「マグニフィセント・セブン」
2016年・アメリカ/MGM=コロムビア
配給:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント
原題:The Magnificent Seven
監督:アントワン・フークア
脚本:ニック・ピゾラット、リチャード・ウェンク
音楽:ジェームズ・ホーナー、サイモン・フラングレン
製作:ロジャー・バーンバウム、トッド・ブラック
製作総指揮:ウォルター・ミリッシュ、アントワン・フークア、ブルース・バーマン、ベン・ワイスブレン
「七人の侍」(1954・黒澤明監督)と、同作の西部劇仕立てリメイク「荒野の七人」(1960・ジョン・スタージェス監督)の魂を受け継ぐ…と銘打たれた西部劇アクション。監督は「サウスポー」のアントワン・フークア。主演はフークア監督作品「トレーニング デイ」「イコライザー」でもタッグを組んだデンゼル・ワシントン。七人のメンバーに「ジュラシック・ワールド」でも共演したクリス・プラットとヴィンセント・ドノフリオ、「6才のボクが、大人になるまで。」のイーサン・ホーク、「ブラック・ファイル 野心の代償」のイ・ビョンホン、他の個性的な顔ぶれが揃った。
開拓時代の小さな田舎町ローズ・クリーク。そこでは冷酷な悪徳実業家バーソロミュー・ボーグ(ピーター・サーズガード)が、町の開拓民たちを追い出し土地を独り占めしようと暴虐の限りを尽くしていた。ボーグに夫を殺されたエマ・カレン(ヘイリー・ベネット)は賞金稼ぎのサム・チザム(デンゼル・ワシントン)の銃の腕前を見込んで、町を救ってほしいと住民からかき集めたなけなしの全財産を差し出し懇願する。サムはギャンブラーのジョシュ(クリス・プラット)やスナイパー、グッドナイト( イーサン・ホーク)といった6人のアウトローを雇いローズ・クリークに向かう。やがて彼らはボーグ率いる200人超の悪党軍団に無謀とも思える戦いを挑んで行く…。
「七人の侍」は私の生涯ベストに入る傑作で、再公開の都度劇場に足を運び、何度観たか数え切れないくらい。ハリウッドで作られた同作リメイク「荒野の七人」も、「七人の侍」をなかなかうまく西部劇に翻案していて、これも好きな作品である。7人のキャラクターも「七人の侍」にほぼ近い。ただ一番若いホルスト・ブッフホルツ扮するチコに菊千代(三船敏郎)の役回りを演じさせている点がやや引っかかったが(注1)。
その「荒野の七人」を再リメイクしたのが本作。原題も「荒野の七人」と同じ"The Magnificent Seven"。しかし“7人のガンマンが悪党に虐げられる人々に味方し、圧倒的な数の敵に闘いを挑む”という基本プロットこそ同じなれど、「荒野の七人」とは舞台、主人公たちのキャラクター、敵の立ち位置等もかなり違ったものになっている。
「七人の侍」「荒野の七人」が共に、舞台は貧しい農村、襲って来る敵も盗賊の軍団、とほぼ同じだったのに、本作では舞台は西部の町、敵は事業を営む資本家で、利権の為住民たちに立ち退きを要求している、と現代的に変えられている。この敵と住民の設定、なんだかかつての東映任侠映画のパターンとそっくりでニヤリとしてしまう(注2)。
そして7人の顔ぶれも、リーダーのサム・チザムは黒人、その他メキシコ人、東洋人、ネイティブ・アメリカンと多種多様、何より大きな違いが、7人を雇うのが女性という点。黒人と女性が中心という辺りがいかにも現代的な味付けである。オバマからヒラリーという民主党大統領候補の流れとも沿っている。しからば本作の悪役、傲慢な金持ちの実業家はトランプを思わせるのが何やらおかしい(ゴールドにも固執してるし)。製作した時はまさかそこまで考えてもいなかっただろうが(笑)。期せずして今の時代を映す作品にもなっている。
(以下ネタバレあり)
