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2016年10月29日 (土)

「手紙は憶えている」

Remember2015年・カナダ・ドイツ合作/Serendipity  Point Films
配給:アスミック・エース
原題:Remember
監督:アトム・エゴヤン
脚本:ベンジャミン・オーガスト
撮影:ポール・サロシー
製作:ロバート・ラントス、アリ・ラントス

70年前、ナチスに家族を殺された老人の復讐を描くサスペンス。監督は「白い沈黙」「スウィート  ヒアアフター」(カンヌ国際映画祭審査員グランプリ)の名匠アトム・エゴヤン。主演は「人生はビギナーズ」で史上最高齢のアカデミー助演男優賞に輝いたクリストファー・プラマー。その他「エド・ウッド」のマーティン・ランドー、「ベルリン  天使の詩」のブルーノ・ガンツ、「ダ・ヴィンチ・コード」のユルゲン・プロホノフと映画史に残る名優たちが結集した。

最愛の妻ルースが死んだことさえ覚えていない程認知症が進み、老人施設で暮らす90歳のゼブ・グットマン(クリストファー・プラマー)は、ある日友人のマックス(マーティン・ランドー)から1通の手紙を託される。二人はアウシュヴィッツ収容所の生存者で、大切な家族をナチス兵士に殺されていた。そしてその兵士は身分を偽り、“ルディ・コランダー”という名で現在も生きているという。容疑者は4人にまで絞り込まれていた。体が不自由なマックスに代わり、ゼブは単身で復讐を決意し、託された手紙とおぼろげな記憶だけを頼りに単身旅立つ…。

数年前から、高齢老人を主人公にした作品が増加傾向にあり、当ブログでもいくつか紹介して来た。
中でも、スペイン製アニメ「しわ」 、日本の「ペコロスの母に会いに行く」といった作品は、いずれも老人認知症がテーマとなっている。やや認知症が始まっているであろう老人とその家族を描いた「愛、アムール」 「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」 といったものもある。どれも傑作だった。

深刻でやりきれない悲劇もあれば、「ペコロス-」のようにポジティブに前を向いた作品も出て来ており、“認知症老人映画”というのは今や一つのジャンルになった感さえある。

そんな中、とうとう認知症老人を主人公にしたサスペンス・ミステリーまで登場するに至った。それが本作である。

主人公の90歳になる老人ゼブは、認知症が進んで、過去の記憶がほとんど失われている。妻が1週間前に亡くなった事も忘れ、目覚める度に妻の姿を探すありさま。
そんな彼の、施設における数少ない友人の一人がマックスである。二人はアウシュビッツ収容所の生き残りで、共に大切な家族をナチスの兵士に殺されている。

マックスは、ナチス戦犯を探索する機関、サイモン・ヴィーゼンタール・センターを通して、家族を殺したナチス兵士が“ルディ・コランダー”という名で今も生きている事を探り当てた。だが車椅子生活のマックスは自由に動けない。そこでマックスは、まだ一人で十分に歩き回れるゼブに、ルディへの復讐を依頼する。

すぐに記憶が飛ぶゼブの為に、マックスは数枚に及ぶ手紙を託す。そこには容疑者4人の住所、復讐の為の手順等が詳細に記されていた。

旅に出ても、一眠りして目覚めるとゼブは相変わらずそれまでの事をきれいさっぱり忘れている。懐の手紙を読み返して、やっと旅に出た理由を思い出す。そんな事の繰り返し。読み忘れないよう、手首に「手紙を読め」と書いたが、それさえもちゃんと読むかどうか覚束ない。

さて、こんなゼブは、果たして旅の目的=復讐を果たす事が出来るのだろうか。危なっかしくて観ているこちらもハラハラする。二重の意味で、ハラハラ・サスペンス映画になっている。

 
サスペンスという点では、記憶障害になって数分前の事が思い出せない男が、最愛の妻を殺した犯人を追うというサスペンス「メメント」(2000年・クリストファー・ノーラン監督)があった。本作は、多少この作品にインスパイアされている可能性もある。ただし時系列がかなり前後し複雑な「メメント」に比べて、本作は過去の回想さえも一切なく、ストレートに物語が進んで行く。その点シンプルな構成で見やすいと言える。

