« 「ラサへの歩き方 祈りの2400km」 | トップページ | 映画監督・鈴木英夫の全貌 その2 »

2016年8月30日 (火)

映画監督・鈴木英夫の全貌 その1

Suzukihideo1

 

大阪シネ・ヌーヴォで、鈴木英夫監督生誕100年を記念して、「映画監督・鈴木英夫の全貌」と題する特集上映が行われたので、時間をやりくりして通いつめ、うち10本を観る事が出来た。

Suzukihideo_2鈴木英夫監督は、昭和22年に監督デビュー後、昭和42年までの20年間に、東宝を中心に数多くの映画を監督して来たが、その大半が、いわゆる添え物のB級プログラム・ピクチャー。キネマ旬報ベストテンではほぼ完全に無視されている。映画評論家でも、鈴木監督を評価している人はほどんどいない。

実は私、自分でも結構B級ブログラム・ピクチャーは数多く観て来ていると自負していたのだが、何故か鈴木英夫作品はこれまで1本も観ていなかった
東宝作品もマメに観ている方で、「ゴジラ」を中心としたSF映画、クレージー・キャッツもの、加山雄三若大将シリーズ、岡本喜八監督のアクションもの、等はリアルタイムも含めてほとんど観ている。これだけ観ていて鈴木英夫作品とはカスリもしなかったのだから、巡り会わせが悪かったとしか言いようがない。
もっとも、テレビでもほとんど放映されず、ビデオ、DVDもほとんど出ていないという事情もあったのだけれど。

20年ほど前から、再評価の機運があり、東京などでは特集上映もあったし、関西でもミニシアター系で上映されたらしいのだが、上記のような理由で私自身、鈴木英夫監督のお名前はまったくと言っていいほど頭に入っておらず、現在に至るまで鈴木作品とは縁がないままだった。

で、近年シネ・ヌーヴォでいろんな特集・回顧上映が催され、よく通うようになったので、この機会に一度観ておかねばと思ったったわけである。

各作品を観て驚いた。なんと見事な傑作揃いではないか。これまで観て来なかった、わが身の不明を恥じる事しきりであった。以下、製作された年代順にその感想を書いてみる。

 

殺人容疑者 (1952)

Satsujinyougisha1製作:電通DFプロ、配給:新東宝
監督:鈴木英夫、船橋比呂志
構成:長谷川公之
脚本:船橋比呂志
原案:高峯秀雄
製作:大條敬三
撮影:植松永吉

監督デビュー5本目くらいの作品で、まだ東宝に入る前の独立プロ作品。後に東映の「警視庁物語」シリーズの脚本を書く事となる長谷川公之が構成を担当している事からも分かる通り、警視庁の刑事が地道な捜査を行う内容の作品である。

凄いと思ったのは、1952年当時の東京の町並みを、まるでドキュメンタリー映画のようにロングショットを多用して描いている点である。出演者もほとんどが演劇人や、当時としては無名の俳優ばかりで、その点でもドキュメンタルな迫真性が出ている。
土屋嘉男と丹波哲郎が出演しているが、二人ともこれがデビュー作で当然当時の観客はまったく知らない。ちなみに丹波は本名の「丹波正三郎」でクレジットされている。それよりも驚いたのが土屋嘉男。一般的には土屋のデビュー作は「七人の侍」と言われているが、その2年前に既に映画デビューしていたとは知らなかった。新発見である。

捜査の手法も、指紋収集方法等、さすが長谷川公之氏参加だけあってリアルに徹している。捜査会議が、板敷きの部屋で車座に座って行われる、というのも珍しい。戦後の混乱期である当時はそんなものだったのだろうか。
土屋嘉男へのインタビューによると、拳銃も警察から借りた本物だったという(無論弾は入ってないが)。今では考えられない。おおらかな時代である。