映画全体としては、「七人の侍」(以下「-侍」と略す)や「荒野の七人」(以下「荒野」)に比べると、設定やキャラクターに前述のように現代的な改変がなされ、また敵の数も前の2作が共に40人程度だったのに、本作では200人と大幅に増え、かつ強力兵器としてガトリング銃も用意している。この為、クライマックスの戦闘シーンもスケールアップし壮絶となり、時間もかなり長くなっている。その分、アクション映画としては見ごたえ十分、興奮させられる。
主人公サムのキャラが、賞金のかかったお尋ね者を探し当て始末する、いわゆるバウンティ・ハンターであるのも興味深い。これは、イタリア製西部劇、通称マカロニ・ウエスタンによく登場する主人公(この点についてはお楽しみコーナーでも詳述)で、ガトリング銃もこれまたマカロニ・ウエスタンではお馴染みである。
ラストの大人数軍団との壮絶な闘いは、サム・ペキンパー監督の傑作西部劇「ワイルドバンチ」を思わせたりもする。こちらも敵の数は200人を超えているし、何より敵の兵器としてガトリング銃が登場している。
そうやって思い返すと、本作は「七人の侍」「荒野の七人」にプラス、マカロニ・ウエスタン、さらに「ワイルドバンチ」の風味も交えた、過去の西部劇映画のいいとこ取りした、集大成的な作品でもあるようだ。そんな意味で、これは西部劇ファンにはたまらない作品なのである。
ただその分、「-侍」「荒野」にあった、7人の中の若いメンバーと農民の少女との淡い恋の物語とか、農民たちの中にも屈折した思いを持つ者がいたりとか、最後にリーダーがつぶやくセリフ(「-侍」では「勝ったのはあの百姓たちだ。わし達ではない」、「荒野」では「勝つのは農民たち。俺たちはいつも負けだ」とほぼ同じ)もない、等、かなりの重要なファクターがカットされ、作品的な重みがなくなって、アクション主体の作品になっているのは、「-侍」「荒野」に思い入れのある人には不満に感じられるかも知れない。
特に最後に明かされる、サムがこの闘いに参加した本当の理由。これには当惑した。これではタイトルの" Magnificent(気高い、崇高な)"の意味がなくなってしまうのではないか。まあこの設定も、マカロニ・ウエスタン的ではあるのだが(この点も後述)。
それでも、あちこちに「-侍」「荒野」のオマージュが散見されるので、ファンはそれを見つける、という楽しみもある。
まず、サムの服装が全身黒づくめなのは、「荒野」のリーダー・クリス(ユル・ブリンナー)と同じ。イ・ビョンホン扮するナイフ投げの達人ビリーは、登場の仕方からして「荒野」のジェームズ・コバーン扮するブリットの役柄をなぞっている(このキャラは「-侍」の宮口精二扮する久蔵とも相対している)。
町の住人たちに銃の扱いを教えたり訓練するくだりは「荒野」にもあるが、住民を全員一列に並ばせ武器の持ち方を指導するシーンは、「-侍」の方を意識している気がする(「荒野」には出て来ない)。
仲間の一人(グッドナイト)が最終決戦を前にチームから抜けるが、最後に戻って来る、という流れは、「荒野」のハリー(ブラッド・デクスター)の取った行動と同じである。
敵が強力なガトリング銃を出して来て、味方が次々と犠牲になった時、ジョシュが撃たれても撃たれてもそれに近づき、身を犠牲にして爆破するシークェンスは、「-侍」で敵の兵器・種子島銃に撃たれた菊千代が、何発も弾を食らいながら敵将に近づき倒し、自らも壮烈な死を遂げるシーンへのオマージュだろう。
そして何より、エンド・クレジットに流れる、エルマー・バーンスタイン作曲の、「荒野の七人」のテーマ曲。これを聴いて私は一気に感動してしまった。不満も幾分解消した(笑)。
