「あゝ、荒野 後編」
プロボクサーとしてデビューし、トレーニングに励む毎日を送る新次(菅田将暉)とバリカン建二(ヤン・イクチュン)。宿敵である裕二(山田裕貴)との対戦に闘志を燃やす新次は、自分を捨てた母京子(木村多江)から、バリカンの父親・建夫(モロ師岡)が自分の父親の死に関っていた事を知らされる。一方、バリカンは書店で出会った恵子(今野杏南)に初めての恋をするが、彼の心は充たされなかった。やがてバリカンはライバルジムに引き抜かれ、実力を磨いて勝利を重ねて行き、そして遂に新次と対決する日がやって来る。宿命のライバルとなった新次と建二の血みどろの死闘。決着はどうなるのか…。
「前編」を観て、凄く感動し、後編に期待していたので、早速またまた家からはかなり遠いなんばパークス・シネマまで足を運んだ(テアトル梅田でも近日公開予定だそうだが、それまで待ちきれない(笑))。
ただ、これまで前後編ものは、大抵後編で失速する事が多かったので(「ソロモンの偽証」「進撃の巨人」「64 -ロクヨン-」等)、その点がちょっと心配だったのだが…。
(以下ネタバレあり)
心配は杞憂だった。後編も、前編に勝るとも劣らない傑作だった。凄い。2時間27分という長い上映時間にも関わらず、食い入るようにスクリーンを見つめ、最後はボロボロ泣いてしまった。文句なく、私の本年度ベストワンが決定した。
冒頭に、2022年とテロップが出る。前編から数ヶ月が経過しているようだ。
新次は、親友劉輝 (小林且弥)を半身不随に追いやった裕二に憎しみを抱き、リングの上で裕二を叩きのめす事を望んでいる。「殺してやる」とも口走る。
そして遂に裕二との試合が実現し、新次と裕二は壮絶な闘いを繰り広げ、新次は望み通り裕二に勝利する。このファイト・シーンもなかなかの迫力である。
だが、“憎しみ”を唯一の拠り所としてボクシングに打ち込んで来た新次は、裕二を倒した事で、目標(憎む相手)を失ってしまう。
一方バリカン建二は、ジム立ち退きを狙っているジムの家主に才能を認められ、大手ジムに移籍して試合を重ね、次第に頭角を現して行く。
また参考書を買う為立ち寄った書店で、建二は仕事中に流産した書店員・西口恵子(今野杏南)を偶然助けて病院に付き添い、恵子は助かったが胎児は死ぬ。やがて二人は心を通わせて行く。
恵子は、大学の自殺防止研究会のリーダーだった川崎と恋仲だったが、川崎がイベントで自殺してしまい、お腹の中には川崎の子供が宿っていたのだ。
「彼も自殺したけど、お腹の中の子も自殺したようなものね」と恵子は言う。
死に取り付かれた川崎に比べて、口ベタだけれど心優しい建二と付き合う事で、恵子も生きる意味を見い出して行くのである。
やがて二人は一夜を共にするのだが、その途中に建二は、「あなたとは繋がれない」とつぶやき、その場を去ってしまう。
建二は、本当に繋がるべき相手を模索し続け苦悩している。その相手は、恵子ではなかった。それは誰か…。
そして一方、新次は母京子から、彼の父が自殺したのは、建二の父・建夫のせいだと知らされる。建夫も、新次や京子に謝りたいと言って来るのだが、新次は許す事が出来ない。
その憎しみは、ボクシングを続ける目標を失っていた新次に新たな闘志を燃やさせる。即ち、父を死に追いやった男の息子、バリカン建二との対決である。
こうして新次と、彼がかつては兄貴と呼んで仲が良かった建二とは、運命の糸に導かれて試合で対決する事となり、物語は一気にクライマックスになだれ込んで行く。
憎しみをバネに、リングの上で闘い続けて来た新次。それとは対照的に、人を憎めず、人と繋がれなかった建二。それぞれに何かを求めて、リングという荒野で、その答を見つけるべく、激しくパンチを重ねる二人。
この最後の試合シーンは圧巻である。試合が進むごとに二人の顔は腫れ上がり、血まみれとなり、それでも闘い続ける二人の姿に胸が熱くなり、そして涙が溢れて来た。
建二が繋がりたかった相手は、実は新次だったのである。闘い合う事で、建二はやっと新次と繋がる事が出来た。
試合が進むうちに、次第に建二は一方的に新次に殴られ続ける。そのパンチの数を建二は数え続ける。今、自分は新次と繋がっているのだという、それは死の淵における、建二の至福の時なのかも知れない。
ある意味では、新次に対する愛の表現であったのかも知れない。
そしてラスト、建二の死亡診断書のアップと、放心したように中空を見つめる新次の姿で、映画は終わる。
