「ヴィクトリア」
2015年・ドイツ
配給:ブロードメディア・スタジオ
原題:Victoria
監督:セバスチャン・シッパー
製作:セバスチャン・シッパー
脚本:セバスチャン・シッパー、オリビア・ネールガード=ホルム、アイケ・フレデリーケ・シュルツ
撮影:シュトゥールラ・ブラント・グレーブレン
一人の少女が未明から明け方まで体験する出来事を、140分まるまるワンカット・リアルタイムで撮影した異色のサスペンス。監督は「ギガンティック」のセバスチャン・シッパー。主演は「タイム・ハンターズ 19世紀の海賊と謎の古文書」のスペイン出身女優ライア・コスタ。2015年ベルリン国際映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞した他、同年のドイツ映画賞でも作品賞を含む6冠に輝いた。
3カ月前に母国スペインのマドリードからドイツ・ベルリンにやって来たビクトリア(ライア・コスタ)は、クラブで踊り疲れて帰宅する途中、夜明け前の路上で地元の若者4人組に声をかけられる。まだドイツ語を話せず寂しい思いをしていた彼女は、4人と楽しい時間を過ごすが、実は彼らは裏社会の人物への借りを返すため、ある仕事を命じられていた。リーダー格のソンネ(フレデリック・ラウ)に好意を抱き始めていたヴィクトリアは誘われるまま彼らと行動を共にするが、その行く手には悪夢のような危険が待ち受けていた…。
カット割がなく、まるまるワンカット撮影の映画…というのは映画人なら一度はやってみたい、という誘惑があるのだろう。
かつてヒッチコック監督が、「ロープ」(1948)でそれをやろうとした事があった。カメラに入るフィルムは1巻・約10分しかないので、1巻分をまるまるワンカットで撮影し、巻の継ぎ目では人物の背中とかトランクを開けた時とかで黒味が入るようにし、シームレスで繋がっているように見せていた。
当時としては大胆な実験だったけれど、継ぎ目の黒味がいかにもわざとらしく、観ている方も「あ、ここでフィルム交換したな」と気がついて(笑)、そんな調子で撮影方法ばかりに気を取られて物語の方に神経が行かず、あまり楽しめなかった。ヒッチの自己満足に終わった失敗作というのが一般的な評価である。マネする人も出なかった。
デジタル時代になると、フィルムを取り替える必要もなく、2時間を越えてもずっとワンカットでも撮影(及び上映も)が可能となったので、やっぱりやりたくなった監督が増えて来た。
既にわが国でも、三谷幸喜が自分の脚本・監督で2011年に「short cut」をWOWOWのテレビドラマとして制作し、これは全編ほとんど一組の夫婦が山の中を歩くだけの物語で、ちょっと単調ではあったがまずまずの出来だった。これに味を占めて2013年には、同じWOWOWで「大空港2013」をやはり全編ワンカット撮影で制作。こちらは前作と違って多彩な登場人物が入り乱れるが、脚本がよく練られていて好評だった事もあり、劇場公開もされた。
最近では、第87回アカデミー賞で作品賞、監督賞などに輝いた「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」がある。ただし撮影はカットを割って行い、後でデジタル処理で加工して、あたかもワンカットであるかのように見せた擬似ワンカット映画である(しかも時間も飛ぶ所もある)。
そこで登場した本作は、なんと2時間20分の間、デジタル加工も行わず本当にワンカットで撮影した作品であり、実際の時間と上映時間もリアルタイムで一致している。
しかもプロダクション・ノートによると、登場人物たちの大まかな動きを記した、わずか12ページの覚え書きを土台に、ほぼぶっつけ本番で撮影を敢行し、セリフは俳優たちの即興も交え、撮影中に起こった予定外のハプニングもそのままカメラに収めていったという。カメラマンも大変だったろう。
そんな風に撮ったものだと、「ロープ」の時のように撮影技巧に気を取られて物語に集中出来ないのではないか、という危惧も頭をよぎった。
(以下ネタバレあり)
ところがいざ映画が始まると、手持ちのカメラがいかにも自然にヴィクトリアたち若者に密着し、その生態をじっくりと捕えようとしているかのようで、まるでドキュメンタリー映画のようなリアルさが感じられた。
