「人生フルーツ」
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それはニュータウン建設にも携わった建築家の津端修一さんが自力で建てたもの。90歳になった修一さんと87歳の妻・英子さんは今もここで暮らし、庭で育てた70種の野菜と50種の果実が、英子さんの手で美味しいごちそうに変わる。敗戦から高度成長期を経て、現在に至るまでの津端夫婦の生活から、日本人があきらめてしまった、本当の豊かさを見つめなおす。
東海テレビ製作の劇場公開ドキュメンタリーは、既に本作で10作目だそうだ。そのうち私が劇場で観たのは「平成ジレンマ」(10)、「死刑弁護人」(12)、「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」(12)、「ヤクザと憲法」(15)の4本。いずれもユニークな企画で、かつ素晴らしい秀作揃いである。今回もまたまた見事な秀作を作り上げた。東海テレビ、本当に凄い。
特に秀逸と思えるのが、以下の3つのキーポイントである。
(1) 取り上げる題材のユニークさ
(2) 1本の映画としての着想の秀逸さ
(3) 粘り強い取材力
(1)については、例えば「平成ジレンマ」では、死亡事件を起こした戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長に密着取材しており、「死刑弁護人」では、世間から極悪人と糾弾されている死刑囚を弁護する安田弁護士の活動を追い、「ヤクザと憲法」では、大阪のヤクザの事務所にカメラを据えて、ヤクザの実態をカメラに収めている。
いずれも、世間からは轟々の非難を浴びている人物に密着し、一方的に決め付ける世論の批判に対して、表からは見えない“真実”を見極めようとするスタンスが、全作品に一貫して流れている。
(2) については、単なるドキュメンタリーに留まらず、独自の視点でテーマを深く掘り下げ、かつ意表を突く仕掛けをほどこして、ドキュメンタリーの壁を超えた作品に仕上げている点が素晴らしい。例えば「約束 名張毒ぶどう酒事件-」では、なんと仲代達矢、樹木希林の2人の名優に死刑囚・奥西勝とその母を再現ドラマとして演じさせ、二人の鬼気迫る演技を通して冤罪説を強く打ち出しているし、「ヤクザと憲法」では日本国憲法を持ち出して、ヤクザとて日本国の国民として法の下で平等であるべきではないかと主張する。
(3)は、とにかく時間をかけて取材対象にとことん密着する粘り強さである。この意欲が、ヤクザをしてその内面までさらけ出させてしまうのである。
これらの他、私は見逃したが、「ホームレス理事長 退学球児再生計画」では、高校をドロップアウトした球児たちに再生のチャンスを与えようとなりふり構わず奔走する理事長の行動を追い、賛否両論を巻き起こしたとの事である。
どれもこれも、物議をかもしそうな過激な題材、あるいは人物ばかりである。他局ならしり込みしてとても放映出来ないような内容が多く含まれている(現に「ホームレス理事長-」は系列のフジテレビが放映を取り止めたそうだ)。かつて田原総一朗がテレビ東京で手掛けたドキュメンタリーを彷彿とさせる(当ブログでも取り上げ済)。
さて、そのユニークな東海テレビ・ドキュメンタリーの最新作が本作である。
今回は、これまでのような過激な内容ではなく、90歳と87歳の老夫婦の日常を淡々と追っている点で、これまでの作品よりはぐっと穏やかな内容である。
しかし、やはり対象にとことん密着し、奥の深いテーマを持った作品になっている。その点では先に挙げた三つのキーポイントはちゃんと網羅されている。
主人公の津端修一さんは、戦争中は軍用機の製作に携わり、戦後は日本住宅公団に入社し、多くの都市開発、団地建設を手掛けた。
1960年、名古屋郊外のニュータウンの設計を任されると、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したプランを立案するが、戦後の経済優先の高度成長時代ではそんなプランは認められず、結局どこにでもある無機質な大規模団地が完成した。
そんな時代の流れに失望した修一さんは、1970年、自ら手掛けたニュータウンの中に土地を買い、手造りの家を建て、周囲に種を蒔いて雑木林を育てはじめた。
それから約半世紀、修一さんと奥さんの英子さんは今も二人で自給自足のエコロジカルな生活を送っている。
庭にはなんと70種の野菜と50種の果樹を植え、それらには一つ一つ手造りの木札を添え、堆肥を自分たちで蒔き、育った野菜、果物を英子さんが手料理して修一さんと食べる。カメラは、その生活ぶりを丁寧に追って行く。
