「シン・ゴジラ」
2016年・日本/東宝映画=シネバザール
配給:東宝
総監督:庵野秀明
監督:樋口真嗣
准監督:尾上克郎
脚本:庵野秀明
特技監督:樋口真嗣
特技統括:尾上克郎
製作:市川南
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘
「ゴジラ FINAL WARS」(2004)以来12年ぶりの日本製「ゴジラ」映画。総監督・脚本は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の庵野秀明、監督に「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の樋口真嗣、准監督に「のぼうの城」、「進撃の巨人」などで特撮監督を務めた尾上克郎という強力布陣。主演は「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」でも共演した長谷川博己、石原さとみの他、竹野内豊、高良健吾、柄本明、大杉漣、國村隼など役のある俳優だけでも総勢328人がキャスティングされた。
東京湾で異常現象が続発し、日本政府は海底火山その他の地殻変動によるものと考え対応策を練る。内閣官房副長官の矢口蘭堂(長谷川博己)はネットにアップされた映像等から未知の生物の可能性を提言するが、大河内総理(大杉漣)に却下される。だがやがて、多摩川河口から巨大な怪物が現れ、形態を変化させつつ都心に向かって歩行を開始した。政府は会議を重ね、自衛隊出動を要請するが、避難が遅れている住民がいる事を理由に攻撃命令を出し渋っているうち、怪物は東京湾に戻って行った。政府は再びの上陸に備えた対策を協議するが、そんな中、アメリカから政府の特使・カヨコ・アン・パターソン(石原さとみ)が来日し、対策チームに参加して助言を行う。そして遂に巨大に成長し、東京に舞い戻って来た“ゴジラ”と名付けられた怪物と人類との戦いが開始される…。
日本に、ついにゴジラが帰って来た。
12年前の「ゴジラ FINAL WARS」は、アクション派・北村龍平監督によって、過去のゴジラ映画総決算…というか、どちらかと言えば怪獣プロレスから「東宝チャンピオンまつり」までのエンタティンメント路線へのオマージュに満ちた怪作になっていて、それらのパターンが好きなファンは喜んだだろうが、1作目を神格化するファンからはソッポを向かれる事ともなった。
62年間にわたり、本作を含め29作も作られて来た“ゴジラ”映画は、途中何度も変容を繰り返し、子供向け路線や、軌道修正による大人向け路線、怪獣同士のバトルもありといろんなバリエーションのものが作られて来た(それらの考察については2年前のハリウッド版「ゴジラ」の作品批評に書いたので参照されたし)。
今回の新作は、昨年のトンデモ・トホホ作「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の樋口真嗣監督が「監督」のクレジットで参加しているので、一抹の不安があった。
そして総監督・脚本は「エヴァンゲリヲン」シリーズの庵野秀明。この人も「エヴァ」シリーズにしろ、28年前に監督したアニメ「トップをねらえ!」にしろ、出発は娯楽アクションだったはずなのに、終幕では難解なシリアス展開で締めくくるという掟破りを何度もやらかして来た人である。おまけに、アニメでは実績があるが、実写監督作品は「キューティ・ハニー」(2003)で見事に失敗している。こういう過去を知っているから、本作もヘンな作品にならないかと不安だらけであった。
が、映画を観て私の杞憂はいっぺんに吹き飛んだ。なんと!人類対怪獣の攻防戦を正攻法で、リアルかつダイナミックに描いていて興奮させられた。
おまけに、随所に、ゴジラ映画の最高作「ゴジラ」1作目(1954)へのオマージュとリスペクトが網羅され、これまでの作品に不満を抱いていたであろう1作目ファンも十分満足させられる出来であった。
個人的には、私にとっての歴代ベストワン作品である1作目「ゴジラ」に次ぐ、ゴジラ映画ベスト2にランキングしてもいい、見事な秀作である。
(以下ネタバレあり)
その前に、1作目「ゴジラ」が何故映画史に燦然と輝く傑作になったのか、その後に作られたゴジラ映画がどれも(チャレンジしようとする気概はあっても)ついに1作目を超える事が出来なかったのは何故か、それについて書いてみようと思う。
