「ひそひそ星」
人類は数度にわたる大災害と大きな失敗を繰り返して衰退の一途にあった。宇宙は今、機械によって支配され、人工知能を持つロボットが8割を占めるのに対し、人間は2割にまで減少している。アンドロイドの鈴木洋子(神楽坂恵)は、相棒のコンピューター“きかい6・7・マーM”と共に宇宙船レンタルナンバーZに乗り込み、星々を巡って人間の荷物を届ける宇宙宅配便の配達員をしていた。さまざまな星に“記憶に関する荷物”を届ける単調な日々。ある日洋子は、30デシベル以上の音をたてると人間が死ぬ可能性のある「ひそひそ星」に住む女性に荷物を届けに行くが…。
昨年は4本もの映画(いずれも賑やかな娯楽作品)を量産した園子温監督だが、自身が設立した独立プロダクションで自主製作で作り上げた本作は、一転してモノクロの静謐なアート系作品。量から質、動から静と、何から何まで昨年とは正反対である。
脚本は25年前に書き上げていたが、製作資金を出す所がどこもなく頓挫、画コンテだけはその後もコツコツと描き溜めていたという。ようやく監督として売れっ子となって資金も目途がついたので、自分のプロダクションを立ち上げ、気兼ねなく思い通りの映画を作り上げた。昨年やたら映画を撮りまくったのは、この作品の資金集めだったのだろう。
それにしても、最近のド派手でハジケまくっていた作品からは想像もつかない、静かで観念的で、最初から最後まで同じような配達シーンが繰り返されるだけの、ある意味退屈な作品である。映像も一瞬を除いて、ほぼ全編モノクロである。
多分、最近の園監督作品を観てファンになった観客は、面白くないと不満を洩らすに違いない。これからご覧になる人はそのつもりで。
(以下ネタバレあり)
だが、デビュー当時の園監督作品を知っているファンなら、むしろ初期作品に近いムードに、懐かしさを感じるだろう。本来は25年前に作りたかった作品なのだから。
過去の作品で言えば、1994年の「部屋/THE ROOM」にタッチが似ている。こちらもモノクロ作品で、登場人物はひそひそ喋ってるし。
本作は、園監督が25年前の初心に戻って、原点回帰した意欲作である。これもまた、まぎれもなく園子温監督の世界なのである。
主人公のアンドロイド、鈴木洋子は宇宙船に乗っていろんな星に荷物を届ける宇宙宅配便の配達員。宇宙船の乗組員は彼女一人だけ。話し相手はコンピューターだけの孤独な日々である。
だが人間なら寂しさに心が折れるかもしれないが、洋子はアンドロイドだからそんな感情はない。まさに機械的に職務を忠実にこなしている。
面白いのは、宇宙船の外観は昭和レトロな瓦屋根の木造アパート風(テレビのアンテナまで立ってるのがおかしい)。内部も畳張りで、マッチで火をつけるコンロに流し台、タンスとこちらもレトロチック。天井の電灯には蛾が迷い込んでいたりする。彼女の日課は急須にお茶を淹れて飲むこと(アンドロイドなのにお茶を飲むのかとのツッ込みは無視)。
宇宙空間を、瓦屋根アパート外観の宇宙船が航行する絵柄がなんともシュールである。
そして届け物の中身は帽子や洋服、子供の乳歯、古びたフィルムの切れ端など、小物ばかり。
これらはどちらかと言うと、人間にとっての思い出の品であるようだ。彼女が配達しているのは、荷物ではなく、“過去の記憶”なのである。
監督自身もプロダクション・ノートで「居場所を追われたり、家を失ったりした、わずかな地球人は、常に思い出を頼りに生きている。そんな彼らのために『記憶の宅配便』が宇宙を運行している」と語っている。
人間は、度重なる災害と大きな失敗で衰退し、大地は荒れ果て、住む所も失い、もはや絶滅の危機にある、という設定。未来に対して、何の希望も残されておらず、ただ滅亡を待つだけの存在でしかない。
ちなみに、“災害や大きな失敗”とは具体的には描かれていないが、画面に登場する荒廃した大地を、震災と原発事故が起きた福島県南相馬市や浪江町でロケを行っている事からも推察出来る通り、原発や核兵器等の事故あるいは人為的暴走も含む“原子力の暴発”を示唆しているのだろう。
それにしても、現実の福島の、原発事故の為ゴーストタウン化した町の風景には息を呑む。
建物は荒廃し、津波で打ち上げられた船舶が今も何隻も残されたまま。
映画で語られる、人類絶滅の危機を示す絵としてピッタリだ。これまでも「ヒミズ」や「希望の国」で原発問題と向き合い、福島の悲惨な光景を映画に取り入れて来た園監督ならではである。
映画は、洋子がいろんな星に降り立ち、わずかに残った人類に荷物を渡し、また別の星に向かう、というパターンを何度も繰り返すだけ。
その星の風景はほぼすべて福島の被災地であり、登場する人類を演じているのは福島の住民の人たちである、というのも意図的である。
そして圧巻はラストシーン。30デシベル以上の音をたてると人間が死ぬ恐れがあるという“ひそひそ星”の回廊を洋子が進むと、その両側には障子の影絵で、日々の人間の営みや家族の団らん、子供の遊びから老人の暮しぶりまでが写しだされている。その光景はどこまでも続いている(下写真)。ここは感動的である。
影絵でない実際の人間が登場するのは、洋子から荷物を受け取る手のみ。荷物を開けた人物はそれを見て泣き崩れる。おそらく今は亡き人の形見の品なのだろうか。
私の想像だが、あの影絵はプロジェクターから投影された記録映像=即ち虚像であって、実際に生きている人間は荷物の受け取り人だけではないだろうか。
