「の・ようなもの のようなもの」
東京の下町。落語家一門の出船亭に入門した志ん田(松山ケンイチ)は、師匠の志ん米(尾藤イサオ)の元で修行中。根っから真面目な性格の志ん田は、同居している師匠の娘、夕美(北川景子)に秘かな想いを寄せながらも言い出せない。ある日志ん田は師匠から、昔一門にいた兄弟子・志ん魚(伊藤克信)を探し出すように命じられる。一門のスポンサーである女会長(三田佳子)のご機嫌とりのため、彼女がお気に入りだった志ん魚を復帰させようという魂胆だ。志ん田はわずかな手掛かりを元に彼を探して訪ね歩くが、なかなかうまくいかず…。
故・森田芳光監督が「の・ようなもの」で商業映画デビューを果たしたのは1981年。亡くなられたのは2011年でちょうど30年目。それから5年を経て、森田監督の遺志を継ぐ形で「の・ようなもの」の続編が誕生した。切りのいい数字が並ぶのも面白い。
しかも興味深いのは、前作の主役・出船亭志ん魚(しんとと)をはじめ主要な登場人物を、35年前とまったく同じ役者(伊藤克信、尾藤イサオ、でんでん等)がそのまま演じている。こんなケースは珍しい。折りしも昨年、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」も、ハリソン・フォード、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャーらが前シリーズと同じ役を演じていると話題になったばかり(注1)。あちらは32年ぶりなのでこっちの方が年数は上回っている。どうでもいいが(笑)。
ただ、観る前は、今頃そんなものを作っても、と少々不安だった。森田監督の記念すべき出世作で、ファンが大事に思っている作品のイメージをぶち壊す事になりはしないかという懸念があった。そう思っていた人は多いのではないだろうか(映画記者の石飛徳樹氏も「森田監督が『椿三十郎』のリメイクをするって聞いた時と同じ(気分)」と語っている)。
ところが、観終わってそんな不安は吹き飛んだ。なんとまあ、見事に前作の作品世界を継承し、ウエルメイドなコメディに仕上がっていた。35年という時の経過を感じさせない、それでいて今の時代らしい空気感も醸し出されている。これなら、前作を愛好する映画ファンも楽しめるだろう。
監督は、「の・ようなもの」以来、「僕達急行 A列車で行こう」まで多くの森田作品の助監督・監督補を務めて来て、これが劇場映画監督デビューとなる新人杉山泰一。…ただ新人とは言っても、まさに助監督歴35年、既に56歳!という超遅咲きである。
しかしさすが、森田監督作だけでも16本の作品で助監督・監督補を務めた、森田監督の一番弟子とも言える存在で、森田ワールドを知り尽くしている方である(注2)。細かいニュアンスも含め、「の・ようなもの」の良さを壊す事なく、随所にオマージュを仕込みつつ、また独特のムードを持つ、いい雰囲気の作品になっていた。
主人公、出船亭志ん田(松山ケンイチ)はいつまでたっても前座でうだつが上がらない30歳前後の気の弱い男。このキャラクターも前作の主人公、伊藤克信扮する志ん魚を思わせる。この志ん田が志ん魚はじめ、さまざまな人と触れ合う事で人間的に成長して行く青春物語になっている点も前作と似ている。
冒頭からして楽しい。カップルが座っているベンチに志ん田が無理やり割り込んで座るシーンがあるが、これは前作で志ん魚がやったのと同じ行動で、これで前作ファンはまずニヤリとさせられる。うまい出だしである。しかも、いつの間にかカップルが消えて志ん魚に入れ替わっているという不思議なシーンとなる(この時点では互いに相手を知らない)。このツカミは意表を突いてて、ただのコメディにはしないという監督の意思も感じられた。うむ、いいぞ。
師匠である志ん米(尾藤イサオ) とその弟弟子である志ん水(でんでん)がごく自然な雰囲気で登場するシーンも、前作ファンにはウルッと来る場面である。…しかし尾藤イサオ、若い。35年前とほとんど変わらない(笑)。
志ん田が師匠に、行方不明の志ん魚を探すように命じられ、電車に乗ってあちこち移動するシーンが出て来るが、これは松山ケンイチが鉄道マニアに扮した森田監督の遺作「僕達急行 A列車で行こう」を連想させるのも楽しい。
そう思えば、本作には過去の森田監督作品に出演したゆかりの俳優が多数出演(多くはワンシーンだけのカメオ的出演)している。「僕達急行-」のピエール瀧、笹野高史、「間宮兄弟」の主演二人・佐々木蔵之介、塚地武雅、「<39>刑法第三十九条」の鈴木京香、「悲しい色やねん」の仲村トオル、「おいしい結婚」の三田佳子、「メインテーマ」の野村宏伸、そして「家族ゲーム」の宮川一朗太等々、また本作の北川景子の役名は「間宮兄弟」と同じ“夕美”である、といった具合で、さながら森田作品同窓会の趣き。なにげに豪華キャストである。これも森田監督が多くの人に慕われていた証しなのかも知れない。
やっと志ん田は志ん魚を見つけ出すが、志ん魚は元師匠の死後、もう二度と落語はやらないと誓い、落語を捨てて気ままにのんびりと暮らしていた。しかし志ん魚をお気に入りの会長の意向で、なんとか志ん魚を高座に上げなければならない。師匠に命ぜられ、志ん田は志ん魚との共同生活を始める事になるのだが、そうした生活の中で、志ん魚の自由な生き方を見て、落語に自信を失いかけていた志ん田が、自分に何が足らないかを次第に自覚して行き、志ん魚もまた不器用ながらも真摯に生きる志ん田の中に自分の若き日の姿を見て、失いかけていた落語への愛を取り戻して行くのである。
この二人の心の変化を、杉山監督は気負う事なく、まさに森田作品「の・ようなもの」を髣髴とさせるゆったりしたペースで丁寧に描いているのがいい。
ラストは、どうしても志ん魚が高座に上がらないままに、志ん田晴れの舞台がやって来るのだが、そこで志ん田が取った行動は…(注3)。
このエンディングにはいろんな意見もあるだろうが、私は志ん田のキャラクターに、35年間も森田監督の影の存在であった、杉山監督の奥ゆかしい人柄というか人生観が反映されている気がした。
志ん田の人生は始まったばかり。まっすぐに、自分の出来るペースで、ゆっくりと生きて行くのも悪くはない。心がほっこり和む、素敵な映画であった。
遅咲きの新監督、杉山泰一氏。次回作以降、どのような映画を手掛けて行くのか、見守って行きたいと思う。頑張れ、志ん田、じゃなく杉山監督。 (採点=★★★★)
(注1)「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」は行方不明となっているジェダイの騎士ルークを、修行中の若者レイが探す話がメインなのだが、本作も行方不明の志ん魚を修行中の若い志ん田が探し歩く、という具合にいろんな共通点があるのが面白い。しかもほぼ同時期に公開されている。両作は不思議な縁で繋がっているようだ。
(注2)考えれば、一人の監督(森田芳光)のデビュー作から、30年後の遺作に至るまで、ずっと同じ人(杉山泰一)が助監督をやっていたわけで、こんな例は映画史上初めてではないだろうか(調べたわけではないが知る限り)。
ギネスに申請出来るのではないか(冗談)。
(注3)ここで「出船亭志ん田」と書かれた演者名に、筆でちょこちょこっと書き足して「志ん魚」に変えるシーンが笑える。なるほど、“志ん田”というヘンな高座名はその為だったのか(笑)。
DVD[の・ようなもの」
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