「この世界の片隅に」
2016年・日本/製作:ジェンコ
アニメーション制作:MAPPA
配給:東京テアトル
監督:片渕須直
原作:こうの史代
脚本:片渕須直
監督補・画面構成:浦谷千恵
キャラクターデザイン・作画監督:松原秀典
音楽:コトリンゴ
企画:丸山正雄
プロデューサー:真木太郎
13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したこうの史代の同名コミックのアニメ映画化。監督は「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直。主人公すずの声を演じたのは「ホットロード」の能年玲奈改め のん。クラウドファンディングで資金調達を行い、3,374人という、国内の映画クラウドファンディングとして最多人数、最高額を記録した。平成28年度ヒロシマ平和映画賞受賞。
昭和19年、広島市江波で暮らしていた浦野すず(声:のん)は、18歳になったある日、軍港の街・呉に暮らす北條周作(細谷佳正)の元に嫁いできた。戦争が進み様々な物が不足していく中、すずは工夫をこらして食事を作ったりし、北條家になじんで行く。だが本土空襲が始まると、海軍の根拠地である呉は連日の爆撃に遭い、いつも庭先から眺めていた軍艦も撃沈され、すずの身近なものも次々と失われて行く。そして昭和20年8月の、運命の日がやって来た…。
今年の日本映画は傑作が目白押し。正月の「ハッピーアワー」 で衝撃を受け、早くもベストワンが登場したかと思っていたら、3月の「リップヴァンウィンクルの花嫁」 、8月の「君の名は。」 と次々ベストワン候補が入れ替わり、さすがに「君の名は。」でベストワンは決まり、と思っていたら、またまたさらに凄い傑作が登場した。それが本作である。感動し、ボロボロ泣いた。今度こそ本当の、マイ・ベストワンである。
(以下、本筋に触れます)
戦争下における人々の暮らしや、広島原爆投下に関する映画はこれまでも無数に作られて来た。アニメでも高畑勲監督の「火垂るの墓」や、原爆投下(こちらは長崎)までの庶民の生活を描いた作品では、黒木和雄監督の「TOMORROW/明日」がある。どちらも傑作だった(なんとどちらも1988年、同じ年に公開されている)。
だが本作は、そうした名作群ともまた違ったアプローチで、あの戦争と、その中で生きた日本人の姿を捉えた見事な秀作になっていた。
映画は、昭和8年、8歳の少女・すずがお使いに行くシーンから始まり、淡々とした日常と庶民の暮らしぶりを丹念に描く。
すずは画を描くのが得意。どこかおっとりとして、夢見ごこちな性格である。変な怪獣のようなものにさらわれる話を妹に聞かせたりするのだが、誇張してるのか、全くの空想なのか分からない語り口が面白い。前半はこうしたすずの、のどかで平和な日々をゆったりと丁寧に描いているからこそ、後半に登場する、そうした日常を奪って行く戦争の残酷さがより際立つことになるのである。
やがて18歳になったすずは、呉の北條家に嫁いで行く。この家には、夫となる周作、足の悪い義母・サン(新谷真弓)、海軍工廠で働く義父の円太郎(牛山茂)らがいるのだが、みんなすずに優しくしてくれる。やがて夫が病死した義姉・径子(尾身美詞)が娘・晴美(稲葉菜月)を連れて出戻って来て、一家は6人となる。
径子はやや性格がキツいのだが、晴美はすずになついてくれるし、他の家族、特に周作が優しいのですずは幸せである。
物資が欠乏し、食料も衣服も満足に手に入らなくなると、すずは野草を集め、献立に盛り込んだり、着物を仕立て直してモンペにしたりと工夫を凝らす。時には失敗したりもするけれど、サンたちはあくまで優しいので、北條家には笑いが絶えない。
すずがストレスで頭に十円禿げが出来たりと、ユーモラスなシーンも多い。観客の心も和む。
こうした、すずを囲む北條家の暮らしぶりを眺めているうちに、観客はいつしか北條家で一緒に暮らしているような気分になって来る。平和で、争いがなく、物がなくても工夫してやりくりする、平穏な生活というものがいかに大切でかけがえのないものかが、ヒシヒシと伝わって来る。
全体に牧歌調で、温かみのある色調の背景画もこうしたのどかな暮らしぶりにマッチしている。しかし描かれる町並みや建物の描写は、色調は柔らかだが徹底してリアルである。