戦後、1960年代初から始まった高度経済成長ブームで、日本人の生活はどんどん豊かになり、自然を破壊してニュータウンを次々造成し、土地の値段は上がり、主婦でもマネーゲームをするようになり、そしてバブル崩壊。21世紀の今、格差社会が広がり、閉塞感が漂う時代となっている。
豊かさと引き換えに、我々は何か大切なものを失ってしまったのではないか…そんな声もよく耳にする。「ALWAYS 三丁目の夕日」のような、昭和ノスタルジーものに共感が広がっているのも、そうした空気と無縁ではない。
修一さんが、ニュータウン建設ラッシュに沸いていた1960年代に既に、無機質な箱ものよりも、自然と共生する居住空間を作ろうと考えていた、その先見性には驚嘆せざるを得ない。
そんな理想の暮らしを、50年前から実践している事にも深い感銘を覚えた。おそらく当時は、変わり者、変人と見られていた事だろう。凄い人である。
「家は暮らしの宝箱でなくてはならない」といった、著名人の言葉の引用もいくつか出てくるが、修一さん自身の言葉にも重みがある。
「自分ひとりでできることを、時間をかけて取り組めば、きっと実るものがある」「お金は後生に残さないが、豊かな土を残す」「できるものから、小さくコツコツ」。英子さんを、「彼女は私の最高のガールフレンド」と表現する。
修一さんはよく手紙を書くのだが、その文章に添えるイラストがまた実にほのぼのとした温かみがあって、これにも癒される。プロ並の出来栄えにも感嘆する。
樹木希林さんのナレーションがいい。心の琴線に触れ、ジワーっと感動が広まって行く。
“風が吹けば枯れ葉が落ちる
枯れ葉が落ちれば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
こつこつ、ゆっくりと”
含蓄のある、いい言葉である。自然との共生の大切さが、的確に表現されている。素晴らしい。
観ているうちに、何故か涙が溢れて来る。なんだか、宮崎駿監督の「となりのトトロ」を観た時の感動に似ている気がする。
どちらも、自然に包まれた暮らしを通して、自然との共生の大切さがテーマとなっているからだろう。
90歳の今でも、修一さんの考えに共感する施設から設計を頼まれ、やはり自然と共生するコンセプトのデザイン画を描いたりしている。その行動や考え、生き方、どれも尊敬せざるを得ない。
実はこれまでにも、津端さん夫婦の暮らしぶりはNHKのテレビでも紹介されたり、いくつか本になって出版されているとの事である。不覚にも全然知らなかった。
本作は、そうした津端さん夫婦についての集大成的作品とも言えるのだが、それだけでは終わらない。映画はさらに驚く展開となる。
なんと、修一さんは突然亡くなる。カメラはその遺体も捉える。
なんでも、草むしりをしたあとに昼寝をしていて、そのまま目覚めなかったそうである。
生き方も理想的だったが、死に方まで理想的である。何日も病床にあるより、元気なままで、ある日突然亡くなるのが理想だが、それを実践したのだからまた驚かされる。
一人になった英子さんは、それでも明るく、コツコツと、毎日を今まで通りに生きている。やはり手造りの料理を作りながら。
もう泣けて仕方がなかった。こんなに、お腹の中に温かいものが広がる映画は何年ぶりだろうか。
この映画からは、いろんな事を教訓として学ぶ事が出来る。
自分の信念に基づいて生きる事。夫婦仲良く、お互いを信頼し、労わり合って暮らす事。そして老後の生き方として、90歳を超えようが、毎日を充実して、自然の恵みに感謝して生きる事。
どれも素敵な事ばかり。しかしなかなか実行出来ないのが私たちの不徳の致す所である。
それでも、少しでも近づけるよう、我々は努力すべきだろう。
まさに、宝石のような、珠玉の映画である。何度でも観ていたくなる。お奨めである。
幸い好評で、正月から上映しているのに、アンコールの希望が殺到して今も全国でロングラン上映中である。是非、劇場に足を運んで欲しい。
それにしても、東海テレビ凄い。どれも傑作揃いであるが、本作は過去の作品よりもずっと普遍性、作品的厚味を増したと言える。今後も注目して行きたい。 (採点=★★★★☆)
「ふたりからひとり」 津端英子・修一・著
「ひでこさんのたからもの」津端英子・修一・著
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コメント
もしかしたら人生をフルに生きた人が二人いるという⇒人生FULL2というダジャレなのか(違っ)
投稿: ふじき78 | 2017年5月 4日 (木) 08:38