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2016年12月31日 (土)

2016年を振り返る/追悼特集

今年も、あとわずかですね。いかがお過ごしでしょうか。

毎年恒例となりました、この1年間に亡くなられた映画人の方々の追悼特集を、今年も行います。

 
ではまず、海外の映画俳優の方々から。

1月10日 デヴィッド・ボウイ氏 享年69歳
Devidobowie_2イギリスの代表的なミュージシャンですが、映画にも多く出演しています。本格的な俳優としての映画出演第1作は、ニコラス・ローグ監督の異色SF[地球に落ちて来た男」(1976)。そして何と言っても代表作と言えるのは、1983年の大島渚監督「戦場のメリークリスマス」における英軍将校役ですね。同年の「ハンガー」における吸血鬼役も印象的でした。その後は「ラビリンス/魔王の迷宮」(1986)における魔王役、デヴィッド・リンチ監督の「ツイン・ピークス-ローラ・パーマー最期の7日間」 (1992)におけるミステリアスなFBI捜査官役等が記憶に残りますが、それら以外ではも一つこれといった作品がないのが残念です。ミュージシャンとして偉大な足跡を残しているので、これだけでも十分なのかも知れません。それにしても69歳は若いですね。なお、息子のダンカン・ジョーンズは映画監督として活躍しています。

1月14日 アラン・リックマン氏 享年69歳
Drrazaras元々はイギリスの舞台俳優。1988年には映画界にも進出し、デビュー作「ダイ・ハード」(1988)でテロリストのリーダー役を演じ、いきなり強烈な印象を残しました。「ロビン・フッド」(1991)ではイギリス・アカデミー賞助演男優賞を受賞しています。そしてSF映画ファンを狂喜させたのが1999年のSFパロディ映画の快作「ギャラクシー・クエスト」における、トカゲのような頭を持つ宇宙人ドクター・ラザラスを演じる俳優アレクサンダー・デーン役(ややこしい)。著名な舞台俳優でありながら、こんなヘンテコな役を嬉々として演じているのですから立派です。最近では「ハリー・ポッター」シリーズの全作で、セブルス・スネイプ役を演じてました。本年公開の「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅」でアブソレムの声を当てたのが遺作となりました。この人も69歳没。早すぎる死が惜しまれます。        

2月28日 ジョージ・ケネディ氏 享年91歳
この人を最初に注目したのは、オードリー・ヘップバーン主演「シャレード」(1963)における、ヘップバーンを脅す凄みのある怪しい男役ですね。1962年以降、夥しい数の映画に、いずれも個性的な脇役で出演しています。私が好きなのは、ポール・ニューマン主演「暴力脱獄」(1967)での、ニューマンと心を通わせる男の役ですね。これでアカデミー助演男優賞を受賞。その後、1970年に始まる「エアポート」シリーズ(第1作の邦題は「大空港」)全作品に、役柄は異なりますが全てジョー・パトローニの役名で出演しています。1973年のクリント・イーストウッド主演、マイケル・チミノ監督(デビュー作)の「サンダーボルト」でも印象的な好演。そして日本の角川映画第2弾「人間の証明」にも刑事ケン・シュフタン役で出演。その後も多くの映画に出演していますが、後年はこれといった作品がないのが残念。1988年からは、おフザケコメディ「裸の銃を持つ男」シリーズ3作にエド・ホッケン役で連続出演してます。その後も題名も知らないB級、C級作品の出演が多いようです。1970年代までのキャリアに比べて寂しい気がしますね。

3月6日 ナンシー・レーガンさん 享年94歳
女優としてより、アメリカ合衆国大統領、ロナルド・レーガンの妻、アメリカ合衆国のファーストレディとしての方で有名ですね。1949年から、ナンシー・デイヴィスの名前で数本の映画に出演してますが、わが国ではほとんど未公開。映画出演は1958年まで。以後はテレビ・ドラマに出演の後引退。ロナルド・レーガンとは1951年に知り合い翌年結婚。当時のレーガンは大根役者と揶揄されてましたが(笑)、67年、役者に見切りをつけカリフォルニア州知事に転進。以後大統領にまで昇りつめるとはナンシーも予想もしていなかったでしょうね。あげまん女優と言えるかも知れません(笑)。

3月29日 パティ・デュークさん 享年69歳
この人はなんと言っても、映画「奇跡の人」(62)におけるヘレン・ケラー役が強烈に印象に残っています。最初は1959年からブロードウェイで舞台劇として作られ、パティがヘレン役に抜擢された時は13歳!映画に出演した時もまだ16歳でした。これでパティはアカデミー助演女優賞を受賞しています。以後も数本の映画に出演していますが、印象に残っているのは1969年の「ナタリーの朝」(ゴールデングローブ賞受賞)くらいで、これといった作品はなく、以後はテレビ出演が多くなります。テレビでは自身の名を冠した「パティ・デューク・ショー」が作られ、日本でも放映されて人気を博しました。1979年にはリメイク版の「奇跡の人」(79)で、今度はサリバン先生役を演じました。まあ印象に残っているのはこの作品くらい。あとは映画出演といえば「大火災」「スウォーム」といったパニック映画とかB級ホラー映画みたいなものばかりなのは、少女時代の輝かしい経歴に比べて寂しい限りです。それにしても今年は69歳で亡くなられた映画俳優が多いですね。

5月24日 バート・クウォーク氏 享年85歳
イギリス生まれのの中国系俳優。1957年に映画デビュー。スティーブ・マックィーン主演の戦争映画「戦う翼」やチャールトン・ヘストン主演の大作「北京の55日」、それに2本の007映画(「ゴールドフィンガー」「007は二度死ぬ」)に出演していますが、有名になったのは、ピーター・セラーズ主演のクルーゾー警部もの第2弾「暗闇でドッキリ」(64)における、クルーゾーが帰宅する都度、毎回空手で襲いかかる召使カトー(映画ではケイトーと発音)役です。以降、「ピンク・パンサー」シリーズの全作にカトー役で連続出演。シリーズを重ねるごとに、いつカトーがクルーゾーを襲うかがファンの楽しみになっていた感があります。なんとセラーズ死去後も作られ続け、やはりクウォークが出演しています。これだけ愛されるのも役者冥利に尽きると言えるでしょう。

7月24日 マーニ・ニクソンさん 享年86歳
数々の著名なミュージカル映画において、女優の歌唱シーンの吹き替えを担当していた「最強のゴーストシンガー」として知られています。例えば、「王様と私」のデボラ・カー、「ウエスト・サイト物語」のナタリー・ウッド、「マイ・フェア・レディ」のオードリー・ヘプバーン、といった女優たちが歌う歌をすべて吹き替えて歌いました。凄いのは、その女優の特有の発音や声色の特徴をつかんで歌ってるので、まるで本当にその女優が歌っているかのようでした。まさに「最強のゴーストシンガー」です。最初の頃は、映画会社もニクソンの名前を極力伏せていたので、その存在さえ知られていませんでしたが、ファン等の後押しもあって徐々に名前が表に出るようになり、ついに「サウンド・オブ・ミュージック」では修道女役の一人としてスクリーンにその姿を見せる事となりました。今では例えば「スター・ウォーズ」のダース・ヴェイダーの声は当初からジェームズ・アール・ジョーンズと知られていたように、吹き替え役者の存在は当たり前になっていますね。時代は変わるものです。でも、もっとミュージカルで準主役級ででも活躍していただきたかったですね。