さらに凄いのは、犯人の一人を刑事たちが追跡するシーン。ロケでビルの屋上等から超ロングショットのパン撮影で延々犯人と刑事の姿を追いかけ、遂に刑事たちが犯人を取り押さえ、それを多くの群集が見守るというシークェンスは本当にドキュメンタリー映画かと思えるほどの迫真性。観ている我々もドキドキしてしまった。
これも土屋インタビューによると、隠し撮りでエキストラもおらず、写っている群集はすべて本当の通行人。しかもそれら通行人が本当に警察が犯人を追いかけていると思い込んで、犯人役の俳優を取り囲み袋叩きにしてしまったそうだ。それをそのままカメラに収めているのだからいやはや。リアルなはずである。

こんなドキュメンタルな劇映画は、他にはジュールズ・ダッシン監督「裸の町」(1948)くらいしか記憶にない。多分監督も意識していただろう。黒澤明監督の「野良犬」も「裸の町」にインスパイアされていると言われているが、迫真性ではこちらの作品の方が勝っている。

ラストで、主犯である丹波を土屋たち刑事が追い詰めて行くシーンがあるが、これもすべて実景ロケ。線路を越えてどこまでも逃げる丹波は暗渠の下水道に潜り込むのだが、追って来た土屋が下水道に降り、犯人の気配を探すシーンはまさに行き詰るサスペンス。
ここもインタビューによると、この下水道はセットではなく本物。その汚物まみれの下水に丹波はなんと肩まで浸かっている。さぞ臭かっただろう(笑)。見上げた役者根性である。丹波はこれがきっかけで新東宝に入社する事となる。

冒頭とエンディング、どちらにも東京の町の実景が映し出されるので、余計ドキュメンタリー映画的な雰囲気が出ている。   

観終わって感動した。スリリングかつリアリティ感溢れるセミ・ドキュメンタリー・タッチの刑事サスペンス・ドラマの秀作である。低予算を逆手に取った、全編ロケ、無名俳優起用が見事に成功している。  (採点=★★★★

これは鈴木英夫監督作品を、もっと観ておかなければ、と強く思った。かくして以後、私のシネ・ヌーヴォ鈴木監督特集通いが始まるのである。

 

不滅の熱球 (1955)

Fumetsunonekkyuu(以下作品いずれも製作・配給:東宝)
監督:鈴木英夫
脚本:菊島隆三
原作:鈴木惣太郎:(「沢村投手」)
製作:佐藤一郎
撮影:中井朝一
音楽:斎藤一郎   

1954年、鈴木監督は東宝に移籍する。これは入社4作目作品で、戦前の巨人軍に在籍した不世出の名投手、沢村栄治の伝記映画である。

主演の沢村を演じたのは池部良。池部は当時野球の事はまったく知らなかったそうで(打ったらなんであっち(三塁側)に走らないんだと言ったそうな(笑))、鈴木監督は思案して、当時沢村投手とバッテリーを組んでいた内堀氏(映画では千秋実が演じている)に依頼して特訓してもらったそうだ。
その甲斐あってか、映画では沢村投手の投げ方を見事に再現していて(ちょっと村田兆治投手のマサカリ投法に似ている)、しかも凄いのは、マウンドから捕手までストライクを投げる所をカットを割らずにワンカットで撮っている。特訓のおかげでちゃんと投げられるようになったのだそうだが、それにしてもあの変則的なマサカリ投法で剛球ストライクをピシリ投げ込む池部良の運動神経の良さには驚く。そのおかげで野球の試合シーンには、こちらもドキュメンタルな迫力が生まれている。   

しかしこの作品は、野球映画というよりも、仕事一筋に生き、かつ妻を愛し、短い人生を精一杯生きた、素敵な夫婦愛の物語と呼ぶにふさわしい。

アメリカ映画にはよく登場するストーリーであるが、日本映画でこのように夫婦愛を中心としたスポーツ映画はあまり記憶にない。   

妻を演じたのは、まだ入社したばかりの新人、司葉子。池部は司葉子の芸名の名付け親だそうで、この作品への起用も池部の発案だそうだ、
司の演技はややギコチない。ラブシーンは特に苦手だったようで、鈴木監督は「デコスケ!」と怒鳴りつけ、相当厳しい演技指導をしたそうだ。その分、初々しい感じはよく出ていたと思う。

