「ベトナムの風に吹かれて」
離婚した後に憧れの地ベトナムへ移住し、日本語教師として働いている佐生みさお(松坂慶子)は、父の死去の知らせを受け故郷の新潟に帰った。残された母シズエ(草村礼子)も認知症が進行し一人には出来ない。思い余ったみさおは兄らの反対を押し切り、母をベトナムに連れて行く事を決意する。慣れない土地での生活に戸惑いながらも、ベトナムの人々の温かさに触れるうちに、シズエは少しずつ笑顔を取り戻して行く。そんなある日、シズエが思わぬ怪我を負ったことをきっかけに、シズエの認知証はさらに進行し、みさおは介護の現実に直面する…。
大森一樹監督4年ぶりの新作である。ベトナムとの合作という事以外、情報がほとんどなかったので、どんな作品なのだろうと思っていたが、なんと最近多くなって来た“認知症の老人介護”を正面から描いた作品だった。
原作は、実際にベトナム・ハノイで日本語教師として働きながら、認知症の母を呼び寄せ、介護した実体験を綴った小松みゆきさんのノンフィクション・エッセイで、いわゆる"Based On True Story"ものである。これをベースに、「ただいま それぞれの居場所」(2010)、「季節、めぐり それぞれの居場所」(2012・監督はいずれも大宮浩一)などの介護ドキュメンタリーで取材ディレクターを手掛けた北里宇一郎と大森監督が共同で脚本を執筆した。実際に介護現場を取材している北里が参加しているだけあって、認知症の母の介護シーンにはその体験も盛り込まれているようだ。
ベトナムで全面ロケした日本映画は初めてらしいが、映画を観ていると随所に昭和の日本にあったような、近所の人たちの人情や、店先で将棋のようなゲームに興ずる街の人たちの様子が描かれ、懐かしい気分にさせてくれる。母が迷子になると、近所の人たちが総出で探し回ってくれたりする。
今の日本では失われてしまった、そうしたベトナムの人たちの人情味厚く、お互い助け合う庶民的な生活ぶりを見ていると、ちょっとホロッとさせられる。「ALWAYS 三丁目の夕日」を観ているような気分である。トボけたユーモアも随所に配置した大森演出は堅調である。
(以下ネタバレあり)
みさおの母シズエは、冒頭では夫が死んだ事もわからないくらい認知症が進み、ベトナムへ連れて行く事に周囲の親族は「親を殺す気か」と猛反対する。そう思うのも無理はない。
だが、そうしたベトナムの人たちとの触れ合いが好影響を与えたのか、母は環境に順応し、明るさも取り戻して症状もやや軽くなる。
映画はこうしたベトナムで暮らすみさおとシズエ母子の日常や地元の人たちとの交流を中心に、今や誰もが避けて通れない、認知症老人の介護という重いテーマに正面から向き合って行く。
そして後半は、シズエが交通事故で下肢を骨折した事から寝たきりとなり、それが元で認知症が急速に悪化し、以後壮絶な介護の過酷さが浮き彫りとなって行く。
強烈なのが、動けないシズエが夜どおし、「便所、イキテぇ!」とわめき通し、みさおはその世話の為に眠る事も出来なくなくなり、体調を崩してしまうエピソード。
実は私も父と母が認知症になり、介護でヘトヘトになったうえに、ほとんどこれと同じような状況も経験した事があるので、他人事とは思えず身につまされてしまう。
ただ、それだけでは単調と考えたのか、その他にいろんなエピソードが盛り込まれている。
例えば、みさおたちが住む住居の隣には劇場があるのだが、ここでかつて出演した事もあるが今では認知症で一線を退いた伝説の大女優、フオン・ファンが劇場に現れた事から、みさおたちの助力で復活公演を行うエピソードが出て来る。
最近の事は忘れても、体に染み付いた往年の歌や踊りは忘れていない。フオンは完璧に演目をこなし切って公演は大成功を収め、昔からのファンは感涙にむせぶ。
認知症になろうと、こうした形で、まだまだこれからの人生を生き抜く事は可能である事を示す、いいエピソードだった。多分フィクションなのだろうけれど。
ちなみにフオン・ファンの事を「日本で言えば原節子のような存在だった」と形容するセリフが出て来るが、奇しくも本作公開中に原節子が亡くなっていた、という情報が飛び込んで来たのも何かの縁だろうか。