田中友幸プロデューサーによる当初の企画では、深海から現れた怪獣が日本に上陸して暴れる、単なる怪獣映画になるはずだった。「怪獣が出てくる事が売りで、大怪獣をワーワー暴れさせてやればいい」と田中自身も語っている(注1)。
だが、監督を引き受けた本多猪四郎は、それだけではいけない、人間がきちんと描かれていなければいけないと異論を挟み、しかも怪獣登場のきっかけが大国の水爆実験である、という部分に強く反応し、自分で脚本にも参加したいと申し出た。それで当初予定の脚本家、村田武雄と一緒に旅館に数十日泊り込み、心血を注いで脚本を書き上げ、脱稿した時には10キロも痩せたほどだという(注2)。
本多監督がこだわったのは、水爆実験への怒りである。本多は戦時中3度も召集され、何度も死線を彷徨い、ようやく終戦で中国から引き揚げ、門司から東京まで汽車を乗り継いで帰る途中、原爆で焦土と化した広島の惨状を見て衝撃を受けた。本作を作るに当って本多にはこの時の思いが蘇り、「原爆は絶対に作ってはいけない」「人類は科学の進歩に頼っていると、必ずえらい事になる、その警告を作品に込めた」と後に語っている(注3)。
そして作られた時代とも密接な関係がある。その時代、昭和29年頃は米ソが競って原水爆実験を繰り返し、ビキニ環礁での核実験による、第五福竜丸の被爆事件(同年3月)が起きて日本全体が核と放射能の脅威に怯えていた(映画の中でも町の人々がそんな会話をしている)。
戦争が終わって9年目。ようやく平和が訪れたのに、このままではまた戦争―それも今度は核による終末戦争―さえも起こりかねない、そんな人々の不安と恐怖が蔓延していた時代の空気(注4)が、この作品に反映されている。「ゴジラ」はそんな時代だからこそ作られるべくして作られた、時代が生んだ映画なのである。
映画の中で、逃げ遅れた母子連れが迫り来る炎の前で体を寄せ合い、母親が「もうじき(戦争で死んだ)お父さまのところへ行くのよ」と子供に語りかけるシーンや、テレビに映るゴジラ破壊の跡がまるで原爆投下直後のヒロシマの街のようだったりと、随所に9年前の戦争の記憶を蘇らせるシーンがあるのも意図的である。多くの人々にとって、あの戦争の記憶は当時も生々しいはずである。
街を破壊し、通過した跡に放射能を撒き散らすゴジラは、9年前に日本を焼け野原にし、原爆を投下したアメリカという国のメタファーそのものであろう。
そしてもう一つ、芹沢博士(平田昭彦)が発明したゴジラ退治の有力な武器、一瞬にして水中の酸素を破壊するオキシジェン・デストロイヤーは、まさに原水爆に匹敵する大量破壊兵器である。その存在と製造法が知れわたれば大国の戦争の道具にされると恐れた芹沢博士は、ひたすらこの悪魔の発明の存在を秘匿して来た。だがテレビから流れるゴジラ犠牲者鎮魂の祈りの歌に心を打たれた芹沢博士は、ゴジラ退治に同兵器を使う代わりに、設計図を焼却し、オキシジェン・デストロイヤー本体と共に、海中で自らの命を葬り去ってしまうのである。
芹沢博士は、これでも分かるように、明らかに原水爆を発明した科学者のメタファーである。彼らは、それが使用されれば何十万人という人間の命を奪うかも知れない恐ろしい兵器である事を自覚していたのか。そうであるなら、芹沢博士のようにその発明を闇に葬る勇気は持てなかったのか、と映画は暗に問うているのである。
「ゴジラ」1作目は、このように時代の空気と化学反応し、かつ本多監督の戦争体験に裏打ちされた、反戦、反核への怒りと祈りが全編に充満した、奇跡のような傑作なのである。
あと数年製作が遅れていても、また本多猪四郎監督以外の誰が監督しても、このような傑作にはならなかっただろう。以後多くのゴジラ映画を監督した本多監督自身ですらも、この1作目を超える作品は作っていない。なぜなら、以後の時代は「もはや戦後ではない」と言われ、日本はアメリカの核の傘の下、繁栄と高度経済成長を謳歌し、原発を50基も作る核大国となり、故にもはやゴジラに仮託すべきテーマを見つけられなくなってしまったからである。
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さて、そこで本作である。嬉しい事に、冒頭からゴジラの歩く足音、お馴染み咆哮に、黒地に下からずり上がるメイン・タイトル…と、1作目の冒頭と文字ロゴに至るまでほとんど同じ。見事なリスペクトぶりである。これでまずおおっと唸った。
以後も、お馴染み伊福部昭作曲のゴジラ音楽が盛大に使われ(1作目だけでなく「怪獣大戦争」マーチや、ゴジラ以外にも「ラドン」や「宇宙大戦争」等、伊福部SF映画テーマのオンパレード)、もうこれらだけでゴジラ映画ファンのハートは鷲掴みである。