つまりはこの影絵も、“過去の記憶”に過ぎない。人間がまだ幸せだった頃の、今は失われてしまった思い出の映像なのだろう。人間の営みのパターンが一通り揃ってる事からも推察出来る。
文明の進歩、科学の発展と引き換えに、人類は大切なものを失ってしまったのではないか。もはや楽しかった日々は、過去の記憶の中にしか残っていないのではないか。
映画は、どこまでも荒廃した大地を一人歩き去る洋子の後ろ姿で終わる。
アンドロイドの洋子の宇宙の旅は、やがてすべての人類が絶滅するまで続くのではないか。そう思わせる、哀しい幕切れであった。
テーマとなっている“ひそひそ星”であるが、30デシベル以上の音をたてると人間が死ぬというのは、多分、絶望の余り大声で泣き叫んだり、怒りの声を上げてはいけないという制御意識へのメタファーではないだろうか。
感情を露わにするよりも、過去の思い出に浸って静かに生きる方がまだ人類にとっては幸せではないかという事なのだろう。
25年前は、荒廃した地球というビジュアルを映像化するには、かなりの予算が必要だっただろうし、映画化を断念したのもそのせいだろう。
東北大震災を経て、現実にそんなビジュアルが目の前にある。25年前は空想でしかなかった事が現実に起きてしまった。その事がこの映画の製作を実現に導いたのというのは、実に皮肉である。
こんな絶望の未来を招かない為にも、人類は今のうち、何を考え、何をすべきか、その事を園監督は訴えたいのだろう。
SF映画として壮大なテーマを持ち、問題提起を我々に突きつける本作。やや観念が先行し、舌足らずな所もあるが、本年の問題作として観ておくべき作品である。 (採点=★★★★☆)
(で、お楽しみはココからだ)
本作には、いくつかの名作SF映画へのオマージュが仕込まれている。
すぐに気がつくのは、スタンリー・キューブリック監督の記念碑的傑作「2001年宇宙の旅」である。洋子の話し相手であるコンピューター、“きかい6・7・マーM”は「2001-」におけるコンピューター、HALを思わせるし、特にラストの長い移動撮影で描かれる影絵のビジュアル・イメージは、「2001-」のクライマックスの“スターゲイト突入”シーンを思わせる。
あの映画における、ラストのロココ王朝風の部屋のイメージは、宇宙人が人類の過去の記憶を元に作ったものだ、という説もある。
アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」もオマージュされてるようだ。これは、ソラリスの海は人間の記憶から汲み出されたイメージを実体化させる力を持っていた、というお話。
面白いのは、この映画の中でタルコフスキー監督は、未来都市のビジュアルとして、東京の首都高速道路の実景を使っている。
どちらの作品にも“日本の現実の実写風景を、未来のイメージとして利用する”という共通点があるのも不思議な縁である。
タルコフスキー監督と言えば、もう1本のSF映画として「ストーカー」(1979)があるが、この映画には“ゾーン”と呼ばれる廃墟の彼方に原子力発電所が登場しており、後に発生したチェルノブイリ原発事故を予言した映画だとも言われている。これも本作のテーマと共通していて興味深い。映像もモノクロのシーンが印象的である。
本作に何度か登場する、水道管から滴り落ちる水のアップシーンは、水のイメージを多用するタルコフスキー監督にオマージュを捧げたのではないだろうか。
さらに私が思い起こしたのは、スタンリー・クレイマー監督の傑作「渚にて」(1959)である。
全世界で核戦争が起こり、地球の北半分は絶滅し、南半球も放射能汚染によって、人類は絶滅の危機に晒されているという状況下で、原子力潜水艦が調査の為南半球へ航行し、無人となった各地の惨状を目撃する、というお話。
核戦争で人類が滅びる、という映画はこの時代、米ソ冷戦の緊張を反映して数多く作られている。
そんな中、名匠スタンリー・クレイマーが監督したこの作品は、アクションもSFXも登場しない、極めて静かで格調高い作品に仕上がっていた。
人類が絶滅の危機に瀕した状況下、誰もいない、荒涼とした無人の風景が広がる土地を、主人公たちが巡り訪れる、という展開が本作とよく似ている。
そうそう、キューブリック監督もやはりこの時期、核戦争で人類が滅びるパターンの秀作「博士の異常な愛情」(1964)を作っているというのが面白い。
奇しくも、どちらの監督も名前が“スタンリー”だ(笑)。
最後にもう1本。ダグラス・トランブル監督の「サイレント・ランニング」(1972)。未来において、地球上の植物はほとんど絶滅し、僅かに残った植物を宇宙船に乗せて宇宙を航行する男の話。
僅かに残された人類の大切な物を宇宙船で運ぶ孤独な乗組員、という共通性があるし、タイトルからして、“サイレント”である。“ひそひそ”はここから出てきたのではないだろうか。
ちなみに、ダグラス・トランブルは前述の「2001年宇宙の旅」のスターゲイト・シーンなど、主要なSFXシークェンスの特殊効果を担当した人でもある。
てなわけで、キューブリック監督を中心に、みんな繋がって来るのである。
DVD「惑星ソラリス」 |
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DVD「2001年宇宙の旅」 |
DVD「渚にて」 |
DVD「サイレント・ランニング」 |
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