「永い言い訳」
テレビのバラエティなどでも活躍する人気小説家“津村啓”こと衣笠幸夫(本木雅弘)は、ある日、長年連れ添った妻・夏子(深津絵里)が旅先で突然のバス事故に遭い、親友とともに亡くなったとの知らせを受ける。だが夏子とは既に冷え切った関係であった幸夫は、その時不倫相手の智尋(黒木華)と密会中であった。それでも世間に対しては最愛の妻を失った悲劇の夫を装う事しか出来ず、虚しい日々を過ごす幸夫。そんなある日、幸夫は夏子の親友で同じ事故でやはり妻・ゆき(堀内敬子)を亡くしたトラック運転手の大宮陽一(竹原ピストル)とその子供たちに出会い、ふとした思いつきから幼い兄妹の世話を買って出るのだが…。
西川美和監督作品は、「ゆれる」(2006)で感動し、以後ずっと新作を追いかけている。次作「ディア・ドクター」(2009)はキネマ旬報のベストワンを獲得する等高評価を得たが、個人的には「ゆれる」を超えていないと思っている。その次の「夢売るふたり」(2012)は期待はずれだった。なんだか「ゆれる」をピークに下降線を辿っているような気がしていて、ちょっと心配だった。
そんな西川美和監督の新作は、直木賞候補にもなった自身の小説の映画化。さて、今度はどうかな、と期待と不安半々で早速観たのだが…。
なんと、新作は「ゆれる」に勝るとも劣らない(いや超えている?)傑作だった。鋭い人間観察眼、人間という存在のおかしさ、哀しさを鋭く切り取る脚本・演出の巧みさ、さらに出演する俳優が、二人の子役も含めてみんなうまい。
今年は「ハッピアワー」(濱口竜介)、「リップヴァンウィンクルの花嫁」(岩井俊二)、「君の名は。」(新海誠)と傑作が目白押し。ベストテン選考に悩む事になりそうだ。
(以下ネタバレあり)
主人公衣笠幸夫は小説家・津村啓として一時は売れたが、今はテレビ・バラエティで売れ、作家は開店休業中。バス旅行に出かけた妻・夏子を送り出した後、愛人を連れ込んで情事にいそしむ。美容師として働き、幸夫の調髪の世話までしてくれる妻を裏切るこのシーンで、幸夫という男の嫌らしさが露わになる。
妻が死んだというのに、感情を表に出そうとしない。愛人の智尋が罪悪感にさいなまれ泣きじゃくるのに、幸夫はキャッチコピーにある如く“これっぽっちも泣けない”。なんと薄情な男だと、観客の幸夫に対する印象は悪くなるばかり。
感情を全く出さないのかというとそうでもなく、時に酒の席で荒れ、暴言を吐くシーンまであるから、なおさら幸夫の印象は悪くなる。
無論、本木雅弘も、原作を読み込んだ上でこの役を引き受けたのだろうから(注1)、このままで終わるはずもない。
映画は、こんな幸夫という男が、他者と触れ合う事で人間的に変革して行くプロセスを丁寧に描いて行く。
幸夫という男の性格を暗示する場面が、夏子の東京での葬儀のシーンにある。
火葬は事故があった山形で、身内だけで行った。葬儀は東京でやるのだからその時に知人・縁者を呼べばいいくらいに思っていたのだろう。
だが参列した美容院共同経営者の女性は、「なぜ現地の火葬の時に呼んでくれなかったのか」と幸夫をなじる。彼女はそれくらい夏子と永年共同経営する中で、強い絆を結んで来た人なのだろう。そんな人が夏子の近くにいた事も幸夫は全然知らなかった。
そう言えば、幸夫には心を許す親しい友人もいないようだ(愛人は別として)。そのような人物は最後まで登場しない。唯一、津村啓担当マネージャーの岸本(池松壮亮)ぐらいしか話し相手はいない様子。
どうやら幸夫は、他人との関わりを、面倒がってほとんどして来なかった男のようだ。髪の手入れでも分かるように身の周りの雑事や、他人との付き合いも全部夏子に任せて来た可能性がある。「俺は作家として忙しいからそんな余裕はない」とでも言うように。それは言い訳に過ぎないのだけれど。
