戦争映画3本「日本のいちばん長い日」「この国の空」「野火」
で、この3本、いろんな点で共通し、またものの見事に対照的なシチュエーション、テーマの作品であるのが面白い。
まず描かれる時期。「日本のいちばん長い日」は昭和20年4月から、玉音放送が流れる終戦の日=8月15日までの4ヶ月間だが、「この国の空」も(3月の東京大空襲後だから)多分4月から8月14日まで。つまりほとんど同時期である。「野火」の方はいつ頃かは明確ではないが、レイテ島の戦いは終戦まで行われたとあるから、これも前2作とほぼ同時期と考えていい。つまり3作とも描かれる時期はほとんど重なっている。
そして登場人物は「日本の-」が閣僚・軍人・天皇、「この国-」は内地の一般庶民、「野火」は戦地で戦い、敗走する兵士…と、見事に分散され(大雑把に分類するなら、当時の日本人はこの3パターンのどれかにほぼ該当するのではないだろうか)、描こうとしたテーマも各作品ごとに異なる。
言ってみれば、終戦間際において、この3パターンに集約される当時の日本人たちがどう生き、どう暮らし、どう裏側で動いていたか…がこれら3本の作品を観ればよく分かる仕組みになっている。以下作品ごとの感想。
2015年・日本
配給:松竹、アスミック・エース
監督:原田眞人
原作:半藤一利
脚本:原田眞人
製作総指揮:迫本淳一
エグゼクティブプロデューサー:関根真吾、豊島雅郎
昭和史研究の第一人者・半藤一利の著による「日本のいちばん長い日 決定版」を元に終戦までの4ヶ月間における歴史の舞台裏を映画化。脚本・監督は「わが母の記」「駆込み女と駆出し男」の原田眞人。主演は「わが母の記」でも原田監督と組んだ役所広司、「おくりびと」の本木雅弘、「駆込み女と駆出し男」の山崎努など。
1945年4月。戦況が悪化の一途を辿る中、77歳の鈴木貫太郎(山崎努)は、昭和天皇(本木雅弘)直々の命によって、“戦争を終わらせる為”の内閣を統率する首相に任命される。7月、連合国軍にポツダム宣言受諾を要求された日本は降伏か本土決戦かに揺れ、連日連夜の閣議で議論は紛糾するが結論は出ぬままだった。そして遂に広島、長崎に原子爆弾が投下され、決断の時は迫ったが、それでもなお、陸軍の若手将校たちは本土決戦を訴え、阿南に戦争継続を強く迫る。阿南はそんな将校たちの暴発を押さえようと対応に苦慮する。
1967年に、同じ半藤一利による原作(当時は無名だった半藤の名を伏せて、大宅壮一編として刊行)を映画化した「日本のいちばん長い日」(監督・岡本喜八)のリメイクである。
岡本作品も名作だったが、本作はいくつかの点で同作と異なっている。そのうち大きく異なるのは以下の3点。
①岡本作品では、ご聖断が下った8月14日正午から、玉音放送がラジオから流れた8月15日正午までの24時間、つまりまる1日の物語であるのに対し、原田版では同年4月の鈴木内閣組閣から終戦までの4ヶ月間と、描かれる期間が長くなっている。
②岡本版では、群像劇ではあるが、主役的な扱いは阿南惟幾(三船敏郎)であったのに対し、本作の実質的主役は鈴木貫太郎である(ポスターでは役所広司扮する阿南大臣が一番大きく扱われているが)。
③岡本版の昭和天皇(八代目松本幸四郎)は、(おそらくはご存命である事も配慮して)後姿とか手元だけが画面に登場し、顔ははっきり見えないようになっていたが、本作でははっきり顔が見えているし、登場するウエイトもずっと大きくなっている。
これらの相違は、原田監督が本作の脚本化に際し、同じ半藤一利著の「聖断―天皇と鈴木貫太郎」
(文春文庫他)からもエピソードを取り入れたからである。いわば本作の原作は、半藤一利著「日本のいちばん長い日 決定版」+「聖断―天皇と鈴木貫太郎」の2作品という事になる。
岡本版の鈴木首相は、笠智衆が演じている事もあって、朴訥であまり目立たず、影が薄い存在だった。
本作では、鈴木が天皇によって首相に任命され、最初は年齢と耳が遠い事を理由に何度か固辞するが、天皇のたっての頼みで仕方なく引き受ける。
いざ首相になると、天皇の意向を汲んで、戦争終結に向かって動き出す。この鈴木首相の行動が丁寧に描かれていて面白い。
会議が紛糾し騒然となっている時も悠然と構え、隣に「耳が遠いのはこういう時便利だね」と嘯いているのには笑った。
山崎努がいい。徹底抗戦を唱える陸軍をやんわりとかわしつつ、徐々に天皇のご聖断へと導く策略家の面がじんわりと滲み出ている。結構古ダヌキ的でもある。
