「湯を沸かすほどの熱い愛」
銭湯・幸の湯は、経営する幸野家の父・一浩(オダギリ ジョー)が1年前に突然蒸発してから休業していた。母・双葉(宮沢りえ)は持ち前の明るさと元気さで、パートをしながら娘・安澄(杉咲花)を育てていた。だがある日双葉が仕事先で倒れ、医者から余命あと僅かの宣告を受けてしまう。それでも双葉は、“絶対にやっておくべき、4つのこと”を決め、それらを次々実行して行く。まず家出した夫を連れ帰り、家業の銭湯再開も果たし、気の弱い娘を独り立ちさせた。次に双葉は安澄と共に、車を駆って毎年タカアシガニを送ってくれる女性の元へと向かうのだが、それには家族の秘密を明らかにする目的も含まれていた…。
インディーズ出身で、長編デビューとなる自主映画「チチを撮りに」がヨコハマ映画祭新人監督賞受賞、同ベスト10位に入賞し注目された中野量太監督の、メジャー商業映画デビュー作となったのが本作である。
“余命宣告”に“学校での苛め問題”と、最近よく使われる題材が含まれているので、又かよ、とつい思ってしまったのだが、これはそんな既成概念をぶっ飛ばす、余命宣告を受けてもポジティブに、前に向かって生きる元気印の母親の奮闘を明るく描いた、見事な傑作であった。
(以下ネタバレあり)
「チチを撮りに」でも、気丈な母、愛人を作って家出した父、血縁のない家族、と、本作と共通する要素がいくつかあったが、切り口はいささか異なる。
幸野家は、父は蒸発して所在不明、娘の安澄は学校で制服を盗まれたりの苛めに遭い、と問題だらけ。そこに母が癌で余命2ヶ月…と、さらなる不幸が追い討ちをかける。不幸のトリプルパンチである。
これまでの映画なら、こんな状況では、陰々滅々、観ている方もやり切れない暗い作品になっただろう。
ところが本作は、余命宣告を受けた母・双葉が、そこから俄然張り切り、“死ぬまでにやっておくべき4つのこと”(これはスペイン映画「死ぬまでにしたい10のこと」(2002・イザベル・コヘット監督)のタイトルのもじり?(笑))を決めて実行に移すのである。
まずは娘に勝負下着を与え、逃げちゃダメ、戦え、と励ます。それが功を奏し、盗まれた制服も戻って来る。戻った制服を着て帰って来た安澄を母はギュっと抱きしめる。ここでちょっと泣かされる。
さらに興信所を使って父・一浩の所在を突き止め、乗り込んで行って無理矢理連れ戻し(2つ目)、銭湯を再開(3つ目)、その上逃げられた浮気相手の子供まで引き取り、家族として一緒に暮らす事も決断する。ダラシなくて冴えない夫よりよっぽど元気だ(笑)。
そして4つ目のやるべき事は、家族の秘密に関わる事だった。ネタバレになるのでここでは書かないが、安澄にはちょっとショックな秘密だった。
実は最初の方で、道端で一人の婦人が通行人に道を尋ねているのだが、身振りだけで意味が通じず困っている時に通りかかった安澄が、すぐにその意味を理解し伝えるシーンが出て来る。
何気ないが、これが安澄の秘密に関する伏線だった事が、相手の女性、
酒巻君江(篠原ゆき子)との出会いで明らかになる。ここでも私はジワーッと涙が出てしまった。うまい脚本である。
それ以外にも、何度か回想で、母(顔は見えない)が子供を捨てて去って行くシーンがあるのだが、これも双葉の過去の意外な秘密に関する伏線になっている。
こういう伏線のバラ巻き方がなかなかよく出来ている。
これら、いくつかの真実が明らかになって来る事によって、双葉という女性の強さ、誰に対しても変わらない優しさの源泉がどこにあったのかも判って来る。
実際、双葉の優しさは、多くの人に影響を与え、そしてその人たちをして、今度は双葉に対して何かをしてあげようという気にさせるのだ。
例えば、君江の元へ車を走らせる途中でヒッチハイクする青年、 向井拓海(松坂桃李)も、人生の目的を見失っていたのだが、双葉の優しさに触れて、やがて幸の湯を手伝う事を決心する(別れ際、双葉が拓海をギュッとハグするシーンもいい)。