タイトルの意味は多分そこにある。これまでの50年近くの人生において、幸夫はそうやって永い間言い訳だらけの生き方をして来た男なのだろう。
そんなダメな男を世話して来た妻も今はこの世にいない。幸夫は途方に暮れ、何のやる気も起きず、家の中は荒れて行く。
そんなある日、夏夫はバス会社の説明会で、やはり事故で妻を失った男・大宮陽一に出会う。幸夫と対照的に、陽一は妻を心から愛し、「うちの嫁さん返してくれよ!」と会社に対して怒りをぶつけている。長距離トラック運転手で、まだ小さい二人の子供がいる陽一は、幸夫と同病相哀れむ関係もあって親しくなって行く。
人付き合いの少ない幸夫だが、性格から仕事、家族構成まで、何もかも幸夫と違う陽一に興味を抱いて行く。陽一の妻と夏子が親友だった事も手伝って。
幸夫は陽一一家をレストランに誘う。脚本が秀逸だと思うのは、ここで娘の灯(白鳥玉季)がアナフィラキシーを起こして陽一が灯を連れて病院に向かい、幸夫が灯の兄の真平(藤田健心)と二人だけでレストランに取り残される場面。
時間を持て余した幸夫は真平にいろいろ近況を聞く。話しているうちに真平は、母がいなくなり、父も仕事で家を空ける現状なので、妹の世話の為、今中学受験対策で通っている塾に通う事を諦める、とポツリともらす。
同情した幸夫は、自身が暇な事もあって、陽一がいない間の兄弟の母親代わりになる事を申し出る。ここからドラマは大きく方向転換して行くのである。
二人きりになるシチュエーションでなければ、こんな展開にはなって行かないだろう。うまい。
今まで他人との係わり合いを避けて来た幸夫が急にこんな申し出をする理由を、西川監督ははっきりとは描いていないが、小説と違って映画は、人の心の中までは描けないのだから仕方がない。観客がその理由を自分で探さなければならない。
おそらくは幸夫の内部に、妻がいなくなり、怠惰な日々を送るうちに、このままではいけない、何とかしなければ、生活を変えなければという気持ちが潜在していたのが、これをきっかけに顕在化した可能性がまず一つ。
二つ目は、自分とは正反対の陽一一家の暮らし―特に子供がいない幸夫にとって、子供と暮らす生活とはどんなものなのか―を知りたいという好奇心が芽生えたのかも。
さらに、編集者が言う“次の小説の題材”という気持ちもどこかにあったかも知れない。
あるいは、ずっと妻に世話になりながら、裏切る形で何の感謝も言えず先立たれた妻への贖罪、という事も考えられる。
そして、これらのいくつかが交わり合った事も考えられる。が、どう考えるかは観客次第である。
この、幸夫が二人の兄妹の世話をするくだりがとてもいい。最初は幸夫をやや無視していた灯たちが、次第に幸夫に馴染んでゆくプロセスがとても自然なタッチで微笑ましい。
それと共に、それまで何となく暗い眼をしていた幸夫が、二人と暮らすようになって文字通り、目の輝きが違って来る。それまで子供なんていらない、と言っていた幸夫が、とても楽しく、幸せそうな表情に変わって行くのである。この本木雅弘の演技が素晴らしい。子役二人も自然な演技で見とれてしまう。役者がいいのか、西川監督の演技指導がいいのか。おそらく両方だろう。
幸夫が自転車に灯を乗せて坂道を懸命に漕いで登るシーン、ここで灯が「頑張れ、幸夫」といつの間にか名前を呼び捨てにしている。両者が親密になった事を示しているいいシーンだが、幸夫にとってはシンドイけれども楽しい、充実している時間である事もまた示している。
他者との係わり合いを避けて来た男が、他者と係わる事で、自分を変え、誰かの為になる事の至福感、家族と暮らす事の大切さ、生きる喜びを見出して行く…。