脚本は黒澤作品でもお馴染みの菊島隆三。やはり同じ年に野球映画「男ありて」(丸山誠治監督)も書いている。黒澤作品「野良犬」でも野球場シーンが出て来たし、菊島氏は野球がかなりお好きなのだろうか。

映画はラスト、召集され戦地に赴いた沢村が、激しい戦闘の末部隊が全滅し、ジャングルの中で倒れ、その体からオーバーラップして沢村が幽霊となって立ち上がるシーンで終わる。深く愛する妻に会えず、戦場で命を落す主人公の姿は、小林正樹監督「人間の條件」のラストを思わせ、ちょっと泣けた。

野球の試合シーンも臨場感満点でよく出来ているし、夫婦愛もしっとりと描かれ、見ごたえのある伝記野球映画の佳作であった。 (採点=★★★☆

 

くちづけ (1955)

Kuchiduke1監督:筧正典、鈴木英夫、  成瀬巳喜男
製作:藤本真澄、  成瀬巳喜男
原作:石坂洋次郎
脚本:松山善三
撮影:山崎一雄
美術:中古智
音楽:斎藤一郎

同じ題名の増村保造監督の秀作が2年後に作られているのでややこしい。これは成瀬巳喜男の企画で、石坂洋次郎原作の3つの独立した短編を筧正典、鈴木英夫、  成瀬巳喜男の3人が各1話づつを監督したオムニバス映画。脚本(松山善三)、撮影その他のスタッフは3作とも同じ。

第1話「くちづけ」は筧正典監督。大学生の主人公くみ子(青山京子)が義姉の結婚話に心揺れる一方、同級生の健二(太刀川洋一)とくったくのない交友を続けるうち、河原で健二にくちづけされてしまうまでのお話。
第2話「霧の中の少女」が鈴木英夫監督作。東北の田舎に帰省している由子(司葉子)の元に、東京から学友英吉(小泉博)が訪ねて来て、両親がオタオタする中、二人は温泉に行き、夜、二人が出かけた後、監視役として付いて来た由子の妹・妙子(中原ひとみ)が、姿が見えなくなった二人を霧の中で探すというお話。
第3話「女同士」は成瀬巳喜男監督。病院を経営する夫婦(上原謙と高峰秀子)が、住込看護婦のキヨ子(中村メイ子)がどうやら夫に思いを寄せている事を知り、近所の八百屋の店員と結びつけてやろうといろいろ細工し、ようやくキヨ子を結婚させ一件落着と思いきや、新しく採用した看護婦が美人で妻はまた気をもむ、というシャレたオチ。   

3話の中では、最後の成瀬作品が一番よく出来ているし、夫婦の機微がコミカルかつ絶妙に描かれていて楽しい。名作「浮雲」を撮り終えた直後の成瀬監督の、息抜き的作品なのだろうけれど、それでもそれぞれの人物像が的確に丁寧に描かれていて心がなごむ。珍しいコミカルな作品でもちゃんと役柄を理解して演じている高峰秀子がやはりさすがでうまい。ラストにワンカット登場する美人看護婦が八千草薫、というキャスティングも絶妙。

他の二人の監督作はいずれも平凡な出来で、改めて名匠成瀬監督との格の違いを見せ付けられる作品であった。鈴木監督作の良かったところを挙げておくと、主人公の両親(藤原釜足と清川虹子)と祖母・飯田蝶子の軽妙な演技の掛け合いはそれなりに見ごたえがある。中原ひとみがとても可愛い。
(採点=★★★★

 

彼奴(きゃつ)を逃すな (1956)

