「パッセンジャー」 (2016)
2016年・ アメリカ/コロムビア・ピクチャーズ=ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
原題:Passengers
監督:モルテン・ティルドゥム
脚本:ジョン・スパイツ
製作総指揮:デビッド・ハウスホルター、ベン・ブラウニング、ジョン・スパイツ、ブルース・バーマン、グレッグ・バッサー、ベン・ワイスブレン、リンウッド・スピンクス
宇宙船内で極限状態に置かれた男女の愛と運命を描いた異色のSF映画。監督は「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」のモルテン・ティルドゥム。脚本は「プロメテウス」「ドクター・ストレンジ」のジョン・スパイツ。主演は「ハンガー・ゲーム」シリーズのジェニファー・ローレンス、「ジュラシック・ワールド」のクリス・プラット。共演は「ミッドナイト・イン・パリ」のマイケル・シーン、「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」のローレンス・フィッシュバーン。
近未来。“人類移住プロジェクト”として、5,000人の乗客を乗せた豪華宇宙船アヴァロン号は、遠く離れた移住地、スペースコロニー・ホームステッドⅡに向かって航行していた。目的地到着まで120年、乗客は冬眠装置で眠る安全な旅であったはずだった。だが乗客の中で、なぜかエンジニアのジム・プレストン(クリス・プラット)だけが90年も早く目覚めてしまう。そして1年。孤独に耐えかねたジムは、ある行動を起こす…。
面白い着想のSFである。
目的地までの120年、乗客も乗組員もその間冬眠したまま。だがたった一人の男だけが出発して30年後に目覚めてしまった。目的地までまだ90年もある。
このままだと、たった一人で、死ぬまでこの船内で生きなければならない。果たしてこの男の運命は…。そして1年後、彼が下した決断は…。
(以下ネタバレあり)
“冬眠(コールドスリープ)”と聞いて、SFファンならロバート・A・ハインラインの古典的SF「夏への扉」を思い起こすだろう。
フィアンセに裏切られ、会社を乗っ取られ、自分の特許も奪われてしまった主人公ダンは、絶望から一転、未来に生きる夢を託して、冷凍睡眠(コールドスリープ)を実行する、という話。
この主人公が冷凍睡眠から目覚めるのが30年後。本作のジムも冬眠から30年後に目覚めてしまう。恐らくは本作の脚本を書いたジョン・スパイツも、「夏への扉」が頭にあったのかも知れない。
ジムは、最初の内は気ままな一人暮らしを楽しもうとする。食べ物もあるし、ビデオは見放題。バーではアンドロイドのアーサー(マイケル・シーン)がカクテルも作ってくれる。
だが、人間はやはり一人では生きて行けない。1年もそんな生活を続けるうちに、孤独に耐えられなくなり、自殺もふと考えたりもする。
そんな中、乗客の寝姿を見ているうちに、一人の女性-作家のオーロラ・レーン(ジェニファー・ローレンス)に心惹かれてしまう。
オーロラ、という名前はディズニー作品でもお馴染み、「眠れる森の美女」(原題:Sleeping
Beauty)の眠れる姫と同じ。本作のオーロラもまさしく"Sleeping
Beauty"である。これは脚本のスパイツも意識しての事だろう。
こういった具合に本作には、さまざまな作品からの引用・オマージュが見られる(その他については後述)。
王子のキスで、眠れる美女オーロラは目を覚ますのであるが、ジムも眠るオーロラに恋し、彼女を目覚めさせたいと願望する。
だがそれは、オーロラの人生を奪う事でもある。葛藤するジムだが、一人で生きて行く事に耐えられなかったジムは遂に無理やりオーロラを目覚めさせてしまう。
ジムとオーロラは共同生活を続けるうちに、いつしか愛し合うようになる。
ジムがオーロラを誘い、宇宙服を着て二人だけの宇宙遊泳を楽しむシーンには、心が和む。このシーンがまた、クライマックスの伏線となっているのもうまい。
