「ザ・ウォール」
2007年、イラク戦争中の荒廃した村。救助要請を受け到着したアメリカ軍観測手アイザック(アーロン・テイラー=ジョンソン)と狙撃手マシューズ(ジョン・シナ)は、丘の上から、敵に狙撃されたらしい多くの兵士の遺体を見つけ、敵が残っていないか監視待機したまま5時間が経過した。そして様子を見にマシューズが遺体に近づくと、想定外の場所から銃撃を受け倒れる。アイザックは駆け寄ろうとするが彼も撃たれ、命からがら砂漠にポツンと残る壁の背後に逃げ込む。そこに、謎の男からの無線が届くが…。
イラク戦争ものは、これまで数多くの作品が作られている。その頂点に位置するのがクリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」だろう。
本作は、その作品と同じく、イラク側の凄腕スナイパーと、アメリカ側スナイパーとの対決がメイン・プロットとなっている。おそらくはイーストウッド作品に触発されて脚本が書かれたのかも知れない。
しかし作品スケール、時間軸、登場人物、いずれも極めてミニマムである。舞台は限定空間、時間は午前から夕刻までのほぼ半日、出演者はアーロン・テイラー=ジョンソン扮するアイザックとジョン・シナ扮するマシューズのほぼ2人、それもマシューズは開巻直後撃たれてほとんど全編寝たきり。後は、アイザックと、謎の敵との無線による会話だけで物語が終始するという、まるで一人芝居の舞台劇を見ているかのような、なんとも風変わりな異色作である。おそらくは製作予算もほとんどかかっていないだろう。
こういうシチュエーションの映画を最後まで見せ切るには、脚本の力と、監督の演出力が相当問われるが、飽きる事なく最後まで面白く見れた。「ボーン・アイデンティティー」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」などの派手なアクションが売りのヒット作でも知られるダグ・リーマン監督、こんな捻った映画も撮れるのだ。
(以下ネタバレあり)
出だしで相棒のマシューズが撃たれ、アイザック自身も足を撃たれ、からくも壁の後ろに隠れる。元はそこに学校があったらしいが、今では半壊した壁だけが残っている。
石を積み上げただけの壁は脆く、ちょっと押しただけでも崩れそうだ。不安定かつ危険な状況に置かれたアイザックの立場を象徴しているかのようだ。
敵はどこから撃って来たか分からない。うかつに壁から出れば撃たれる。アイザックは動く事も出来ず、おまけに敵に足を撃たれて出血している。
助けを呼ぼうにも、無線機はアンテナを撃たれて連絡不能である。絶体絶命。
そこに、着装している無線に着信が入る。アイザックが状況を伝えると、すぐに救援に向かうと応答があった。
だが、英語のアクセントがおかしいと気付く。やがて、無線の相手は味方ではなく、狙撃して来たイラク軍のスナイパーである事が分かる。
ここからは、アイザックと、敵・イラク軍スナイパー、ジューバとの無線機を通した会話だけで、物語が進んで行く。
ジューバの姿は一切画面に登場しない。その存在を示すのは、彼の声と、スコープを通したジューバの視線だけである。
時間も余裕もあるジューバは、自分自身について語ったり、イラクに侵攻した米軍の目的について講釈したり、そうしたさまざまな会話を通して巧みにアイザックの過去、心情を聞き出して、彼の心の内までも入り込んで来る。
こうした、主人公と姿の見えない相手との、無線による会話だけで物語が進行して行く展開は、やはり登場人物が主人公一人で、電話による相手との会話だけで物語が進む、トム・ハーディ主演の「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」を思い起こさせる。
また、電話ボックスに閉じ込められたまま、姿の見えない謎の敵にライフルで狙われ、やはり相手との電話による会話が物語の核となるコリン・ファレル主演の「フォーン・ブース」ともタッチはよく似ている。
“一人芝居サスペンス”という、新しいジャンルが定着しつつあるのかも知れない。
ちなみに上映時間は本作が90分、「オン・ザ・ハイウェイ-」が86分、「フォーン・ブース」が81分と、いずれも90分以内の短い作品であるという共通点もある。
アイザックはこの窮地を脱しようと、いろいろ策を講じる。足に撃ち込まれた銃弾を摘出して、弾丸の種類と入射角から敵の位置を推定したり、死体の傍にある無線機を、敵の銃撃をかいくぐって取りに行ったり、倒れているマシューズに敵に気付かれぬよう合図を送って一緒に敵を狙撃したり。
こうした、ジューバとの会話を通しての探りあいや、知力を振り絞った攻防戦によって、緊迫感とテンションが持続したまま終盤になだれ込む、脚本と演出が実に見事である。
ほぼ出ずっぱりでこの難しい役を演じきったアーロン・テイラー=ジョンソンの頑張りぶりも評価したい。
特にいいと思ったのは、ジューバの語りによって、イラク側の視点からもこの戦争を冷静に見据え、それによってアメリカ軍の欺瞞、横暴が次第に露わになって行くという、イラク戦争に対する批判もやんわりと盛り込められている点である。
ある意味では、姿の見えないイラク軍スナイパー、ジューバこそがこの映画の主人公なのかも知れない。
そう考えれば、ラストに用意された意外なバッド・エンドも十分納得出来るのである。
これがよくあるパターン通り、最後に敵のスナイパー、ジューバを倒し、アイザックは救出される、というハッピー・エンディングなら、スリリングな戦争サスペンスとしては面白いだろう。
だがそれでは、観ている間はハラハラして楽しめるが、観終わった後には何も残らない、ありきたりの娯楽映画に留まってしまう。
あのような、不条理なエンディングを用意する事によって、イラク戦争とは何だったのか、ジューバとアイザック、どちらが正義と言えるのか、何の為に、彼らは戦うのか、そもそも戦争に、大義や正当性は存在するのだろうか…と、映画はさまざまな疑問を観客に投げかけて来るのである。
タイトルの「ザ・ウォール(壁)」も意味深である。敵対する両者は、壁によって隔てられているが、その壁は脆く、ほとんど無いに等しい。壁自体に、意味はあるのかとも問いかけられているようだ。
たまたま、新しい大統領となったトランプは、メキシコ国境に壁を作ると宣言し、一躍、“壁”が国民分断の象徴として、現在アメリカのキーワードとなりつつある。本作が企画された時には、まだトランプが大統領になるとは多分予想出来なかったはずで、なんとも絶妙のタイミングというか不思議なめぐり合わせと言おうか。
そういった点も含めて、この映画は時代を映す鏡として、今観ておくべき異色作と言えるだろう。 (採点=★★★★☆)
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コメント
これも拾いものでした。
劇場が少ないのですがやっと見ました。
確かにあのバッドエンディングが印象に残ります。
ジューバがまったく映らないので、何か砂漠の怨霊の様にも感じられました。
アーロン・テイラー=ジョンソン、好演していました。
投稿: きさ | 2017年9月18日 (月) 07:54