Kyatsuwonigasuna監督:鈴木英夫
脚本:村田武雄
製作:宇佐美仁
撮影:三浦光雄
音楽:芥川也寸志    

これは傑作である。細々とラジオ修理業と洋裁店を営む藤崎哲夫(木村功)と君子(津島恵子)の夫婦が、殺人事件を目撃した事から犯人に追い詰められて行くサスペンス。

哲夫は夜、妻を先に送り出した後、隣人から急にラジオ修理を頼まれ、それで時間を食ってるうちに、家の前に佇む不審な男の顔を目撃する。翌日、向かいの不動産業の主人が殺害されていた事を知るが、関わり合いを恐れた哲夫は刑事にも、誰も見ていないと虚偽の証言をする。ところがその後、同じアパートに住むタクシー運転手が、不動産屋殺害と同じ拳銃で巻き添えで殺された事を知り、遂に警察に出頭してモンタージュ写真作成に協力するが、それが新聞に出た事で犯人に命を狙われる事となる。

重要な目撃をしたのに、関わりを恐れて警察に目撃していないと虚偽の証言をした事で運命の歯車が狂って行く…という展開は、後のサスペンスの傑作「黒い画集・あるサラリーマンの証言」とちょっと似た出だしであるが、そのシリーズ2作目「黒い画集・寒流」(1961)を鈴木英夫が監督してる、というのも面白い。

哲夫が警察に協力した事が新聞に書かれる、というのは疑問に思った。そんな事をしたら犯人に狙われるじゃないか、市民を保護する為にマスコミには発表するべきではないのでは…というのが一般感覚だが、なんとそれは犯人をおびき出す為の警察のおとり作戦だったのだ。その代わりに哲夫夫妻の周りには刑事たちが張り込んでいるという事なのだが、それにしても今ではちょっと考えられない警察のやり方である。まあサスペンスとしては面白い展開なのだが。
 
街を歩く哲夫の後を誰かがつけていて、犯人ではないかと思った哲夫が必死で逃げるシーンがスリリングで緊迫感漂う。実は刑事だった事が分かってホッとするのだが、その前に、明らかに怪しい男(宮口精二)が哲夫を尾行するシーンも伏線となっている辺りもうまい。

見事なのが音の使い方で、近くの高架線路を走る貨物列車の轟音が不安感を煽るし、哲夫の後をつける刑事と哲夫の間に団扇太鼓を叩く僧侶が入り、この太鼓の音が心理的に主人公を圧迫する。あるいはこの僧侶も犯人ではないか、と思わせたりもする。哲夫の店の前を練り歩くチンドン屋の一人が冒頭で哲夫が見た犯人とよく似ていて、その男が吹くクラリネットの音も不気味さを増幅させる。

ラストに登場する主犯(宮口精二)が哲夫たちの店に居座り、やがて7時10分に通過する列車の轟音に紛れて二人を射殺しようとする。その緊迫感は半端ではない。なんとか外の刑事に知らせようと哲夫が策を講じるもなかなかうまく行かない。刻々とタイムリミットは迫る、手に汗握るシークェンスである。果たして二人の運命は…。ハラハラし通しである。

あるタイミングの轟音に紛れて拳銃が発射される、というサスペンスは、ヒッチコック監督の名作「知りすぎていた男」のクライマックス、アルバート・ホールの楽団のシンバルが鳴るタイミングに合わせて暗殺の銃弾が発射されるシーンを思わせる。ちなみに本作の公開は1956年1月29日、「知りすぎていた男」のわが国公開は同年の7月12日。本作のほうが早い。

走る列車が画面右から左に走る映像に合わせてタイトルやスタッフ・キャスト名が横にスライドするオープニングクレジットも中々シャレている。ご丁寧にエンドマークも同じ要領で現れる。

キャスティングの面白さも書いておく。主演の藤崎夫婦を演じているのが黒澤監督「七人の侍」で若侍・勝四郎と、彼と恋仲になる志乃をそれぞれ演じた木村功と津島恵子のコンビであるのが楽しい。しかも警察の捜査主任役が志村喬、部下の刑事に土屋嘉男、犯人役に宮口精二と「七人の侍」の役者が多く出演している。もっと面白いのが、殺されるタクシー運転手を演じているのが、後に黒澤「天国と地獄」でもお抱え運転手を演じた佐田豊。なんか黒澤映画とは不思議な繋がりがあるようだ。