遂には、興信所の 滝本(駿河太郎)までもが、仕事を度外視して双葉の為にあらゆる手助けをしてくれるようになる。
双葉の優しさの輪が、苦しんでいた娘・安澄、グータラな一浩、人生に迷っていた拓海、母に捨てられた鮎子(一浩の浮気相手の娘)、といったあらゆる人たちへと広がり、最後にはこれらの人たちがみな、幸野家の家族になって行く(実は全員、血は繋がっていないのだけれど)。
最後、双葉の葬儀シーンの後のサプライズが何かと話題になっているが、これは中野監督の確信的な結末のつけ方なのだろう。奇妙なタイトルの意味もそれで明らかになる。“熱い愛”が湯を沸かし、おくる人々の身も心も温かくする。その監督の意図を的確に表現したラストと言えるだろう。
前作「チチを撮りに」(これも変わった題名)でも、火葬場でドタバタ騒ぎがあったり、父の遺骨を川に捨てたり、その骨をでっかいマグロが食べるといった、葬儀に関するブラックかつシュールなエンディングがあったので、この作品を観ていれば、本作のラストも想定内と言えるだろう。
家族の絆、亡くなった家族をどうおくるか、というテーマは、前作、本作にも共通しており、本作に感銘した方は、「チチを撮りに」も是非ご覧になる事をお奨めする。
それにしても、本作には何度も泣かされた。死が近づこうとも、明るく、周囲の人々に愛を振りまき、人を幸せにする主人公、双葉のポジティブな生き方に心揺り動かされ、泣けた。こんな生き方、死に方を、我々は出来るだろうか。心に銘じるべきだろう。
宮沢りえが素晴らしい。こんなお母さんを演じられる歳になったのだなと、少女の時から観てきた私には感慨深いものがある。杉咲花も、鮎子を演じた伊東蒼も、みんな素晴らしい。
今年一番泣けた、素敵な秀作と言えるだろう。
インディーズ出身で、商業映画に進出した監督は多いが、商業映画デビュー(しかもシネコン全国上映)でいきなりベストテン上位級の秀作を作った監督は極めて稀である(自主映画出身の森田芳光も大林宣彦も、商業映画第1作(「の・ようなもの」「HOUSE」)はいずれもキネ旬ベストテン選外だった)。
…あ、新海誠監督の「君の名は。」もこのパターンに当てはまるか。山戸結希監督の「溺れるナイフ」もあるし。今年はインディーズ→商業映画デビュー監督(しかも皆秀作)の当り年と言えるだろう。
中野量太監督、着実に日本映画を背負って立つ一流監督の道を歩んでいる。次回作にも期待したい。 (採点=★★★★☆)
(付記)
本作のキーワードは、“赤”である。
最初の方で、学校の図画の授業で安澄が描いているのは、本物そっくりの赤いリンゴである。
静岡の君江の元に向かう為に借りた車は、車体の色が赤である。
そしてラストシーン、煙突から立ち昇る煙が、赤い色だった。
車に関して言えば、ヒッチハイクの
向井拓海が双葉に、何故この車を選んだのかと聞かれて、「車の色が赤だったから」と答えるシーンがある。
そしてどこから来たのかと聞かれて、北海道と答えるが、これは嘘だった。しかし双葉に言われて、その北海道へ行く決心をする。
赤い車、ヒッチハイク、北海道、と並べて思い浮かぶのが、山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」である。武田鉄矢が運転する車は赤いマツダ・ファミリアだし、舞台は北海道である。
多分拓海は、「幸福の黄色いハンカチ」の大ファンなのだろう。だからヒッチハイクする車は赤と決めているし、どこから来たと聞かれて即座に北海道と言ってしまったのだろう。
で、本作の舞台となる銭湯の名が、“幸の湯”である。これも「幸福の黄色いハンカチ」から拝借したのかも知れない。となると、中野監督も「幸福の黄色いハンカチ」(あるいは山田監督)のファンなのだろうか。本作のテーマ、家族、人情、笑いと涙、も山田洋次作品ではお馴染みであるだけに。
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