テレビ「やすらぎの郷」
映画・テレビでいくつもの名作を書いてきた名シナリオライター、倉本聰さんのオリジナル脚本、というだけでも見たいと思わせますが、
それよりも、豪華な出演者の顔ぶれにも驚かされ、こちらの方でも見たいと思わせるものがありました。
なにしろ、出演女優が、八千草薫、有馬稲子、浅丘ルリ子、加賀まり子、野際陽子…と、昭和を代表する名女優ぞろいなので、この人たちのお元気な姿が見られるだけでも感涙ものです。実際、見てて涙が出てしまったシーンもいくつかありました。
ただこれらの女優陣の豪華さに比べ、男優陣は石坂浩二、ミッキー・カーチス、山本圭、藤竜也、倉田保昭、伊吹吾郎、上條恒彦、近藤正臣…と、やや物足りなさを感じてしまいました。この点だけがやや残念(まあしかし、昭和を代表する男優スターはほとんど鬼籍に入られてるという事もありますが。ご存命なのは小林旭くらいでしょうか)。
そして、役どころも、かつての全盛期の映画、テレビ界を支えた俳優、作家、ミュージシャン、と、俳優たちの実像とカブるキャラクターが多い。また、出て来るエピソードも、出演者たちの私生活で実際にあった出来事も楽屋落ち的に取り入れたりもしています(例えば石坂浩二と浅丘ルリ子や加賀まり子がかつてはいい関係だったとか)。
その為か、見ているうちに、次第に、この俳優たちの老後生活を追ったドキュメンタリーを見ているかのような錯覚に陥りそうでした。
八千草薫さん演じる九条摂子(通称“姫”)が亡くなった後の葬儀のシーンでは、本当に八千草薫さんが亡くなったような気がして、涙が溢れて来たほどです。
さて、物語は、入居条件が、テレビ業界に長く貢献した俳優、作家、音楽家で現在高齢になった方に限るというふれ込みの老人介護施設「やすらぎの郷 La
Strada」を舞台に、そこに入居した人たちをめぐるさまざまなドラマが展開して行く、というもので、1回の放送時間は20分、本編は約15分で、これが半年間、全129話というかなりの長丁場。NHK朝の連続TV小説と同じスパンですが、こちらはこれといった波乱や怒涛の展開があるわけでもなく、入居老人たちの日常を淡々と描いているだけです。中にはとりとめのない話やくだらない騒ぎもあったりもしますが、よく見ていると、いかにも倉本さんらしい、現在のテレビ界に対する痛烈な批判、戦争の記憶、そして東北大震災やフクシマ原発事故のエピソードも出て来たり、社会的なテーマも見え隠れします。
中心となる主人公は、倉本さん自身を投影したような脚本家・菊村栄(石坂浩二)。彼の認知症の末に亡くなった妻・律子(風吹ジュン)への想いにはシンミリしたり、彼を取り巻く往年の女優たちとの交流や丁々発止のやり取りには笑ったりジーンとなったり、かと思うと終盤には栄がかつて密かに愛した女優・安西直美の孫・アザミ(清野菜名)の登場に年甲斐もなく心惑わされウロたえる場面に笑ったりと、毎回見るのが楽しみでした。
海辺に建てられたこの施設はかなり豪華で、しかも入居費用は無料。誰が何の目的でこんな施設を作ったのかが謎に包まれており、終盤に至ってその謎が解明されて行きますが、これも重要なテーマとなっております。
その創設者とは、戦時中は海軍の作戦参謀、戦後は裏社会とも関係があり、芸能界のドンと呼ばれた大物・加納英吉(織本順吉)。彼がやすらぎの郷を設立した目的は、一つには加納の永遠の恋人だった九条摂子が、あれほど有名だったのに引退後は老境になっても誰も面倒を見てくれないこの国の老人問題への怒り、そしてもう一つはやはり有名女優だった大道洋子が、仕事を干され、芸能界から忘れ去られ、アパートで独り死んでいるところを死後1週間経って発見されたという事件がきっかけです。
この女優の死の経過を聞いて、視聴者はすぐに大原麗子を思い浮かべるでしょうが、菊村たちが彼女を回想するシーンで、マロ(ミッキー・カーチス)たちが、「あの市川崑さんの作った有名なウイスキーのコマーシャル」と言い、すかさず「すこ~し愛して、なが~く愛して」のCMの音声が流れ、なんと大原麗子さんの写真まで登場するのです。これはサプライズでしたね。