ともかく、緊迫感溢れるストーリー展開には圧倒された。文句なく、和製サスペンス映画の傑作である。これが同年のキネ旬ベストテンで1点も入っていないのは納得が行かない。…もっとも、ヒッチの「知りすぎていた男」にも誰も投票していないのだが。サスペンス映画に対する当時の評論家の評価というのはその程度だったのである。
(採点=★★★★☆

 

青い芽 (1956) 

Aoime監督:鈴木英夫
製作:藤本真澄
原作:石坂洋次郎
脚本:松山善三
撮影:山崎一雄
美術:村木与四郎
音楽:服部良一

雪村いずみ主演の青春ドラマ。
ミッションスクールに通う女子学生のり子(雪村いずみ)と、同級の野球選手光雄(山田真二)との恋模様が描かれる。のり子が結構男まさりで、不良学生の横ッ面を引っ叩いたり、光雄に積極的に愛を打ち明けたり。まあいかにも石坂洋次郎原作らしい明朗ドラマである。上映時間がわずか35分しかない短編だし、原作、脚本が前掲の「くちづけ」と同じなので、むしろ「くちづけ」の第4話に組み込んでもいいくらいである。司葉子と宝田明が礼拝堂の結婚式の新郎新婦としてカメオ出演しているのが楽しい。また藤原釜足と清川虹子が「くちづけ」第2話(鈴木演出)と同じく主人公の両親を演じているのもニンマリさせられた。しかしテンポいい鈴木演出はなかなか快調で、こんな短編添え物でも手を抜かない鈴木監督の気骨を感じさせられた。  (採点=★★★☆

 

燈台 (1959)

Toudai監督:鈴木英夫
製作:金子正且
原作:三島由紀夫
脚本:井手俊郎
撮影:山田一夫
美術:植田寛
音楽:池野成

三島由紀夫の同名戯曲の映画化。こちらも上映時間が63分と短い中篇。よって上記「青い芽」と2本立てで上映。

復員して来た昇(久保明)が我が家に戻ると、父は若く美しいいさ子(津島恵子)を後妻に迎えており、継母である彼女とひとつ屋根の下で過ごすうちに昇はいさ子に恋心を抱いてしまう。ある日両親と妹・正子(柳川慶子)を含めた4人で旅行に出かけ、大島の燈台が見えるホテルに一泊したその日、昇はいさ子に思いを打ち明ける…という禁断の恋を描いたメロドラマ。

全編のうちほとんどがホテルの一室で展開する、一幕ものの舞台劇のような構成。昇の思いに心揺れるいさ子、それを察知し、兄の為に動く妹の三者の人間模様が緊迫感を孕んで進行する。

さすがサスペンスの鬼才・鈴木監督だけあって、本来はメロドラマなのに、スリリングな心理劇になっている。特に昇がいさ子の名前を無数に書きなぐった本が小道具としてうまく使われ、父(河津清三郎)がその本を手に取ってしまって、いつそのページを開いてしまわないかというハラハラする展開に、いさ子たちも観客も手に汗握ってしまう。

それぞれの心理が丁寧に描かれており(脚本は成瀬作品でもお馴染みのベテラン井出俊郎)、中篇にも関わらず堂々たる骨格の、見ごたえある佳作になっている。画面の隅に常に写り込む燈台の灯りの明滅が、心理の浮き沈みを象徴しているようでうまい使い方である。セットであるのが丸わかりなのがやや欠点だが(笑)。 
(採点=★★★★

 
…といった具合に、やや作品の質にバラツキはあるものの、思った以上に面白く、水準を上回る佳作、力作ぞろいであった。少々長い文章になってしまったので、残りは次回回しに。残りの4本も、いずれも素晴らしい傑作揃いであるのでお楽しみに。お楽しみはコレからだ。

 

 ランキングに投票ください → にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ    

 

 

 

DVD「殺人容疑者」

 

|

« 「ラサへの歩き方 祈りの2400km」 | トップページ | 映画監督・鈴木英夫の全貌 その2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 映画監督・鈴木英夫の全貌 その1:

« 「ラサへの歩き方 祈りの2400km」 | トップページ | 映画監督・鈴木英夫の全貌 その2 »