8月13日 ケニー・ベイカー氏 享年81歳
その「スター・ウォーズ」で、ロボット、R2-D2の中に入っていたのが身長約1メートルのケニー・ベイカー。1作目から最新作「フォースの覚醒」まで全シリーズでR2-D2を演じていました。ベイカーなくして「スター・ウォーズ」は成り立たなかったでしょう(今後は誰が中に入るのか気になります)。その他では、「バンデットQ」「フラッシュ・ゴードン」などにも出演していました。

8月28日 ジーン・ワイルダー氏 享年83歳
舞台俳優出身で、1967年のニュー・シネマの傑作「俺たちに明日はない」が映画初出演。翌年のメル・ブルックス監督「プロデューサーズ」(アカデミー助演男優賞ノミネート)で注目され、以後ブルックス監督作品の常連として、「ブレージングサドル」(74)、「ヤング・フランケンシュタイン」(74)に連続出演、人気者となります。その間71年の「夢のチョコレート工場」(原題:「チャーリーとチョコレート工場」)では、あのジョニデも演じたウィリー・ウォンカ役を好演。76年の主演作「大陸横断超特急」も大ヒットしました。「新シャーロック・ホームズ/おかしな弟の大冒険」(75)では監督業にも進出、幅広い活躍ぶりを見せました。ただ、80年代以降はこれといった作品が見当たらないのは残念です。

9月5日 ヒュー・オブライエン氏 享年91歳
読み方はヒュー・オブライアンとも。1950年代から映画出演していますが、ほとんどB級の西部劇ばかりで、あまりパッとしませんでした。しかし1955年にからテレビで放映された「保安官ワイアット・アープ」で主人公ワイアット・アープを演じ一気にブレイク、以後10年も続くヒット・シリーズとなります。日本でもテレビ放映され、こちらでも広く知られるようになりました。しかしこれのイメージが強すぎたせいか、その後も映画出演作はあるものの、ほとんど話題になりませんでした。生涯“ワイアット・アープ”役者で終わってしまった感があるのはある意味気の毒でしたね。

11月11日 ロバート・ヴォーン氏 享年83歳
黒澤明監督の名作「七人の侍」を西部劇としてリメイクしたジョン・スタージェス監督「荒野の七人」(1960)で七人のガンマンのうちの一人、早打ちのリー役を演じています。が、他のメンバーがユル・ブリナーを筆頭にS・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンと個性派揃いだったせいか、あまり印象に残りませんでした。その後テレビの「0011・ナポレオン・ソロ」(1964)の主役、ナポレオン・ソロ役で一気に有名になりました。この印象が強過ぎて、顔を見ればナポレオン・ソロを思い出してしまいます(笑)。他でまあまあだったのは、S・マックィーン主演の「ブリット」における政治家役程度でしょうか。後はほとんど記憶に残っていません。1959年には「都会のジャングル」でアカデミー助演男優賞にノミネートされたように、実力はあったのですがね。ここ数年は低予算B級映画ばかりで、しかもことごとく我が国未公開作ばかりでした。上のヒュー・オブライエン同様、テレビで大ヒットし過ぎるのも考え物ですね。

12月20日 ミシェル・モルガンさん 亨年96歳
Michele_morganフランスの大女優。…と言っても知らない方も多いでしょうね。戦前にジャン・ギャバンと共演した「霧の波止場」(1938)と「曳き舟」(1941)で一躍スター女優となりました。1946年の「田園交響楽」では第1回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞しています。その後もキャロル・リード監督「落ちた偶像」(48)、ジェラール・フィリップと共演した「夜の騎士道」(55)、など、多くの秀作に出演、近年もジュゼッペ・トルナトーレ監督「みんな元気」(90)で題名通り元気な姿を見せてくれました。1996年にはヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を授与されています。

12月27日 キャリー・フィッシャーさん 亨年60歳
年末ギリギリに悲報が飛び込んできました。「スター・ウォーズ」のレイア姫役、キャリー・フィッシャーさんが12月23日、心臓発作で倒れ、27日に亡くなりました。
父が歌手エディ・フィッシャー、母がハリウッドの人気女優デビー・レイノルズというサラブレッド。13歳の時に舞台に立ち、75年に「シャンプー」で映画デビュー。そして77年の「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」でレイア姫役に大抜擢。以後はご存知の通り。1980年の「ブルース・ブラザース」ではブチ切れて暴れまくる美女役を怪演。90年には「ハリウッドにくちづけ」で小説家としてもデビュー。同作の映画化では脚本にも参加、以後数本の映画脚本も執筆する等マルチな活躍ぶりを見せていました。昨年の「エピソード7/フォースの覚醒」でも年とったレイア役を演じていましたね。まだまだ若く、今後の「スター・ウォーズ」シリーズでも活躍が期待されていましたのに。惜しいですね。
現在製作中の「スター・ウォーズ エピソード8」の出演場面は既に撮り終えてるそうですが、最終作「エピソード9」にも登場シーンがあるとすればどうなるのでしょうか。ひょっとしたら「ローグ・ワン」のモフ・ターキン同様、CG出演になるのでしょうか。気になりますね。
…それにしても今年は、8月にR2-D2役のケニー・ベイカーさん、それにキャリーさんと、「スター・ウォーズ」に縁の深い方が相次いで亡くなられた訳ですね。

12月28日 デビー・レイノルズさん 享年84歳
…と書いていた直後に、今度はキャリー・フィッシャーの母親、デビー・レイノルズさんも急死。1日違いで親子とも亡くなられたわけですね。ショックです。
DebbiecarrieMGMミュージカルの大ファンである私は、デビー・レイノルズがジーン・ケリーと共演した「雨に唄えば」(1952)が一番のお気に入りで、もう何回見たか数え切れません。それ以外にも多くの映画に出演。明朗コメディを得意としておりました。61年の主演作「ママは二挺拳銃」も楽しい快作でした。タイタニック沈没事故でも有名な実在の人物を演じた64年の「不沈のモリー・ブラウン」ではアカデミー主演女優賞にノミネートされました。晩年に至るまで映画に出続け、2013年のマイケル・ダグラス主演「恋するリベラーチェ」でも存在感を示しました。また「雨に唄えば」を見て、彼女を追悼する事にします。

 

さて、日本の俳優に移ります。

1月12日 川口小枝さん 享年68歳
“かわぐち さえだ”と読みます。母が日本舞踊・川口流の家元。本人も川口流の後継者として日本舞踊の古典・新作を意欲的に発表。それだけに飽き足らず、映画にも積極的に出演。大島渚監督の「白昼の通り魔」(66)の体当り演技が鮮烈に印象に残っています。その他では、義父の武智鉄二が監督した「源氏物語」(66)、ハードコアで話題となった「白昼夢」(81)などにも出演。しかし振り返ってみると、やはり「白昼の通り魔」1本だけで記憶に残る女優という事になるのでしょうか。この方も68歳とまだ若いのに、惜しいですね。

