「悪党に粛清を」
2014年/デンマーク・イギリス・南アフリカ合作
配給:クロックワークス、東北新社
原題:The Salvation
監督クリスチャン・レブリング
脚本:アナス・トーマス・イェンセン、クリスチャン・レブリング
製作:シセ・グラム・ヨルゲンセン
製作総指揮:ペーター・オールベック・イェンセン、ペーター・ガルデ
妻子を殺された男の復讐劇を描いた、珍しいデンマーク製の西部劇。脚本・監督は「キング・イズ・アライヴ」(2000)のクリスチャン・レブリング。共同脚本は「キング・イズ・アライヴ」でもレブリング監督と組み、最近では「真夜中のゆりかご」が注目されたアナス・トーマス・イェンセン。主演は「偽りなき者」のマッツ・ミケルセン、「300 スリーハンドレッド 帝国の進撃」のエヴァ・グリーンなど。
1870年代、敗戦で荒れたデンマークから新天地アメリカにやって来た元兵士のジョン(マッツ・ミケルセン)は、7年後、事業も軌道に乗ったことから妻子を呼び寄せ、再会を喜びあうが、それもつかの間、家に向かう駅馬車に乗り合わせた粗暴な男たちに妻子を殺されてしまう。怒りのあまり犯人を見つけ出し撃ち殺したジョンだったが、その男はこの辺り一帯を支配する悪名高いデラルー大佐(ジェフリー・ディーン・モーガン)の弟であった。大佐の怒りを買ったジョンは、否応なしに彼らとの戦いに巻き込まれて行く…。
北欧製の西部劇とは珍しい。かつてはドイツなどでも西部劇が作られ、その後イタリア製の、いわゆるマカロニ・ウエスタンが世界を席巻したが、今や西部劇は退潮傾向。アメリカでも細々と作られる程度で、ヨーロッパ製の西部劇はほとんど見られなくなった。
そんな今の時代に登場したデンマーク製西部劇の本作は、本国アメリカ西部劇へ多大なオマージュを捧げた、まさに堂々たる本格西部劇の秀作であった。西部劇ファンなら絶対観るべき、一押し作品である。
(以下ややネタバレ)
物語は、妻子を殺された主人公が、非道な悪党どもに戦いを挑み復讐を果たす、というまさに王道パターン。さらに鉄道列車、駅馬車、岩山がそびえ立つ広大な原野…と、西部劇お馴染みのアイテムや風景もちゃんと盛り込まれた堂々たる作りになっている。もうこれだけでも西部劇ファンはギュッとハートを掴まれる。
マカロニ・ウエスタンなら、主人公たちは大抵はアメリカ人かメキシコ人あたりなのだが、本作では主人公たちは製作国と同じデンマーク人。
実はアメリカという国は、ヨーロッパ各国から移民した人たちが作った国でもあるわけで、当然デンマークからやって来た人たちも多くいた。
言葉も通じず、苦労したであろう、その歴史がきちんと物語に組み込まれているのがいい。これがまず気に入った。
そして、映し出される風景も、どこかアメリカと違うと思っていたら、実はロケーションはすべて南アフリカで行われたのだそうだ。アメリカ国内で撮るよりも人件費その他が安上がり、という利点もあるが、アメリカの、例えばジョン・フォード西部劇でお馴染みのモニュメント・ヴァレーのカラッとした乾いた風景に比べ、より荒涼とした寒々しさが漂う。
また、月明かりが照らす夜の風景も、不思議なコントラストで魅力的である。これも北欧的なエッセンスを感じさせようとした監督のこだわりなのだろう。そうした映像も見どころである。
主人公ジョンを演じたマッツ・ミケルセンがいい。寡黙で、じっと悲しみに耐える悲壮感が全身に漂う。単なる復讐に燃える男ではなく、呼び寄せたばかりに妻と息子を死なせてしまった、自身に対する悔悟心も、胸の内に隠しているかのようだ。
物語は、ジョンによる妻子の仇討ちが、弟を殺された悪党デラルー大佐の怒りを買い、大佐に逆らえない従順な町の人たちにもとばっちりが行き、何人かが殺される結果となる。大佐の残虐非道ぶりを強調すると共に、怒りにまかせた行為がさらなる悲劇を生む、復讐の空しさも描いている。
一時は大佐たちに捕らえられるも、兄による救出、その兄も敵に殺され、最後に殴り込み、死闘の末に大佐たちを倒す、とパターン通りではあるが、一人、また一人と敵を倒して行くアクション・シークェンスも的確で見ごたえがある。ジョンが昔ドイツと戦った経験もある元兵士という設定も生きている。
大佐の殺された弟の妻、マデリン(エヴァ・グリーン)が後半重要な役で彩りを添えるが、原住民に舌を切られ、声が出せないという設定がユニーク。表情と目力だけで怒り、悲しみ、そして大佐の悪辣ぶりにとうとう反旗を翻し、ジョンといつしか心を通わせて行く、という心の変遷をうまく演じている。