そういう点では、まさしく“「七人の侍」「荒野の七人」、その魂を受け継ぐ”というキャッチフレーズ通りの作品になっている。フークア監督は、黒澤明監督のファンを公言しているし、今の時代に即応した作品作りを要求されながらも、きっちり両作へのオマージュも盛り込んで、オールド・ファンにも、若い観客にも共に楽しめる作品に仕上げた点は大いに評価すべきだろう。不満点もあれど、それらをカバーして余りある、西部劇映画の佳作である。 (採点=★★★★)
(注1)
「荒野の七人」の最初の方で、チコが仲間に入れてもらおうとクリスたちのいる酒場に押しかけるシーンでは、酔っ払ってクダ巻いて現れる所が「-侍」の菊千代と同じだし、7人が村にやって来ると農民たちが怖がって誰も出て来ない、その時チコが早鐘を鳴らすと途端に村人たちが慌てて飛び出して来る、というシークェンスもまるまる「-侍」における菊千代の行動そのまんまである。このチコが実は農民出身という所まで同じ。
このチコは7人の中で一番若輩だし、中盤では農民の娘と恋仲になる、と、菊千代と言うよりもむしろ木村功扮する勝四郎に近いキャラで、そんな若者が「-侍」における菊千代の真似をしてる、というのはなんとも違和感を禁じ得ない。菊千代に当たる人物は、もう少しむさ苦しくて野生的な暴れ者を感じさせる役者に演じさせるべきだったと思う。
(注2)
全盛期(1969~72年)の東映任侠映画には、敵対する悪玉が実業家で、土地の利権を狙って、地道な暮らしをしている町の住民に立ち退きを命じ、抵抗する住民を苛めたり闇討ちにしたりと、本作とそっくりなシチュエーションが度々登場する。そんな中でも鶴田浩二主演の「博徒七人」という作品は、それぞれ特技を持った7人のヤクザ(ナイフ投げの達人もちゃんといる)が、石切場の利権を争う悪徳ヤクザ一味に戦いを挑む、という、まるまる「荒野の七人」を意識した珍品である。ご丁寧に鶴田たちに用心棒になって欲しいと頼み込む女性(桜町弘子)まで登場する。
(付記)
スタッフの中に、製作総指揮:ウォルター・ミリッシュの名前がある。古い映画ファンには懐かしい名前である。
なにしろこの人、くだんの「荒野の七人」のプロデューサーなのである。それまではどちらかと言うとB級西部劇ばかり作っていたのだが、この「荒野の七人」が大ヒットしてからは、一躍一流プロデューサーの仲間入り。以後自身のプロダクション、ミリッシュ・カンパニーを率いてミュージカルの金字塔「ウエスト・サイド物語」(61)、「荒野」と同じ監督ジョン・スタージェス、主演スティーブ・マックィーンによる「大脱走」(63)、アカデミー作品賞も取った「夜の大捜査線」 (67)
、ピーター・セラーズ主演のクルーゾー警部シリーズ「ピンクの豹」(63)、「暗闇でドッキリ」(64)、戦争大作「ミッドウェイ」(76)と話題作、ヒット作を連発、ハリウッドを代表する名プロデューサーとなったのである。
「荒野の七人」もシリーズ化され、「続・荒野の七人」(66) 、「新・荒野の七人/馬上の決闘」(69) 「荒野の七人/真昼の決闘」(72)と計4本が作られた。
さらにはテレビ化もされ、1998年から2000年にかけて同じ"The Magnificent Seven"のタイトルで10本のシリーズが作られた(日本でも「荒野の七人」のタイトルで放映)。これらすべてウォルター・ミリッシュ製作総指揮またはミリッシュ・カンパニー作品。
そして本作の製作総指揮に至るわけである。ミリッシュは1921年生まれだから当年95歳!今も現役プロデューサーなのだから凄い。自分の人生の節目となった「荒野の七人」に生涯かかわって来た人と言えるだろう。続編の話もあるようだが、こうなれば100歳まで映画を作り続けてギネス認定して欲しいものである。
(さらに、お楽しみはココからだ)