やがて戦争の影が少しづつ忍び寄り、すずたちの暮らしをおびやかして行く。
軍港の見える丘の上で港を写生していたすずは、憲兵に見つかり、スパイ行為だと厳しく叱責される。
平和な時代であれば何でもない、画を描くという、ささやかな喜びさえも許されない戦争の現実。夢見がちなすずには生き難い時代が音を立てずに近寄って来る、その恐ろしさ。
そして呉にも米機による攻撃が襲来する。だが上空で空中戦や砲撃が始まっても、すずはどこか非現実世界で起きているようにしか感じられない。ぼうっと立っていると、義父が窪みにすずを抱え込んでくれたので事なきを得る。ヒュンヒュンと砲弾の破片が落下する描写も含め、戦争が、庶民の平穏な日常を如何にたやすく破壊する恐ろしいものであるかが強調される。
昭和20年6月、入院中の義父を見舞った帰り、すずと晴美は空襲に巻き込まれ、埋まっていた時限爆弾の爆発が、晴美の命とすずの右腕を奪ってしまう。
ここで片渕監督は、直接的な描写を避けて、黒いバックに、すずがチョークで描いたような抽象的な映像でその悲劇を表している。
後の、原爆広島投下後の描写も含めて、片渕監督はこの映画を、小さな子供たちや老人にも観て欲しいと思ったのだろう、惨たらしい描写はストイックなまでに抑えている。
それはまた、戦争の悲惨さを描く事はこの映画の主眼ではない、庶民の平穏な暮らしぶりを前景に置く事こそが、その背後にある戦時の実態をよりリアルに描く事に繋がる、という片渕監督の確固たる信念をも示しているのだろう。
晴美を失った事で、母の径子はすずを激しく責める。なぜ一緒に居た貴方が助かって晴美は死んだのかと。だがそれも母親としては当然の思いである。後に径子はすずに取り乱した事を謝っている。だがその自責の念もあって、すずは郷里への思いを強くする。
そしてあの8月6日の朝、すずは広島・江波の実家に帰ろうとする、その直前に遠い広島に閃光が走り、やがて呉にも地響きが押し寄せて来る。その怖さにゾッとさせられる。
前述のように、原爆投下後の広島の惨状は具体的に描かれてはいない。すずの両親が亡くなった事も言葉で告げられるだけである。
ただ1箇所、原爆で全身火傷を負い、ガラス片が刺さったまま死んだ母親と、その母に寄り添った幼い子供の描写がある。
ここも、「はだしのゲン」で描かれたような凄惨さはなく、母親に刺さったガラス片も足とか一部のみの描写に抑えられている。
子供がほとんど無傷なのは、爆風と炎が押し寄せた時、母親が子供に覆い被さり、全身で子供を庇ったからだろう。その母親の思いに涙が溢れた。
やがて終戦、玉音放送を聞いたすずは、おそらくは初めて怒りを露わにする。「一億総玉砕じゃなかったとか!」。
この言葉も痛切である。戦争に勝つと信じ込まされていたからこそ、庶民は苦しい生活にも、肉親を、大切なものを失った悲しみにも耐えて来たはずなのだ。
戦争が終わってホッとした人も多いだろうが、こうした感情が庶民の心の内にあったであろう事もまた実態なのかも知れない。
そうした点も含めて、この映画は、単なる反戦映画を超えた、多面的な人々の思いと時代の空気がリアルに描かれた、稀有な戦争映画である、と言えるだろう。
広島に戻ったすずは、かろうじて生き残った妹のすみを病院に見舞うが、その身体には被爆の影響が現れている。
そんなすずの前に、あの母を失った孤児が近づいて来る。周作とすずはこの孤児を家族として育てる決心をする。そこに、未来への一筋の光を見る思いがする。
ここでも、シラミが全身から湧いて来たりと、ユーモラスな描写も忘れない演出がいい。
観終わって、深い感動が押し寄せて来た。涙が自然と溢れた。良い映画を観たと心から思った。
いつの時代も、どんな環境に置かれても、人々の日常生活は続く。
貧しくとも、物がなくても、平和であれば人々は工夫をこらして、生きて行ける。命ある限り、人は生き続けなければならない。
今の日本で生きる人たちは、あの戦争が終わって71年間、戦争を体験していない。平和に慣れてしまっている。戦争というものを実感出来ない人たちも増えている。
だが71年前までは、確かに戦争があり、国土は焦土と化し、多くの命が失われて行った。そんな多大な犠牲を払って獲得したのが、今に続く平和である。その事を、いつまでも我々は忘れてはならない。