実は予告編等で、「ラスト5分の衝撃」と謳っているのだが、これは余計なお世話で、何も知らずに観る方がいい。これから観る方も、上に挙げた以外の情報は仕入れずに極力白紙で観る事をお奨めする。

(さてここからはネタバレも含むので、映画を観ていない方は読まないように)

ゼブは、手紙に書かれた通り、まず拳銃を入手する。免許証だけで(一応前歴・犯歴照会はするが)簡単に拳銃が買えるアメリカという国に驚く。その後もスーパーの警備員にバッグの拳銃を見られても、警備員は疑いもせずスルーしてくれる。日本ならバッグに大型ナイフを入れてても怪しまれるだろう。

次にゼブは手紙に記載された4人のルディ・コランダーの家を順に訪れ、さりげなく情報を引き出して、その男が目指す復讐の相手かどうか慎重に探りを入れる。1人目(これがブルーノ・ガンツ)も2人目もナチスでなかった事が判り、今度はカナダ国境を越え、3人目の男を探しに向かう。

認知症なのに、さらにゼブの息子が消えた父を探しまわっているのに、そんなにうまく事が運ぶものかとツッ込みたくなるが、そこはまあ目をつぶって。

3人目のルディは、既に死んでいた。ここで大きな展開があるのだが、これも意表を突く。

そして遂に最後の男、目指す復讐の相手にめぐり合い、ゼブは拳銃を突きつけ対峠する。この最後のルディを演じたのが名優ユルゲン・プロホノフ。1981年のドイツ映画「Uボート」(ウォルフガング・ペーターゼン監督の出世作)で主演の艦長を演じていたのが忘れがたいが、すっかり老けたなあと感慨深い。

さて、ここからが「ラスト5分の衝撃」となるのだが、これにはまったく驚いた。まさかそんな結末が待っていたとは。やられた。

ここではあえて書かないが、実にうまく考えられたアイデアである。思えば、いくつも伏線があった。
まず、ゼブの回想が一切登場しない事。認知症で過去の記憶がないという設定だから仕方ない、と観客も納得してしまうが、普通は多少でも忌まわしい記憶の断片でもフラッシュで出すだろう(私の母の例でも、認知症になっても、遠い昔の記憶は鮮明に覚えている)。真相が判れば、そりゃ出せないわ(笑)。
ゼブの腕に彫られた、5桁の番号もミスリードである。それだけで観る人は先入観を持ってしまう。
マックスが書いた手紙の存在も秀逸である。ゼブの記憶を思い起こさせる為という理由で、やたら詳しくゼブの過去について書かれてあるのだが、この手紙の意味は、実はゼブに、ニセの記憶を植え付けさせる為のものだったのである。

マックスの復讐は、遂に成功したのである。ゼブの正体も、初めから知っていたのである。なんと見事な作戦であった事か。

 

ミステリーとして、実によく出来た脚本である。脚本を書いたのは、これが脚本家デビューとなるベンジャミン・オーガスト。見事な出来で、今後が楽しみな逸材である。

異色の設定の主人公と、驚愕のラストという点において、昨年のミステリーの秀作「女神は二度微笑む」 を思わせたりもする。あの作品に感動した方にはよりお奨めである。

だが本作は、単にミステリー・サスペンスとしても楽しめるが、奥に実に深いテーマを抱えた作品でもある。

戦後70年が経ち(本作が作られたのは2015年)、あの戦争を知る人も多くが亡くなって、また戦争経験者も、本作のゼブやマックスのように90歳を越える高齢になって、戦争の記憶も薄れかけようとしている。若い人の中には凄惨で過酷な戦争があった事さえも知らない者もいるだろう。

だがそれでも、いくら時代が過ぎようとも、決して忘れてはならない史実がある。ユダヤの人たちは、今もなおナチス戦犯を追い続けている。公式ページによれば、ここ2~3年内でも収容所の元看守が数人逮捕されている。本作には、こうした情勢も巧みに採り入れられている。

この映画は、そうした忌まわしい、戦争の悲惨な歴史を、決して忘れてはならない、という事を強く我々に訴えかけているのである。原題が"REMEMBER"(忘れるな)であるのも、その為である。

公開規模は小さいが、是非多くの人に観ていただきたい、これはミステリーの秀作であると同時に、歴史と、今の時代が抱える問題をも盛り込んだ、極めてユニークな傑作である。   (採点=★★★★☆

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