しかしやがて、自分を目覚めさせたのがジムだと知ると怒り狂う。それも当然ではあるが。
さて、二人の運命やいかに…と、なかなか面白い展開である。
ジムの取った行動が、許される事ではないと一部で批判され、評判が悪いようだけれど、作者としてはそれも狙いではないかと思う。
その理由は後半で、航行中のアヴァロン号に隕石の衝突が原因でトラブルが発生し、このままではアヴァロン号は目的地にたどり着けなくなり、最悪、5,000人の乗客全員が全滅するかも知れない、という危機の到来によって明らかとなる。ジムが早く目覚めたのも、隕石衝突が原因らしい事も判って来る。
この危機を救う為に、ジムとオーロラは力を合わせて対処する事となる。
ここで感じるのは、ジムの目覚めも、その後彼がオーロラを目覚めさせた事も、一種の神の摂理ではないかと思える点である。
隕石の衝突でアヴァロン号に致命的な障害が発生した時に、誰も目覚めなかったら、恐らく5,000人の乗客はその後全員死亡したかも知れない。
たった一人目覚めたジムは、エンジニアである。事故対処には適任である。
そして、事故を修復するにしても、ジム一人だけでは無理である。船外で修復に当たる間、もう一人船内でジムと連携し動く人間が必要である。それがオーロラに与えられた役目である。
こう考えて来ると、ジムがオーロラを目覚めさせたのも、5,000人の命を救う為には必要な行動であり、結果的に正解だったのである。
クルーの一人であり、特権IDを持ったガス(ローレンス・フィッシュバーン)が目覚めたのも、また必然である。彼がいなければやはり修復は無理だった。そして絶妙のタイミングで、不治の病で(笑)退場する事となる。
ジムの行動と、オーロラの助力が、結果として5,000人の乗客の命を救ったのである。まさに神の配剤でなくて何であろうか。
事故修復はうまく行ったものの、船外に放り出されてしまったジムを救う為、オーロラは自分も宇宙服をまとい、決死の救出に向かう。そして回収後は心肺停止だったジムを献身的な努力で蘇生させる事に成功する。オーロラのジムに対する思い(=愛)がジムを救ったのである。ここはジンと来てしまった。
こうして、今度は本当に愛を確かめ合った二人だが、ガスの残したIDによって、一人だけなら医療ポッドで冬眠が可能である事が分かる。
ジムはオーロラに入るよう勧めるが、さて、この後彼らが下した決断は…。
その決断は具体的には描かれていないが、観ている観客にはほぼ想像がつく。まあそれしかないだろう。
この映画で描かれるテーマは、人生の選択と決断である。
最初のジムの選択は、オーロラを目覚めさせるべきかどうか。
2度目の選択と決断は、5,000人の命を救う為、ジムが、自分の身の危険も顧みずに船の修復を決断した事。彼女への贖罪の気持ちもあったのかも知れないが。
そして3度目は、一人分の冬眠用医療ポッドを使うかどうかのオーロラの選択と決断である。
オーロラは、ジムが勧める通り、再度の冬眠をする事も出来た。そうすれば彼女の目的である、旅の体験を本にする事も可能となる。
だがオーロラは、彼と共に生涯をこの船で終える事を選択する。ジムを心から愛するようになった彼女は、残りの人生をジムとの愛に生きる事を決断するのである。
どちらかが、一人だけで生きる人生なんて、二人には考えられないという事なのである。この決断にもジンとなってしまった。
愛の強さとは、生きるとは、人生とは何か、運命に流されるか、抗うべきか… さまざまな事を考えさせてくれる、これはSFという形を借りた寓話なのである。
ツッ込みどころもいくつかある(アンドロイドのバーテンは乗客全員が冬眠中で誰もいないはずなのになんであそこにいるのかとか、アンドロイドを使うなら、むしろ宇宙船の船長をさせるべきだろう、誰も見張りもせず船長も不在で120年も宇宙船が航行するなんてありえんだろうとかetc..)が、深いテーマがそれらを十分カバーしている。宇宙空間を航行するビジュアルも美しい。ラブ・ストーリーとサスペンスが絶妙に配置された、これは異色のSF映画の佳作である。 (採点=★★★★☆)