5月18日 伊藤ユミさん(ザ・ピーナッツ) 享年75歳
ザ・ピーナッツの妹の方。姉の伊藤エミさんも2011年に亡くなっています。日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」は昔夢中になって見ておりました。映画でも「モスラ」シリーズの小美人役が印象深いですね。歌も大好きでした。早くに引退(1975年)。その後は表に出る事はほとんどありませんでした。悲しいです。

6月14日 白川由美さん 享年79歳
1956年、東宝にスカウトされ銀幕デビュー。“日本のグレース・ケリー”のキャッチフレーズで売り出され、多くの東宝作品で活躍しました。ご主人は元日活映画スターの二谷英明。
小津安二郎監督「小早川家の秋」(1961)、成瀬巳喜男監督「流れる」(64)等名匠の作品にも出演していますが、個人的にお気に入りは、東宝お得意の円谷英二特撮SF作品での活躍ですね。「空の大怪獣ラドン」に始まり、「地球防衛軍」「美女と液体人間」「電送人間」「妖星ゴラス」などに出演、作品に色を添えました。後年はテレビ出演が多くなり、映画出演は1983年の近藤真彦主演「嵐を呼ぶ男」が最後になったようです。

6月14日 中川梨絵さん 享年67歳
にっかつロマンポルノでの力演が忘れられません。特に神代辰巳監督「恋人たちは濡れた」、田中登監督「(秘)女郎責め地獄」の2本は傑作で、中川さんも強烈な印象を残す名演でした。その他では、黒木和雄監督「竜馬暗殺」(74)も良かったですね。

6月16日 曽根晴美氏 享年78歳
Soneharumi元はプロ野球・東映フライヤーズの選手でしたがケガの為選手生活を断念。たまたま親会社の東映がニューフェイスを募集していたので応募、見事1957年、第4期東映ニューフェイスに選ばれて映画俳優へと転進しました。一度見たら忘れられないお顔で、東映の現代アクションで大活躍しました。61年の深作欣二の初監督作にして千葉真一の初主演作でもある「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」に主人公のライバル“スペードの鉄”役で共演。曽根さんの役名が、日活の小林旭主演「渡り鳥」シリーズにおける宍戸錠の役名(“ハートの政”とか)にそっくりで、明らかに映画自体、当時大ヒットしていた「渡り鳥」シリーズにあやかろうとしてますね(笑)。なお、続編での曽根さんの役名も“ジョーカーの鉄”でした(笑)。
その後も数多くの東映現代アクションに助演、特に深作欣二監督作が多く、後の「仁義なき戦い」シリーズでも準レギュラー出演しています。また日活にも呼ばれ、澤田幸弘監督の傑作「斬り込み」「反逆のメロディー」にも出演。貴重なバイ・プレーヤーとして活躍されました。後年にはVシネマのプロデューサーも務めています。個性的な、いい役者でした。

8月6日 梅津 栄氏 享年88歳
この方も個性的なバイ・プレーヤーでした。1953年の家城巳代治監督「雲流るる果てに」が多分デビュー作。以後各社を股にかけて無数の映画、テレビに助演しています。若い時から、老け役を得意としていました。お名前は知らなくても、お顔を見ればああこの人か、とすぐに分かるはずです。

9月26日 風見章子さん 享年95歳
優しい日本のお母さん役が似合う、いい俳優でしたね。
1935年、13歳の頃、芸事が好きな彼女の父親が、本人に無断で浅草・エノケン一座の新人募集に応募し、合格すると、特に逆らう事もなくエノケン一座に入団したのが俳優人生の始まりです。とは言うものの、舞台経験のない風見さんはなかなか馴染めず、そうするうちに日活が新人女優を募集しているのを知って応募、またも合格して、映画俳優の道を歩み始めます。数本の助演の後、39年に内田吐夢監督の「土」に抜擢され、主人公小杉勇の娘役を好演、一躍有名となり、以後数多くの映画で主演、助演を務める事となりました。テレビドラマ・ケンちゃんシリーズや、映画では「飢餓海峡」(65)の三國連太郎の妻役、黒澤明監督「赤ひげ」(65)の内藤洋子の母役などが印象に残ります。2000年には映画「忘れられぬ人々」(篠崎誠監督)で仏ナント三大陸映画祭の主演女優賞を受賞、最近も「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」(2013)におけるさわ子の祖母役などで元気なお姿を見せておりました。

10月23日 平 幹二朗氏 享年82歳
この方について強烈に印象に残っているのは、何と言ってもフジテレビ系で1963年から放映された、五社英雄演出「三匹の侍」における、ニヒルな浪人・桔梗鋭之介役でしょうね。豪快・丹波哲郎、トボけた長門勇とそれぞれ異なったキャラクターで、リアルな殺陣も見ごたえがあり、毎回夢中になって見ておりました。
俳優座養成所五期生で、1956年頃から舞台で活躍されていました。映画は58年頃から、主に東映の時代劇を中心に活躍されました。中でも印象的だったのは、中村錦之助主演・内田吐夢監督の傑作「宮本武蔵 二刀流開眼」(1963)、「宮本武蔵 一乗寺の決斗」(1964)における吉岡伝七郎役ですね。64年公開の映画版「三匹の侍」でも桔梗役。また66年から放映された、主役が丹波哲郎から加藤剛に交代したリニューアル版「三匹の侍」でも引き続き桔梗役を演じました。当り役とも言えるでしょうね。声優としても、高畑勲監督の傑作「太陽の王子 ホルスの大冒険(1968)における悪魔グルンワルドの声は、さすが舞台俳優、堂々たる貫禄でした。70年にはNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」で原田甲斐を演じ、これも評判になりました。さらに76年からは、蜷川幸雄演出の舞台劇でも名演技を披露、まさに舞台、テレビ、映画を股にかけての大活躍でした。あまり知られてないけど、鈴木清順監督のカルト的秀作「殺しの烙印」(1967)の続編、「ピストルオペラ」(2001)で、オりジナルでは宍戸錠が演じた花田五郎役を演じていて、個人的にはこれも好きですね。生涯現役役者を全うした、日本を代表する名優だったと言えるでしょう。

11月11日 りりィさん 享年64歳
シンガー・ソングライターとして発表した「私は泣いています」(1972)は大ヒットしましたね。俳優としても、1972年の大島渚監督「夏の妹」を皮切りに多数出演、特に1997年辺りからは積極的に出演されてます。テレビ「半沢直樹」における半沢の母親役なんかが印象に残っています。今年公開の岩井俊二監督「リップヴァンウィンクルの花嫁」では裸になっての文字通り体当たりの熱演で圧倒されました。助演女優賞ものですね。これも傑作「湯を沸かすほどの熱い愛」では数カットのみ出演。もう少し見たかったですね。来年公開の「彼らが本気で編むときは」(荻上直子監督)が遺作のようです。64歳は若いですね。

12月15日 島木譲二氏 亨年72歳
吉本新喜劇の「パチパチパンチ」で有名ですね。芸名の由来は、映画「俺は待ってるぜ」で石原裕次郎が演じた元ボクサーのレストラン店主・島木譲次からだそうです。映画にもちょくちょく出ていますが、強烈だったのがリドリー・スコット監督「ブラックレイン」(1989)における、若山富三郎演じるヤクザのボスの子分役ですね。私は吉本新喜劇は見ないので、この映画で初めて島木さんを見て、「うわー怖い、まるで本物のヤクザみたいだ、誰だこの役者は」と思ったものでした。本職がコメディアンだとは想像も出来ませんでした。もっと映画に出て、主役を食うような演技を見せて欲しかったですね。