おそらく、この加納英吉の怒りは、倉本さん自身の思いと同じなのでしょう。加納もまた、倉本さんの分身と言えるでしょう。
加納の臨終のシーンがなかなかの見ものです。酸素吸入も拒否し、ベッドの上で「『大笑い三十年の馬鹿騒ぎ』、石川力夫という若い極道の辞世の句だ」とつぶやき、「海行かば」を歌って敬礼したまま息絶えるのです。深作監督の「仁義の墓場」の主人公が登場するとはねぇ。
織本順吉さん、一世一代の名演技です(ちなみに御歳90歳)。威厳があって実にカッコいい。この作品で最高の演技を見せたのはこの方かも知れません。
倉本さんも、こんな死に方したいと思ってるのかもですね。
ちなみに、加納英吉という役名は、倉本さんが書いた2本の高倉健主演作「冬の華」の加納秀次と「駅 STATION」の三上英次から採ったのでしょうね。
ドラマの中には、印象的なセリフもいくつかあります。
菊村「俺だってまだまだ書ける。だけど本当に書きたいもんがないんだよ。視聴率なんて、あれは猫の屁だ」
「木というのは根があって立つんだ。でも根は見えない。見えないからみんな忘れる。忘れちまってあの枝ぶりだとか葉っぱとか実とか花とかそういうものばかり大事にしてしまう。それだから…今のドラマは駄目なんだよ。そういうものを大事にしなきゃいいドラマは出来っこないのさ」
まさに倉本さんの本音、心の叫びなのでしょうね。
放映の半ばあたりで、野際陽子さんが亡くなられました。「収録終わるまで、誰かが亡くならなけりゃいいんだけれど」なんて誰か言ってたそうですが、なんとか出番は撮り終えてたようです。ともあれ、野際さん最後のお姿をドラマの中で見れただけでも良かったと思います。
本当に素晴らしい、大人が見るべき名作だと思います。人生の哀歓があり、忘れ去られたスターへのリスペクトあり、今のテレビドラマへの警鐘あり、なにより、人が老いた時に、何を生きがいとすべきか、どう余生を送るか、という、これから超高齢化社会を迎える時代に対する切実なテーマに鋭く切り込んだ、本年を代表する秀作だと思います。
なんか、ドラマが終わってポッカリ穴が空いた感じ。「やすらぎロス」に私もなったようです(笑)。
もう一度ゆっくり見直したいですね。録画を忘れたり、うっかり消してしまったものもあるので、再放送を望みたいですね。
(付記)本作のモデルと言うかヒントとなったのは、おそらく戦前のフランス映画の名作、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「旅路の果て」(1939)だと思います。
フランスの演劇俳優専門の養老院が舞台で、かつては華やかな舞台で名優ともてはやされた俳優たちも、今は年老いて寂しく余生を送っている。その老優たちの、過去の栄光が忘れられない老残の姿や、老いに抗う執念などが格調高く描かれた秀作です。
名優ミシェル・シモンが、現役では代役専門の名もなき俳優だったのに、生涯の思い出に養老院で演じられる舞台に主役で立とうとして、結局セリフを一言も言えずに絶望して死んでしまう役を演じています。ちなみにこの時シモンは40歳台。見事に老け役を演じてます。フランスの笠智衆とでも言えるでしょうか(笑)。その他では、これも名優ルイ・ジューヴェも出演しています。
なんとも悲しく切ないドラマですが、80年近く前にこんな作品が作られていた事に驚きます。デュヴィヴィエ監督の目の付け所に感服します。
DVDボックス「やすらぎの郷」
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DVD「旅路の果て」 |
Blu-ray「旅路の果て」 |
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