映画監督・鈴木英夫の全貌 その2
二流新聞社・東都日報に所属する、野心のある若手記者・冬木(石原慎太郎)は、サツ回りをしている時、警察を訪れた女性・葉子(司葉子)の様子から事件を感じ取り、ライバル新聞の記者今村(仲代達矢)と捜査主任・小野塚(志村喬)との会話を廊下で立ち聞きする。葉子の弟が何者かに誘拐され、子供の命の為に当面記事にしないようにという小野塚の要請を今村は承諾するのだが、それを聞いていた冬木は特ダネとして、誘拐事件を翌朝の一面トップで掲載する。その後も冬木はあらゆるダーティな手を使ってスクープを連発し、局長賞を貰い有頂天となるが、やがて彼の行動は最悪の悲劇を生む事となる…。
主演の新聞記者を演じるのがあの石原慎太郎。役者としては3本ほど演っているのだが、どれもヘタ(笑)。本作は3本の中ではまだマシの方だが、周りの志村喬や仲代達矢と並ぶとヘタさが目立ってしまう。まあそれでも当時の慎太郎は人気流行作家で、会社も慎太郎主演という条件でゴーサインを出したのだそうな。
(以下ややネタバレがあります)
それにしても、今の時代ではとても考えられないほど、冬木や新聞社の行動は問題だらけである。誘拐事件が進行中で子供がまだ帰って来ていないのに事件の中身をどんどん記事にして行くし、うまく丸め込んで葉子に犯人へ訴える手記を書かせ新聞に掲載したり、なんと警察内の捜査主任の机をこっそり覗いて犯人のモンタージュ写真を複写したり、上司も上司で(演じるはこういう役を演らせたら適役の小沢栄太郎)このモンタージュ写真を傘下の新聞販売店にバラ撒いて犯人を見つけたら賞金を出すと言ったり。まさにやりたい放題。あげくにそのモンタージュ写真をとうとう新聞に掲載してしまう。で、これが引き金となって犯人(宮口精二)は切羽詰り、子供を殺ししまう、というとんでもない結末となる。
葉子に「あなたが殺したのよ」と頬を引っぱたかれるのだが、冬木はまったくこたえていない様子。しかしさすがに記事が元で子供を死なせた事で東都日報には世論や新聞協会からの非難が集中し、冬木は左遷されて地方に飛ばされる事となる。それでも冬木は「新聞が真実を報道してなんで悪い!」と反省の色はない。
こんな場合、報道協定があるんじゃ、と今の感覚では思えるが、調べたら当時(昭和32年)はまだ報道協定などはなく、実際にそれまでも誘拐事件が起きると各紙とも激しい報道合戦を展開していたらしい。で、この映画から3年後の昭和35年に有名な「雅樹ちゃん誘拐事件」が発生し、やっぱり犯人の要求、捜査状況などが逐一報道され、その後雅樹ちゃんは殺害されてしまう。後に捕まった犯人は、この映画とそっくりに「新聞の報道で追いつめられて殺した」と語っている。
この反省から、以後報道協定が締結される事となるのである。映画は後の雅樹ちゃん事件を予見していた事になる。
売る為には何だってやるマスコミ、名誉と出世欲の為には世間が眉をひそめようと意に介さない若者の風潮、と、この映画は現代にもそのまま通じる人間の愚かしさが痛烈に描かれている。
そして何より、主人公・冬木のキャラクターである。野心に燃えるあまり、次第に人間性を失い、他人の気持ちを思いやる気などまるでなく、傲慢で自己中心的に暴走し破滅して行く主人公像は強烈であり、遥か先の高度成長、バブル時代の日本人の姿を見通しているかのようである。
で、よく考えたら、世間の顰蹙を浴びようが、ひたすら有名になる事を志向し、傲慢で自己主張が強い所が「太陽の季節」で鮮烈デビューし、時の人となってから現在に至るまでの石原慎太郎本人のキャラとそっくりである(笑)。ある意味適役である。
脚本を書いたのは当時助監督修行中だった須川栄三。慎太郎が主演になるとは思ってもいなかっただろう。最初は仲代が予定されていたが、まだ人気が出ていない時で、興行的な配慮から慎太郎に交代したらしい。
鈴木監督らしく、ロケによる当時の街の風景がドキュメンタルな効果を発揮している。誘拐犯と待ち合わせる渋谷の駅前が、まだ舗装されていないのに驚いた。
犯人と、誘拐された子供が最後までまったく登場しない演出もいい。