本木雅弘扮する天皇も、自分の手で戦争を終わらせたいという決意を胸に秘め、時にはやさしく、時には毅然とした態度を見せつつ苦悩する姿が的確に描かれている。
戦争を、混乱なく終結させるのは本当に難しい事がよく分かる。それでも天皇と鈴木首相が、阿吽の呼吸というか、共に心を通わせ、二人三脚で終戦に向かって歩む姿が胸をうつ。
本作の主人公は、まぎれもなく“昭和天皇と鈴木貫太郎”である。
反面、8月14日のご聖断から、翌日正午の玉音放送までの24時間の物語は、岡本版とほとんど同じで新味はない。
クーデターを首謀した畑中少佐は、岡本版では黒沢年男が演じ、目玉をひん剥いてほとんど狂気に近い熱演で目を引いたが、本作で畑中少佐を演じた松坂桃李はおとなし過ぎてややガッカリ。別に黒沢みたいに目玉をひん剥かなくてもいいが、どこかに狂気を感じさせるべきではあった。作中で陸軍が「2,000万人が特攻すれば本土決戦に勝てる」とほとんど狂ってるとしか思えない作戦を提唱しているくらいなのだから。
まあ今の時代、そんな軍人を演じられる若い役者はほとんどいないだろうけれど。
阿南陸相を演じた役所広司はまずまずの巧演だが、家族思いの優しいいい人風に描かれていて少し物足りない。実際は鈴木首相や天皇と、終戦を言い出せば暴走しかねない陸軍将校たちとの間で板ばさみとなり、相当の苦悩を抱えていたはずである。だから終戦が決まって切腹を決意したわけだし。その計り知れない苦渋の心中をもっと丁寧に描いて欲しかった。
前作は、監督の岡本喜八はじめ、製作に携わった人たちの多くは戦争に行った世代であり(作られたのは終戦から僅か22年後)、そうした現実の戦争体験に裏打ちされたリアルな心情(あるいは怒り)が感じられて感銘を受けたが、本作になるとどこか客観的にあの時代を見つめているような空気がある。70年も経てば、それも仕方がないだろう。
個人的には岡本版の方が好きだしお奨めだが、終戦秘話ものとして、これはこれで見ごたえはある。今の時代に作られるべくして作られた作品だと言える。岡本版を観ていない人には是非観ていただきたい。 (採点=★★★★)
2015年・日本
配給:ファントム・フィルム、KATSU-do
監督:荒井晴彦
原作:高井有一
脚本:荒井晴彦
撮影:川上皓市
製作:奥山和由
谷崎潤一郎賞を受賞した高井有一による同名小説の映画化。監督は「さよなら歌舞伎町」等の脚本家であり、「身も心も」以来18年ぶりの監督2作目となる荒井晴彦。主演は「私の男」の二階堂ふみと「地獄でなぜ悪い」の長谷川博己。その他工藤夕貴、富田靖子が脇を固める。
戦争末期の昭和20年。東京・杉並の住宅に母(工藤夕貴)と暮らす19歳の里子(二階堂ふみ)は、度重なる空襲におびえながらも、健気に生活していた。隣家には妻子を疎開させた銀行支店長の市毛(長谷川博己)が暮らしており、日に日に戦況が悪化する中、このまま戦争で死んでいくのかもしれないという不安を抱える里子はいつしか市毛に思いを寄せて行く。
「日本のいちばん長い日」では、庶民の姿が全く描かれておらず、それを批判する声もある(岡本版の時もそうした批判はあった)。まあ政局を描くポリティカル・サスペンスなのだからやむを得ない面もあるが。
本作はちょうど、同じ頃に一般庶民はどんな生活をしていたかを知る作品でもある。
窓ガラスには爆風による飛散を和らげる為、米の字状に紙を貼ったり、灯火管制で電球にフードを被せたり、庭に防空壕を掘ったり、空襲を逃れて多くの住民が田舎に疎開して子供の姿がなくなったり、空襲で焼け出された親類の伯母が家に転がり込んで来たり…。そうした庶民の暮らしぶりが丁寧に描かれている。
(以下ネタバレあり)
若い男も戦争に取られてほとんどいない。連日の空襲で、人々はいつ死ぬかも分からないという不安に苛まれている。
そんな暮らしの中で若い里子が、隣家の38歳と歳は行ってるけれどイケメンの市毛に恋心を抱くのも当然ではある。
里子が家の管理を頼まれた市毛の部屋で、彼の枕をつい抱きしめたり、自分の家で2度ほど、下着姿で縁側や畳の上をゴロゴロ転がったりの描写に、抑えられない性欲を持て余す少女の心の疼きが巧みに表現されている。
二階堂ふみはやはりうまい。興味深いのは、セリフのしゃべり方がゆっくり、淡々としていて、何だか昔の小津安二郎か成瀬巳喜男監督作品に登場する原節子のしゃべり方を連想してしまう点である。監督インタビューを読んだら、二階堂は実際に小津作品や成瀬作品を観て、同作品における原節子や高峰秀子のしゃべり方を参考にしたらしい。