12月29日 根津甚八氏 享年69歳
高校時代から演劇に熱中、大学に入るも中退して唐十郎率いる劇団状況劇場に入団、数多くの唐演出作品に出演しました。76年頃からはテレビ、映画にも出演するようになります。映画初出演は唐十郎が監督も努めた安藤昇主演「任侠外伝・玄界灘」(76)。以後「その後の仁義なき戦い」(79・工藤栄一監督)、黒澤明監督の「影武者」(80)と映画出演が続き、82年の柳町光男監督の秀作「さらば愛しき大地」で日本アカデミー賞やキネマ旬報の主演男優賞を受賞するに至ります。石井隆監督とは相性がいいようで「ヌードの夜」(93)を皮切りに、「天使のはらわた 赤い閃光」(94)、「夜がまた来る」(94)と連続出演、その勢いで95年の石井隆監督の話題作「GONIN」でも元刑事・氷頭要役を快演。その他数多くの映画に出演し存在感を示しました。2001年頃からうつ病を患い、またケガや病気と闘い続けました。2010年に俳優引退を発表、以後は療養生活を続けていたようです。しかし旧知の石井隆監督に乞われ、2015年の石井作品「GONINサーガ」では車椅子のままで映画出演、前作と同じ氷頭役を演じ、これが遺作となりました。渋い、いい役者だったのに、残念ですね。

 
さて、ここからは映画監督の部です。まず外国勢から。

1月19日 エットーレ・スコラ氏 享年84歳
イタリアの映画監督。最初は脚本家として、1953年頃から、主に艶笑コメディの脚本を多く書いていました。1964年の「もしお許し願えれば女について話しましょう」で監督業に進出。「ジェラシー」(1970)、「あんなに愛しあったのに」(1974)などが注目されました。80年の「パッション・ダモーレ」は翌年のカンヌ国際映画祭でパルムドール・ノミネート。受賞は逃しましたがスコラ監督は栄誉賞を受賞しました。地味ですが心に残る、いい映画を作り続けましたね。

1月29日 ジャック・リヴェット氏 享年87歳
1991年の「美しき諍い女」には圧倒されました(第44回カンヌ国際映画祭で審査員グランプリ受賞)。上映時間が4時間もある超大作で、女優エマニュエル・ベアールが全編ほとんどヌードで演じてるのですがいやらしさはなく、格調高い秀作でした。これも長いですが、71年にはなんと上映時間12時間40分!という「アウト・ワン」を監督しています。他にもいくつか映画を監督していますが、「美しき諍い女」があまりに孤高の存在であるような気がします。

4月20日 ガイ・ハミルトン氏 享年93歳
ご存知、007映画第3作「007/ゴールドフィンガー」が大当りした事で有名になりました。その後も「007/ダイヤモンドは永遠に」(71)、「007/死ぬのは奴らだ」(73)、「007/黄金銃を持つ男」(74)と計4本の007映画を監督しています。あまり知られていませんが、キャロル・リード監督の映画史に残る傑作「第三の男」の助監督も務めています。
007で名を上げた後は、「空軍大戦略」(69)、「ナバロンの嵐」(78)、アガサ・クリスティのミステリー「クリスタル殺人事件」(80)、「地中海殺人事件」(82)と多くの大作、話題作を手掛けていますが、器用にまとめているだけの気がします。むしろ個人的に好きなのが、まだ有名になる前の英・伊合作「好敵手」(1962)ですね。第二次大戦下、デヴィッド・ニーヴン演ずるイギリス軍の将校が偵察中に不時着、イタリア軍に捕まってしまいますが脱出、逆に捕まえた方のイタリア軍将校(アルベルト・ソルディ)を捕虜にし、共に戦場をさまよううちに、いつしか敵同士である事を忘れ、友情が芽生えて来る、という不思議な味わいのコメディです。実はこの作品、ゴールデングローブ賞の外国映画作品賞を受賞しているのです。ビデオも出ていないようですが、今も忘れられない、ガイ・ハミルトン監督の隠れた傑作だと言えるでしょう。TSUTAYAの発掘名作特集でDVD化を希望したいですね。

7月2日 マイケル・チミノ氏 享年77歳
脚本家として、ダグラス・トランブル監督「サイレント・ランニング」(72)、クリント・イーストウッド主演「ダーティハリー2」(73)などの脚本を書いて、やがてイーストウッドに認められ、イーストウッド主演作「サンダーボルト」で監督デビュー。そして監督2作目「ディア・ハンター」(78)で見事アカデミー監督賞を受賞。…と、ここまでは順風満帆だったのですが、1980年の超大作「天国の門」が大コケ、大赤字を出して製作した老舗映画会社のユナイテッド・アーティスツが倒産する引き金となってしまいました。それでも本人は85年の「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」で監督として復活、主演のジョン・ローンは評価されましたが、「天国の門」でハリウッドから総スカンを食らったせいか、ワースト作品を表彰するゴールデン・ラズベリー賞に各部門ノミネートされる始末です。その後も監督作はありますが、映画会社を倒産させた、重い十字架を背負った生涯だったと言えるのではないでしょうか。

7月4日 アッバス・キアロスタミ氏 享年76歳
「友だちのうちはどこ?」 (1987)、「そして人生はつづく」(1992)、「オリーブの林をぬけて」(1994)の三部作はどれも傑作ですね。その後も「桜桃の味」(1997)がカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞、「風が吹くまま」(1999)でヴェネツィア国際映画祭審査員賞特別大賞を受賞と名声を欲しいままにしました。2012年には「ライク・サムワン・イン・ラブ」を、どういう経緯か、日本側の出資を得て監督しました。イラン映画界を代表する巨匠と言えるでしょう。

7月13日 ヘクトール・バベンコ氏 享年70歳
アルゼンチンの映画監督で、1985年の「蜘蛛女のキス」が話題になり、これでアカデミー作品賞・監督賞を含む4部門ににノミネートされ、主演のウィリアム・ハートが主演男優賞を受賞しました。87年の「黄昏に燃えて」も好評でした。その他いくつかの監督作品がありますが、「蜘蛛女のキス」が一番の代表作と言えるでしょうね。

7月19日 ゲイリー・マーシャル氏 享年81歳
1990年の大ヒット作「プリティウーマン」で一躍名を上げましたが、その後日本で公開された作品は、原題にはないのに「プリティ」と付く作品が目立ちましたね。「プリティ・ブライド」(99・原題:RUNAWAY BRIDE)、「プリティ・プリンセス」(2001・原題:THE PRINCESS DIARIES)など。作品的には可もなく不可もなくといった出来でどうって事はないのですが、「プリティ・ウーマン」ではジュリア・ロバーツをブレイクさせ、「プリティ・プリンセス」では今をときめくアン・ハサウェイを銀幕デビューさせる等、女優発掘では功績を残した言えるでしょう。 