もう二度と、あんな不幸な時代を招いてはならない。そんな、あの時代を生きた人々の願いを、声高にではなく、静かに伝えているのが本作である。
そしてこの映画は、過去を描いているだけではない。日本は平和だけれども、世界では今も戦争、内紛が続き、多くの命、財産が失われ、親を失った子供たちが泣いている。
広島ですずたちが拾った孤児は、今のシリア、イラク、南スーダンにも存在しているのである。
本作の「この世界の片隅に」というタイトルも、考えれば意味が深い。まさに、この世界中のどこか片隅では今も、戦火に苦しむ人たちがいる。その事に、私たちは思いを巡らせるべきである。
「火垂るの墓」を上に挙げたが、本作には高畑勲監督作品との類似性が感じられた。
戦中を生き、死んで行った人々を描いて涙と感動を誘ったアニメ、という点で「火垂るの墓」と似ている本作だが、牧歌的で柔らかなタッチの絵柄も、高畑監督の「かぐや姫の物語」(2013)や「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999)を思わせる。庶民の暮らしぶりや料理などをきめ細かく描いている点では、TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」、「おもひでぽろぽろ」(1991)等が頭に浮かぶ。
ポスト宮崎として、細田守や新海誠の名前が挙がっているが、ポスト高畑勲に、私は片渕須直の名前を第一に挙げたい。
かつて、「魔女の宅急便」の監督補も務めてジブリとは縁浅からぬ片渕監督を、後継者に悩むスタジオ・ジブリは是非迎え入れていただいきたいと、鈴木プロデューサーには強くお願いしておきたい。
振り返れば、7年前の片渕須直監督作「マイマイ新子と千年の魔法」も素晴らしい傑作であり、同作に感動した私は片渕監督の新作を待ち焦がれていた。
本作の企画のスタートは2010年、片渕監督がこうの史代の原作に出会い、すぐに映画化を決意、その後文献や写真資料を読み漁り、徹底的に史実を調べ、当時の町並み、建造物もリサーチしたのだという。なんと空襲のあった日の気温や天候まで調べ上げたそうだ。資金集めにも苦労したが、クラウドファンディングで予想以上の資金が集まり、6年の歳月をかけてようやく完成にこぎつけた。まさに渾身の一作である。
マイナーな製作体制ゆえ、公開規模も68スクリーンと、「君の名は。」の初回301スクリーンに比べて4分の1以下だが、それでも第1週の興行ランキングで10位につけている。当初はテアトル東京系だけのミニシアター公開予定だったが、試写会で絶賛されたおかげか、一部のシネコンでも上映される事が決まり、観客動員に繋がった事はまことに喜ばしい。評論家や観客レビューも高評価で、これから口コミでもっと観客は増えるだろう。ロングラン・ヒットを祈りたい。
「マイマイ新子と千年の魔法」は、不当とも言える小規模公開(私が観た時は朝10時の1回きり上映)にも関わらず、観た人からの絶賛が相次ぎ、上映拡大を望む署名運動が自然発生的に巻き起こるほどのインパクトを与えた。今回のクラウドファンディングが大きく広がったのも、同作で片渕監督のファンになった方たちが賛同したせいかも知れない。素敵な事である。
本作でやっと、片渕須直監督が正当に評価される時代がやって来た。その事を、私は心から喜びたい。
すずの声を演じた、のんも素晴らしい。子供っぽさが抜け切れない少女時代から、結婚し、大人へと成長し、戦争の理不尽さに怒り悲しむ時代まで、まるですず本人が乗り移ったかのような豊かな表現ぶりに唸った。最優秀声優賞があるなら彼女に与えたい。
上述したように、この作品は子供に見せても大丈夫である。いや、見せるべきである。是非、子供を持つ親御さんたちは、子供を連れて映画館に足を運んで欲しい。そして観た方は、多くの人にこの作品の素晴らしさを伝えて欲しい。日本人が是非観るべき、これは珠玉の傑作である。必見。 (採点=★★★★★)
DVD「マイマイ新子と千年の魔法」 |
DVD「アリーテ姫」(片渕須直監督) |
原作コミック(全3巻)
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コメント