そしてやはり「彼奴を逃すな」に続いて、芥川也寸志の音楽が素晴らしい。ここではギター1本のみを使用し、その上メロディが「第三の男」のアントン・カラスによるチター演奏のメロディとそっくり。これは狙っての事だろう。巧みに不安とサスペンスを煽っている。
で、ここでも志村喬、三船敏郎、宮口精二と「七人の侍」の内の三人が顔を揃えている。宮口の役柄も意表を突くが、ほんのワンシーンだけの三船の登場シーンが笑える。
いかにも鈴木監督らしい、時代を見事に抉り取った快作である。 (採点=★★★★)
(参考)この作品は、この年のキネマ旬報ベストテンで唯一人、桑原武夫氏が4位に入れている(総合順位は34位)。調べた範囲では鈴木英夫監督作品がキネ旬ベストテンで採点表に載ったのは、おそらくこれ1本きりである。
監督:鈴木英夫
原案:石山年
脚本:村田武雄
製作:田中友幸
撮影:玉井正夫
音楽:芥川也寸志
三人の死刑囚が脱獄し、うち二人は逮捕されるが、最後の一人山下(佐藤允)は逃げ延び、行方をくらました。彼の目的は、自分が逮捕された事で自殺した恋人の復讐に、検事と刑事・星野(池部良)の妻の命を奪うことだった。星野はその事を察知し、妻・節子を囮にして山下が現れるのを待った。やがて山下は星野の家を探しあて、庭の木蔭に潜伏して機会を狙っていたが、その姿を星野家の向かいに住む主婦克子(中北千枝子)に見られた山下は克子を脅し、彼女の家に潜んで、復讐の時を待ち続ける…。
脱獄囚に狙われた刑事夫妻に迫る危機を描いたスリラーである。佐藤允が復讐の鬼と化した脱獄囚を熱演。迎える刑事・星野(池部良)との、知力を尽くした対決が息詰まる迫力で手に汗握る。
(以下ネタバレあり)
妻を囮にしてまでも、犯人逮捕に意欲を燃やす星野も、犯人と同様執念に取り憑かれた男である。このキャラクター設定がいい。
クーラーがあるのが当たり前の今の時代では考えられないが、そんな便利なものがなかった当時は、夜でも窓を開けっ放しである。その為、窓際に節子が現れる度に、山下に狙撃されるのではないかという緊張感が漂う。かと言って窓を閉め切れば逆に怪しまれる。蒸し蒸しとし、じっとしてても汗が滲む初夏という季節設定が、さらにサスペンスをあおる。
山下に侵入された向かいの家の二階で寝ていた克子の娘が、こっそり脱出しようと布地を窓から垂らすが山下に気付かれ断念するのだが、その窓から垂れた布地を見て星野が克子の家に山下がいる事を察知する、というように、随所に伏線を配した脚本が素晴らしい。書いたのは「彼奴を逃すな」の村田武雄。「ゴジラ」映画で知られるが、サスペンス映画でもなかなかいい仕事をしている。
人質に囚われている隣家の家族の安全を守りながら、警察がどうやって山下を確保するか、命を狙われている星野の妻は助かるのか…最後に至るまでずっとスリリングなテンションが持続する、鈴木監督の演出手腕が光る、スリラー・サスペンス映画のこれは傑作である。
土屋嘉男がここでも刑事役を演じている。「殺人容疑者」、「彼奴を逃すな」、本作と、土屋は鈴木サスペンスで刑事づいている。ただ最後、山下に撃たれた土屋がその後どうなったのか全く描かれていないのが気になる。これが唯一の難点。まあ短い上映時間(87分)にたたみかけるスピーディな展開だから、観ている間は気にする余裕もないのだが。
“脱獄囚が人質を取って民家に立て篭もり、家族を守ろうとする人たちが脱獄囚と対決する”という展開は、ウィリアム・ワイラー監督の傑作サスペンス「必死の逃亡者」を思わせるが、ラストも警察に囲まれ、室外に出て来た山下が最後の抵抗を試みるもあえなく射殺される所が「必死の-」のラストと酷似している。
鈴木監督のインタビューによると、好きな監督はキャロル・リード、ヒッチコック、それにウィリアム・ワイラーなのだそうな。なるほど、これまでのサスペンス作品を観ていると、これら監督作品にオマージュを捧げたシーンや音楽が散見されており、納得である。
なおこの年(1957年)、鈴木監督作品は7月30日に「危険な英雄」、その約3ヵ月後(11月5日)にはもう本作が公開されている。こんな短期間で傑作を矢継ぎ早に作り上げてしまうのだから恐れ入る。 (採点=★★★★☆)
監督:鈴木英夫
脚本:升田商二、 鈴木英夫
製作:金子正且
