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2016年1月31日 (日)

「ハッピーアワー」

Happyhour2015年・日本/神戸ワークショップシネマプロジェクト
配給:神戸ワークショップシネマプロジェクト
監督:濱口竜介
脚本:はたのこうぼう(濱口竜介、高橋知由、野原位)
製作総指揮:原田将、徳山勝巳
プロデューサー:高田聡、岡本英之、野原位

神戸市で行われた、市民参加の『即興演技ワークショップ    in Kobe』から生まれた企画で、ごく普通の30代後半の女性たちが抱える不安や悩みを緊迫感あふれるドラマとして描いた、上映時間5時間17分に及ぶ問題作。監督は、映画学校の生徒たちを起用した4時間を超える大作「親密さ」や、東北大震災に関する記録映画三部作「なみのおと」「なみのこえ」「うたうひと」等で知られる濱口竜介。主演の4人の女性は演技未経験ながら、第68回ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞。作品も同映画祭脚本スペシャル・メンションを受賞した。

神戸に住むあかり(田中幸恵)、桜子(菊池葉月)、芙美(三原麻衣子)、純(川村りら)の4人は、30代後半を迎えた親友同士。久々に集まった4人は、近々旅行しようと相談し合う。屈託なく会話を重ねる彼女たちだが、それぞれ親友にも話せない悩みや不安を抱えていた。ある日4人はアートセンターで開催されたアーティスト鵜飼によるワークショップに参加しする。その打ち上げの席で、純は1年近く離婚協議をしていると告白。戸惑いを感じる3人。やがて3人もまたそれぞれに問題を抱え、平凡だと思われた彼女たちの日常にさざ波が立って行く…。

上映時間5時間17分!。おそらく(一挙上映による)日本の劇映画としては史上最長の長さではないだろうか。私は最近睡眠不足もあって、2時間程度の映画ですらつまらないと寝てしまう事もしばしば。この映画も、途中で寝てしまわないかと心配したのだが。

 
なんと、観ているうちにどんどん引き込まれて、食い入るように画面を見つめ、まったく寝る事はなかった。観終わっても、“すごい映画を観てしまった”という興奮覚めやらず、5時間があっという間だった。もっとこの先の物語を観てみたい、という気分にすらなってしまった。こんな経験は始めてである。

いやはやホント、これは凄い映画である。当地では1月に入っての公開なので(神戸では昨年12月先行公開)昨年のマイベストテンには入れられなかったが、間違いなく本年度のベストワン候補である。

(以下ネタバレあり)

物語は、仲のよい30代後半の4人の女性のおしゃべりや日常を淡々と描く所から始まる。ごく普通の、どこにでも居そうな女性たちである。
看護師のあかりは、仕事はテキパキこなすベテランだがバツイチ、中学生の息子がいる桜子は専業主婦、その桜子とは中学時代から付き合いがある純は弁当屋で働いている、そしてアートセンターに勤めるキャリアウーマンの芙美は編集者の夫と仲が良さそうに見える。

登場人物全員が、即興演技ワークショップに参加した素人である為、一部の出演者の中には棒読み的なセリフの者もいるが、この4人は相当読み合わせ練習をしたのだろう、ごく自然で違和感はない。それどころか、プロの俳優にありがちな、やや演技過剰な部分(これは舞台出身俳優に多い)も無いのがいい。ロカルノ国際映画祭で4人揃って最優秀女優賞を受賞したのも納得である。

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最初のうちはこうした彼女たちの会話や日常を淡々と描いているだけなのだが、やがて芙美が企画したワークショップに4人が参加する辺りから、画面は不穏なムード、そして不思議な緊張感が漂い始める。

このワークショップでは、“重心”というテーマで講師が講義を行うのだが、このシークェンスを延々とそのままカットせず描写しているのが異色である。普通の映画なら、多少は端折ったりするだろう。
だが、照明も使わず窓からの自然光だけで撮影した映像や、4人の主役も含めて登場人物全員が素人という事も含めて、このシーンを見ているうちに、まるでドキュメンタリー映像を見ているかのような錯覚に襲われ、やがてはわれわれ観客自身もこのセミナーに参加しているかのような感覚に囚われて来る(監督はドキュメンタリー作家出身)。
この感覚を持続したいが為に、長時間の上映時間が必要だったのだろう。この場面に乗る事が出来たなら、この映画を十分に楽しめるだろう。

