「人の望みの喜びよ」
大震災で家が倒壊し、両親を失った12歳の春奈(大森絢音)と5歳の翔太(大石稜久)の姉弟は、親戚の家に引き取られる。幼い姉弟は、気持ちを整理する間もなく新しい生活に放り込まれ、いや応なくその環境に慣らされて行く。両親の死を知らされていない翔太は、何も知らないまま両親の帰りを待ちわびる。一方春奈は、弟への言えない秘密と、両親を助けられなかった罪悪感を抱え一人悩む。そんな姉弟にさらなる試練が訪れる…。
東京では今年3月に公開済だが、関西では遅れてやっと年末にミニシアター第七芸術劇場でひっそりと公開。賞賛する声が周囲から聞こえて来たので観る事にした。
これが長編監督デビューとなる杉田真一は、少年時代に阪神淡路大震災を経験しているそうだ。その体験がうまく本作に生かされている。
主役はあくまで小さな姉弟である。終始この姉弟に寄り添い、子供の目線で、両親を失い、過酷な運命に晒されるこの二人をずっとカメラは追い続ける。
映画は場所も時代も特定していない。阪神淡路大震災、あるいは東北大震災、どちらの記憶と重ね合わせようと観た人それぞれの自由である。震災でなくてもよい。両親を事故で失う…普遍的にどこでも、いつの時代でも起こりうる悲しい状況に立たされた子供たちは、それからどう考え、どう悩み、どうこれからの人生と向き合うのか。
本作は、しっかりとその命題に真摯に、正面から取り組んでいる。
(以下ネタバレあり)
冒頭で春奈は、震災で倒壊した家の瓦礫を必死で掻き分けている。その下に両親が埋まっているのだろう。だが子供の力ではどうしようもない。両親を助ける事が出来なかった…。その事がずっと彼女の負い目になっている。その上に、弟にずっと嘘をつき続ける事の後ろめたさも加わって、いつも口を結び苦悩を顔に滲ませている。
子役歴が長い大森絢音は、さすがにうまい(「アマルフィ-」で誘拐された少女がもうこんなに大きくなっていた)。
一方で、弟の翔太は5歳という事もあるが無邪気で終始明るくくったくがない。両親は遠くへ行っているという親戚の虚言を信じ、ひたすら両親が帰って来るのを待っている。
翔太を演じる大石稜久がこれまた天真爛漫な演技で目をひく。映画はこの二人の絶妙の演技に支えられている。監督の演技指導がいいのか、二人が天才子役なのか。とにかく芝居臭が感じられない自然体の子供たちがとてもいい。
そして、やっかいになる事になった親戚の家にも小学生の男児がいる。一人っ子で甘やかされたせいか、両親が春奈と翔太を我が子同然に可愛がる様子が面白くない。自分がないがしろにされていると思い、ふて腐れ、翔太たちに意地悪をする。そして親と喧嘩を始めてしまう。この子供の心理も的確に表現されている。
その様子を見ていた春奈たちは、自分たちのせいでこの家に波風を立ててしまった、その事でまた悩み、ある日二人で家を出て行く。
あてもなく彷徨う二人をひたすら延々と追い続けるカメラがいい。ゆっくり時間をかけ、歩き、電車に乗り、またトボトボと歩く(注1)。
歩いている間に、二人は何を思っているのか、観客もそれを考えさせられる。その為の長い長い道行きなのだろう。
海の見える丘で、春奈はようやく翔太に嘘をついていた事を謝り、やがて泣き崩れる。長いワンショットで捉えたこのシーンもいい。
両親の写真を持って、もう一度会いたいと叫ぶ春奈。写真が風に舞い、それを追った春奈は誤って海に落ちる。ハッとさせられるシーンだが、直接的な描写はない。冒頭にも出て来た、水中から水面を見上げる長いシーンに代表される、間接的なイメージ・ショットで表現した演出がいい。
ラストは春奈は奇跡的に助かったように見えるが、考えようによっては死の淵で見た幻影とも取れる。春奈に花を差し出す翔太は、天国の天使のようにも見える。どちらを取るかは観客自身で考えて欲しいという演出意図があるのかも知れない。
個人的には、これで吹っ切れ、わだかまりも解けて二人が明日に向かって踏み出す、そういう風に考えたい。
なおタイトルは、バッハの教会カンタータを原曲とする「主よ、人の望みの喜びよ」から取られているものと思われる。ラストに宗教的な暗喩を感じるのも、それで分かる気がする。
余計なエピソードや、回想シーンを一切排除した、ストイックでシンプルな演出が魅力的である。まだ少しぎこちない演出も見えるが、新人1作目にしては上出来の部類だろう。杉田監督の今後に十分期待は持てる。観ておいて損はない力作である。 (採点=★★★★)
(注1)ここでやっと電車の表示に「佐世保」と出て、二人が行き着いた先に若戸大橋が見えるから舞台は九州だったと分かる。
(付記)
観終わって、ふと思い出したのが、大島渚監督の秀作「少年」(1969)である。
この映画は、当たり屋家業で全国を放浪する家族の物語で、後半で主人公の少年とその弟が二人だけでトボトボ彷徨う長いシークェンスがあり、兄は終始悲しみを堪えた表情を浮かべ、小さな弟は無邪気でくったくのない表情である所が、本作の後半とよく似ている。
この作品も、終始子供に寄り添い、子供の目線でじっと二人の行動を凝視する、監督の優しい眼差しに泣かされた記憶がある。
思い返せば、この作品の弟が、本作の弟と顔立ちも表情もよく似ていた。ずっと、どこかで観たような気がしてたのは、その為である。機会があれば、「少年」も是非観て欲しい。
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コメント
温かいご批評を頂き、ありがとうございます!
投稿: 杉田真一 | 2015年12月25日 (金) 00:43
◆杉田様
え、え、杉田監督ご本人ですか。
拙ブログにお越しいただいたうえに、お褒めの言葉、身に余る光栄です。ありがとうございます。
批評した作品の監督から反応をいただけるなんて、思ってもみませんでした。赤面の至りです。
励みになります。
次回作のご予定はあるのでしょうか。是非これからも素晴らしい作品を作られますよう、応援いたします。頑張ってください。
投稿: Kei(管理人) | 2015年12月25日 (金) 23:09