撮影:逢沢譲
音楽:池野成
大手広告代理店・西銀広告で働く律子(司葉子)はやり手の営業ウーマン。ライバル会社の男、坂井(宝田明)と仕事で張り合ううち、いつしか恋が芽生えるが、会社同士の熾烈な競争の末、男はさまざまな策を労してクライアント獲得に成功する。律子は坂井と別れ、これからも一人で生きて行く事を決意する。
これは、鈴木監督作品としては珍しい女性映画。それでもやっぱり傑作に仕上げてしまうのだから凄い。
当時既に強力なライバル同士だった広告代理店、電通と博報堂をモデルにしているらしい。
クライアント獲得の為に、いろんな汚い手を使ってまでも出し抜こうとする企業間戦争のすさまじさ。相手会社に恋人がいるというのに、平然と相手会社のデザイナー(浜村純)を金で抱き込んでまで競争に勝とうとする、宝田明扮する坂井のやり口は、同時期に作られていた増村保造監督の企業間競争もの、「黒の試走車」あたりを思わせるが、こちらは一応メロドラマ仕立てだからなかなか手が込んでいる。
昭和37年当時と言えば、会社における女性の地位はまだまだ低かった。女性社員の仕事と言えば受付係や事務職が大半。よくてタイピストくらいだった。
そんな時代に、男と堂々張り合うキャリア・ウーマン(当時そんな言葉もなかった)が主人公の映画が作られたというのは極めて異色である。男と対等に仕事をこなすクールで気の強いヒロインを司葉子が快演。司がこんな気丈で男まさりの女性を演じているのは、私の知る限りこの作品以外に思い浮かばない。
面白いのは、律子の会社の同僚たちで、自分を「俺、俺」と男言葉を使う祐子(大塚道子)、副業で金貸しをやってる久江(原知佐子)などユニークなキャラだし、男遍歴を繰り返す有子(北あけみ)、男に騙され借金まみれとなって堕ちて行くミツ子(水野久美)など、それぞれに個性が与えられていて作品の彩りとなっている。特に大塚道子が楽しい。
脇のキャラクターもいい。野心家で律子からいただいたアイデアを自分の物にしてちゃっかり広告グランプリまでいただく山崎努とか、西村晃、浜村純、織田政雄といったクセのある役者の演技も見ごたえがある。
しかし何よりも素晴らしいのは、ヒロイン・律子の、他人に媚びない、凛とした生き様である。きちんと人間が描かれているのである。また男女の愛を中心にしながらも、ウエットな所はほとんどなく、あくまで仕事優先、クールに、したたかに闘い続けるヒロインの姿は、女版ハードボイルドと言ってもいいだろう。
坂井からの電話に「さよなら」と一言言い、夜の街の雑踏に溶け込んで行く律子の姿で終わるクールな幕切れもいい。これが冒頭の、朝の街における登場シーンと対になっている(どちらも信号が青に変わって歩き出す)のもうまい。
ドライかつシャープな鈴木演出が冴える、これは鈴木英夫作品の中でも最高作ではないかと思う。感動した。
ちなみにこの作品は、サンパウロ映画祭で審査員特別賞を受賞している(司葉子も主演女優賞にノミネート。受賞は逃した)。それくらい海外での評価も高いのだが、その年のキネマ旬報ベストテンでは見事に無視、誰も1点も入れていない。本当に鈴木監督は評論家から冷遇され続けている。 (採点=★★★★☆)
監督:鈴木英夫
原作:南条範夫
脚色:鈴木英夫
製作:金子正且
撮影:完倉泰一
美術:中古智
音楽:佐藤勝
岩尾(山崎努)、下山(西村晃)、熊谷(久保明)、小西(加東大介)の4人の男たちは、緻密な計画で、大手化学会社の金庫から社員の給料四千数百万円の現金を強奪する事に成功するが、冷徹で慎重な岩尾は、半年間は金に手を付けず、岩尾が町外れに借りた不動産屋の地下室に設置した金庫に金を納め、四人で管理することに決めた。だがやがて、小西は社長の妾と懇ろになり、女にせびられて金の前渡しを要求して来た事から、彼らの完全犯罪は綻びを見せ始める…。
さて、しんがりは鈴木監督お得意の犯罪サスペンスもの。欲に目がくらんだ男たちの金の奪い合い、そして自滅に至るまでがハードに描かれる、和製フィルム・ノワールの傑作である。
(以下ネタバレあり)
4人それぞれのキャラクターの描き分けがしっかり出来ていて見ごたえがある。誰が最後に生き残るか、最後まで目が離せない。