そのワークショップ終了後の打ち上げに参加した4人だが、人の心の内を巧みに引き出す講師・鵜飼のリードもあってか、純はこれまで誰にも話していなかった、現在夫と離婚裁判中である事を告白する。仲が良くて、4人の間に隠し事などないと思っていたあかりたちは戸惑い、怒り出す。
これを契機として、4人の間に微妙な波風が立ち始め、やがてはそれぞれの家族が抱える悩みも明らかになって行き、彼女たちの人生も大きく揺らいで行く。

脚本が素晴らしい。濱口監督と、高橋知由、野原位の3人のユニットで共同執筆した脚本は、相当長時間練り上げたのだろう。脇の周辺人物に至るまで、きっちりとキャラクターや過去の人生経歴が緻密に組み立てられている様子が伺える。

桜子の家に同居する姑と桜子との間に流れる微妙な空気感とか、病院の未熟な部下に対するあかりの指導ぶりや、それに応えようと懸命の若い部下との交流の丁寧な描写もいい。

特にユニークなのが、離婚調停の相手、純の夫である。学者であるらしいこの男は、裁判でも理論立てた冷徹な話しぶりで、人間的な温かみが感じられない。これでは純が離婚したくなるのも当然だと思えて来る。それでも夫は純を愛しており、離婚はしたくないと言い張る。

ところが、2度目のワークショップとなる、芙美の夫が企画した新進女性小説家の朗読会で、作家の対談相手の予定だった、1度目のワークショップの講師・鵜飼がドタキャンしてあかりとトンズラしてしまった為に、たまたま参加していた純の夫に代役を頼む事となる。

この夫が、ここでは見事に代役をこなし、作家との対談をスムースに進めて行く。急な登壇にも関わらず。
観客は、最初は嫌な奴だと思っていたこの夫に対する認識がちょっと変わり、変わり者ではあるが意外と悪い奴でもないと思い始める。本当に、純を愛しているのかも知れないとも考え始める。

人間とは、いろんな側面があり、誰だっていい面もあれば欠点も持っている。そうした人間同士が、どうやって分かり合え、コミュニケーションを繋ぎ留めて行くべきか、考えさせられる。

ただ、その後の打ち上げの席では、桜子や芙美はやはり話していていたたまれなくなり、飛び出してしまう事となる。これも分かるだけに、人間とはなんとも複雑で、だから面白いとも言えるのだと実感させられる。

この後も、桜子夫婦、芙美夫婦の間にも亀裂が生じ、純は夫から逃げ、フェリーに乗っていずこへともなく去って行く。結束が固かったと思えた4人の絆も、あっけなく崩れる。
夫婦愛も、友情も、人間関係なんて脆いものなのである。危ういバランスの上で成り立っている、と言えるのかも知れない。

ラストで、芙美の夫が交通事故に会い、病院で芙美とあかりは再会するのだが、屋上で会話する二人のシーンにわずかな救いを感じて、長い映画は終わる。

だが映画は終わっても、彼女たちの人生はこれからも続く。行方不明の純のその後も気になる。いろんな波乱があるだろうが、それを越えて、人は生き続けなければならない。

彼女たちのその後を描く、パート2が作られないかなとも思ってしまった。濃密で、豊かな時間を過ごさせてもらった5時間17分であった。題名通り、まさに“至福の時”(ハッピーアワー)を過ごさせてもらったと言えるだろう。

 
無論、いくつか欠点もある。素人役者にしては皆頑張ってはいるが、ぎこちなさが目立つ人もいる。特に作家の朗読会では、朗読にメリハリがなく素人っぽさ丸出し、それでも最初から最後まで朗読させているから冗長に感じてしまった。ここはなんとかして欲しかった。

それでも、そうした欠点を差し引いても、この映画には圧倒された。長い時間をかけて対象をじっと凝視する画面の力、従来の俳優という概念をうち破るワークショップ素人役者たちの演技、いずれも、これまで見慣れた従来の劇映画とはまったく異なる、新鮮な感動を覚えた。

これはもしかしたら、これまでになかった、新しい映画の誕生なのかも知れない。映画の、新しい革命、と言ってもいいだろう。

映画は、既に完成された芸術と言われて来たが、やり方によっては、まだまだ未知の可能性をを帯びているのかも知れない。そんな事まで思ってしまった。

 
“ワークショップに参加した素人俳優を起用しての映画つくり”という点では、昨年の映画賞で話題となった「恋人たち」(橋口亮輔監督)も同じ方法で映画を完成させている。同じ方法の新しい映画(どちらも傑作)が同じ年に登場したのも興味深い。2015年は、
“ワークショップ映画”というジャンルが誕生した、記念すべき年と言っていいのかも知れない。