8月17日 アーサー・ヒラー氏 享年92歳
「ガンスモーク」「ライフルマン」「ヒッチコック劇場」「ベン・ケーシー」等、名だたるテレビ・ドラマの演出で頭角を現し、「裸の町」(62)ではエミー賞候補にもなりました。1957年には映画界に進出、そして1970年の「ある愛の詩」が大ヒットし、これでアカデミー監督賞にもノミネートされ、一流監督の仲間入りを果たしました。72年のピーター・オトゥール主演のミュージカル「ラ・マンチャの男」といった大作もありますが、どちらかと言えば「おかしな夫婦」(70)や、「大陸横断超特急」(76)、「あきれたあきれた大作戦」(79)といったコメディの方が私は好きですね。…それにしても遺作となったのが、監督名を隠す際の偽名・アラン・スミシー名義の「アラン・スミシー・フィルム」(98)とはねぇ。ワースト映画対象のラジー賞で最多8部門(監督賞も)ノミネート、ワースト作品賞他5部門受賞という不名誉な記録を残しました。もっと仕事を選んで欲しかったですね。見る気もなかったのですが、DVDも出ているようなので、追悼の意味で見てみましょうかね。

9月3日 レスリー・H・マーティンソン氏 享年101歳
この人もテレビ映画出身。「シャイアン」(55~)「ミッキー・ルーニー・ショー」(54)、「コルト45」(57~)、「スパイ大作戦」(66~)等の話題作を手掛けています。1954年に劇場映画監督デビュー。テレビのヒット作の映画化作品「バットマン」(66)、「空から赤いバラ」(67)が目に付く程度のどうって事ない2流監督(失礼)なのですが、ここで取り上げたのは、私が子供の頃見て記憶に残っている映画「魚雷艇109」(63)の監督だった事を知ったからです。ジョン・F・ケネディ大統領の若き日、第二次大戦において魚雷艇の艇長として従軍しますが、艇が日本軍の駆逐艦に体当たりされて沈没し、仲間と漂流した実話の映画化です。主演のクリフ・ロバートソンがケネディにそっくりでした。この映画が公開された同じ年、ケネディが暗殺されたので今も映画の記憶が鮮明に残っています。

9月20日 カーティス・ハンソン氏 享年71歳
1971年監督デビュー。初期はB級的な作品が多かったのですが、91年の「ゆりかごを揺らす手」がサスペンスとして結構面白く、94年のメリル・ストリープ主演「激流」も迫力満点、見ごたえがありました。そして97年の「L.A.コンフィデンシャル」が絶賛され、監督としての評価を決定付けました。2000年の「ワンダー・ボーイズ」、2002年のエミネム主演「8Mile」もまずまず。しかしその後はいま一つでした。「L.A.コンフィデンシャル」級の力作をもう一度見たかったですね。         

10月9日 アンジェイ・ワイダ氏  享年90歳
Anjeiwaidaポーランドを代表するだけでなく、世界的に著名な名監督でした。第二次世界大戦中はレジスタンス活動にも従事、54年の「世代」で監督デビュー。56年の「地下水道」、そして傑作「灰とダイヤモンド」(58)と続く、いわゆる“抵抗3部作”で名を上げました。77年の「大理石の男」、81年「鉄の男」も秀作でしたね。2013年の遺作となる「ワレサ 連帯の男」を含めて“男3部作”と言えるかも知れません。
しかし凄いのは2007年の「カティンの森」。監督の父も犠牲となった、ソ連軍によるポーランド将校1万数千名を虐殺したいわゆる“カティンの森事件”を、鬼気迫る入魂の演出で見事に描いています。歴史の闇に光を当てただけでなく、帰って来ない父を、夫を待ち続ける家族の姿もきちんと描いている点でも高く評価したい秀作です。これを監督したのが81歳の時というのも凄いですね。「灰とダイヤモンド」は何度見ても心震える歴史的な名作です。本当に尊敬すべき、素晴らしい監督でしたね。

 

さて、日本の監督に移ります。                   

3月13日 出目昌伸氏 享年83歳
黒澤明監督の助監督を務め、1968年の「年ごろ」で監督デビュー。で、私がこの監督の作品で一番好きなのが、2作目の「俺たちの荒野」。黒沢年男ら3人の若者たちが米軍基地横にある空き地に城を建てることを夢見て働くのですが、やがて仲間の少女(酒井和歌子)を二人とも愛してしまい、友情が脆くも壊れてしまうという、切ない青春映画の秀作です。男二人もどこかホモ的な空気が漂うところが秀逸。明らかにアラン・ドロン主演「冒険者たち」に影響を受けていますが、日本映画でこれほどリリシズムに満ちた洋画に近い感覚の青春映画は始めてではなかったでしょうか。この作品で私は出目監督の大ファンになりました。
しかしその後はどれもパッとしません。「その人は女教師」「神田川」「沖田総司」などの若者映画、「忍ぶ糸」「天国の駅」等の大作もありますが、どれも私の心に響きませんでした。95年の「きけ、わだつみの声」に至ってはどうしようもないワースト作品でした。「用心棒」「赤ひげ」等でチーフの森谷司郎に次ぐセカンド助監督だったのですが、作品歴まで森谷監督の二番煎じみたいなものばかりだったのには、ファンだっただけに本当にガッカリしました。奮起して欲しかったですね。

5月12日 蜷川幸雄氏 享年80歳
元々は俳優で、「劇団青俳」に所属、舞台劇に出ていましたが、1960年頃からいくつかの映画に出演しています。東映の今井正監督「仇討」(64)、篠田正浩監督「暗殺」(64)等に出演していますが、目立つ存在ではありませんでした。その後演出家に転進、やがて日本を代表する舞台演出家となったのはご承知の通り。澤井信一郎監督「Wの悲劇」(84)では本人を思わせる舞台劇演出家役で出演しました。81年の「海よお前が -帆船日本丸の青春-」からは映画監督としても活躍。「魔性の夏 四谷怪談より」(81)、「青の炎」(2003)、「嗤う伊右衛門」(2003)、「蛇にピアス」(2008)と監督作がありますが、どれも、カッチリとは作ってはいるのですが、ごく普通の作品でした。舞台も数本見ましたが、どれもシュールでめくるめく蜷川演出に圧倒されただけに、映画の方でも舞台を思わせる華麗な演出を期待したかったですね。

6月20日 瀬川昌治氏 享年90歳
プロデューサー志望で、新東宝に入社しましたが演出に興味を示し、助監督、脚本家を経て、やがて60年、東映で監督デビュー。いくつかの喜劇を作っています。谷啓主演の「図々しい奴」(64)、渥美清主演「喜劇 急行列車」(67)に始まる「列車」シリーズ等で知られています。このシリーズはやがて瀬川監督ごと松竹に移って「喜劇 大安旅行」(68)に始まる「旅行」シリーズ(主演はフランキー堺)となります。「旅行」シリーズは11本も作られる、松竹の人気シリーズとなりました。
瀬川作品で私が好きなのは、フランキー堺主演「喜劇 男の泣きどころ」(73)ですね。フランキー堺が警視庁のポルノ取締り係、戦友の藤岡琢也がポルノ映画会社の社長で、笠智衆がポルノ映画の巨匠というのが笑えます。笑いと風刺と、哀愁味が絶妙にブレンドされた佳作でした。ストリッパー役の太地喜和子も熱演でしたね。愛川欽也とタモリが共演の「喜劇役者たち 九八とゲイブル」(78)も楽しい快作です。近年、瀬川作品の再評価が高まり、東京では瀬川監督特集も組まれたそうです。プログラム・ピクチャー(それもほとんど喜劇)一筋に生きた、職人監督の生涯だったと言えるのではないでしょうか。