さらに、短いカットに早口セリフで政府や対策チームの会議が進行し、怪獣映画に時に登場するウエットな人間模様や一般市民の生活等も一切登場せず、ひたすら日本政府対ゴジラの攻防戦がテンポよく繰り広げられて行く。
上空からの空撮や、低いアングルで捉えた、手持ちカメラのようにブレる映像は、まるでドキュメンタリーを見ているかのような異様な迫力がある。
そして何より、ゴジラが破壊した後の瓦礫が散乱する町並みの描写や、残留放射能に関するセリフに、観客は5年前の東北大震災と原発事故の記憶を蘇らせてしまう。
政府の危機に対するウロタエぶりや、首相の自衛隊攻撃への躊躇ぶり等も、3.11における政府の対応を思い出せてしまう。
笑えるのが、御用学者を呼んだものの、ほとんど役に立たないくだり。「水素爆発は起こりません」とか言って見事に外した斑目デタラメ御用学者がいたのを思い出す。
16メートルを超えるような大津波はやって来ないだろう、とタカをくくっていた東電や政府の対応は、本作の「未知の巨大生物?、そんなものいるわけがない」と想定外が想定出来ない総理の姿にダブる。
ゴジラに血液凝固剤を注入する、数十メートルものアームを持つポンプ車も、フクシマ原発を冷却する為の海水注入に使われたポンプ車とそっくりだ。
未曾有の災厄が襲って来た時、国家はきちんと対応し、国民を守れるのか…本作は3.11を経験したわが国が、再びあのような事故を起こさない為にどう対処すべきかを問いかけている。本作はそういう意味で、1作目と同様の、壊滅的国難から数年を経過し、まだその記憶が生々しい時代に、もうあのような災厄は二度と起こして欲しくない、という願望が込められた、これもまた時代が生んだ映画なのである。
そういう観点から見れば、本作はこれまで誰もが到達し得なかった、1作目「ゴジラ」のレベルに、初めて近づいた傑作である、と言えるのではないだろうか。
初めてCGで描かれたゴジラも、これまでの着ぐるみゴジラのイメージを損なわないよう、周到な配慮がなされているのもいい。庵野総監督、期待を遥かに上回る見事な演出ぶりである。拍手を送りたい。
途中も何箇所か、1作目オマージュが登場するし(注5)、最後に画面に表示される「終」のロゴも、1作目のエンドマークを模している。そうしたビジュアルや音楽だけに留まらず、テーマ、作品の基本的精神に至るまで、本作は1作目「ゴジラ」へのリスペクト愛に溢れている。それが素晴らしい。1作目をまだ見ていない人も、昔見たきりの人も是非、1作目を見て、本作と見比べていただきたいと切に願う。 (採点=★★★★☆)
(注1)(注2)本多きみ・著「ゴジラのトランク」(宝島社刊)より
(注3)小林淳・著「本多猪四郎の映画史」(アルファベータブックス)より
(注4)本多の盟友、黒澤明監督も、ビキニ環礁の核実験のニュースを聞いた早坂文雄(黒澤の親友にして黒澤映画の音楽担当)が黒澤にポツリと呟いた「こう生命を脅かされちゃ仕事は出来ないね」の言葉に刺激され、原水爆の恐怖から発狂して行く老人を描いた「生きものの記録」(1955)を作っている(「世界の映画作家3・黒澤明(キネマ旬報社刊)より)。
(注5)1作目へのオマージュについてその他いくつか。
①冒頭、東京湾羽田沖で漂流しているプレジャーボートの名前が「グローリー丸」。これは1作目で最初にゴジラに襲われる貨物船「栄光丸」(グローリー=栄光)へのオマージュ。
②数年前にゴジラの出現を予測していた日本人科学者・牧悟郎は、生れ故郷が大戸島で、島に伝わる伝説から怪物を「呉爾羅(ゴジラ)」と命名するくだりがあるが、これもファンなら誰でも知ってる、1作目で最初にゴジラが上陸する島が大戸島で、やはり島には「呉爾羅」と呼ばれる神様の伝説がある。
ちなみに“牧悟郎”は、1作目にかなり近い作りの1984年版「ゴジラ」(橋本幸治監督)に登場する、田中健扮する新聞記者の役名と同じである。
この1984年版は、総理(小林桂樹)を中心とした政府チームがゴジラ対策を練ったり、ソ連(ロシア)がゴジラに対し核攻撃を行おうとする等、本作のヒントとなった可能性がある描写がいくつかある点も注目。
(さらに、お楽しみはココからだ)
既に多くの人が指摘しているが、本作は岡本喜八監督作品「日本のいちばん長い日」(1967)へのオマージュもある。