岩尾の情婦・ルミ子を演じる団令子が、日本映画では珍しいファム・ファタールを好演している。下着姿で、色っぽい所も見せている。
一人が殺された事から、次は自分ではないかと疑心暗鬼となり、互いに出し抜こうと焦り、それが見破られてまた命を落として行く男たち。最後に岩尾が生き残るのだが、岩尾は最初からそうなる事を予測していたかのようである。
だが、最後の最後、あっと驚くどんでん返しが待っている。未見の方の為にここでは書かないが、この展開も洋画のフィルム・ノワールみたいで日本映画離れしている。
南條範夫の原作(「おれの夢は」)を鈴木監督が気に入って、自分で脚本を書いてプロデューサー(金子正且)に見せたら映画化が決まったのだそうだ。
原っぱにポツンと立った一軒家の不動産屋の室内だけで物語が進むのがいい。岩尾とルミ子の暮らす2階、そして大金が眠る地下室をそれぞれ隔てる階段が、運命の別れ道でもある。タイトルはそこから来ている。
なお、やっぱり土屋嘉男が刑事役で出て来る。もっとも、ほんのワンシーンだけだったが(笑)。
ユニークなのは、これがモノクロ、スタンダードサイズであること。作られた昭和40年当時はカラー、ワイドスクリーンの全盛時代。独立プロならまだしも、大手東宝作品でスタンダードサイズは極めて珍しい。狭い不動産屋内の、息づまるサスペンスを描くにはこのサイズがふさわしいと監督は思ったのだろう。それを認めた会社(というかプロデューサー)もえらい。
金子プロデューサーは、鈴木監督作品を11本も手がけている。息が合ったのだろうか、鈴木監督の思うように撮らせているかのようである。上記作品を見ても、金子プロデュース作品は「燈台」、「危険な英雄」、「その場所に女ありて」、そして本作と傑作揃いである。鈴木作品における金子プロデューサーの役割は大きいものがあると思う。
(採点=★★★★)
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さて、こうやって鈴木英夫監督作品を観て来て、それぞれの作品のクオリティの高さに驚く。今観ても十分面白いし興奮させられる。今さらながら見逃していた事が悔やまれる。
鈴木作品はキネ旬ベストテンでの冷遇もさりながら、ビデオ、DVDもまったくと言っていいほど発売されていない。現在DVD化されているのは、「殺人容疑者」と「黒い画集 第二話 寒流」 (1961) のたった2本のみ!あまりに少な過ぎる。岡本喜八作品はかなり出ているというのに。
シネ・ヌーヴォで特集上映してくれなかったら永久に見逃す所だったかも知れない。数年前から再評価され始めているのだから、是非ボックスで傑作のいくつかをDVD化して欲しいと、東宝に切にお願いしておこう。
なお、日本映画専門チャンネル等の有料放送では過去にも放映されたらしいので、それらで放映された時には是非チェックする事をお奨めする。
(付記)
なお、金子正且プロデューサーへのインタビューをまとめた「その場所に映画ありて/プロデュサー金子正且の仕事」(ワイズ出版・鈴村たけし編)によると、家城巳代治監督の「雲ながるる果てに」(1953)、黒澤明監督の傑作時代劇「隠し砦の三悪人」(1958)はいずれも、当初は鈴木英夫が監督する予定だったらしい。別のソースによると「隠し砦-」は当時の新聞にも、最初は鈴木英夫監督として発表されたという事だ。鈴木監督の助監督だった岩内克己氏も鈴木監督から「今度、黒さんの脚本で『隠し砦の三悪人』を撮るんだ」と聞かされたとの証言もある。
いずれも映画史に残る傑作だし、「隠し砦-」は後にジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」の元ネタにしたほど世界中で有名な作品である。
これらが流れた詳しい事情は不明だが、もし鈴木英夫がこの2本(「隠し砦-」だけでもいい)を監督していたなら、監督・鈴木英夫の評価はぐっと高まった可能性がある。それだけにかえすがえすも惜しい事である。つくづく、不運な監督であったのだなと思う。
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