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2016年7月 1日 (金)

「葛城事件」

Katsuragijiken2016年・日本/テレビマンユニオン
配給:ファントム・フィルム
監督:赤堀雅秋
原案:赤堀雅秋
脚本:赤堀雅秋
エグゼクティブプロデューサー:小西啓介
プロデューサー:藤村恵子

劇団THE SHAMPOO HATの赤堀雅秋が、初監督作「その夜の侍」に続いて再び監督を手がけた、自身の作・演出による同名舞台劇の映画化。無差別殺人事件を起こした加害者青年とその家族のドラマを描く。主演は「64 ロクヨン」二部作の三浦友和、「さよなら歌舞伎町」の南果歩、「明烏 あけがらす」でも共演した新井浩文と若葉竜也など。

親が始めた金物屋を継いだ葛城清(三浦友和)は、美しい妻・伸子(南果歩)と共に2人の息子を育て、念願のマイホームも建てて理想の家庭を築き上げたはずだった。しかし家庭を守ろうとする想いの強さが、いつしか家族を抑圧的に支配するようになっていた。長男の保(新井浩文)は従順だが対人関係に悩み、会社をリストラされたことも言い出せず公園で時間を潰す日々。次男の稔(若葉竜也)はアルバイトが長続きしないことを清に責められ、理不尽な思いを募らせたあげく、ある日突然、8人を殺傷する無差別殺人事件を起こす。そして伸子は次第に精神のバランスを崩し、心が病んで行く…。   

赤堀雅秋の監督第1作「その夜の侍」はなかなかユニークで面白い作品だった。詳しくは作品評を読んでいただきたいが、一人の男の復讐劇を通して、人間の心の内面に迫った考えさせられる秀作だった。
さすが、自身の作・演出による舞台も好評な赤堀監督だけの事はあると思った。

そして、やはりこれも3年前に上演され、同じく好評だった舞台劇の映画化である(注1)。そして主演が先ごろ公開の「64 ロクヨン」でも存在感を示した三浦友和。これは期待が高まる。早速観に行った。

(以下ネタバレあり)

下地となっているのは、2001年に大阪の附属池田小学校で起きた小学生無差別殺傷事件、いわゆる“附属池田小事件”である。映画では犯人が事件を起こした場所は繁華街で、対象も大人ばかりと、秋葉原無差別殺傷事件(注2)に近いが、犯人の家族構成やその後の顛末は附属池田小事件の場合とほぼ同じである。

ユニークなのは、殺傷事件を起こした犯人よりも、その家族、とりわけ父親に焦点が当てられている。むしろ三浦友和扮するその父親が主人公と言ってもいい。

映画の冒頭は、その父親、葛城清(三浦)が、'60年代後期に流行ったフォークソング「バラが咲いた」を低く歌いながら、自宅の壁面にスプレーで落書きされた“人殺し”、“死ね”などの文字を黙々とペンキで塗り潰しているシーンから始まる。

ここで既に、無差別殺傷事件は起きており、映画はそこから何度も過去に遡り、葛城家がいかにして崩壊の道を辿ったかを、家族それぞれの日常描写を通じて描いて行く。

この冒頭シーンで、殺人犯の父として世間から糾弾されてもどこ吹く風、引っ越そうともせず、泰然と構えている姿から、この男・清が結構ふてぶてしく傲慢で、どこか特異な性格を持っている事が示される。また、歌っている歌からは、繁栄と高度成長の昭和にノスタルジーを感じている事も分かる。こうした短いシーンで、主人公の性格と置かれた立場を一気に明示する、なかなか秀逸な出だしである。

親から受け継いだ店は、昭和の時代はまだ羽振りが良かったのだろう。一戸建の家を構え、家父長として妻と子供を意のままに押さえつけ、威厳を保ち続けている。まさに昭和の親父像である。