“自殺”が何度かキーワードとして出て来るが、これはまた建二の自殺のようでもある。
観終わって、ズシリと心に響いた。なんという、男たちの哀しい愛の物語であったことか。
吃音・赤面対人恐怖症という建二の性格はそのまま、相手に思いを伝えられない建二の心の悲しみでもある。
この難しい役を演じきったヤン・イクチュンが素晴らしい。文句なく本年度の助演男優賞候補である(主演でもいい)。
菅田将暉もまた近年最高の名演である。今年も多くの映画に出演しているが、この映画の為に肉体改造を行い、体重を増やし、見事にボクサーの体になっていたのには驚嘆した。キャスティングが決まった時、二人の体重差は20kgあったそうだが、ヤン・イクチュンも体重を減らし、クランクインの頃にはほとんど同じ体重になったとの事である。いやはや凄い役者根性だ。菅田も主演男優賞は決定である。
2022年という、5年後の未来における時代描写も興味深い。
街では爆弾テロが頻発し、若者たちが「徴兵法反対」のプラカードを掲げてデモ行進を行っている。自衛隊に進んで入隊しようとする青年もいる。そして新次と建二の父親は共に自衛隊員として派兵され精神を病み、それぞれに人生を狂わされていた。
5年後には、不穏で、先行きの見えない、暗い時代がやって来るのだろうか。そうならない事を祈りたい。
一部に、なんで建二が無防備で100発近くも殴られているのにレフェリーが止めないのかという声もあるが、このラストは寺山修司の原作通りである。
確かに異常だけれども、このラストは、新次と繋がりたいと願う、建二の愛の行動なのであり、二人の間に、第三者が立ち入る余地はないのである。
まさしく、リングの上という、無人の荒野で、若者たちは必死に、傷つきながらも命を賭けて闘い続けている、その姿には誰も涙なしには見れないだろう。
これは、先の見えない時代の空気の中で、生きる意味、命の意味を苦悩しながら模索し続ける、痛ましい青春の物語である。それに深く感動した。
間違いなく、本年を代表する傑作と断言したい。 (採点=★★★★★)
(付記1)
原作が書かれた1966年は、本作の舞台と同じく、東京オリンピックの2年後である。
舞台も同じく新宿。新宿と言えば、その2年後、1968年10月に起きた「新宿騒乱」事件を思い出す。
ベトナム反戦運動に端を発した、新左翼学生たちの反安保闘争が活発となり、10月21日の国際反戦デーを期にその炎が燃え上がり、新宿一帯で大規模な騒乱事件が発生した。以後学生運動は過激化し、翌年には東大紛争、1970年には連合赤軍のよど号ハイジャック事件が起きた。
一方では、穏健派の若者たちによる、反戦フォーク集会が開かれたのも新宿駅西口広場である。
新宿にある新宿文化劇場は、寺山修司主宰の劇団天井桟敷の公演も何度か行われており、アートシアター新宿文化としてATGの映画館でもあった。また近くの花園神社では、唐十郎主宰の劇団状況劇場の公演も行われていた。
新宿は、何かと先進的な若者文化、政治闘争と縁が深い場所でもある。
こうした1968年当時の不穏な状況は、本作で描かれた2022年の状況ともよく似ている。また本作に登場する新宿近辺の街の風景や、主人公たちの根城である海洋拳闘ジム内の描写も昭和チックな雰囲気が充満している。
両方の時代は、どこかで繋がっているのかも知れない。岸監督の狙いも、そこらにあるのだろう。
(付記2)
“宿命のライバルである二人の男がリングで死闘を繰り広げ、一方が死んでしまう”という展開は、有名なボクシング漫画「あしたのジョー」のジョーと力石の対決を思い起こさせるが、この漫画の連載が始まったのは1968年からで、寺山原作のほうが早い。
あるいは「あしたのジョー」の力石の死のくだりは、原作者の梶原一騎が、寺山修司原作「あゝ、荒野」に若干影響を受けて書いたのかも知れない。
ちなみに寺山修司は後に1970年、力石徹の葬儀委員長を務めているし、アニメ版「あしたのジョー」の主題歌の作詞も行っている。
「あゝ、荒野」と「あしたのジョー」は、何かと縁があるようである。
も一つちなみに、前述のよど号ハイジャック犯の一人が「我々はあしたのジョーである」という声明を残しているのも興味深い。
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