8月27日 松山善三氏 享年91歳
日本を代表する名脚本家ですね。1948年、松竹大船撮影所に助監督として入社。助監督修行の傍ら、脚本をコツコツと書き、やがて木下恵介監督に認められ、木下門下となります。そして54年、大映作品「荒城の月」で脚本家デビュー。但しクレジットでは「松山善太」となっております。これは松山さんが当時まだ松竹の助監督であったので、他社の大映の仕事を本名でするのはまずいと思ったから変名にしたものと思われます。同年の、木下門下の兄弟子である小林正樹監督の松竹作品「この広い空のどこかに」でも潤色:松山善太とクレジットされています。松竹作品なのだから本名でもいいはずですが、しばらくは脚本家としては松山善太名義で行こうとしたのかも知れません。55年の「美わしき歳月」は、雑誌「映画評論」にシナリオが掲載された時は作・松山善太となっていましたが、完成した映画のクレジットでは「松山善三」になっていました。以後松山善太の名前は使われなくなります。私の想像ですが、松山さんは55年3月に女優高峰秀子さんと結婚しており、「美わしき歳月」の映画公開は同年5月、即ち、結婚を期に本名で行く、と決心したのかも知れません。ただこんな経緯もあって、各データベースでは善太名義の作品が松山さんのフィルモグラフィから漏れるケースもあったりしますので注意が必要です。
脱線しましたが、以後松山さんは、木下恵介監督「遠い雲」(55)、小林正樹監督「黒い河」「あなた買います」(共に56年)と木下一門の脚本を手掛ける他、多くの脚本を書き、そして59年から61年にかけて作られた小林正樹監督「人間の條件」6部作の脚本で一気に日本映画を代表する名シナリオライターの地位を確保します。その後も、成瀬巳喜男監督「娘・妻・母」(60)、「妻として女として」(61)、「乱れる」(64)、「ひき逃げ」(66)、川島雄三監督「接吻泥棒」(60)、渋谷実監督「好人好日」(61)と、名匠、巨匠たちと組んで多くの秀作を書き続けました。
61年には監督としてもデビュー。その1作目「名もなく貧しく美しく」は聾唖夫婦の戦後史を描いて絶賛され、毎日映画コンクールとブルーリボン賞の脚本賞も受賞します。私もこの作品には号泣させられました。松山さんの最高作と言えるでしょう。以後監督として「山河あり」(62)、「われ一粒の麦なれど」(64)、「戦場にながれる歌」(65)、「続・名もなく貧しく美しく 父と子」(67)、「典子は、今」(81)と、ヒューマニズム溢れる秀作を次々発表します。1988年には、師匠木下恵介監督の「父」と同時上映で監督作「母」を発表。「父」は木下監督最後の監督作ともなりました。
高峰秀子さんとのおしどり夫婦ぶりでも知られ、本当に素敵なご夫婦でした。今頃は天国で高峰さんと再会しているかも知れませんね。

11月7日 荒戸源次郎氏 享年70歳
若い時は荒っぽい事もやっていたようですが、九州大学中退後上京し、唐十郎主宰の劇団状況劇場に入り、ここでも暴力事件を起こして入団10ヶ月で退団、と破天荒な人生を歩んでいます。72年、劇団天象儀館を旗揚げし、やがて天象儀館製作の映画「愛欲の罠」(監督・大和屋竺)を製作、これを足がかりに映画製作・配給を地産地消でまかなう拠点シネマ・プラセットを設立、その第1作、鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」(80)は日本アカデミー作品賞、キネマ旬報ベストワン等数々の賞を受賞、一躍日本映画の牽引車となりました。鈴木清順監督とは前作と合わせ、大正ロマン3部作として「陽炎座」(81)、「夢二」(91)とコラボを続けます。さらに89年には新人監督・阪本順治と組んだ俳優赤井英和のデビュー作品「どついたるねん」をプロデュース、これも話題となって、以後阪本監督とは「鉄拳」(90)、「王手」(91)、「トカレフ」(94)とコンビを組みます。
95年には「ファザーファッカー」で映画監督としてもデビューします。そして2003年、車谷長吉原作の「赤目四十八瀧心中未遂」を監督し、これが毎日映画コンクール、ブルーリボン賞でそれぞれ映画大賞、作品賞、キネマ旬報ではベストテン2位になる等、高い評価を得ました。監督作としては他に「人間失格」(2010)があります。まさに、日本映画の荒波の中を突っ走って来た波乱の人生と言えるでしょう。70歳は若いですね。まだまだ活躍していただきたかったです。

 

さて、ここからはその他の方々です。                                   

1月1日 ヴィルモス・スィグモンド氏 (映画撮影監督) 享年85歳
ヴィルモス・ジグモンドとも表記されます。ハンガリー出身で、1956年のハンガリー動乱後アメリカに亡命。言葉の問題もあって苦労しますが、映画撮影技術を学び、低予算映画をスタートとして、次第に力をつけて行きます。そして71年、ロバート・アルトマン監督「ギャンブラー」、同年のピーター・フォンダ監督・主演「さすらいのカウボーイ」等で頭角を現して行きます。「さすらいの-」では逆光を生かしたフォトジェニックな映像が魅力的でした。さらにジョン・ブアマン監督「脱出」(72)、ジェリー・シャッツバーグ監督の「スケアクロウ」(73)と秀作が続き、74年にはスティーヴン・スピルバーグ監督の劇場デビュー作「続・激突!/カージャック」も担当、77年のスピルバーグ監督「未知との遭遇」へと至ります。この作品でアカデミー撮影賞を受賞しました。その他ではマイケル・チミノ監督「ディア・ハンター」(78)、「天国の門」(80)、ブライアン・デ・パルマ監督とはコンビ作が多く、「愛のメモリー」(73)、「ミッドナイトクロス」(81)、「虚栄のかがり火」(90)「ブラック・ダリア」(2006)と続きます。近年もウディ・アレン監督「恋のロンドン狂騒曲」(2010)まで、精力的に活躍されました。

2月22日 ダグラス・スローカム氏 (映画撮影監督) 享年103歳
スピルバーグ監督とコンビを組んだ撮影監督がもう一人。「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(81)、「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(84)、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(89)と続くインディー・ジョーンズ3部作を担当しました。
第二次世界大戦で報道カメラマンとして活躍、やがてイギリスを舞台に映画撮影監督として活動を始めます。63年のジョセフ・ロージー監督「召使」で英国アカデミー賞撮影賞を受賞、以後イギリス、アメリカを股にかけて多くの話題作、秀作のカメラを担当します。ジョン・ギラーミン監督「ブルー・マックス」(66)、アンソニー・ハーヴェイ監督「冬のライオン」(68)、ノーマン・ジュイソン監督のロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」(73)がいずれも英アカデミー撮影賞にノミネート、そして74年のジャック・クレイトン監督「華麗なるギャツビー」(74)と77年のフレッド・ジンネマン監督「ジュリア」ではそれぞれ英アカデミー撮影賞を受賞、と快進撃、そしてスピルバーグ作品へと続きます。まさに華麗なるカメラマン歴ですね。