人のいる前ではことさらにその威厳を誇示する。家族で中華料理店に食事に行けば、昔より味が辛くなったとクレームをつける。カラオケに行けば一人マイクを独占し、ヘタな歌をがなりまくる(デュエット曲である「三年目の浮気」を一人で、男パートだけを歌うのがおかしいが、これはまた、他人と協調しないこの男の独善性をも露にしている)。

このなんとも迷惑で困った親父を、三浦友和が絶妙に怪演している。

今の時代では特異に感じられるかも知れないが、戦前から昭和中期(特に、「バラが咲いた」が流行った頃)までの間には、こんな家父長風を吹かすワンマン親父というのは結構どこの家にも当たり前にいた。
個人的な事を言うと、現に私の親父もそうだった。さすがに食堂でクレームをつけたりはしなかったけれど(笑)。

画面には登場しないけれど、清の父親も多分同じように家父長の威厳を振りかざしていたと思われる。戦前生まれの父親はまず例外なく家父長的だったし、女性も一段低く見られていて、妻は常に亭主に粛々と従っていた。
清はその父の姿を見て育ち、自分もこのような父親になろうとしたのだろう。
だが残念な事に、戦後の復興を終えた頃から女性の地位が向上し(「戦後強くなったのは靴下と女性」とも言われた)、反対に父親の威厳はどんどん低下して行った。
そんな風に時代は大きく変わったのに、この映画の清は、平成の時代になっても昔のままの父親像を維持しようとした。
それが悲劇の始まりであったのだ。

昔の父親は、家父長として家庭ヒエラルキーの頂点に君臨していたが、それで家庭内の秩序は保たれ、うまく行っていた。威厳ある父親は自分にも厳しかったし、それ故家族から信頼され、子供たちはそんな父親を尊敬し、模範として仰ぎ見ていただろう。だが清は、お世辞にも模範的な父親でもなく、家族から信頼されているようにも思えない。ただ、自分の父親が有していた家父長の威厳のみを、必死で守ろうとしているに過ぎない。

ある意味、清は父親にとって良き時代であった“昭和という時代”に今も囚われているかのようである。

奇しくも、同時期に公開されている「64 ロクヨン」でも三浦友和は松岡捜査一課長役を演じており、その松岡は「犯人をもう一度昭和に引き戻す」と宣言するのだが、本作では逆に三浦友和が昭和に引き戻されている、というのが何とも皮肉である。

 
数シーン登場する、家業の金物店で清が店番するシーンでも、客は一人も来ず、清は仏頂面で座っているだけ。これで商売が成り立つはずがない。
商売が繁盛する為に大事なのは、愛想良い笑顔、腰の低さ、話術の巧みさ等であるが、清はどう見てもどれも無理。
これから判断するに、商売がうまく行っていたのは彼の父親の代であろう。一戸建の家も、清の父が築いた財で建てたものだろう。厳しい見方をすると、清は何の取り柄もないダメ人間である。
おそらくは自分でもその事は自覚しているのだろう。だから余計虚勢を張って威厳だけを誇示し、家族を抑圧しようとする。これでは家庭が崩壊するのも当然である。

ポスターのコピーに「俺が一体、何をした。」とあるが、何かをした、のではなく、家父長としてやるべき事を、この男は何もしていない。そこに大きな問題があるのである。

長男の保(新井浩文)が人間的にひ弱で、リストラされた事を父に言えず、自殺してしまうのも、次男・稔(若葉竜也)が堪え性がなく、アルバイトも長続きせず、父から責められヤケクソになって無差別殺傷事件を起こしてしまうのも、清がきちんと我が子に向き合わず、親として、人生に大事な事を子供たちに教えて来なかったせいである。
もっとも、母親の伸子も、料理を作ろうとせず食事はコンビニ弁当ばかり。おそらくは子供のしつけも出来ず甘やかして育てた、そのツケが回って来たという事で、こちらも母親として失格である。無論彼女がそうなった責任の一端は清にもあるのだが。

