「あん」
どら焼き屋「どら春」の雇われ店長として働く千太郎(永瀬正敏)の店に、徳江(樹木希林)という老女がやって来て、この店で働きたいと願い出る。最初は体よくあしらっていた千太郎だが、徳江が置いていった粒あんの美味しさに惹かれ、彼女を雇う事にする。やがて徳江が作る粒あんが評判となり、店は大繁盛。そんな中徳江は、つぶれたどら焼きをもらいに来ていた女子中学生のワカナ(内田伽羅)と親しくなる。しかし、徳江に関するある噂が広まって、客足が遠のいてしまい…。
河瀬直美監督作品は、史上最年少でカンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞した「萌の朱雀」以来、主だった作品は観ているのだが、正直言ってどの作品もやや観念的で、面白いと思った事はない。カンヌ国際映画祭グランプリを獲った「殯の森」も、前作「二つ目の窓」も、どんどん抽象性が増している印象だった。カンヌ受けはするが、商業ベースには乗らないアート系作家、というのが私の評価である。
で本作は、河瀬監督作としては初めての原作ものである。が、これまでのイメージからして、また退屈な作品ではないかと内心危惧していたのだが…。
これは素晴らしい秀作である。原作ものという事もあるのだが、ストーリーがしっかりしていて、これまでの河瀬作品とはかなり異なる、心温まる、泣けるヒューマン・ドラマに仕上がっていた。感動した。河瀬監督、やればやれるじゃないか。
河瀬監督作と聞いて、敬遠している人も是非観て欲しい。これは本年屈指の力作である。
ただ、予告編や宣伝、チラシの作品梗概に、二人の主人公たちそれぞれに関する秘密が暴露されているのだが、これは隠しておくべきだろう。これらの過去を知らないで観た方がより感動を増すだろうから。これから映画を観る方は、出きるだけ情報を仕入れないで作品に向き合う事をお奨めする。
(以下ネタバレあり)
物語は、どこか暗い影を宿す、どら焼き屋「どら春」の店長・千太郎の日常から始まる。ペチャクチャ喋る女子中学生グループ以外にあまり客もいなさそう。ある日、人懐っこそうな老女・徳江が雇ってくれないかとやって来る。こんな高齢者に店の切り盛りは無理だと思い、千太郎は「時給は安いですよ」とかなんとか言って断るのだが、徳江は「時給は300円でいい」と引き下がらない。
数日後、徳江は今度は「一度食べてみて」、と自分が作ったという粒あんを置いて帰る。何の気なしにそのあんを一口食べた千太郎は、自分の店で売っているどら焼きのあんと比べて、その美味さに驚き、徳江を雇入れる事にする。
この導入部からして河瀬演出は、今までの作風を継承しながらも、この先どうなるのかという期待感を膨らませる、軽やかなテンポでドラマを牽引して行く。過去の河瀬作品を見慣れた目には、別人かとさえ思ってしまうほどだ。
無愛想で取っつきにくい千太郎と、軽妙でユーモラスな喋りで千太郎の心を掴んで行く徳江のコンビネーションが楽しい。永瀬正敏と樹木希林がそれぞれ見事な演技を見せる。中でも樹木が素晴らしい。
特に、あんこ作りを任された徳江が、次々と指示を出し、千太郎を振り回す辺りの演技の間合いは絶妙である。
そのあんこ作りのプロセスを、ドキュメンタリー風にじっくり時間をかけて見せる演出もいい。
春の桜、夏の緑、秋の紅葉…といった風景の移り変わりで時の経過を示す辺りの演出も含め、河瀬作品の特徴である、自然の風景や、周囲の物音まで拾った録音などのドキュメンタリー的手法が、作品のかもし出す雰囲気とうまくマッチしている。
徳江の作る粒あんはやがて評判となり、どら春は客が行列をなすほど繁盛する。
だが、やがて徳江が、元ハンセン病患者であった事が噂となり、さらに千太郎が疲労で休んだ時に徳江が店頭に出てその姿を見られた事で、客足は途絶えてしまう。
徳江の手は、瘤があったり不自然な曲がり方をしているので、ハンセン病の知識がない人でも異様だと気づき、避けるだろう。生半可な知識があればなおさら。
普通の患者なら、そんな姿は見られたくないだろう。だが徳江は、自分の姿を人前に晒す事にあまり躊躇がないようだ。おそらくは「自分は病気でも凛として生きてきた。隠れたりコソコソする理由なんかない」という信念を持っているのかも知れない。
実は千太郎も、徳江の手を見て彼女がハンセン病だという事は薄々気づいていたのかも知れない。最初徳江の求職を断ったのもその為かも知れないし、店のオーナー(浅田美代子)が「らい(病)じゃないか」と伝えに来た時もあまり驚いた様子はない。「クビにしたら」というオーナーの提案も「考えときます」と返事を濁している。
それでも徳江を雇い入れたのは、徳江の作ったあんの美味しさと、病気に負けず明るく、真っ直ぐに生きている徳江の姿に感銘を受けたからだろう。
千太郎には、かつて刑務所に入っていた過去がある。どことなく影があるのもその為だし、徳江と出会うまでは、過去にこだわり、ひっそりと生きて来たのだろう。