(で、お楽しみはココからである)
上にも書いたが、本作にはいくつか、過去の作品へのオマージュが見られる。
「眠れる森の美女」はヒロインの名前からして明らかであるが、その他では、やはり宇宙を舞台としたSF映画へのオマージュが散見される。
一番ピンと来るのは、SF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)だろう。
宇宙船アヴァロン号は、無重力空間を航行する際、自力回転で引力を生み出しているのだが、これは「2001年-」のディスカバリー号と同じ。何より、アヴォロン号内部の通路がゆるやかなカーブ(全体は円形)になっているシーンは明らかに「2001年-」を意識している。
船のコンピュータ制御が利かなくなり、乗組員に危機が迫るのも同じだが、さらに「2001年-」のディスカバリー号でも、ボウマン船長ともう一人のクルーを除いては、他の乗組員は目的地に着くまで全員、カプセル内で冬眠しているという状況も同じである(コンピュータ・HALの反乱で全員死んでしまうのだが)。
キューブリック作品繋がりでは、アンドロイドのアーサー(この名前も「2001年-」の原作者の名前から拝借しているようだ)がいるバー・カウンターのデザインは、キューブリック監督の「シャイニング」に登場するバーとそっくりである(右)。
ティルドゥム監督、キューブリック監督の熱烈なファンのようだ。
無重力つながりでは、題名が文字通り“無重力”という意味の「ゼロ・グラビティ」(アルフォンソ・キュアロン監督)へのオマージュも感じられる。
この作品でも、ジョージ・クルーニー扮する宇宙飛行士のマットが命綱が切れて宇宙に放り出され、それをサンドラ・ブロック扮するライアンが必死で助けようとするシーンが出てくる。マットの命綱の端を掴んだライアンが、懸命に手繰り寄せようとする、本作とそっくりなシーンも登場する。
無重力と言えば、本作でも船内が一時無重力状態となり、オーロラが宙に浮いたプールの水の中で危うく溺れそうになるシーンがあるが、「ゼロ-」のライアンも地球に降下した時、海に墜落して溺れそうになる。
おしまいに、本作のラスト、目的地に到着した時、なぜか船内で多くの植物が密生しているシーンが登場するのだが、これはダグラス・トランブル監督のSF映画「サイレント・ランニング」へのオマージュだろう。
これは、地球で絶滅した植物を、主人公(ブルース・ダーン)が宇宙船のドーム内で育てながら宇宙を航行するというお話で、やがてたった一人となった主人公が、3体のロボットと共にどこまでも宇宙をさすらうという展開となる。
宇宙船内が植物で覆われているシーンや、一人で旅する主人公の話し相手がロボットだけという所まで、本作と共通するシーンは多い。
この作品の監督が、「2001年宇宙の旅」の特殊効果(SFX)を担当したダグラス・トランブルである、というのも面白い繋がりではある。
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コメント
基本的な登場人物が二人しかいないのに、次から次へと新たな展開があり、飽きる暇がなかったです。
たった二人しかいないのに引きのカットが多く、ガラーンとした広い舞台が映ってるみたいなのが豪華で贅沢だなあ。
投稿: ふじき78 | 2017年4月 2日 (日) 21:54
◆ふじき78さん
確かに、ダダっぴろいセットは豪華でしたね。
それでツッ込みを思い付いたんですけど、あの宇宙船は回転で人工重力を作る為、内部はゆっくりとしたカーブを描いてるんじゃなかったっけ。
あんなに広くて真っ平らな床にすると、そのシワヨセで隣の部屋に行こうとするとかなり急角度で傾いてるような気が。
ていうか、部屋の端っこの方に移動すると、遠心力で体がマイケル・ジャクソンの「スムースクリミナル」のPVのように斜めに傾いてしまう気がするんですが(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2017年4月 2日 (日) 23:40