「ローサは密告された」
4人の子どもを持つローサ(ジャクリン・ホセ)は、マニラのスラム街で小さなコンビニエンスストアを経営し、地元の人々からも好かれていた。彼女と夫のネストール(フリオ・ディアス)は家計の足しにする為、少量の麻薬を売っていたが、密告によって警察が踏み込み、ローサとネストールは逮捕されてしまう。執拗な取調べの後、警察は20万出せば釈放すると言って来る。とてもそんな金はないが、出せないならば麻薬の売人を密告せよと言われる。ローサは切羽詰り、売人の名前を密告してしまうのだが…。
フィリピンと言えば話題になったのがドゥテルテ大統領による強硬な麻薬撲滅活動。麻薬関係者を片っ端から逮捕し、逮捕者が刑務所に溢れてる映像に驚いたが、本作は同大統領登場以前のフィリピンの麻薬汚染の実態と、それを取り締まる警察も腐敗しきっている状況も容赦なく取り入れつつ、そんなフィリピンのスラム街で暮らす、子供4人と夫婦の6人家族であるローサ一家に焦点を当てた、素晴らしい人間ドラマになっている。
(以下映画の内容に触れます)
映画は冒頭、大きなスーパーで大量の買物をするローサの姿を捕える。
なんと、スーパーではお釣りの小銭がないと、飴玉をお釣り代りに渡すのである。これにも笑えるが、ローサたちが大きな買物袋を抱え、タクシーで家まで帰ろうとすると、タクシーは狭い路地の中まで入る事を拒否し、仕方なくローサたちは自宅まで歩いて帰る事となる。
それくらい、ローサたちの住むスラム街は社会の最底辺にある事を示している。
カメラは、このタクシー移動や、後の警察車両移送中も含め、車窓から見える街の様子を延々と捕えている。恐らくは実際の街の風景をそのまま撮影しているのだろう、まるでドキュメンタリー映画のような臨場感がある。
この後も、ローサや警官らが歩いて移動する姿を、かなり長い時間をかけて描くシーンが何度も出て来る。ちょっとしつこい位だが、これもドキュメンタルな効果を狙っての事だろう。背景には、やはり街のリアルな光景が写しだされている。
ローサの買物は、自分の店でそれらを売る為の仕入れである。小さなコンビニと言えば聞こえはいいが、どちらかと言うと昔の日本にあった雑貨屋に近い。
大した利鞘にもならないだろうからそれだけでは生活出来ない(特に4人もの子供を養うには)。それで売人から買った麻薬を小さく小分けして売っている。夫のネストールも二階で麻薬を吸っている。
買いに来る人間も気軽に、まるで飴玉か栄養ドリンク剤のような感覚で麻薬を買ったり吸ったりしている。
麻薬と言うものが、市民の生活に深く入り込んでいる事がよく分かる。これでは麻薬関連逮捕者が刑務所に溢れるのも仕方がないだろう。
そんなローサ夫婦がある日、麻薬所持・販売容疑で警察に逮捕される。誰かの密告によるものである。
連れて行かれたのは本署ではなく、その裏にある分署。その中では、警官もラフな服装で気ままに動いていたり、小さな子供が使い走りをしたりと、どこか雰囲気が異様である。
警官の一人がやがて、20万ペソだせば釈放してやると持ちかける。そんな金はとてもない。すると警官は、金がないなら売人を教えろと密告を奨励する。
仕方なくローサは、売人のジョマールの名前を出す。警察はローサに、ジョマールに電話して麻薬を自宅まで配達させ、逮捕に協力させる。
釈放の為とはいえ、密告されたローサが、今度は密告する方に回ってしまうのである。これは考えさせられる。そして後に、ローサを密告した相手も、自分の身内の釈放と引き換えに密告した事が判る。
これは密告の連鎖である。どんどん密告が社会全体に広まって行く怖さ。共謀罪が施行された日本も他人事ではない。
警察の腐敗ぶりも悪質極まる。押収した麻薬を山分けしたり、逮捕したジョマールにも20万を要求したり、ジョマールがこっそり上級警部に連絡しようとした所を見つけると全員でボコボコにしてしまう。
警察と言うより、まるでヤクザの事務所である(笑)。
ジョマールから押収した10万では足らず、ジョマールの妻リンダにも連絡して残りの金を持って来させる。
リンダは5万しか用意出来ない。すると警察は足らずの5万をローサ一家に要求する。ヤクザよりエゲツない。
警察に駆けつけた4人の子供たちは、その事を聞くと、それぞれに手分けして金を集めようとする。親類に頼んだり、家財を売ったり。