徳江の生き方を見て、千太郎も少しづつ、前を向いて生きようと思い始めたのかも知れない。
さっぱり客が来なくなったある日、店を早じまいする千太郎を見て、徳江は自ら、そっとどら春から去って行く。
理不尽な目に合っても、徳江は誰にも文句を言わない。その姿を捉える演出も淡々としていて、決して声高に社会批判を叫んだりはしない。
その静かな空気感が、余計に、何十年にも亙っていわれなき差別に耐えてきたハンセン病患者の哀しみ、苦しみの根深さを訴えている。
もう一人のサブキャラクター、いつも一人ぼっちで、カナリアだけが友だちの女子中生、ワカナ(内田伽羅)が、さりげないが重要な役割を担う。
彼女はいつもどら春に、つぶれて形の崩れたどら焼きをもらいに来るのだが、この醜く崩れたどら焼きは、ハンセン病のメタファーとも取れる。
実際、徳江がハンセン病を患い、施設に送り込まれたのが14歳の時。今のワカナと同年齢だ。ワカナは徳江の分身とも言える。二人が心を通わせるのも当然の成り行きだろう。
そのワカナを演じたのが樹木の孫娘というのは、意識してのキャスティングだろう。
そして白眉は、千太郎とワカナが二人で、徳江の暮らす、森に囲まれた療養所を訪れるシーン(実際の施設、全生園でロケしている)。
二人を迎え入れた徳江は、二人に手作りのあんが入った汁粉をふるまう。これまた美味い。不本意にせよ徳江を辞めさせるはめになった千太郎は、彼女を守れなかった事を悔やみ涙する。こちらももらい泣きする。
ここで、自分の過去をポツリポツリと語りかける、徳江役の樹木希林の演技はまさに神がかり。まるで本当の元ハンセン病患者かと思えるほどだ。
名前に引っ掛けるわけではないが、キキ(鬼気)迫る熱演だ(笑)。
このシーンでも使われた、河瀬監督作ではお馴染みの、自然光を生かした撮影、周囲の音も拾う録音、というドキュメンタリー的手法は、これまでの作品では、素人役者の場合にしばしば「声が聞き取り難い」とのクレームが出ていたが、本作ではそのような事はなかった。さすが大ベテラン女優。
そして物語は終盤、オーナーの意向で(というか甥っ子の職場確保の為)どら春はお好み焼き屋に改装させられる事となる。徳江のあん入りどら焼きも、やがては片隅に追いやられるだろう。
失意の千太郎は、ワカナと再び全生園を訪れるが、徳江の友人、桂子(市原悦子)から、彼女は3日前に亡くなったと知らされる。深い悲しみに襲われる二人。
千太郎は桂子から、徳江の形見として粒あん作りの道具一式を譲り受ける。
徳江はもうこの世にいないが、彼女が生きて来た証しを残し、それは次の世代に受け継がれるのである。
そして、また春がやって来たラスト、どこかの公園で千太郎は、どら焼きを売っている。その傍らには、徳江が残したあん作り道具が。
何の説明もないが、このワンシーンだけで、その後千太郎がどんな決断を下したかが即座に判る。いいシーンである。
「どら焼き、いかがですかぁ~」と声を張り上げる千太郎の顔は、冒頭とはまるで違って、晴れ晴れと輝いている。
このラストで、またジワーっと涙がこみ上げて来た。
ハンセン病、という重いテーマを題材としているにも関わらず、映画は暗くならず、時にユーモラスで、心がほっこりと温かくなる。
そして、これまでの河瀬作品にもよく登場した、“自然と共生する人間の営み”、“生きている事の大切さ”が、より分かり易く、かつ力強く描かれた、これは河瀬直美監督の最高作であるばかりか、本年屈指の感動の傑作であると断言したい。
樹木希林、永瀬正敏、共にこれまでの中で最高の名演である。本年度の主演女優賞、主演男優賞にノミネートしておきたい。無論、脇を支える市原悦子、内田伽羅も、みんな素敵だ。
全国77スクリーンと劇場数は少ないが、ジワジワと客足が伸びているようで心強い。是非、多くの人に観ていただきたいと思う。必見。 (採点=★★★★★)
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コメント
> 名前に引っ掛けるわけではないが、キキ(鬼気)迫る熱演だ(笑)。
そう言えば『ツナグ』では魔女みたいな役だった。そして、このドラ焼きが映画と観客をツナグ宅急便の役を担うのなら、まるで『魔女の宅急便』。・・・キキだけに。
・・・ムリムリこじつけて見ました。
投稿: ふじき78 | 2015年7月 6日 (月) 23:36
◆ふじき78さん
樹木さんと言えば、2011年公開の「大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇」では主人公たちを地獄に案内する妖しい占い師を演じてましたね。
この役も、魔女っぽいと言えば言えるかも知れません。今度から「キキでーす」と自己紹介されたら「魔女の宅急便」を思い出しそう(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2015年7月 8日 (水) 00:36