早口セリフと短いカットを繋げるテンポの早い演出・編集は岡本作品のトレードマークであるし、出演者が初登場する度に明朝体の紹介テロップが出る構成も「日本の-」で使われた手法である。総理以下、政府閣僚が侃々諤々の議論を重ねる描写もある。
謎の科学者・牧悟郎の写真は岡本喜八氏のお顔である。(エンドロールにも名前が(写真)として登場する)
庵野総監督は岡本喜八監督のファンだそうなので、これらのオマージュも納得である。
ついでだが、「日本の-」のプロデューサーも「ゴジラ」シリーズの田中友幸である、という共通性もある。田中友幸氏は東宝SF作品と並行して、ほとんどの岡本監督作品のプロデューサーでもある。
さらにもう1本、オマージュしているのではないかと思われる作品がある。
押井守監督の「機動警察パトレイバー 劇場版」並びに「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」である。
「機動警察パトレイバー 劇場版」には、事件の鍵を握り、冒頭で謎の自殺を遂げる帆場暎一なる人物が登場するが、この既に死んでいる謎の人物が、事件に深く関わり、主人公たちを翻弄する、という設定が、本作における牧悟郎の存在とよく似ている。
東京湾岸と河口で次々謎の事件が頻発する冒頭描写も、本作の出だしに似ている。
「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」では冒頭、横浜ベイ・ブリッジが攻撃爆破され、それをきっかけに首都東京が大混乱に陥るのだが、本作では東京湾アクアラインのトンネルが崩落したのが事件のきっかけとなる。
事件を巡って、首都東京は厳戒態勢となり、警視庁内で対策会議を練る描写もあるし、結局事件解決が自衛隊でなく、傍系の特別チーム(第二小隊)の活躍による、という展開も似ている。
何よりこの作品は、“もし想定しない危機が発生したら、国家はどう対処すべきか”という、本作と共通する基本テーマを持っている。
自衛隊ヘリが東京上空を飛び回り攻撃する映像もある(この作品の実写リメイクとも言うべき昨年の「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」を見ればよく分かる。この作品でも、東京上空の空撮映像がドキュメンタルな迫力を醸し出している)。
怪獣映画の秀作である金子修介監督の「平成ガメラ」シリーズ、特に2作目の「ガメラ2 レギオン襲来」は怪獣と自衛隊のリアルな攻防戦が描かれている上に、このシリーズの特撮監督を務めたのが本作の監督である樋口真嗣である等、本作と共通する点が多いのだが、この平成ガメラ・シリーズの脚本を書いたのが、前述の「機動警察パトレイバー 劇場版」シリーズでも脚本を担当している伊藤和典である、という共通性も興味深い。
(8/20付記)
本作を機に思い出して、2014年にNHK-BSで放映された本多猪四郎監督のドキュメント「イノさんのトランク」の録画ビデオを見直していたら、終盤辺り、本多監督が晩年まで書き記していた日記風メモが登場する。
で、その中で、本多監督が亡くなる4ヶ月前の1992年10月15日付で、新作映画の構想として、なんと「新・ゴジラ」のタイトルで、いろんなアイデアが列記されていた(相手と合体とか、分裂とか)。
盟友、黒澤明監督作品における監督補佐の役割も終え(当初から5本までの約束で最終作「まあだだよ」の補佐を終えた直後)、本多氏自身が、もう一度ゴジラ映画への復帰に執念を燃やしていた事が伺えるメモであるが、その題名が「新(シン)ゴジラ」であった事に驚いた。
ひょっとしたら、本作の題名「シン・ゴジラ」は、(多分)この番組を見たであろう庵野総監督が、本多監督に深い敬意を示す意味で付けたのではないだろうか。そうだとしたら、とても素敵な事である。どなたか、庵野氏に聞いてもらえないだろうか。
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コメント
とても面白かったです。
個人的には文句なく今年の邦画ベストワンです。
そして今まで作られたゴジラシリーズでも1作目を除き最高傑作ですね。
ゴジラ映画ファンとしては庵野秀明・樋口真嗣のコンビがフルCGでゴジラを蘇らせた事を喜びたいです。
実は平成ゴジラシリーズ以降のゴジラ映画は個別にはいい作品もたくさんありましたが、平成ガメラ三部作を超えられなかったと思っています。
それは平成ガメラの金子修介監督の「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」でさえもそうでした。