3月10日 ケン・アダム氏 (美術監督) 享年95歳
ドイツ、ベルリン生まれ。ナチスの迫害を逃れ、1934年に一家でイギリスへ移住します。戦後、映画界に入り、62年、イオン・プロが製作した007第1作「007は殺しの番号」(後に「ドクター・ノオ」と改題)の美術を担当して話題を集めます。以後、「007/ゴールドフィンガー」(64)、「007/サンダーボール作戦」(65)、「007は二度死ぬ」(67)、「007/ダイヤモンドは永遠に」(71)、「007/私を愛したスパイ」(77)、「007/ムーンレイカー」(79)まで、7本の007映画で優雅さとスケール感に満ちた見事な美術の腕前を発揮します。007シリーズの隆盛を支えた影の功労者と言えるでしょう。その他ではスタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」(64)、007の向こうを張ったスパイ・アクション「国際諜報局」(65)の美術を担当。また、再びキューブリック監督と組んだ「バリー・リンドン」(75)と94年の「英国万歳!」(ニコラス・ハイトナー監督)で、2度の米アカデミー美術賞を受賞する等、その腕前は高く評価されています。まさにイギリスを代表する美術監督と言えるでしょう。007映画を見る時は、ぜひケン・アダム氏造形の見事なセット・デザインにも注目してください。

5月5日 冨田 勲氏 (作曲家) 享年84歳
シンセサイザー奏者としても有名な作曲家で、テレビ、映画を通して幅広くバックグラウンド・ミュージックを担当しました。映画では1958年頃から、主に東映東京作品の音楽を担当、特に長期シリーズとなった「警視庁物語」では、58年の「顔のない女」以降62年の「19号埋立地」まで7本を手掛けました。注目すべきは、64年の「狼と豚と人間」以降、深作欣二監督作品が結構多いのですね。「脅迫(おどし)」(66)、「北海の暴れ竜」(66)、「解散式」(67)、「博徒解散式」(68)、「黒蜥蜴」(68)とざっとこんな具合。気があったのでしょうか。その他主な物では、内田吐夢監督「飢餓海峡」(65)、今井正監督「不信のとき」 (68)、中島貞夫監督「日本暗殺秘録」(69)といった問題作、勝新太郎「座頭市」シリーズや若山富三郎「極道」シリーズといった娯楽作、東映アニメの「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」(62)、「ガリバーの宇宙旅行」(65)、そして手塚治虫が監督した「展覧会の絵」(66)、「千夜一夜物語」(69)、「クレオパトラ」(70)など実に多彩。そしてテレビでも手塚治虫原作「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「どろろ」にNHK大河ドラマ「花の生涯」(63)、「天と地と」(69)やドキュメンタリー「新日本紀行」テーマ曲に至るまで、縦横無尽の活躍ぶりです。近年は山田洋次監督とのタッグが多く、93年に始まる「学校」シリーズ4作、藤沢周平3部作「たそがれ清兵衛」(2002)、「隠し剣 鬼の爪」(2004)、「武士の一分(いちぶん)」(2006)、そして「母べえ」(2007)、「おとうと」(2009)まで、多くの山田作品を支えました。2012年の本木克英監督「おかえり、はやぶさ」が映画での最後の作品のようです。まさに半世紀以上に亙って映画、テレビ界に貢献されて来た、音楽界の至宝的存在でした。冨田さんの抜けた穴は大きいのではないでしょうか。

6月6日 ピーター・シェイファー氏 (劇作家、脚本家) 享年90歳
イギリスの劇作家。62年発表の戯曲「The Public Eye」が好評で、これは72年に「フォロー・ミー」と改題されてキャロル・リード監督により映画化されました。同じく戯曲「エクウス」は75年にトニー賞、ニューヨーク劇作批評家賞の最優秀賞を獲得、これも77年に映画化されました(監督はシドニー・ルメット)。そして79年に発表した「アマデウス」もトニー賞を受賞、84年にミロシュ・フォアマン監督により映画化され、作品賞・脚色賞を含む8つのアカデミー賞を受賞、と、書いた戯曲がことごとく絶賛され映画化も大成功という輝かしい経歴を残しています。なおやはり劇作家のアンソニー・シェイファーは双子の兄で、こちらも戯曲として書いた「探偵<スルース>」が72年、ジョセフ・L・マンキウィッツ監督により映画化。これまたミステリーの傑作として高く評価されました。兄弟そろって凄いですね。

9月19日 松木ひろし氏 (脚本家) 享年87歳
この方のお仕事でどうしても特筆したいのが、植木等主演・古沢憲吾監督による「ニッポン無責任時代」(62・田波靖男と共同)及び同年の「ニッポン無責任野郎」の、いわゆる“無責任シリーズ”ですね。サラリーマン社会を痛烈に風刺し、時代風潮を見事に切り取った、コメディ史上に残る傑作だと思います。63年の「にっぽん実話(スキャンダル)時代」(福田純監督)も時代・世相を写す風刺劇の快作でした。が、それ以降は普通の他愛ないコメディ、青春ものばかりになったのは惜しいですね。68年の須川栄三監督「サラリーマン悪党術」は面白くなりそうで失速した感があります。やはり「無責任」シリーズは植木等・古沢憲吾コンビあっての成功だったのかも知れません。あと、前掲の出目昌伸監督のデビュー作「年ごろ」の脚本も書いています。      

10月25日 池谷仙克氏 (美術監督) 享年76歳
武蔵野美大出身で、学生時代に助監督のアルバイトを務めたことで映像業界に興味を持ち、その後、後に円谷プロで美術を担当する成田亨氏の誘いで円谷プロに入ります。舞台美術やテレビ「ウルトラマン」(66)の特殊美術助手を経て、「ウルトラセブン」(67~68)で特殊美術デザイナーに昇格。以後は「ウルトラマン」シリーズや「怪奇大作戦」などの円谷プロ作品、「シルバー仮面」「アイアンキング」などの特撮テレビ作品で美術、怪獣デザインを担当します。また「ウルトラマン」の監督をしていた実相寺昭雄監督に誘われ、実相寺監督の劇場映画デビュー作「無常」(70)の美術を担当、以後実相寺作品「曼陀羅」(71)、「あさき夢みし」(74)、「歌麿 夢と知りせば」(77)、「悪徳の栄え」(88)、「姑獲鳥の夏」(2005)の美術を連続して担当する事となります。またこれをきっかけに、その他の監督作品にも参加、橋浦方人監督の2本「星空のマリオネット」(78)、「海潮音」(80)、木村威夫氏の後を引き受けた鈴木清順監督「陽炎座」「夢二」、寺山修司監督「さらば箱舟」(82)  、相米慎二監督「台風クラブ」 (85)、篠田正浩監督「写楽」(95)、「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」(97)と個性的な監督との仕事が続きます。日本映画界の代表的美術監督となっても、晩年に至るまでテレビの特撮ドラマの美術を手掛けていたのは立派でしたね。

