「リップヴァンウィンクルの花嫁」
派遣教員の皆川七海(黒木華)は、SNSで知り合った鶴岡鉄也(地曵豪)と結婚するが、母は離婚し親族も少ない事を気にした七海は、なんでも屋の安室(綾野剛)に結婚式の代理出席を手配してもらう。ところが結婚早々、自宅に現れた不審な男に鉄也が浮気していると告げられ、話を聞きに行ったホテルで襲われそうになるが安室に助けられる。だがそれが何故か鉄也の母に筒抜けとなり、逆に浮気の罪をかぶせられて家を追い出されてしまう。途方に暮れた七海に救いの手を差し伸べたのはまたも安室だった…。
岩井監督の前作である、昨年公開のアニメの「花とアリス殺人事件」 は、最近パッとしなかった岩井監督としては久しぶりの秀作だった。その作品評で私は、“岩井監督は10年ごとにしか傑作を生み出せていない”と書いてしまったのだが、その1年後に公開された本作は、なんとまたまた傑作、それもおそらくは、岩井監督作品の中でも最高傑作ではないかと思える素晴らしい出来であった。上映時間は3時間もある長大作なのだが、まったく退屈する事もなかった。今の所、私の暫定ベストワンである。
(以下ネタバレあり)
主人公の皆川七海は、気が弱く友人も少ない。声も小さくて学校の授業でも生徒から「声が小さくて聞こえません」と言われ、教壇にマイクを置かれてしまうほど。そして世間常識にも乏しいせいか、冗談で置かれたマイクを使ってしまって学校から咎められ、それもあってか派遣教師をクビになってしまう。
こんな事で生きて行けるのかと、観ている方も心配になって来る。さらに、他人とのコミュニケーションも、SNSやネットを介してでしか出来ないようだ。結婚相手もSNSで選ぶし、学校の授業は頼りないのに、パソコンでの遠隔授業による家庭教師だと普通にこなすばかりか、逆に相手から信頼されているくらいである。
まさに、今の時代を象徴するような生き方である。現実よりも、ヴァーチャルな世界に軸足を置いているかのような彼女の人生は、やがてとんでもない波乱に巻き込まれて行くのだが、その直面する事態もどこか非現実的で謎めいている。
結婚式に出席する親族が少ない時に、偽の親族を派遣する商売がある、というのも面白い。これ自体がヴァーチャルな仕事である。
この仕事を請け負っている、なんでも屋の安室(綾野剛)という男のキャラクターがユニークである。なにしろ、なんでも屋以外に役者もやってて、その芸名が“市川RAIZO”というのがケッサクだ。安室のフルネームが“安室行枡”(あむろ・ゆきます)というのも人を食っている。これも偽名だろう。
やがて、七海の夫が浮気していると訴えて来る男が現れ、言われるままに指定されたホテルへ行った七海は、以後坂を転がり落ちるように不幸の連鎖に見舞われる。七海の方が浮気していると証拠写真を見せられ、離婚を言い渡されて夫の家も追い出され、当てもなく町を彷徨い、自分が今どこにいるかも分からなくなってしまう。まるで悪夢を見ているかのように。
こうして、奈落の底に突き落とされた七海という女性が、以後そこから懸命に這い上がり、現実を見つめ、他人とのコミュニケーションを次第に強く持つようになり、人間的にも成長して行くのである。
七海を演じた黒木華がここでも素晴らしい演技を見せる。ラストで、冒頭の弱弱しい姿とは見違えるほどに、元気で明るく、安室との別れ際に握手し「ありがとうございます」と大きな声で礼を言うのが印象的である。
安室が、最初は詐欺師のような行動を取るのでイヤな奴かと思ってしまうが、やがて物語が進むうちに、実は七海の成長を手助けする、七海の人生の水先案内人(注1)ではないだろうかと思えて来る辺りもうまい。この難しい役を絶妙にこなした綾野剛も素晴らしい。
七海と大きな屋敷で共同生活をするようになる、真白(Cocco)という女性も面白い。演じるCoccoの本職は歌手だそうだが、不思議な存在感がある。ネタバレになるのでここでは書かないが、ある秘密を持っている。七海は、真白に惹かれて行き、女同士の絆を深めて行く。
ヴァーチャルな世界でしか人との繋がりを保てなかった七海が、初めて現実の人間と心を通わせる事が出来た相手である。
純白のウェディング・ドレスを二人で纏って戯れるシーンは、幽玄の美しさを感じさせる本作中の白眉である(真白という名前も含めて、“白”繋がりであるのが面白い)。
この二人の交流シーンは、岩井監督の「花とアリス」の花(鈴木杏)とアリス(蒼井優)の関係をも想起させる。この二人も劇中で純白のバレエ衣装で踊っていた(注2)。
「アリス」繋がりで連想するなら、七海に次々と襲い掛かる災難は、ルイス・キャロルの童話「不思議の国のアリス」でアリスがウサギ穴を転がり落ち、そこで体験する災難の連続をふと思わせる。本作における、七海を導く安室のキャラクターは、「-アリス」の映画化作品「アリス・イン・ワンダーランド」でジョニー・デップが演じていた、迷宮案内人のマッドハッターとどこか似ている気がするし。