それくらいならまだいいのだが、それに加えて、浦島太郎の竜宮城はベトナムにあったとか、戦後も現地に残った、旧日本軍兵士の残留家族のエピソードだとか、特にみさおの学生時代の友人小泉(奥田瑛二)がフラッとベトナムにやって来て、その回想で大学紛争や、ベ平連などによるベトナム反戦運動の様子が記録フィルムで出て来たりする辺りは余分な気がする。
大森監督もいつの間にか還暦越え。この世代の思い入れとして、高揚していた60年代後期の政治闘争を振り返りたい気持ちはあるのだろうが、本筋にはあまり関係がないし、蛇足ではないだろうか。
ラストは、前述の劇場で浦島太郎のミュージカルを上演し、みさおが浦島太郎に扮し、シズエも老人になった浦島太郎役で舞台に立ったりと、ほっこりしたエピソードでうまくまとめているが、このラストも少々楽天的な気がする。
私の経験から言っても、80歳以上の老人が骨折した場合は、怪我が治ってもまずほとんど寝たきりになって、移動する場合も車椅子でしか動けなくなる。ラストのシズエのように、舞台の上で介助もなしに立つ事なんてまず無理。
むしろシズエの死に至るまでの介護状況をじっくり丁寧に描くべきではなかったかと思う。認知症老人の介護はもっと大変であり、その切実さをもっと強調して欲しかった。
とは言え、全体としては“異国の地で老人介護を行う”というちょっと興味をそそられるお話を、現地の人たちの人情や触れ合いを絡めてうまくまとめている点は評価したい。
認知症老人を演じた草村礼子の、鬼気迫る名演技は必見である。
製作したのは、かつてニュー・センチュリー・プロデューサーズを率いて佳作・秀作を送り出して来た岡田裕。大森監督とは「すかんぴんウォーク」「ユー・ガッタ・チャンス」等の吉川晃司3部作のプロデュースでタッグを組んでいる。その縁だろうか、吉川晃司が本人役でワンシーン、カメオ出演しているのも見どころである。
ちなみに、タイトルは60年代のベトナム反戦運動を象徴するボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」から拝借したと思しい。
エンディングの主題歌も、松坂慶子自身が歌っている。これも聴きどころ。
実際に老人を介護している人は無論の事、これから両親を介護するであろう世代の人にも是非観ていただきたい作品である。原作も読んでみたい。 (採点=★★★★)
(蛇足)ところで、主題歌を松坂慶子と一緒に歌っているフォー・セインツとやらは、60年代にフォーク・グループとして活動し、「小さな日記」を大ヒットさせた、あのフォー・セインツではないかと思って調べた。
結果、やはりあのフォー・セインツだった。その後パッとせず1973年に解散したが、数年前に30数年の時を超えて再結成したらしい。60~70年代にベトナム反戦運動の風潮の中から日米でフォーク・ソング・ブームが巻き起こり、ボブ・ディランやジョーン・バエズ、日本では高石友也、岡林信康らが体制批判のプロテスト・ソングを歌っていた。そこからよりポピュラーなフォークに移行し、フォーク・クルセダーズやブロードサイド・フォー、フォー・セインツなどがヒット曲を生み出して行った。懐かしいそのフォー・セインツが、当時の空気をも伝え、タイトルにもボブ・ディランが絡んでいる本作の主題歌を歌っている、というのも意識しての起用だろうか。だとしたら粋な計らいだと言えよう。
原作本
主題歌
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コメント
北里氏に読んでいただきました。
「ずいぶん丁寧な紹介、批評ですね。嬉しい限り」「批判を含めて、作品のことをいろいろ言ってもらえるのは、作り手としては嬉しいものです」などなど言ってました。
あと同じ仲間内にも、貴殿ブログを紹介させていただいたので、反応を伝えます。
「的確な評価をされる方ですね。」「恋人たちのコメント、特に市役所のくだりは自分と同じで溜飲を下げました。」などがありました。
投稿: タニプロ | 2015年12月10日 (木) 19:52
◆タニプロさん
拙ブログを紹介していただいたようで、ありがとうございます。
いろいろ厳しい事も書いたのに、北里さんのあたたかいお言葉、感謝いたみ入ります。いろんな方に、いろんな感想を言っていただけるのは励みになります。北里さんの、今後のますますのご活躍を期待いたします。頑張ってください。
投稿: Kei(管理人) | 2015年12月18日 (金) 00:49