最初の方は、延々と会話が続いたりするので少々退屈に感じられるが、中盤から若者たちが裏社会の男に唆され、銀行強盗を決行する辺りからテンションが上がり、カメラは文字通り主人公たちと疾走を開始するのである。
ヴィクトリアは最初は好奇心から若者たちと行動を共にし、やがて優しく気遣ってくれるリーダー格のソンネに好意を抱いた事から、なりゆきで銀行強盗にも運転手役を買って出て彼らと共犯関係になって行く。
警察に追われ、走り逃げる彼らをカメラも走って追いかける。この疾走感が凄い迫力で、観ている我々観客も彼らと一緒に行動しているかのような錯覚を覚える。
カメラはヴィクトリアたちと共に、エレベーターに乗り、建物の階段を駆け上がり、あるいはタクシーにも一緒に乗り込み、下車し、と、広範囲な空間を自在に移動する。
途中でNGでも出したら、また一からやり直さなければならない。その緊張感は半端ではない。観ているこちらまで、失敗するなよとハラハラしてしまう。
ラストは、この手の犯罪映画のお決まりパターン通り、若者たちは警察に追われ、自滅して行くのだが、物語の芯は、最初は普通の少女だったヴィクトリアが、修羅場をくぐり抜け、したたかに強い人間へと変貌して行くプロセスにある。
カメラが彼女にピッタリ密着しているが故に、これはまさしく一人の少女の、140分間の成長を記録したドキュメンタリーであるかのようである。空の色も漆黒の夜から夜明けまで徐々に変わって行く所もドキュメンタルだ。
ヴィクトリアを演じたライア・コスタの熱演も特筆ものである。140分間、メイクを変える暇もないのに、冒頭とラストでは明らかに表情が変わっている。途中では難しいピアノ曲も演奏している。
いやはや見ごたえのある映画だった。全編ワンカットが売りではあるが、見終わってみれば、ワンカットであった事など忘れてしまうほど興奮させられた。
これは、全編ワンカット撮影映画(そう呼ばれるジャンルの映画もこれから増えそうだ)の歴史を新たに切り開いた映画である、と言えるだろう。ただヴィクトリアが何故初めて会った男たちの危険な犯罪に逡巡する事もなく加担したのか、その心理が読み取れない等、多少の難点はあれど、それらをカバーして余りある力作だった。
本年初の「ハッピー・アワー」鑑賞の時にも感じたが、既に完成された芸術と言われて来た映画であるけれど、デジタルという技術を得て、まだまだこれからも進化の余地があると言えるかも知れない。今後が楽しみである。 (採点=★★★★☆)
(付記)
監督のセバスチャン・シッパーはあまり知られていないが、我が国で公開された監督作品としては、2002年公開の「ギガンティック」(1999)がある。
私は観ていないが、紹介によると“3人の少年たちのとりとめのない一夜をヴィヴィッドに描いた青春ドラマ”らしい。
本作の、夜のベルリンの街でとりとめもなく一夜を過ごす4人の若者たちは、この作品が原型になっているのかも知れない。ちょっと観てみたい気がする。
で、この「ギガンティック」のプロデューサーが、トム・ティクヴァ。
トム・ティクヴァと言えば、1998年製作で、翌年我が国でも公開された「ラン・ローラ・ラン」の監督である。
この作品もまた、“ローラという少女が、恋人の命を救う為、夜のベルリンの街を走り抜ける、疾走感溢れる快作であった。これも本作と共通する要素である。
どうやら本作は「ラン・ローラ・ラン」→「ギガンティック」→本作という流れで受け継がれて来た、“ドイツの夜の街を徘徊、あるいは疾走する若者たち”映画の系譜に繋がる作品である、と言えるのかも知れない。
ちなみにトム・ティクヴァ監督はその後アメリカに渡り、アンディ&ラナ・ウォシャウスキー姉弟との共同監督で「クラウド・アトラス」(2012)を監督している。
ウォシャウスキー姉弟もまた、「マトリックス」で、デジタル技術(CG)を駆使してまったく新しい映画を世に送り出した人たちである。本作の撮影技術と合わせて考えれば、興味深い繋がりであると言えよう。
DVD「ギガンティック」
DVD「ラン・ローラ・ラン」
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