いい話で、ちょっとホロッと来た。
が、さすがこれまで人間という存在を冷徹に観察し、その心の内面、愚かしさを鋭く抉って来た西川美和監督、そんなにスンナリ終わらせてはくれない。意地悪な仕掛けを用意している。
何もかも、心の内を正直にさらけ出す陽一と違って、幸夫はまだ他人には見えない心の闇を隠したままなのだ。陽一にもそれは語っていない。
そのきっかけが、こども科学館のイベントに子供たちと出席した幸夫と陽一の前に、学芸員の優子(山田真歩)が現れた事である。
やや吃音でたどたどしい言葉ながらも、素直に思いを表す優子と陽一は自然に親しくなって行く。本当は津村啓ファンとして幸夫に近づいて来たのに。
この二人を見て、幸夫の心のダークサイドがまた顕在化して来る。止せばいいのに、二人に嫉妬し、罵詈雑言を吐いて陽一宅を飛び出し、追って来た陽一に「俺は夏子が死んだ時、他の女と寝てたんだよ」と本心をさらけ出してしまう。こうして幸夫と陽一は疎遠になってしまう。
なんとも困った男だが、人間なんてみんな困った存在なのかも知れない。事実陽一も、疲れたとはいえ子供たちをほったらかして寝てしまい、その姿を見た真平は真夜中にゲームをし、それを陽一に見つかってしまう。
二人は口論となるのだが、その内容も互いに言い訳がましいのがなんとも辛辣である。
人間とは、みんな永い言い訳をしながら生きているものなのかも知れない。
その幸夫と陽一一家が再び絆を取り戻して行くきっかけとなるのが陽一の交通事故である。
最初の交通事故で、お互いに人生の伴侶を失った両者が、二度目の交通事故でまた重要な転機を迎える、というのも面白い。
ここで、幸夫と真平が陽一の元に向かう電車の中で交わす会話も心に沁みる。幸夫は、もう一度自分を変えようとする。今度は本当に、自分に正直に生きてみようと。
夏子の死以降切っていなかった髪を、幸夫はやっと切る気になる。美容院で幸夫の髪を切ってくれたのは、どうやら冒頭葬儀シーンで幸夫をなじった共同経営者の女性のようだ。
一方で陽一も、それまで消去する勇気を持てなかった、携帯の妻の留守電メッセージを、ようやく消去する気になる。
それぞれに、過去に区切りをつけ、新たな人生を踏み出す、いいシーンである。
そしてラストシーン。幸夫は久しぶりに新しい本を出す。おそらくは、自分の不甲斐ない自己中心過ぎた人生を反省し、改めて妻への思いを語ったものなのだろう。そのタイトルが「永い言い訳」である。
幸夫はこれで自分に正直な人間に生まれ変わったのだろうか。それは分からない。だが少なくとも、他者と係わり合う事で、少しは他者(亡き妻も含めて)を思いやり、自分を見つめ直す気にはなったはずである。それでいいのである。
人間なんて、常に迷い、模索し、反省と言い訳を繰り返しながら生きている、困った、しかしそれ故、愛おしい生き物なのだから。
こんな難しい役柄を演じきった本木雅弘は、改めて凄い役者だと思う。陽一役の竹原ピストル、兄妹を演じた藤田健心、白鳥玉季も素晴らしい。役者がみんな素敵で拍手をしたくなる。
人間の愚かしさを見つめる、西川監督の眼は相変わらず厳しいが、最後にほっこり、我々の心をなごませるシーンで締めくくっているのは、監督自身の新たな進歩と言えるのかも知れない。傑作が揃った本年、ベストワンは難しいかも知れないが、西川監督のこれまでの最高作であるのは間違いない、と言っておこう。
(採点=★★★★★)
(注1)監督インタビューによると、本木は西川美和の原作を暗記するくらい読み込んで来たという。本木は原作を読んで、もっといけ好かない嫌な男を演じたかったそうだ。役者だねぇ。
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