そう思うと、本作の演出タッチも、これまでの荒井脚本作品(「ヴァイブレータ」や「海を感じる時」など)や監督作品(「身も心も」)に見られた生々しい性描写は影を潜め、成瀬作品的な細やかな人間描写が目につく。監督自身も成瀬作品を参考にしたのだろうか。
里子がついに夜、市毛に身を任せる決意をして彼の家を訪れる時に、トマトを持参する所もいい。男女の機微を繊細に描いた名匠・加藤泰監督の傑作「明治侠客伝・三代目襲名」、「沓掛時次郎・遊侠一匹」、「緋牡丹博徒・お竜参上」でそれぞれ桃、柿、ミカンといった果物が女から男にプレゼントされ、それによって、男に寄せる女の隠れた、あるいは知らず知らずの思いが伝わる名シーンを思い出した(トマトは野菜だけど)。
そう言えば、他にも食べ物をプレゼントするシーンが出て来たり、遠方まで買出しに出かけたり、食べ物の事で言い争いをしたりするシーンなどもある。
生きる為には食べなければならない。食糧難の時代は食べ物が貴重であり、それを確保する為に大変な苦労をしていたわけで、それが庶民の実態である。中央にいる政治家や軍人はそんな苦労など露ほども感じてはいないだろう。
そうした点も含めて、本作は期せずして「日本の-」に登場するそんな人たちへの痛烈な批判にもなっている。両作を見比べる事は、そういう点でも意味がある。
やがて8月14日の夜、市毛が、明日戦争が終わるという情報を伝えに里子の家にやって来る。ここから、雨の夜、里子が番傘をさして市毛を家まで見送るシーンがとてもいい。戦争が終われば、市毛の妻子が帰って来る。そうなれば彼とは別れなければならなくなる。その切ない思いに心乱れる里子。
いつしか少女から、“大人の女”に変貌を遂げている里子を二階堂ふみは見事に演じきっている。二階堂自身も、女優として大きく成長を遂げたと言えよう。
最後にストップモーションとなって、「里子は私の戦争がこれから始まるのだと思った」と字幕が出るラストもいい。そう、恋する女にとって、国同士の戦争よりも、男をめぐる戦いの方が重要なのだ。
小津と成瀬の名前が出たが、小津は「早春」(1956)で妻がいながら会社の同僚女性と不倫する男のエピソードを描いているし、成瀬は傑作「浮雲」で、戦争が終わっても妻がいる男と別れられない女の悲劇を描いている。これなどまさしく本作の後日譚的作品である。
本作は、それら庶民の哀歓、男と女のドロドロした情念を描き続けて来た名匠の作品の系譜に繋がる作品であるとも言えよう。
荒井晴彦の、監督としての成熟が感じられる秀作である。
ただ、最後の茨木のり子の詩「私が一番きれいだったとき」の朗読は蛇足的な気がする。監督の狙いは分かるが、「里子の戦争がこれから始まる」字幕でストンと終了した方がスッキリまとまって良かったと、個人的には思う。 (採点=★★★★☆)
2014年・日本/海獣シアター
配給:海獣シアター
監督:塚本晋也
原作:大岡昇平
脚本:塚本晋也
製作:塚本晋也
撮影:塚本晋也、林啓史
大岡昇平の同名小説の、二度目の映画化。20年前から映画化に執念を燃やしていた塚本晋也が製作・脚本・監督・撮影に主演も兼ねた文字通りのワンマン映画。共演はリリー・フランキー、森優作に、俳優デビュー作の「バレット・バレエ」以来の塚本監督作品への参加となる中村達也。
日本の敗戦が濃厚となった太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。結核を患った田村一等兵(塚本晋也)は部隊を追放され、野戦病院へと送られるが、野戦病院でも負傷兵で一杯の上に食糧不足で入院を拒絶され、部隊にも病院にも居場所がなくなってしまう。仕方なく病院近くの森で寝起きするうち、田村は足を悪くして隊を追われた安田(リリー・フランキー)と、彼の世話をする永松(森優作)と親しくなるが、やがて病院も爆撃され、散り散りとなった田村たちは敵の攻撃に怯え、空腹と戦いながら、ジャングルをさまよい続ける…。
しんがりは、1959年に市川崑監督により映画化されている名作のリメイク。
塚本晋也は、20年前に企画書を出して出資者を募ったが、思うように資金が集まらず頓挫。10年前にもレイテ島での戦闘経験がある元兵士にインタビューし、脚本も仕上げて映画化を試みたがまたも実現に至らず。今回は“今作っておかないと作品自体も生まれない”と決意を固め、ほとんど自主映画として完成にこぎつけた。まずその熱意と執念に敬意を表したい。