観終わって、いろんな過去の西部劇の名場面が思い浮かぶ。レブリング監督はインタビューで、62本もの西部劇のエッセンスを盛り込んだと語っているが、それらを見つけるのも映画ファンのお楽しみだろう(後述)。
ラスト、遠ざかってゆくジョンたちの姿を捕らえたカメラが後退して行くと、無数の石油井戸が立ち並んでいる、という映像もいい。時代はフロンティアから、産業とビジネスの時代に移り、もはや西部魂を持った男たちが生きて行ける時代ではなくなった、という現実を示している。単なるドンパチ西部劇ではない、という監督の思いがあるのだろう。
正統西部劇として、ファンには十分楽しめる娯楽作であり、またいくつか考えさせられる要素も散りばめられた、これは見ごたえある力作である。お奨め。 (採点=★★★★☆)
(さて、久しぶりにお楽しみはココからだ)
過去の西部劇オマージュは、ちょっと思いつくだけでも以下の作品がある。
妻子を殺された男が、町を牛耳るボスに闘いを挑む、という展開は、ジョン・スタージェス監督の「ガンヒルの決斗」などいくつかあるし、保安官も含めた町の住民が、悪党たちに手も足も出せない臆病ぶりを見せ、結果として主人公が一人で闘う事となるのはフレッド・ジンネマン監督「真昼の決闘」という代表的名作がある。
家の中からカメラが、戸外にいる主人公を捕らえる映像は、ジョン・フォード監督の傑作「捜索者」(1956)があまりにも有名だ。
だが、監督が一番オマージュをささげているのは、クリント・イーストウッド主演作品ではないかと私は思う。
イーストウッドが監督・主演した「アウトロー」(1976)では、主人公の妻と息子が殺されるし、復讐の相手の名前はテリル大尉である。本作のデラルー大佐と語感が似ている。
同じくイーストウッド監督・主演の「荒野のストレンジャー」(1972)では、やはり町の者たちは臆病で、悪党たちの横暴にも見て見ぬふりをしている。
そしてラストの決闘シーンでは、本作と同じく背後の町が燃えている。
なお、本作のラスト、ジョンたちが馬で去って行くシーンで、彼らの姿が一瞬、風景にオーバーラップし、ディゾルブして消える映像が登場する。
これ、「荒野のストレンジャー」のラスト、馬で去って行くイーストウッドの姿が風景に溶け込んで消えて行く有名なシーンを思い起こさせる。
ここは、これから観る方は是非目をこらして見て欲しい。
最後に、イーストウッドの出世作となったマカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒」(1964)における、主人公が敵に捕らえられ、リンチに会うが辛くも逃げ出し、体の回復を待って敵に殴り込む、という展開がほぼ本作と同じである。
その元ネタとなった黒澤明監督「用心棒」にも同様のシーンがあり、こちらでは捕まえられて抜け出した三船敏郎が、床下から出て、這ったまま道を横切って隣家の床下に移動するのだが、これとそっくりなシーンが本作の決闘の最中で登場している。
本作では、裏で悪党と手を結んでいる狡猾な町長が副業で棺桶作りをしていて、ジョンによって倒され棺桶に入れられるのだが、棺桶も「用心棒」及び「荒野の用心棒」では重要なアイテムである。
ちなみに三船つながりでは、本作の脚本を書いたアナス・トーマス・イェンセンが脚本を担当した作品に「ミフネ」(1999・ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督)というのがあり、これはなんと主人公たちが三船敏郎の大ファンで、「七人の侍」における三船の物まねをして遊ぶのが唯一の楽しみなのだという。タイトルもそれから取られている。
多分、脚本のイェンセンも、三船敏郎の大ファンなのだろう。
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コメント
私も西部劇としてはなかなかの力作だったと思います。
マッツ・ミケルセンの静かな怒りを秘めた冷徹な個性が光っていましたね。
話すことができない謎めいたヒロインをエヴァ・グリーンが好演していました。
ジョナサン・プライスもらしい役を演じていました。
悪役のジェフリー・ディーン・モーガンも貫禄を見せます。
ラストの悪役一派との対決が盛り上がります。
投稿: きさ | 2015年7月20日 (月) 10:12