このあたりは東宝のゴジラ特撮技術が古びてしまった事も大きいと思います。
そのゴジラが平成ガメラの樋口特技監督も参加したこの映画で蘇ったという事には感慨があります。
生きていて良かったと語ったファンの気持ちがちょっと分かりますね。
本作は庵野テイストはあるもののまさに正攻法、現在にゴジラが現れたらどうなるかをリアルに描いています。
前半はリアルな日本政府や東京都庁の反応を描き会議シーンが多く割と分かりにくい部分もあり、ちょっと戸惑いますが、後半は色々あって分かりやすくなります。
最初は予告に登場するゴジラとは造形が違うので、実は新怪獣で後にゴジラが登場するのかと思ったのですが、このゴジラは形態変化するのですね。
ゴジラを阻止すべく武蔵小杉近くの多摩川に防衛線を引く自衛隊。
この武蔵小杉決戦が素晴らしい。燃えます。
余談ですが実は私の職場は武蔵小杉なんです。
一つだけ残念なのは私の職場のビルも映画に登場するのですが、ゴジラに壊されなかった事。
ここはできれば派手に壊して欲しかったなあ。
キャストは超豪華ですが、長谷川博己、石原さとみ、竹野内豊の主演以外では、ゴジラ対策チームの市川実日子、高橋一生や、國村隼、松尾諭といった所が印象に残りました。
投稿: きさ | 2016年8月13日 (土) 06:50
個人的にこの映画で一番好きなのは、そう来るとは思わなかった第二形態の意外性で、その次はどう考えても正しすぎるので普段は邪険に扱われてそうな市川実日子女史の正しいが故の大活躍であります。
投稿: ふじき78 | 2016年8月14日 (日) 09:57
◆きささん
きささんも1作目を除いて最高傑作と感じましたか。同感ですね。私もベスト上位にしたいです。
>このあたりは東宝のゴジラ特撮技術が古びてしまった事も大きいと思います。
言われてみれば、東宝のゴジラ映画はどうしても特撮の神様・円谷英二の伝統を引き継いで来た、…というより引きずって来た感がありますね。金子監督の平成ガメラにおける樋口特技監督のSFXはそういう意味でとても新鮮でした。今回樋口監督がゴジラに参加した事は、ゴジラの特撮が円谷呪縛からようやく解き放たれた、と解してもいいんじゃないかと思います。
◆ふじき78さん
>にこの映画で一番好きなのは、そう来るとは思わなかった第二形態の意外性で…
私もあのまん丸目玉には衝撃を受けましたね。でもなんだか可愛い。
で、思い出したんですけど、あの目玉、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」のチビ魚(金魚?)ポニョの目玉と似てません?
ポニョも小魚から少女へと形態変化し、かつ大きくなりますね。「巨神兵東京に現る」で宮崎「ナウシカ」にオマージュ捧げた庵野・樋口コンビですから、ポニョ・オマージュもあったのかも。
この映画、見る度に新しい発見があり、何度でも語りたくなる作品と言えるでしょうね。そういう意味でもこの映画は、本年を代表する日本映画の傑作となるでしょうね。
投稿: Kei(管理人) | 2016年8月14日 (日) 12:39
再び失礼します。
なぜ、庵野監督がゴジラをこれほど斬新に撮れたのか。
本作はいわゆる制作委員会方式ではなく東宝単独制作ですね。
そのあたりはぜひ以下をご覧ください。
やはり10年作らなかったという事が過去をうまくリセットしたみたいですね。
東宝はなぜ『#シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか~東宝 取締役映画調整部長・市川南氏インタビュー~http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160812-00061026/
投稿: きさ | 2016年8月14日 (日) 23:49
非常に良かったと思いますが、ゴジラの幼虫の最初の攻撃で皇居と天皇陛下はどうなったのかと思いました。というのも、米などの多国籍軍が原爆使用を迫った時には、日本の首相は必ず天皇に聞いたはずだからです。
昭和天皇は、自分の戦争責任についてどう考えていたかは不明ですが、核兵器開発は絶対にダメとされていました。
それで、佐藤栄作首相も「非核3原則」を決めたのです。
この映画は、底流として一種の「反核映画」ではないかと感じました。
投稿: さすらい日乗 | 2016年8月24日 (水) 23:32