「海辺のリア」
舞台に映画にと役者として半世紀以上活躍して来た往年のスター、桑畑兆吉(仲代達矢)も今では80歳を越え、認知症の傾向が出ている事もあって、長女の由紀子(原田美枝子)とその夫であり兆吉の弟子だった行男(阿部寛)、さらに由紀子の愛人である運転手(小林薫)に遺書を書かされた挙句に高級老人ホームへ送られる。しかし兆吉は施設を脱走し、パジャマの上にコートを羽織った姿でスーツケースを引きずりながら海辺をあてもなくさまよい歩くうち、妻以外の女に産ませた娘・伸子(黒木華)と突然再会する。かつて私生児を産んだ事を許せなかった兆吉は、伸子を家から追い出した過去があった。そんな兆吉を憎みながらも、伸子は兆吉と二人であてどもなく海辺を彷徨う…。
小林政広監督の「春との旅」 は、偏屈な老人(仲代達矢)が疎遠になった兄弟の元を孫娘と訪ね歩く旅を通して、老後の生き方、人との絆について考えさせられる骨太の秀作だった。
仲代自身が、生涯の出演作品の中で5本の指に入る脚本と称えたように、8年もかけて練り上げた脚本は見事の一言。奥の深いテーマに、さりげない名作へのオマージュもあり、堪能させられた。
その次に仲代と組んだ「日本の悲劇」は、題名からして1953年の木下恵介監督の名作と同じ題名だし、核家族、老人世帯、非正規雇用の若者、東北大震災、と現代が抱える諸問題を盛り込んだ社会派ドラマである点も、やはり戦後の混乱期における社会情勢を盛り込んだ木下作品とテーマは通底する。
物語の舞台を1軒の家だけに限定した舞台的な設定も面白い。
2作を通して感じるのは、核家族化が進んだ日本で、老人が安住出来る居場所はあるのか、という切実な問題提起である。
1作目「春との旅」で、私が感じたのは、この老人は自分の死を予感し、別れの旅に出たのではないか、という点である。
2作目「日本の悲劇」でも主人公の老人は自ら死のうと自室を封鎖し、食べ物も水も取らず餓死する事を決意する。
あまりにも悲しいけれど、団塊世代も70歳を超え、超高齢化社会が加速する日本においては、老人はますます居場所がなくなり、生き難くなるだろう。語り口が淡々としていて盛り上がりに欠けるのが難点だが、意欲は買いたい。
こうした2作を経過して、小林監督が三たび仲代達矢と組んで描いたのは、やはり老人に関する切実な問題=認知症がテーマである。
これは、小林=仲代コンビによる老人問題三部作(とみなせばの話だが)の最終章であり、よって前2作を見ておけば、よりテーマが理解出来るだろう。
(以下ネタバレあり)
今回、仲代が演じるのは、“舞台に映画にと役者として半世紀以上活躍し、俳優養成所を主宰する往年のスター”という設定で、まるまる仲代達矢本人そのものである。
しかも認知症が進行して、身内の顔も覚えられなくなっているのだが、舞台で過去に演じたシェークスピアの「リア王」のセリフだけはしっかり覚えていて、ラストに「リア王」の長セリフを延々一人芝居で語るシーンは鬼気迫り圧巻である。
仲代自身、「リア王」を翻案した黒澤明監督の「乱」で、そのリア王に当たる正気を失った主人公を演じているのだから余計仲代自身の姿とカブる。
仲代扮する兆吉の娘・由紀子は父を疎ましく思っており、強制的に老人ホームに入れてしまう。これも「リア王」の、父リアを疎ましく思って荒野に追い出す娘たちと重ね合わされている。
その由紀子を演じているのが、「乱」で仲代を破滅に追いやる悪女を演じた原田美枝子というのは、明らかに「乱」を意識してのキャスティングだろう。
冒頭で、海辺を歩く兆吉の横にいつの間にか一人の女性(伸子)が現れ、最初は他人のように振舞うので勘違いするが、実は彼女は兆吉が妻とは別の女に産ませた娘である。
最初はつっけんどんな態度を取っているが、実際は心優しく、由紀子とは正反対に、正系の家族ではないにもかかわらず、兆吉を心配する様子が伺える。彼の為に食べ物を買って来たりする。
多分、兆吉の前に伸子が現れたのは偶然ではなく、こっそり兆吉の様子を伺っていたのかも知れない。
面白いのは、「春との旅」で、春の父の後妻で、血が繋がっていないにも関わらず仲代に、一緒に暮らしてもいいと申し出る女性(戸田菜穂)の名前が、伸子なのである。
どちらの伸子も、家族の中で血縁が薄いにも関わらず、仲代扮する老人に親身な所を見せているという共通項がある。これは意識してのネーミングなのだろう。
この伸子が、最後に自殺同然に海に倒れ込んだ兆吉を助け上げる。これもリア王の末娘・コーディーリアと重ね合わされているようだ。
この複雑な役を演じきった黒木華は、さすがうまい役者である。
ただ難があるのは、お話が単調で、海辺を歩く兆吉が、由紀子の夫である行雄に施設に連れ戻されては又海辺に行き、次に由紀子に施設に連れ戻されては、又海辺に行き…と同じようなパターンが繰り返されるので多分退屈する人もいるだろう。これは脚本にもう少し工夫が必要ではなかったかと思う。
由紀子と、その愛人らしい小林薫扮する男の人物像も、やや平板で深みが足りない。阿部寛扮する行雄もいつの間にか消えてしまって以後登場しないのも疑問。
結局、リア王になり切った、映画史に残る稀代の名優・仲代達矢の堂々たる熱演を楽しむ映画(あるいはこれが最後の主演?)という事になる。仲代ファンには見逃せない作品ではあるのだが。
そんなわけで、認知症老人というテーマをこうして取り上げた監督の意欲は買えるが、「リア王」の話に寄りかかり過ぎて、認知症テーマがややボヤけた感は否めない。
認知症老人の話だけに絞った物語にした方が、もっと見ごたえのある作品になったのではないか。惜しい。 (採点=★★★★)
(さて、お楽しみはココからだ)
映画はそんなわけで物足りなかったが、映画ファンにはお楽しみもある。
仲代扮する主人公の名前が、桑畑兆吉である。
これを聞いて、ピンと来た方は黒澤映画ファンである。
“桑畑”は、黒澤明監督の傑作「用心棒」で、三船敏郎扮する浪人が問われて名乗る名前、“桑畑三十郎”からいただいているのは間違いない。
劇中で、兆吉がさりげなく「三船敏郎が演じた三十郎が…」とつぶやいている事からもそれは分かる。
その三船・三十郎と対決する悪役・卯之助を演じていたのが仲代達矢だったのだから、思わずニヤリとさせられた。
「乱」も黒澤明作品だから、本作は黒澤明オマージュ作品であるとも言える。
ちなみに、本作の衣裳を担当しているのが、黒澤明の子女・黒澤和子さんというつながりもある。
思えば、「春との旅」は、私の独断だが、小津安二郎オマージュを感じたし(作品評参照)、「日本の悲劇」は題名が木下恵介オマージュ。
それで本作が黒澤明オマージュとなると、この小林+仲代三部作は、小津、木下、黒澤と、日本を代表する3大天才映画監督オマージュ三部作とも言えるわけである。
こう考えれば、本作もちょっとは面白く感じられるだろう。
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