「素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店」
2015年・オランダ/CONTENT MEDIA CORPORATION、他
配給:松竹
原題:De Surprise
監督:マイク・ファン・ディム
脚本:マイク・ファン・ディム
撮影:ロジェ・ストファーズ
製作:エルス・ファンデボルスト、マイク・ファン・ディム、ハンス・デ・ビールス
人生に嫌気がさした大富豪の男が、謎の代理店が提供する自殺幇助サービスを受けようとした事から巻き起こる騒動を描いた不思議な味わいのコメディ。監督・脚本は「キャラクター 孤独な人の肖像」で第70回アカデミー外国語映画賞を受賞したマイク・ファン・ディム。主人公は「LOFT 完全なる嘘(トリック)」などのオランダのコメディ俳優イェルーン・ファン・コーニングスブリュッヘと「人生はマラソンだ!」のジョルジナ・フェルバーン。
オランダの貴族で大富豪の一人息子ヤーコブ(イェルン・ファン・コーニンスブルッヘ)は広大な屋敷に住み何不自由なく暮していたが、楽しみのない人生に嫌気がさしていた。母が亡くなった事をきっかけに彼は自殺を試みるが、何故かなかなか死ねない。そんなとき偶然ある人物の自殺幇助の現場を目撃したヤーコブは、そこで拾ったマッチ箱に記された謎の代理店を訪ねてベルギーへ行き、“いつ、どこで、どうやって死ぬか分からないサプライズコース”を申し込む。ところがそこで出会った、同じコースを申し込んだというアンネ(ジョルジナ・フェルバーン)に惹かれたヤーコブは、もう少し生きてみようと思い直すが、代理店の殺人サービスは一切取消が出来ない。かくしてヤーコブとアンネは、謎の代理店の厳しい追跡をかわしながら逃げる事となるが、その先にはさらに思いもよらぬサプライズが待ち受けていた…。
オランダからやって来た、ちょっと風変わりなコメディ。監督のマイク・ファン・ディムは監督デビュー作「キャラクター 孤独な人の肖像」(1997)でいきなりアカデミー外国語映画賞を受賞し、ハリウッドからオファーが殺到したが、すべて断り続け、母国でCM演出だけを引き受けてきたという。これが長編第2作目というから、なんと前作から18年もの間長編映画を撮っていなかった事になる。
前作は、親子の確執を描いたシリアスな作品だったが、本作は一転してトボけた、どちらかというとブラックな、それでいてチャーミングでもある不思議なコメディである。
主人公ヤーコブは、大金持ちで、手に入れられる物はすべて手に入れて来たはずである。なのに、生きている実感がなく、死にたいと願っている。我々庶民から見ればぜいたくな悩みなのだが、この辺り、同じように大富豪で何でも手に入れたはずなのに心は満たされなかった主人公の孤独が描かれたオーソン・ウェルズ監督の傑作「市民ケーン」を思い出す。ケーンの屋敷はザナドゥと呼ばれていたが、ヤーコブの屋敷もまさしくザナドゥである。
そういう意味では、冷酷に見える男の、屈折した心の内面を描いた前作「キャラクター 孤独な人の肖像」とも、根っ子でテーマが繋がっているのかも知れない。ちなみに「キャラクター-」の主人公の名前も同じヤーコブであった。
さて、そんな主人公が何度か自殺を試みるも、いつも失敗したり邪魔が入ったりてなかなか死ねない。そしてひょんな事から、自殺幇助を行う謎の旅行代理店の存在を知り、ベルギーにあるその代理店を訪れ、いろんなコースの中で、“いつ死ぬか分からないサプライズ・コース”を依頼する。
ちなみに、オランダとベルギーには、安楽死を認める法律があるそうだ。ファン・ディム監督がこの物語を思いついたのも、“自分の死の形を選択出来る”その法律の存在を知っていたからだろう。
ところが、その代理店で、やはり自殺志願で、同じサプライズ・コースを依頼したアンネと知り合い、やっと生きる目的を見つけたヤーコブは死ぬのを思いとどまるのだが、契約の取り消しはいかなる事があっても出来ない。かくしてヤーコブはアンネともども、追って来る代理店の殺し屋から逃げ回る事となる。
追いつ追われつの逃避行ではカーチェイスもあったりでスリリングで飽きさせないが、殺し屋たちの中に何故かインド系が混じっていて、いろんな国の言語が飛び交うし、どこかトボけていて笑える。
そして終盤では、さらなるサプライズがあって、これは予測出来なかった。とにかく面白い。
オチは観てのお楽しみだが、この映画で重要なポイントはもう一つあって、それはヤーコブの屋敷で長年庭の手入れを行って来た、老庭師で執事でもあるムラー( ヤン・デクレール)の存在である。
