「きみはいい子」
桜ヶ丘小学校4年2組を受け持つ新米教師・岡野匡(高良健吾)は、真面目だが優柔不断で、児童たちの扱いに苦慮している。夫が海外に単身赴任中の水木雅美(尾野真千子)は、ママ友らに見せる笑顔の陰で、自宅でたびたび3歳の娘・あやねに暴力を振るっている。一人暮らしの老女・佐々木あきこ(喜多道枝)が心を許すのは、登下校の途中で挨拶をしてくれる、自閉症の小学生だけであった。…一つの町に暮らす、それぞれに悩みを抱く人たちの人間模様が描かれて行く…。
長編監督3作目の「そこのみにて光輝く」がキネマ旬報その他多くの映画賞でベストワンを獲得し、一躍脚光を浴びた呉美保監督の新作である。私もベストワンに選んだ事もあり、当然期待は高まる。
中脇初枝の原作は、それぞれが独立した5編からなる短編集で、その中から「サンタさんの来ない家」「べっぴんさん」「こんにちは、さようなら」の3編を選び、これを「そこのみにて-」でも組んだ高田亮が、それぞれのエピソードを巧みに交錯させ脚色した。
テーマ的には、学級崩壊、いじめ、幼児虐待、育児放棄、一人暮らしの認知症老人、自閉症児…と、現代が抱えるタイムリーな問題がまんべんなく網羅されている。
個人的には、ちょっとあれこれ盛り込み過ぎではないかと最初は危惧した。それぞれ、1編だけでも独立した長編になりうるテーマである。
特に2番目の、自分が子供の頃に親から暴力を振るわれた事がトラウマとなって苦悩する母親のエピソードは、既に平山秀幸監督の秀作「愛を乞うひと」(1998)でも取り上げられており、既視感を覚えてしまう。
ところが、物語が進むにつれて、一見バラバラに見えていた3つのエピソードが、実は根底では繋がっている、大きなテーマに集約されて行く。
それは、“コミュニケーションの不全”という問題に、どういう解決点を見出して行くか…という事である。
若い新任教師・岡野は、子供たちとコミュニケーションが取れずに悩んでいる。雅美も、自分の子供・あやねとコミュニケーションが取れず暴力を振るってしまう。公園でのママ友との交流もどこかちぐはぐである。独居老人・あきこも身寄りがなく、自分が認知症かと思い込んで他人とコミュニケーションを取ろうとしない。
やがて岡野は、特殊学級で自閉症児たちと楽しそうに抱き合う教師・大宮(高橋和也)たちを見て、一歩前進してみようと思い立ち、生徒たちに「家族に抱きしめられてくること」という宿題を出す。
素晴らしいのは、翌日、その宿題を発表する子供たちがとても自然で、まるでドキュメンタリーを見ているかのような演出がほどこされている点である。それぞれに、楽しそうで、抱きしめる、という行為がコミュニケーションを深める、大切な要素である事が強調される。
その発表を、やや涙ぐみながら聞いている岡野と子供たちとのコミュニケーションも、やがては深まって行く事が予想され、私もつい涙ぐんでしまった。
そう言えば、自閉症児・弘也を演じた加部亜門も、本当の自閉症児かと思えるくらいリアルで自然な演技だった。呉監督の演技指導の成果だとしたら凄い。
こうして、映画は最後に、“抱きしめる”という行為によって、それぞれにコミュニケーションが成立、あるいは回復して行く結末へと収斂して行く。
あやねを虐待する雅美も、やはり子供の頃親に虐待された経験のある陽子(池脇千鶴)に抱きしめられ、次第に心の傷を回復して行く。
共に殻に閉じこもっていた老人・あきこと自閉症児・弘也も、触れ合う事で少しづつ他人とのコミュニケーションを回復して行き、謝ってばかりの弘也の母・和美(富田靖子)も、あきこに優しく抱かれ、少しは前を向いてみようと思い始める。
しかし映画は、そんなに全てがうまく行くものではないという、ちょっと苦い結末を用意している。
岡野が、継父にネグレクトされいつも鉄棒のそばにいる神田少年にも「家族に抱きしめられる」宿題を出していたのだが、その少年が登校せず、いつもの鉄棒のそばにもいない事を知って、全速力で走って彼の家に向かう。