偶然だが、どちらの作品にも、“足を骨折して松葉杖をついている主演者”が登場しているのが面白い(笑)。

長時間上映ゆえ、敬遠している人がいるかも知れないが、映画ファンなら是非観て欲しい秀作である。必見。    (採点=★★★★★

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(蛇足)
この映画を観てふと思い出したのが、黒澤明監督の「白痴」(1951)の上映時間に関するトラブルである。

当初完成した映画の上映時間は、4時間32分に及んだ。配給する松竹はこれでは興行に差し支えるから短縮せよと命じ、仕方なく黒澤監督は3時間2分にまでカットしたが、それでも長すぎると言われ、有名な「これ以上切るならフィルムを縦に切れ」という名言が飛び出す事となる。結果として東京等での先行ロードショーではこのバージョンで上映されたが、松竹系劇場での一般公開では2時間46分までカットされた短縮版で上映された。現在流通しているのもこの短縮版である。
カットされたエピソードの部分は字幕で説明されているが、それでは黒澤の意図したものとはならず、結果として映画は散々な不評で黒澤は相当落ち込んだという。

黒澤監督と言えども、商業映画である故、興行という壁の前では如何ともしがたかった訳である。

もし当初の通り、4時間32分の完全版だったなら、映画は批評的にはもっと高く評価されていたかも知れない。現在この完全版は観る事は出来ない。惜しい事である。

本作も、商業映画だったなら5時間17分ではとても配給会社がOKしなかっただろう。自主製作・配給のインディペンデント作品だからこそ可能だったわけである。
もし本作を、2時間半程度の短縮版で公開したなら、高い評価を得る事も、我々が感動するような作品にもならなかった気がする。そういう意味では黒澤「白痴」は不幸な映画であると言えよう。

それにしても松竹はなんで当初の完全版のネガを保存しておかなかったのだろうか。今だったらDVDで充分商売になるし劇場上映でも話題になるだろうに。
外国では、例えばデヴィッド・リーン監督「アラビアのロレンス」が当初の公開版より長い3時間47分の完全版でDVD化されている。1939年公開の「オズの魔法使」も未使用のカットはDVDの特典で観る事が出来る。

映画は、それが監督の意図であるなら、いくら上映時間が長くなろうとも思う通りに公開すべきである。公開が無理だったとしても、完全版フィルムは保存しておき、いずれは陽の目を見られるよう取り計らうべきである。その事を実感させられた、そして黒澤の無念に思いを巡らされた、本作の登場であった。

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コメント

私、疲れてる時に観たせいか、半分くらい爆睡してしまいました。

寝て起きて「あ、まだ終わってない」の繰り返しでした。

「愛のむきだし」や「ヘヴンズ ストーリー」は平気だったんですけどねえ・・・

投稿: タニプロ | 2016年1月31日 (日) 22:16

◆タニプロさん
ありゃー、寝てしまったのですか。もったいないですね。
鑑賞料金は通常の3倍じゃなかったですか。余計もったいない(笑)。
2時間ごとに休憩があるので、その時外の空気を吸ったりは出来なかったのでしょうか。
見逃すには惜しい秀作ですので、体調を整えて、再チャレンジする事をお奨めします。

投稿: Kei(管理人) | 2016年2月 2日 (火) 23:55

いやあ。嬉しいです。
やはり同じ感慨を抱かれていましたね。
ぼくもこれには「新しい映画の誕生」を感じました。

何はともあれ、
ドキュメンタリーと見まがうあの
ワークショップ。
そこからすべては動き出しました。

映画はまだまだ進化できる、
そのことを深く感じた作品でした。

投稿: えい | 2016年2月22日 (月) 23:13

◆えいさん
「ワークショップ映画」は今後の日本映画の一ジャンルになるかも知れないですね。
これまでも、山本政志監督主宰のワークショップ「シネマ☆インパクト」から、大根仁監督「恋の渦」というヒット作が誕生してますが、それが遂に映画賞を総ナメしたり、海外の映画祭で主演女優賞を獲得したりで、今や日本映画の流れをも変える大きな潮流になった気がします。
今後が楽しみですね。
しかし…こんな5時間もある長い映画は、出来たらあまり作らないで欲しいですね。体力が…(笑)。

投稿: Kei(管理人) | 2016年3月 6日 (日) 21:37

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