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2016年8月25日 (木)

「ラサへの歩き方 祈りの2400km」

Paths_of_the_soul2015年・中国
配給:ムヴィオラ
原題:岡仁波斉  (英題)Paths of the Soul
監督:チャン・ヤン
脚本:チャン・ヤン
エグゼクティブ・プロデューサー:リー・リー、チャン・チャオ、ガオ・フェイ、ユー・ロンツァイ
プロデューサー:チャン・ヤン
撮影:グオ・ダーミン

チベットの小さな村から聖地への、1年がかりの巡礼の旅を通して、チベットの人々の生き方を浮かび上がらせるロードムービー。監督は「こころの湯」「胡同のひまわり」「グォさんの仮装大賞」のチャン・ヤン。出演者は全員実在のチベットの村人たちで、ほぼ自分自身の役を演じた、異色の感動作。

チベット自治区の最も東側にある、カム地方マルカム県プラ村。ニマの家では、父親が亡くなり、まだ四十九日が明けず、法事が行われていた。父の弟のヤンペルは、兄のように思い残すことなく、自分は死ぬ前に聖地ラサへ行きたいと願っていた。そんな叔父の願いを叶えるべく、ニマは叔父と共に村から1200km離れた聖地ラサへ、さらにそこから1200kmあるカイラス山への巡礼の旅を決意する。それを知った村人たちは次々と同行を願い出、やがて老人、妊婦、そして幼い少女タツォを含め一行は総勢11人になった。目的地まで2400kmの、仏教でもっとも丁寧な礼拝の方法のひとつである五体投地をしながらの巡礼の旅が始まる。

これはなんとも凄い映画である。一応は劇映画であるが、登場人物はすべて現地のチベットの人たち。役者は一人も出ていない。そして物語も、全編を通して、信仰厚い村の人たちが“五体投地”と呼ばれる礼拝方法を繰り返しながら、約1年がかりで聖地へ向かう旅が描かれる。ただそれだけのお話である。

Paths_of_the_soul2_2その“五体投地”とは、歩きながら一定間隔ごとに合掌し、両手・両膝・額(五体)を大地に投げ出し、うつ伏せ、その後に立ち上がるという動作をひたすら繰り返しながら進む(あたかも尺取虫の動きを思わせる)、おそろしく気の遠くなるような旅である。信仰、と言うよりも、苦行と言った方が近い。
体を投げ出した時に怪我しないよう、皮製の前掛けを装着し、両手には歯のないサンダルのような木製の手板を填めてはいるが(右写真参照)、それでもヘタをすれば顔や肘を擦りむきそうで怖い。
おまけに進む道は自動車がビュンビュン行き交っているので余計危険である。

食料や夜具、宿泊用テントを積んだトラクターが同行するが、五体投地しながらの、しかも妊婦や子供も加わる旅はまさに亀の歩み。1日で数キロしか進めないだろう。それで2,400kmもの距離を旅する。言っちゃ悪いが正気の沙汰ではない。

映画を観ている我々も、そんな単調なお話では、途中で退屈するのではないかと思ってしまう。

だが、観ているうちに、そんな不安は解消し、次第に惹きこまれて来る。それはまず、チベットの山々の美しい風景に魅せられる事、そして信仰の為とは言え、ひたむきに黙々と五体投地を繰り返しながら歩む巡礼者たちの姿に心打たれてしまうからである。

旅の途中に起きる、さまざまなアクシデント(崖崩れ、トラクターの事故等)や、同行妊婦の出産などのドラマチックなシーンも、物語の単調さをカバーしている。
トラクターが車に追突され、車軸が折れると、荷台だけを皆で押して進み、なんとその後わざわざ元の地点まで後戻りしてまた五体投地を続ける、その律儀さというかズルをしない一行の真面目さには感動してしまった。

道が出水で川のようになった個所では、ダイビングするような五体投地で全身ずぶ濡れになる等、ユーモラスなシーンも心和ませる。

ようやく1200kmの旅をしてラサに到着後、資金が底をついた為に、一行は仕事を見つけて金を稼いだりもする。地元の人たちとの和やかな交流シーンも清清しい。

そうしてさらに一行は、カイラス山への1200kmの旅を続ける。途中の、無数にはためくカラフルな織物群も美しい。そうやって1年もかけて、やっと目的地に到着後、聖地への旅を願望していたヤンペルが息を引き取る。彼の遺体は風習に従って鳥葬にふされる。このシーンも神々しいまでの美しさに溢れている。

チベットの雄大な大自然、その中で繰り広げられる人間の営み、厚い信仰心。命の誕生があり、一方で天寿を全うした人の死。さまざまな人間のドラマが織り成されて映画は終わる。

何よりも心に響くのは、チベットの人たちの、貧しいけれど純朴な生活ぶり、他人への思いやりと優しさ、そして文字通り体を投げ出しての信仰の厚さである。苦行を成し遂げた後のなんと爽やかな表情。見終わって感動に包まれる事請け合いである。

チャン監督は、一応のプロットは用意していたが、撮影しながらストーリーを膨らませて行ったという。途中で起きた予期せぬハプニング(崖崩れ等)もそのままカメラに収めたそうだ、その為か、一種のドキュメンタリーを観ているかのような味わいがある。

登場人物たちの純朴さや優しさ、無私の心意気は、ある程度実際のチベットの人たちを反映しているのだろう。豊かさと文明に毒された我々には、とても真似出来ない生活哲学と言えるだろう。

 
この映画が、中国で作られた事の意義も大きい。中国とチベットと言えば、中国政府は否定しているが、チベットでは中国当局による凄まじい弾圧と人権無視が行われている事で知られている。当然チベットを政治的に支援するような内容の映画は中国では作れない。
チベットを舞台とする映画を中国で作る事は、ある意味冒険ではあるのだが、チャン・ヤン監督は政治色を一切排し、ただひたすら、自然と人間を見つめる事だけに終始したからこそ、製作・公開が可能だったのだろう。

しかしこうして、チベットの人たちの、争いを好まず、他人を思いやる心の広さ、厳しい苦行にも耐える精神の強さ、たくましさを描く事で、この作品は(監督が意図したか否かに関わらず)結果的にチベットという国と国民に対する尊厳を高め、彼らに対する心強い応援歌になっているのである。

チャン・ヤン監督はこれまで、「こころの湯」、「胡同のひまわり」、「グォさんの仮装大賞」と、ほのぼのとして心温まる素敵な秀作を作って来た人である。本作はそうしたチャン監督作品の流れを踏まえつつ、より厳しい視線と奥行きの深さを得て、監督自身の進化を感じさせる力作となった。チャン監督のファンなら必見であろう。

ごく小規模での公開ゆえ、観ている人は少ないだろうが、是非多くの人に観ていただきたいと願う。 (採点=★★★★☆

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