彼は屋敷の全雇い人がヤーコブによって解雇された後でも、自分の意志で屋敷内に留まり、丹精込めて、バラの手入れを行っている。
それはまさに、ムラーの“生きがい”であり、全人生でもあった。
最後にムラーは、何の思い残す事もなく、静かに大往生を遂げる。その姿を見て、ヤーコブは“生きる事の意味”、“この世から別れる時の作法”を改めて彼から学ぶのである。
ゆるーいコメディの体裁を取りながら、この映画はそうした人間の生き方、死ぬと言う事の意味、人生についての根源的なテーマを我々に問い直して来るのである。
さすがはアカデミー外国語映画賞を獲った才人である。
ついでながら、ムラー役を演じた ヤン・デクレールは、そのアカデミー受賞作「キャラクター 孤独な人の肖像」で主人公ヤーコブの父でもう一人の主人公でもあるドレイブルハーブン役を演じた人でもある。両作はいろんな所で繋がっていると言える。
シニカルで、ほろ苦く、かつ心がほっこりするオランダ製コメディの佳作である。ウディ・アレン監督のちょいとブラックな方のコメディとも似ている気がする。観て損はない。 (採点=★★★★)
(さて、お楽しみはココからだ)
“自殺願望ながらなかなか死ねない男が、自分を殺す為に殺し屋を依頼する”というプロットで、映画ファンなら多分次の作品を思い出すだろう。
フィンランドのアキ・カウリスマキ監督作品「コントラクト・キラー」(1990)である。主役を演じているのがトリュフォー作品でお馴染み、ジャン=ピエール・レオというのも面白い。いかにもカウリスマキらしい、ビターな味の佳作だった。
ところで、このパターンの原型とも言える作品が日本の小説にある。
1959年に小林信彦氏が発表した短編「消えた動機」(新潮文庫「悲しい色やねん」所載)で、小林氏がまだ売れる前の失業中に書いたものだそうで、その当時の鬱屈した気分が作品に反映されているようだ。
医者に胃ガンと宣告された主人公が、生きる気力を失って自殺を試みるが、臆病な為死ぬ事も出来ない。たまたま耳にした情報を頼りに見つけた裏社会の殺し屋に自分を殺してくれるよう依頼するが、後で胃ガンが誤診であった事を知らされ、あわてて殺人の取り消しを頼もうとするが連絡が取れず逃げ回って…というやや暗い感じの作品。
「コントラクト・キラー」はこの作品とほぼそっくりの内容だったので、ちょっと驚いた記憶がある。盗作と指摘されても仕方ないと思えたが、特に誰も騒がなかったようだ。小林氏のコメントが聞きたいが、映画ファンの小林氏の事だからどこかに書いてるかも知れない。ご存知の方は教えてください。
で、この原作は後に松竹で映画化されるのだが、主演が坂本九で監督がなんと山田洋次。題名は「九ちゃんのでっかい夢」(1967)。
出だしはほぼ原作通りなのだが、お正月映画という事でもあり、なんとも賑やかだが、しまらないドタバタ・コメディになっていた。山田監督によると、会社から無理やり頼まれ、20日くらいで大急ぎで作った作品だそうだから、まあ仕方ないか。
原作は暗い内容なのになんでこんなコメディになったかと言うと、当時小林氏はテレビで坂本九がホストを勤めるバラエティ番組の構成を担当しており、その縁で坂本九主演の正月作品を企画していた松竹から、「何か面白い原作はありませんか」と聞かれ、コメディになりそうなのは「消えた動機」しかなかったのでこれを差し出したのだそうな。小林氏はどうせヒドい映画になるだろうと思って、クレジットの原作者名は“三木洋”という別名にした。監督が山田洋次になると聞いたのはその後である。
お話は、主人公の九ちゃんがスイスの大富豪の老婦人から、莫大な遺産の相続先に指名され、それを知った老婦人の甥から殺し屋を差し向けられ、自分が雇った殺し屋との双方から命を狙われ逃げ回る、というドタバタ騒動となる。
九ちゃんが密かに思いを寄せる美しい女性(倍賞千恵子)にも助けられたり、最後に九ちゃんは遺産を相続して大邸宅に住む大金持ちとなるオチ。
こう書けばお分かりだろうが、これがコメディであり、かついずれも原作にない、思いを寄せる美女が絡んで来たり、老婦人から遺産を相続して大富豪になったりと、ストーリー設定以外にも本作と共通する要素がいくつもあるのに驚く。ファン・ディム監督がこの山田作品を観ている可能性は低いが、全くの偶然にしては出来すぎている気がする。山田監督、本作を観たらどう思うだろうか。
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