次男はちょっと驚くやり方で金を稼ぐ。方法の是非はともかく、みんなそれぞれに親思いなのである。
長女は、叔母さんに金を貸してくれるよう頼み込む。最初は自分たちが困ってた時には何もしてくれなかったのにとケンもほろろだったが、結局はソッと金を出してくれる。下町の庶民の人情味が感じられてここはちょっとホロッとなった。
こうして集めた金がやっと4万6千。あと4千足りない。4千くらい負けろとローサは交渉するが警察は聞き入れない。すると娘が自分の携帯を売ってと差し出す。これを金に換えるべく、ローサだけが釈放される。
ここからラストにかけてが白眉である。ローサは故買屋に携帯を4千で買えと交渉する。故買屋は良くて3,500と言うがローサは粘りに粘って、根負けした故買屋が4千を渡すと、ローサは電車賃がないから小銭をくれと言う。かなわんなという顔の故買屋。このローサの庶民的バイタリティがなんとも楽しい。
ホッとしたローサはその後、掠めた小銭で団子を買って食べる。ローサは食べながら、少し笑みを浮かべるが、やがて涙が溢れて来る。この過程をアップでワンカットで捕えたシーンが素晴らしい。
ローサの胸に去来する思いは何だろうか。これで夫も保釈してもらえるという安堵、金集めに奔走してくれた親思いの子供たちに対する感謝の思い、あるいは、自分たちが助かる為とはいえ、自分も密告してしまった悔悟の念も少しはあるだろう。そして、これからの生活をどうするか…。これらが入り混じった、複雑な思いがあるのかも知れない。
さらにその後、ローサの視線の先には、小さな移動屋台の店を仕舞おうとする家族の姿がある。子供たちも手伝っている。
彼らも貧しいだろうけれど、家族が協力し合って、懸命に生きている。その姿を見つめるローサは何を思っているのだろうか。
もしかしたら、あの家族のように、これからは麻薬に手を出さず、生活は苦しくとも子供たちと力を合わせ、暮して行こうと心に決めたの知れない。そんな光明が感じられる、印象的なラストであった。
観終わって、深く心に染み入った。素晴らしい作品だった。
本作には、麻薬汚染、警察の腐敗、貧困、といった諸問題を提起した、社会派ドラマという一面もあるが、全体を貫く幹となっているのは、ローサの行動を通して描かれる、人間という存在の哀しさである。
観客は、警察に苛められる弱い市民であるローサたちについ感情移入してしまうが、ローサたちがやった事は麻薬密売という犯罪行為、それに密告という道義的裏切り行為である。
生活が苦しいという事情も分からなくはないが、ローサの娘は結構高価なスマホを持っている。麻薬で潤った金で買ったに違いない。
それを考えると、複雑な気分にさせられる。
だが、人間誰しも、楽な生活はしたいし、魔がさす事もある。少しぐらいはという所から始まって深みにはまったりもする。そうした弱さ、ズルさ、ふてぶてしさも併せ持っているのが人間なのである。
ブリランテ・メンドーサ監督は、そんな哀しい人間の姿を、憐憫と愛情の篭った眼でやさしく、かつ厳しく見つめているのである。それに私はとても感動した。
ローサ役を演じたジャクリン・ホセの演技が圧巻である。先に書いたような、人間としての負の側面も持ちながらも、家族の為に、たくましく、したたかに生きる肝っ玉かあさんを実に自然に、かつ全身で表現している。カンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得したのも当然だろう。
フィリピン映画の成熟と実力をまざまざと見せ付けた、これは本年屈指の傑作である。必見。 (採点=★★★★★)
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コメント
こんにちは。TBをありがとうございました。
この作品、必見、とおっしゃっているお気持ちよく判ります。マニラの現実の描写も然り、ジャクリン・ホセの演技力も然り。
アジアの作品のパワーを感じました。
投稿: ここなつ | 2017年8月28日 (月) 12:40
◆ここなつさん
コメントありがとうございます。
本当に、最近のアジア映画、特にフィリピン映画のパワーはすごいですね。少し前に公開された「ダイ・ビューティフル」もフィリピン映画ですね。これはまだ見ていませんが、機会があれば是非見ようと思っています。
投稿: Kei(管理人) | 2017年9月 2日 (土) 00:55