11月8日 ラウール・クタール氏 (撮影監督、映画監督) 享年92歳
戦後から、徴兵で第一次インドシナ戦争の戦地に赴き、11年間ベトナムで戦争写真家として働いていたという異色の経歴。その間「ルック」誌等に報道写真が掲載された事もありました。やがてインドシナ戦争のドキュメンタリー映画を撮っていたフランスの映画監督、ピエール・シェンデルフェールに、映画のカメラマンをやってみないかと誘われ、同監督作品「悪魔の通り道」(1959)で撮影監督デビューを果たします。そして同年、シェンデルフェール作品のプロデューサーであるジョルジュ・ド・ボールガールが手がけた、ジャン・リュック・ゴダール監督「勝手にしやがれ」の撮影を担当、映画はフランス・ヌーベルヴァーグの傑作としてセンセーショナルを巻き起こし、以後ゴダール作品の撮影を一手に引き受ける事となります。「女と男のいる舗道」(62)、「軽蔑」(63)、「気狂いピエロ」(65)、「ウイークエンド」(67)他多数。また同じヌーベルヴァーグ派のフランソワ・トリュフォー監督からも依頼され、「ピアニストを撃て」(60)、「突然炎のごとく」(61)、「柔らかい肌」(63)、とこれまた傑作を担当する事となります。その他、ジャック・ドゥミ監督「ローラ」(61)やコンスタン・コスタ・ガブラス監督「Z」(69)と引っ張りだこ。そして86年には、今度は日本のヌーベルヴァーグ・大島渚監督がフランスで撮った「マックス、モン・アムール」の撮影も担当。まさにフランス映画界を代表する名カメラマンの名声を欲しいままにしました。また70年には監督業にも進出、監督作「ホア・ビン」は第23回カンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞、同作は第43回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされる等、こちらでも才能を発揮しました。凄い人ですね。92歳没は、まあ大往生。お疲れ様、と言ってあげたくなりますね。

 
…と、今年も本当に素晴らしい功績を残された方たちがお亡くなりになりました。アンジェイ・ワイダ、ラウール・クタールといった、映画史の中の伝説になった方も含まれています。慎んで哀悼の意を表したいと思います。

 
―実は今年は公私共に忙しくて、この追悼特集も今年はやめようかなと思った事もありました。で、時間がないのでごく簡単に済まそうかなと書き始めたのですが、やっぱり思い入れのある方にはつい力が入り、結果として短くまとめた方と長文の方が入り混じり、バランスの悪い構成になってしまいました。申し訳ありません。

今年1年、おつき合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしく、良いお年をお迎えください。

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コメント

ローグワンを堪能した日に、救急搬送のニュース。映画のように「希望」が繋がってほしい…と願ったのですが、キャリー・フィッシャー、ダメでしたね。自分の中では、「放浪紳士チャーリー」を見た直後のチャップリンの訃報 、「ブラックレイン」の時の松田優作と並んで記憶に残りそうです。デビー・レイノルズについては「雨に唄えば」しか見てないのですが、ケーキから飛び出して踊る場面の可愛さと、「グッドモーニング」が最高です。大学時代にこの作品に出会わなければ 、今の私のハリウッドミュージカル偏愛は無いはずで、まさに人生を楽しくしてくれた一本です。余談ですが、無責任シリーズも私にとっては、コメディというよりミュージカルの面白さを教えてくれました。

投稿: オサムシ | 2016年12月31日 (土) 19:19

書き込み有難う御座いました。そして、昨年は色々御教示戴き、深謝に堪えません。今年も何卒宜しく御願い致します。

以前にも書かせて貰いましたが、映画の話題を主にしておられるブログが減ってきており、映画ファンとしては寂しく思っております。そういう意味でも、此方は非常に貴重な存在ですので、無理をなさらない範囲で、ずっと更新し続けて戴きたいです。

昨年、古くから親しんで来た方々が、次々と鬼籍に入られました。永六輔氏や大橋巨泉氏の訃報は、世界的に非寛容的&排他的な風潮が強まっている中、喪失感が大きかったです。

又、自ブログでは特記しませんでしたが、名脇役・梅津栄氏の訃報もショックでした。大好きだった「G’メン75」にも良く出演されていたし、癖の在る役をさらりと演じられる、非常に得難い俳優。合掌。

投稿: giants-55 | 2017年1月 1日 (日) 00:52

◆オサムシさん
オサムシさんも「雨に唄えば」がお気に入りですか。やはりデビー・レイノルズの最高作ではないでしょうか(と言う私もデビーの作品あまり見てない)。
>無責任シリーズも私にとっては、コメディというよりミュージカル…
そうですね。当然街中で歌い踊りだす所はまさしくMGMミュージカル。歌になると背景もきらびやかな舞台風セットになる作品もありましたね。
一度誰か、植木さんが歌って踊るシーンばかり集めたアンソロジー映画作ってくれませんかねぇ。


◆giants-55さん
ありがとうございます。応援していただく方がいる限り、頑張りますのでよろしくお願いいたします。
永六輔さん、大橋巨泉さんについてはここでも書こうとは思ったのですが、映画に限定した記載方針ですので割愛しました。おっしゃる通り、本当に今の時代にこそ必要な、惜しい方々だと痛切に思いますね。

投稿: Kei(管理人) | 2017年1月 4日 (水) 00:24

植木等のアンソロジーについてですが、かつて「クレージーキャッツ デラックス」という名のレーザーディスク(!)が 東宝から出ており、私、持ってます。クレージーキャッツの大ファンだったらしい故・大瀧詠一の監修(!!)で、植木等ばかりではないので若干ダレるところもありますが(クレージーのショーの場面なんかも入っている)、全36曲と大ボリュームです。DVD、ブルーレイ化は不明です。クレージー版ザッツ・エンタテインメントと言えば、その楽しさが伝わると思います。またまた余談で申し訳ありませんでした。

投稿: オサムシ | 2017年1月 4日 (水) 22:00

◆オサムシさん
えー、そんなLDが出ていたのですか。知りませんでした。それは是非見たいですね。
調べました所、DVDも出ているようです。TSUTAYAにも置いてあるようなので、探して借りてみようと思っています。
ただユーザーレビューによると、デジタルマスターではなく、VHSからのダビングなので画質は良くないとの事です。
大瀧詠一さんの監修内容を尊重した上で、東宝さん、デジタルで再編集した新装版を発売してくれませんかねぇ。

投稿: Kei(管理人) | 2017年1月 8日 (日) 12:03

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今年も、今日で最後。2016年という年は、国内外で騒々しい1年だった。 個人的な面で言えば、良い事も悪い事も在ったけれど、トータルではまあまあの年だったと思う。 海外旅行は大好きだけれど、「恐らくは、死ぬ迄に行く事が無いだろう。」と思っていたアメリカ。「歴史が浅い国だから。」等、興味が薄い理由は幾つか在ったが、そんなアメリカを旅行する事になった事、そして当時はまさかアメリカ大統領に選ばれるなんて思ってもいなかったドナルド・トランプ氏に関する施設を見て回った事は、結果的に良い思い出となった... [続きを読む]

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