ったクインが息子奪還の為ダグラスと敵対する、という物語で、親友クインが息子を溺愛していたり、それが原因で二人の男の友情にヒビが入り対決する事となったり、最後に息子が死に、クインは息子の仇としてダグラスと決闘したり、と、本作と似ている要素は多い。親友を倒し、主人公が深い悲しみにくれるラストもそっくりである。
そう言えば、どちらも親友同士の決闘の場となったのが、列車の線路の上、という共通点もある。
| 固定リンク
コメント
安定のクオリティで見せました。
ニーソンはもちろんいいですが、ボス役のエド・ハリスが老けましたが良かったです。
渋い俳優が出てましたね。
ただ、ニーソンとセラ監督のコンビはやはり1作目の「アンノウン」が一番良かったです。
投稿: きさ | 2015年5月25日 (月) 06:01
◆きささん
エド・ハリス、老けて見えますが、調べたらまだ64才で、リーアム・ニーソンと2歳しか違わないんですね。ひょっとしたら老けメイクなのかも知れません。
「アンノウン」はヒッチ・オマージュもあったりでお気に入りです。本作は細かい所のアラがあり、完成度としてはあっちに譲りますが、全編に漂うノワール・ハードボイルドの雰囲気が魅力的で、これも好きな作品なのですね。
投稿: Kei(管理人) | 2015年5月25日 (月) 23:52