「ありがとう、トニ・エルドマン」
ヴィンフリート(ペーター・シモニシェック)は陽気で悪ふざけが大好きなドイツ人。彼の娘イネス(ザンドラ・ヒュラー)はルーマニアのコンサルタント会社で働くキャリアウーマンだが、父とは性格も正反対で二人の関係はあまり上手くいっていない。そんな娘を心配したヴィンフリートは、愛犬の死をきっかけに、彼女が働くブカレストへ向かう。父の突然の訪問に戸惑いながらも、イネスは何とか数日間を一緒に過ごし、父はドイツに帰って行く。だがホッとしたのも束の間、今度は彼女の元に“トニ・エルドマン”という別人のフリをした父が現れる。神出鬼没のトニ・エルドマンの行動にイネスのイライラも募っていくが、やがてイネスの心に変化が現れる…。
ドイツ国内では大ヒットを記録し、世界各国で映画賞を受賞、この映画に感動したジャック・ニコルソンが引退表明を撤回し、自身の主演でハリウッドリメイクされるとも聞く。それほど評判ならと観に行ったのだが…。
(以下ネタバレあり)
これは、誰にでもお奨め出来る作品ではない。上映時間は162分もある長尺だし、前半のテンポはゆったり、主人公二人の行動がケッタイで引いてしまう人もいるだろう。
私も最初観た時は、退屈だな、と思った。
しかし観終わってしばらくすると、何か惹かれるものがあり、次第に主人公たちが愛おしくなって来る。不思議な味わいの作品である。
主人公ヴィンフリートのキャラクターが面白い。年齢は60歳台後半、元音楽教師で、悪ふざけと言うかイタズラが大好き。宅配便がやってくると一度引っ込んで変装し、双子の弟と称して宅配業者をケムに巻く。かなりの変人(のように最初は見える)。
妻とは離婚し、娘は遠くルーマニアで働いており、近隣にいる身内といえば年老いた母のみ。歩けなくなった老犬の世話だけが生きがいの寂しい人生である。
その愛犬が死ぬと、寂しさを紛らわせる為か、ブカレストにいる娘イネスを尋ねる。しかしバリバリのキャリアウーマンであるイネスは仕事が忙しくて、二人はロクに会話も出来ない。
イネスははっきり言って、父が迷惑のようである。
そんな娘が心配になった父は、一旦ドイツに帰る、と見せかけて、なんとカツラと出っ歯の入れ歯で変装した別人、トニ・エルドマンになって、イネスの周囲に何度も出没するのである。
無論そんなエルドマンが父の変装であるくらいはイネスにはすぐに分かる。適当にあしらうのだが、エルドマンはある時はドイツ大使、ある時はコンサルタント、とまるで多羅尾伴内(古い(笑))ばりの神出鬼没ぶりでイネスを翻弄する。
なんともハタ迷惑な男である。最初はまた父のイタズラが始まった、という感じで付き合っていたイネスも次第に鬱陶しくなって来る。仕事の邪魔でさえある。
しかしこうした父=エルドマンとイネスの奇妙な交流(というよりぶつかり合い)が続くうちに、イネスの心境に微妙な変化が訪れる。
その転換点となるのが、元音楽教師だった父が弾くオルガンの伴奏でイネスがホイットニー・ヒューストンの“Greatest Love Of All”を嫌々歌わされるシーンである。
この歌の歌詞がなかなかいい。
♪失敗しても、成功しても、せめて、私は、自分が信じるように、生きる
たとえどんな物を、私から取り上げようと、私の尊厳までは奪えやしない
せめて、私は、自分が信じるように、生きる
なぜなら、この世の中で、最も素晴らしい愛は、私の身に、湧き起こってるから
この世で、最も素晴らしい愛を、手に入れるのは、簡単なこと
それはあなた自身を愛せるようになること、それこそが、この世で、最も素晴らしい愛なのよ♪
(参考サイトはこちら)
歌っているうちにイネスは、次第に自分の仕事がバカらしくなって来たのかも知れない。
これ以降はトニ・エルドマンの奇ッ怪な行動が伝染したかのように、イネスは次第に謹厳なエリート企業戦士の殻を脱ぎ捨て、奔放に自由に、やりたい事をやり始めるのである。
言い寄る同僚にマスをかかせ、ケーキの上に放出させてそれを頬張ったり、自身の誕生パーティで、「今日は裸のパーティ」と称してスッポンポンのヘアヌードになって、上司、同僚にも裸になる事を強いたり。
まさに、閉じ込められていた檻から解放されたかのように。
そのパーティの席に、今度は毛むくじゃらのヘンな怪物が現れる。無論これも中にヴィンフリートが入っているのは見え見え。
この怪物は、ブルガリアの「クケリ」という邪気を追い払い幸せを呼ぶ妖精だそうで、日本で言えばナマハゲみたいなものか。
こんなものをかぶれば、結構暑いと思う。そんな無理をするのは、ひとえに娘を思っての事。
そして、出て行った怪物を追いかけたイネスは、怪物=父をギュッと抱きしめる。ヘンな事ばっかりしてるけれど、実は誰より娘を愛している父の思いが、やっとイネスに伝わったのだろう。ここはちょっと感動させられる。
長い上映時間は、仕事一筋だったイネスの心が、父の奇妙な行動と徐々に科学反応を起こして、本当の自分を取り戻すに至るまでに必要な時間であったのだろう。
そしてラスト、イネスの祖母の葬式において、イネスは祖母の帽子と、父のあの入れ歯を貰い受ける。
祖母から父、そして娘へと、家族の絆が確かに受け継がれた事を示すいいシーンである。
映画の随所にさりげなく登場する、今の時代に対する批判精神も見逃せない。
かつては社会主義国家だったルーマニアが、最先端のグローバル・ビジネスの中心となり、立派な高層ビルが林立しているが、ビルの谷間にはまだ貧しい社会があり、格差が拡大している。人間関係もどこかギスギスしている。
豊かにはなったけれど、人々は何かを失っているのではないか。イネスはまさに、そんな現代社会に毒され、人間らしい生き方を見失っている人々の象徴でもある。
けったいな奇人、トニ・エルドマンはそんな時代に異議申し立てを行い、痛烈な皮肉を浴びせるべく地上に降りた天使なのである。彼が東欧の妖精・クケリに扮したのもそれ故である。
“娘の行く末を心配する父親”という物語は、小津安二郎が好んで描いたテーマであるが、そんな小津映画が近年ヨーロッパで高く評価されている点も見逃せない。
親子間、世代間の断絶も、今のヨーロッパでは深刻な問題であるのだろう。
そうしたテーマを、小津のようなしんみりとしたドラマでなく、どこかタガを緩ませた皮肉と哄笑で描いた所に、この映画のユニークさがある。
個人的な事になるが、実は私の娘も30歳台半ばのキャリアウーマンで、毎日忙しく働いている。体を壊さないかと親として心配で、だから本作の父ヴィンフリートの気持ちはとてもよく分かる。他人事とは思えない。その点も、本作に感動してしまった理由の一つである。
ヴィンフリート=トニ・エルドマンを怪演したペーター・シモニシェックがいい。角度によってはフランスのジェラール・ドパルデューに似てたり、時にはドナルド・トランプにも見えたりする(笑)。彼以外では、本作は成功しなかったかも知れない。
人によっては取っ付きにくい作品であるが、ハマる人にはハマる、そんな不思議な作品である。上映時間が長い故、体調を万全にして観る事をお奨めする。 (採点=★★★★☆)
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