女性と言えば、死刑制度反対を訴え、殺人犯の稔と獄中結婚する女性・星野順子(田中麗奈)も変わっている。池田小事件でも実際にいたらしいのだが、この人物も清同様に、自分が描く理想の姿に凝り固まっている。案の定、面会室で稔と対面しても、両者は全くかみ合わずズレたままである。清も順子も、自分では正しいと思っている事を、周囲の状況も顧みず突き進んでいる点で、両者は似たもの同士なのである。

妻も子も、家族すべてを失い、清は孤独の果てに自殺を図ろうとするが、それも失敗してしまうカッコ悪さ。
その後清は、また黙々とスパゲティを食べるシーンで映画は終わるのだが、前作でも主人公は黙々とプリンを食べていたのを思い出す。

 
無差別大量殺人という、センセーショナルな題材を扱ってはいるが、赤堀監督が描きたかったのは、“時代に取り残されて行く父親の悲哀”なのだろう。一人残され、孤独を噛みしめるラストはせつない。

人間とはそれぞれに弱く、常に迷いつつ、何が正しいかも分からないままに懸命に模索し、あがき、生きている、哀しい生き物なのである。

このテーマは、赤堀監督の前作「その夜の侍」とも共通している。
特に前作における、自分勝手で粗暴で、暴虐の限りを尽くしているが、心のうちに孤独を抱えた木島(山田孝之)のキャラクターは、本作の葛城清とどこか通じる所があるようだ。

三浦友和が絶妙の巧演。どうしようもないダメ人間なのだが、見ているうちに憎めなくなって、最後は同情したくなる。
稔役を演じた若葉竜也の演技も素晴らしい。この二人、本年度の主演男優賞と新人男優賞をそれぞれ差し上げたい。
それともう一人、星野順子役を好演した田中麗奈。しばらく見ないうちに、随分大人になったなという印象(もう36歳だ)。テレビには出てるようだけど私はテレビドラマはほとんど見ないし、映画は最近これといった作品はなかったし。本作では難しい役柄を見事に演じ、存在感を示したと言える。

赤堀監督の描く、人間悲喜劇は相変わらず見ごたえあり。次回作も楽しみである。    (採点=★★★★☆

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(注1)2013年に上演された舞台版では、主演の清を赤堀雅秋自身が演じ、本作では兄・保を演じている新井浩文が、舞台版では殺人犯の次男・稔役を演じている。これも機会があれば観てみたい。

(注2)秋葉原無差別殺傷事件も、2012年、大森立嗣監督「ぼっちゃん」として映画化されている。

 
ブルーレイ「その夜の侍」

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コメント

力作だとは思いますが、今の時代は現実が映画を完全に超えてしまってます。

たぶん、もしこれから公開だとしたら「不謹慎」とか言われてバッシングされてたんじゃないでしょうか。

投稿: タニプロ | 2016年7月29日 (金) 00:23

◆タニプロさん
現実に起きた事件に過剰に反応し、バッシングしたり公開する側が自主規制したりする事例が、最近目立ちますね。
宮藤官九郎監督の「TOO YOUNG TO DIE 若くして死ぬ」もバス事故の影響で公開が延期されましたし。映画を見て、何でこの程度の描写で自粛しなきゃならんのだ!と呆れましたね。
ちなみに全国の上映スケジュール調べましたが、本日現在でもこの作品、特に自粛する事もなく全国で上映されております。ご心配には及ばなかったようですね。

投稿: Kei(管理人) | 2016年7月31日 (日) 22:47

父親三浦友和のスペックに他の家族がついてこれなかっただけ 嫁長男次男がカス過ぎた 三浦友和はワンマン気質で気性も荒いが至ってまとも つまりあの家族の中で一番被害者と言っていい レナはただの偽善者で次男を利用しようとしただけ 不快極まりない

投稿: ニャル子 | 2017年1月14日 (土) 07:45

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