主人公が賞金稼ぎ、という映画で有名なのが、クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウエスタン「夕陽のガンマン」(66)。リー・ヴァン・クリーフ扮する大佐と呼ばれる賞金稼ぎと共にインディオ(ジャン・マリア・ボロンテ)という悪党の首にかかった賞金を狙うというお話。酒場に現れ、WANTEDのポスターを見せて居場所を聞き出そうとする、本作と似た場面が登場する。そして最後には、実は大佐はインディオに家族を殺されており、その復讐の為にインディオを追っていた事が明らかになる。
この設定、本作のサムの目的と同じである。
ついでながら、サムの首には縛り首未遂となった、縄の跡が残っているのだが、これはやはりイーストウッド主演の西部劇「奴らを高く吊るせ!」(68)の主人公と同じで、彼もまた自分を吊るした犯人への復讐に燃えている。首に残った縄の跡を、狙う復讐相手に見せつけるシーンもある。
どうやら本作のサムの人物設定は、イーストウッド主演のこの2本の西部劇にヒントを得た可能性がある。
なお「夕陽のガンマン」の前の主演イーストウッド、監督セルジオ・レオーネのコンビ第1作「荒野の用心棒」は、「-侍」と同じ黒澤明監督の時代劇「用心棒」の西部劇翻案作で、こういう所もクロサワ繋がりで面白い。
も一つついでに、そのイーストウッド・レオーネ・コンビの最終作「続・夕陽のガンマン/地獄の決闘」(67)では、3人の主人公のうちの一人で“イジケた奴”テュコを演じているのがイーライ・ウォラックで、この人はなんと「荒野の七人」で敵の首領を演じていた人でもある。
さらに面白いのが、「夕陽のガンマン」2作でイーストウッドと共演したリー・ヴァン・クリーフは、「荒野の七人/真昼の決闘」で主人公のクリスを演じているのである。
なんとまあ、「夕陽のガンマン」シリーズと「荒野の七人」シリーズは、俳優でこんなにも繋がっていたのである。
クエンティン・タランティーノがマカロニ・ウエスタン「続・荒野の用心棒」(セルジオ・コルブッチ監督)にオマージュを捧げた「ジャンゴ 繋がれざる者」の主人公は黒人のガンマンだったし、これも本作のサムの元ネタになった可能性もある。なお邦題が前述の「荒野の用心棒」に「続」を付けた形になっているが、「荒野の用心棒」とは全然関係ない作品。
いろんな意味で、本作とマカロニ・ウエスタンとは縁が深いようである。
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コメント
なかなか面白かったです。
フークア監督の演出は手堅く娯楽映画としてのツボを心得てます。
原作はもうちょっと明るかったかな。
迫力はこちらの方がありますね。
俳優陣も良かった。
デンゼル・ワシントンもいいですが、原作のマックイーンを思わせるクリス・プラットが良かった。
イーサン・ホーク、イ・ビョンホンも良かったです。
7人の個性が良く描かれていました。
ヒロインのヘイリー・ベネットも良かったと思います。
まあ、原作も続編も見ていると私も色々と言いたい事はあるのですが、、
私も最後にエルマー・バーンスタインの荒野の七人のテーマが流れるのにはほろりとしまあ不満はあるがいいかなと。
ウォルター・ミリッシュが健在で本作にも名前を連ねているのには驚きました。
投稿: きさ | 2017年2月 5日 (日) 22:20
◆きささん
>原作はもうちょっと明るかったかな。
“原作”とは「荒野の七人」の事ですね。確かに前作「荒野の七人」はジョン・スタージェス監督の演出がカラッとしててユーモアもありましたね。これは当時との、時代的空気の差もあるのかも知れません。
投稿: Kei(管理人) | 2017年2月12日 (日) 23:57
私は割と残念に感じてしまいました。
首に残った縄の後を隠す為に「秘密」の生田斗真馬みたいにシャッの下にトックリ着たら評判悪かったろうなあ(何じゃそりゃ)。
投稿: ふじき78 | 2017年2月22日 (水) 00:00