こちらも「日本の-」と同じく、半世紀前に作られた、当時はモノクロだった名作のカラーによるリメイク、という共通点がある。
大まかなストーリーは前作とほぼ同じだが、市川版では控えめ気味だった戦場の過酷な状景を、本作では特殊メイクによる強烈なスプラッター描写でリアルに描いている。
手足がもげ、内臓がはみ出し、顔面は爆弾でえぐれ、血みどろの凄惨な状景は目を背けたくなるほどである。
だがそれが戦争である。いや、実際の終戦間際の南方戦線はもっともっと悲惨な地獄絵が繰り広げられていたに違いない。
ジャングルの鮮やかな緑が印象的である。何千年もの時代を経ても変わらぬ美しい自然。その下で繰り広げられる醜悪な人間の愚行…。両者の鮮烈なコントラストが、その対比をくっきりと浮かび上がらせる。
後半では人肉食いも登場するが、これまでも深作欣二監督「軍旗はためく下に」や熊井啓監督「ひかりごけ」などで、極限状況における人肉食いは何度も描かれており、それらに比べたら本作ではまだ控え目である。まあ原作がそうなのだから仕方ないが。
こちらも「この国-」でも感じたのと同様、前線で兵隊たちが生死の境を彷徨っているというのに、組織の上にいる政治家・軍人たちは国体護持がどうとかポツダム宣言への回答文言がどうとかでグダラグダラと会議また会議やってた事が、「日本の-」を観る事でよく分かった。
国民の生命よりも、国体や自分たちの体面の方が大事だ、というのが権力者なのである。国民の命など平気で使い捨てるのが国家なのである。なにしろ「本土決戦
1億総玉砕」と陸軍上層部は叫んでいたくらいなのだから。
ラストは、市川版とは大きく異なる。市川版では、田村が草原に倒れ込む所で終わっており、田村の戦地における死を暗示している。
それに対し本作では、九死に一生を得て日本に帰還し、戦後は平穏な生活を送っている。
だが、食事の前に田村は、必ず拝む姿勢を取る。飢餓の中を生き延びた田村にとって、平和な生活を送り、ちゃんと食事がいただけるという事がどれだけありがたい事か。戦場におけるトラウマがどれだけ人間の心を蝕むか…。観た人それぞれに、いろんな思いを汲み取る事が出来るだろう。
この作品が、いろいろ曲折はあっただろうが、「日本の-」、「この国-」とほぼ同時期に公開されたのはまったく僥倖と言っていい(本作の完成は2014年)。単独で1本観るよりも、3本を見比べる事によって、単品では見えなかったいろんなものが見えて来る。
低予算と劣悪な製作環境の下で、これだけの力作を作り上げた塚本晋也監督の頑張りには本当に頭が下がる。3本の中では、本作を一番高く評価したい。必見。 (採点=★★★★☆)
あの戦争、あの時代を知る為に、この3本は是非セットでご覧になる事をお奨めする。
DVD「日本のいちばん長い日」 (岡本喜八監督)
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DVD「野火」 (市川崑監督)
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原作本「日本のいちばん長い日 決定版」 半藤 一利 |
原作本「この国の空」 高井 有一 |
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コメント
「野火」が、現時点で私の今年の日本映画ベスト1です。
個人的には「軍旗はためく下に」の人肉食に引けを取ってないと思います。
ちなみにかなりヒットしてるみたいです。
投稿: タニプロ | 2015年8月27日 (木) 02:05
◆タニプロさん
私も3本の中では「野火」が一番の出来だと思います。
「軍旗はためく下に」を最初見た時には、人間の死体にナイフをあてて尻の肉を削ぎとるシーンが出て来てゾッとしました。
あの強烈な印象は今も忘れられません。もう一度観たいのですが、昔VHSが出たきりでDVDは出ていないのですね。是非DVD化して、多くの人に観ていただきたいものです。
投稿: Kei(管理人) | 2015年8月28日 (金) 00:32
あ、「軍旗はためく下に」はついに近日DVD化するそうです。
投稿: タニプロ | 2015年8月28日 (金) 01:25