そのドアをノックする直前で映画は終る。神田少年がどうなったのかは映画は描かない。結末は観客自身で考えて欲しいという事なのだろう。
高田亮の脚本が見事だし、それを正攻法で撮り上げた、格調高ささえ感じさせる呉監督の演出が随所に光っている。
今の時代が抱える、さまざまな問題点は、すべてがコミュニケーション不全に起因しているのではないか。それを解決するには、コミュニケーション、触れ合いを回復して行く事しかないのではないか。…このテーマが胸に刺さる、現代を照射すると共に、これは主人公たちが悩みながらも成長して行く、そして呉監督自身の演出家としての成長も感じさせる秀作である。
…ただ、贅沢な事を言うようだが、まだこれが長編4作目となる若手監督にしては、ある意味完成され過ぎていて逆に物足りない。もっと破綻や、若さゆえの暴走があってもいいのにと思う。分かり易く言うなら、小津安二郎や山田洋次が若い頃に無数の喜劇映画やB級映画を撮って来て、晩年に至ってようやく到達したような境地に、既に38歳という若さで到達しているような気分なのである。
そう言えば、2作目「オカンの嫁入り」の批評で、私は小津安二郎作品との類似性を指摘していたのを思い出す。
次回作は、少し肩の力を抜いた、気軽なコメディとか娯楽作品を撮ってもいいのではないかと思う。…いや日本映画の期待の星として応援しているが故の私の戯れ言として聞き逃して貰ってもいいけれど…。 (採点=★★★★☆)
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コメント
> …ただ、贅沢な事を言うようだが、まだこれが長編4作目となる若手監督にしては、ある意味完成され過ぎていて逆に物足りない。
未来からタイムマシーンで過去に戻ったあやねが実は池脇千鶴という破綻たっぷりのエピソードを足してみますか?
投稿: ふじき78 | 2015年8月14日 (金) 21:57
◆ふじき78さん
このお話にSFを絡めて来るところがふじきさんらしいと言うか…
しかしあやねの母親、タバコは吸っていなかったはずですが。誰が池脇千鶴の手にタバコ押し付けたんでしょうね。
…と反応してみる(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2015年8月15日 (土) 21:09
・・・父親が・・・そ、そんな救いのない話はいやじゃあ。
動議を取り下げます。
投稿: ふじき78 | 2015年8月15日 (土) 21:21
この映画もかなり良いんですが、似たテーマながらとんでもなくぶっ飛んだ映画を観ました。
「Dressing UP」(安川有果監督)です。
この監督も偶然にも女性監督です。女性監督の映画で本気で驚いた映画は
山戸結希監督「おとぎ話みたい」(「おとぎ話みたい」は「5つ数えれば君の夢」よりもっとすごいんです。)と、坂本あゆみ監督「FORMA」(なんでこれが話題にもならなかったのか不思議です。内田けんじ監督がホラー風なことをやったような映画です。)
これ以来です。
偶然にも「Dressing UP」を観た時、ドキュメンタリー監督の松江哲明監督がいました。松江哲明監督も絶賛でした。
ぜひ観て欲しいです。
投稿: タニプロ | 2015年8月27日 (木) 02:14
◆タニプロさん
「Dressing Up」結構評判がいいので、観たいと思ってるのですが、今の所、関西での上映は予定されていないようです。
もともとは、2005年に大阪市が立ち上げた若手映画作家支援事業、CO2(シネアスト・オーガニゼーション・大阪エキシビション)の企画募集において、選考委員であった黒沢清監督、山下敦弘監督らに選出され、監督する事になったという経緯があるので、むしろ大阪でこそ上映して欲しいのですがね。
大阪市にお願いしておきましょうかね。ただ市長が文化振興に冷たいあの人(笑)なので難しいかも知れません。
投稿: Kei(管理人) | 2015年9月 4日 (金) 23:08