そう言えば、「アリス・イン-」にはアン・ハサウェイが扮する“白の女王”という登場人物もいた。やはり“白”で繋がっているのである。
童話繋がりで言うなら、この物語自体が童話のような雰囲気である。それで思い出したが、七海と真白のSNS上のハンドルネームがそれぞれ“カンパネルラ”と“リップヴァンウインクル”(題名はここから来ている)だったのだが、前者は宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」の登場人物、後者はアメリカの小説家ワシントン・アーヴィングによる、森の奥で眠り込んだ主人公が目覚めたら20年が経っていたという、これまた童話のような物語の主人公。これは、この物語が童話である、という作者の目くばせなのだろう。
真白の母を演じたリリイもいい。[AV女優]になった娘を嫌悪しながらも、それでも娘を思う母の愛に打たれる。裸になって泣きながら心情をさらけ出すこのシーンには泣けた。本年度の助演女優賞候補であろう。その母の姿を見て感動を覚える七海。この時の黒木華の表情がとてもいい。彼女も主演女優賞候補に挙げたい。
終わってみれば、あっという間の3時間だった。濃密な時間を過ごさせていただいた。
何度でも観たくなる。観るたびに、新たな発見があるかも知れない。今年観た、やはり長時間の「ハッピー・アワー」と並ぶ、日本映画に新風を巻き起こす傑作と言えるかも知れない。岩井俊二監督の復活と新たな飛躍にも拍手を送りたい。必見。 (採点=★★★★★)
(注1)主人公の名前は「皆川七海」である。この名前は、主人公が人生の“川”を下って、やがて大海(=七つの海)に船出して行くまでの物語である事を暗示しているのだろう。
(注2)そう言えば、前作「花とアリス殺人事件」のエンドロール後に、実写の予告編らしき映像が登場していたが、あれは本作の事だったのだろう。
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コメント
この映画の個人的キーポイントって「篠田昇亡き後の、新たな岩井俊二映画」だと思ってます。
たしか篠田昇が亡くなった時に「身体が半分無くなったみたい」と言ってた監督ですし、「花とアリス殺人事件」の時に「篠田さんに捧ぐ」と言ってたくらいなので。
投稿: タニプロ | 2016年4月13日 (水) 00:36
やっと今日見ました。上映館が少なくて、、、
とても面白かったのですが、色々と解釈には悩みます。
黒木華は本作でも素晴らしいですね。
彼女を見ているだけで楽しい。映画は女優だ!と言いたくなります。
綾野剛は怪しげな役を好演していますが、この役の解釈にちょっと悩みました。
前半はメフィストテレスというか悪魔みたいな役かと思いましたが、後半、連想したのは居残り佐平次。頼まれた仕事を完璧にこなすプロというか。
ただ、悪なのか善なのかが分からない所がまたいいですね。
Coccoという人は知らなかったのですが、確かに独特の存在感ありました。
七海のハンドルがカンパネルラなのは「幕が上がる」の楽屋落ちではないかと思ったのですが、、
考えすぎかな。
投稿: きさ | 2016年4月19日 (火) 22:52
◆タニプロさん
篠田さんは「undo」以来、岩井監督のほぼ全作品の撮影を担当していましたからね。
2004年の「花とアリス」以後12年間、国内での実写監督作品がなかったのは、篠田さんを失った事が起因していたのかも知れませんね。
本作のカメラマン、神戸千木(かんべ・ちぎ)さんとは、2012年の岩井さんが監督した東北大震災ドキュメンタリー「friends after 3.11【劇場版】」で組んでいます。これでやっと、“篠田ロス”から脱却でき、本作に繋がったのかも知れません。
>「篠田昇亡き後の、新たな岩井俊二映画」
まさにその通りでしょう。次の岩井監督作品が楽しみですね。
◆きささん
綾野剛扮する安室は、本当に不思議なキャラクターですね。あえて正体不明に設定した所がユニークです。
なるほど、「幕末太陽傳」の居残り佐平次ですか。何でも器用にこなして、女郎たちから頼りにされている佐平次をちょっと思わせる所がありますね。
1作だけではもったいないですね。スピンオフで、安室を主人公にしたドラマを作っても面白いかも知れませんね。
投稿: Kei(管理人) | 2016年4月21日 (木) 00:20
インタビューとかを読むと監督も安室の正体はあえて描いていない気がしますね。
監督は映画のテーマはサービスと発言しているので、まさに安室ですね。
安室が主人公のスピンオフ私も見てみたいです。
投稿: きさ | 2016年4月21日 (木) 23:52