「ルック・オブ・サイレンス」
2014年/デンマーク、フィンランド、インドネシア、ノルウェー、イギリス合作
配給:トランスフォーマー
原題:The Look of Silence
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
製作:ジョシュア・オッペンハイマー、シーネ・ビュレ・ソーレンセン
製作総指揮:エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー
1960年代、インドネシアで100万人もの命を奪った大虐殺の実行者たちにカメラを向け、各国の映画祭や映画賞で話題となった衝撃作「アクト・オブ・キリング」の姉妹編とも言うべき作品で、同事件を被害者側の視点から見つめ直したドキュメンタリー。監督も同作のジョシュア・オッペンハイマー。第71回ヴェネツィア国際映画祭(2014)のコンペティション部門に出品され、審査員グランプリや国際映画批評家連盟賞など5つの賞を受賞した。
昨年公開された、ジョシュア・オッペンハイマー監督作「アクト・オブ・キリング」(2012)は衝撃的だった。約50年前、インドネシアで起きた軍事クーデター未遂事件の過程で、共産主義排除と称して100万人規模とも言われる大虐殺が行われたが、この映画はその加害者たちにレンズを向け、彼らの証言や、彼ら自身による大量殺害の再現等を通して、その真相に迫った迫真のドキュメンタリーであった。
オッペンハイマー監督は最初は、殺された被害者家族を取材しようとしたが、軍側が脅迫や妨害をして来た為、それはやむなく断念したが、それならと加害者の方を取材対象とし、この映画を完成させた、という経緯がある。
それだけでも危険で、命がけの映画作りだったと思うが、それから2年、オッペンハイマー監督は、今度はついに同虐殺事件を被害者側の視点に立って、被害者遺族の一人が行動を起こし、加害者に迫る、という、これまたとんでもない映画を作り上げてしまった。
言ってみれば、2年前のリベンジを果たしたという事になる。オッペンハイマー監督の執念には恐れ入る。
前作を観ている者にとっては、衝撃度は前作ほどではないが、それでも緊迫度においては前作を上回る。なにしろ、殺人の加害者と被害者遺族を対面させるわけだから。
ヘタすれば、撮影中に不測の事態が起こらないとも限らない。監督も被害者遺族も命がけだろう。
前作の構想が浮かび上がったのは2002年頃。取材と撮影は5年間にも及んだそうだが、その当時では被害者たちを画面に登場させる事は、軍の脅迫もあったし不可能だった。
だが、オッペンハイマー監督が撮影した加害者たちへのインタビュー映像を見た、被害者の一人で兄を殺されたアディ・ルクンは、兄を殺した様子を楽しそうに語る加害者たちを見て衝撃を受ける。その様子が本作の冒頭にそのまま登場する。
そして前作の公開を経て、アディはオッペンハイマー監督と再会し、自ら加害者の元を訪れ、罪を認めさせたいと提案する。監督もその勇気にうたれ、前作を通して気心が知れた加害者たちとアディとの接見をお膳立てし、その様子を余す所なくカメラに収めたのが本作である。
加害者たちとアディとが対面する場面はスリリングである。アディの職業が眼鏡検査技師である事から、無料で眼鏡検査をしてあげると言って加害者に近づく。
そして加害者たちは前作を、自分たちの行為を正当化してくれた作品と理解しているのか、アディを紹介した監督を気軽に「ジョシュア」と呼んでいる。
こういう信頼関係があったからこそ、この対面と撮影が実現出来たのだろう。
最初は温和な雰囲気であるが、得意気に殺人を語る加害者に対し、やがてアディは、「あなたが殺したのは、私の兄なんです」と告白する。動揺する加害者。
アディは、兄を殺した事を謝罪してくれれば、罪は許すと言う。だが加害者たちは、「命令に従っただけだ」とか、「国家のためにした事だ」、「もう過去の事だ」、あるいは「私は監視役に過ぎない」と言を左右にして言い逃れ、決して謝罪しようとしない。だが、明らかに動揺している気配を感じる。
結局、どうにか最悪の事態は避けられ、両者は握手をして別れる。謝罪の言葉は遂になかった。
だが、前作と本作の2本が世界中で公開された事によって、隠された真実が明るみに出て、加害者も、当時政権にいた人たちも、我々第三者もそれぞれに考えさせられた事だろう。
インタビューでオッペンハイマー監督は「主流メディアが1965年に起きた事や、殺りく者をそれまではヒーロー扱いしていたが、虐殺を虐殺であったと言えるようになった。この2部作は『裸の王様』の少年の様なもので、『王様は裸だ』と言えるようになったのです」と話している。喜ばしい事である。
多くの人がこの映画を観て、真実を求め続ける事、勇気を出して声を上げる事、の大切さを学んで欲しいと思う。沈黙する事は、権力者を利する事でしかない。題名には、そんな思いも込められているのだろう。
監督のオッペンハイマーと、画面に登場した被害者遺族のアディ・ルクン、二人の勇気ある行動に心から敬意を表したい。
こんなに緊張して映画を観たのは久しぶりだった。ドキュメンタリーというものの力をまざまざと実感した103分だった。
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映画ファンなら本作を観て、1987年の原一男監督作品「ゆきゆきて、神軍」を思い起こすことだろう。
太平洋戦争に従軍し、今はバッテリー商を営む奥崎謙三という男の行動に密着し、二人の兵士を敵前逃亡の罪で処刑した元上官たちを訪ね歩き、真実に迫ろうとする奥崎の姿を追う。
その奥崎の行動が凄い。上官たちを詰問し、過去に触れてもらいたくないと口を濁す上官に殴りかかる。その様子をカメラはそのまま捉える。
この作品もまた、被害者と加害者が対峙し、一触即発の緊張感が漂うドキュメンタリーの傑作である。被害者に詰め寄られ、うろたえる加害者のリアクションをありのままに映し出す事で、鋭い問題提起を行うと同時に、人間というものの愚かさやエゴイズムをも炙り出しているという点で、両作品はいろんな共通点を持っていると言えるだろう。
前作と合わせて、是非多くの人に観ていただきたい、これは問題作である。 (採点=★★★★☆)
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