いやあ、凄い映画でした。まさに傑作ですね。見て良かった。
前半の淡々とした日常描写が見事なので、一転、呉空襲からの戦争描写のリアリティに鳥肌が立ちました。
後半はかなりつらい展開ですが、だからこそそれでも生きるというテーマが心に迫ってきます。
主演ののん始め声をあてる人たちの演技も見事でした。
今年は邦画の当たり年だと思っていました。
1位「シン・ゴジラ」2位「君の名は」で決まりかなと思っていましたが、それを超える様な本作に出会えて幸せでした。
私も本作が今年のベストワンです。
投稿: きさ | 2016年12月10日 (土) 11:40
◆きささん
本当、素晴らしい傑作でしたね。
興行が凄い事になっていて、小規模公開なのに、第1、2週が興行ランキング10位、3週目6位、4週目4位と週ごとに観客が増加するという信じられないような展開を見せています。劇場数もどんどん増えているようで、今週はどこまで上がるか楽しみです。
もう一つ話題では、先般発表されたヨコハマ映画祭でベストワン、のんさんが審査員特別賞を受賞しました。
この作品、おそらくキネ旬他の映画賞でも作品賞を総ナメしそうな予感がします。
こういう、大手配給会社に頼らない、地味で良心的な秀作をヒットさせる事ってとても難しいのがこれまでの常識でしたが、この作品がその壁をうち破ってくれたらとても素晴らしい事だと思います。応援して行きたいですね。
投稿: Kei(管理人) | 2016年12月11日 (日) 21:50
あけましておめでとうございます。
すみません、なぜかうちのブログに頂いたコメントが迷惑コメント扱いになってしまっていました。
原因不明ですが、ご迷惑をお掛けしました。
私も本作はダントツのムービー・オブ・ザ・イヤーです。
人々の大きな支持を受けて、ロングランしてもらって、まだ何度も見に行きたい作品です。
投稿: ノラネコ | 2017年1月 2日 (月) 14:54
◆ノラネコさん
あけましておめでとうございます。
やはりそうでしたか。コメント書き込んだ時、エラー・メッセージが表示されていましたから。
迷惑メールになったのはおそらく、私のニックネームがアルファベットなので、自動的に振り分けられたのでしょう。
今度からノラネコさん所に書き込む時は、ニックネームをカタカナにでもします(笑)。
私もこの作品は、上映中にもう一度みたいですね。
今年もよろしくお願いいたします。
投稿: Kei(管理人) | 2017年1月 2日 (月) 18:22
明けましておめでとうございます。
本作子供を挟んで1/4に家族で
鶴岡まちなかキネマにて鑑賞しました。
日常物のようなユーモアある描写が意外でしたが、
中盤空襲の場面から涙が止まりません。
本当はもっと悲惨な状況だったろうに
穏やかな場面もぐっと切なくなりました。
素晴らしい出会いはやはり映画館で、ですね。
本年も不定期書込みですが宜しくお願い致します!
投稿: ぱたた | 2017年1月 6日 (金) 14:42
静岡東部でもようやく公開となり家族で見てきました。マイマイ新子(私も署名しました。思えばこのサイトを読んだのがキッカケです。)から7年も経ってたんですね。片渕監督、本当に大変だったろうな。報われて良かった。その歳月と努力にやっと映画の神様が 味方して、奇跡の声優「のん」を呼び寄せたのかな。
投稿: オサムシ | 2017年1月 8日 (日) 00:32
◆ぱたたさん
本文にも書きましたが、子供さんにも是非見せて欲しいと強く思っていましたので、ぱたたさんがお子様と一緒にご覧になったとの報告、嬉しくなりました。今後も、いい映画をご家族で鑑賞なさってください。
今年もよろしくお願いいたします。
◆オサムシさん
「マイマイ新子」にご署名されたのですか。ありがとうございます。
本当に片渕監督、誠実に、いい映画を作って来られた、その苦労が最高の形で報われましたね。
>その歳月と努力にやっと映画の神様が 味方して、奇跡の声優「のん」を呼び寄せたのかな。
私もそう思いたいですね。この映画には、興行成績も含めて、いろんな奇跡が起こったと言えるかも知れませんね。素敵な事です。
今年も、いい年になりますように。
投稿: Kei(管理人) | 2017年1月 8日 (日) 11:53