「あゝ、荒野 前篇」
かつて親に捨てられた沢村新次(菅田将暉)は、兄のように慕う劉輝(小林且弥)と共に詐欺に明け暮れていたが、ある日仲間の裕二(山田裕貴)らの襲撃を受け劉輝は半身不随となり、新次は少年院に送られる、そして東京オリンピックも終わった2021年の新宿、少年院を出た新次は裕二への復讐を誓っていた。一方、理髪店に勤める建二(ヤン・イクチュン)は、吃音と赤面対人恐怖症に悩みながら鬱屈した日々を送っていた。そんな時、ひょんなことから新次と建二は共に“片目”こと堀口(ユースケ・サンタマリア)にボクシングジムに誘われ、二人はそれぞれの想いを胸にボクシング修業に打ち込んで行く…。
前後編2部作で、前編157分、後篇147分、合わせて5時間を超える長編である。監督は昨年公開の「二重生活」で監督デビューし、これが2作目となる岸善幸。
上映劇場もごくわずかで、関西では大阪北地区では上映していないので劇場鑑賞は難しいかなと思っていたが、主演の一人に私が大好きな傑作「息もできない」の監督・主演のヤン・イクチュンが参加しているし、評判もいいようなので、遠路はるばるミナミのなんばパークス・シネマまで足を運んで観たのだが。
(以下ネタバレあり)
うーん、これは凄い!。前編で2時間37分もある長い作品なのに、まったくダレる所がなく、食い入るように見入り、観終わって唸ってしまった。
これは、本年を代表する傑作である。あやうく見逃す所だった。危ない危ない。
原作は寺山修司が書いた唯一の長編小説。書かれたのは1966年。もう半世紀も前である。これを、時代を近未来の2021年に設定して、現代が抱えるさまざまな病巣(当然原作にない)…振り込め詐欺、東日本大震災、原発事故、老人介護問題、自衛隊員のPTSD、ホームレス、自殺願望の人たち…等を縦横に網羅し、多彩な人物が登場するが、物語の中心となるのは、ボクシングに打ち込む新次と建二の二人の若者である。
二人は“片目”と呼ばれる堀口が運営する小さなボクシング・ジムに誘われ、新次は仲間への復讐に燃え、また建二は吃音・赤面対人恐怖症に悩み、これを克服したいというそれぞれの目的で、ボクシングを始める。リング名もそれぞれ、新宿新次、バリカン建二と付けられる。
二人は何もかも対照的である。新次は悪事も働いていたし、喧嘩早い。また女性に対しても積極的で、身体を売っていた芳子(木下あかり)ともすぐ意気投合してセックスを重ねる。
二人のセックス・シーンが濃厚である。フルヌードで体当たり演技の木下もいいが、新次役の菅田将暉も全裸でファック・シーンを熱演し、またまた役柄を広げている。
反対に建二は吃音・赤面対人恐怖症という性格もあるが、何事においても奥手で、ボクシングの試合になっても積極的に攻撃出来ず敗退してしまう。
堀口は多分元プロボクサーで、目はパンチを受けて失明し、ボクサーを諦めて、新次たち若者に自分の夢を託そうとしているのだろう。ちなみに昔、“ピストン堀口”という伝説的プロボクサーがいた。
片目という事もあって、「あしたのジョー」の丹下段平を思わせたりもする。
トレーナー・馬場(でんでん)も加わって、厳しいトレーニングを重ね、新次は徐々にボクサーとして力を付けて行き、デビュー戦を見事勝利で飾る。
そして新次は遂に宿敵・裕二が所属するジムの選手と戦い、これを倒して、次はお前だと裕二に挑戦状を叩きつけた所で前編が終わる。
不思議な縁で結ばれた新次と建二。この二人が、この後ボクサーとしてどう成長して行くのか、裕二との決着はどうなるのか、それぞれに葛藤を抱えた彼らの親たちとは和解出来るのか…後編が楽しみである。
一見本筋とは関係ないように見える大学の自殺防止研究会は、前編を観た限りでは不要にも見えるが、今後は主人公たちにどう絡んで来るのか、これも後編を待ちたい。
そう言えば、冒頭に起きた爆発事件、前編ではその原因も謎のままである。これも後編では解明されるのだろうか。
しかし本作が面白いのは、メインとなる二人のボクシングに賭ける物語だけも十分楽しめるが、それだけではなく、さまざまな人物、社会的事象が入り乱れ、それらが大きなうねりとなって、近未来日本における時代の空気をさえ予感させる、物語の壮大さにある。
オリンピックが終わったあとの虚脱感、東北大震災から10年経っても、まだ収束が見通せない焦燥感、自衛隊員のPTSD問題が出てくるように、安保法制成立から5年後には国を取り巻く空気はどう変遷しているのか、閉塞感から自殺願望者はどれほど増大しているだろうか…。
こうした、多彩な人物、物語が交錯する中で、ボクシングに、愛に、セックスに、生き生きと時代を駆け抜けて行く新次の行動が実に魅力的で精彩を放っている。
複雑、多岐に亘る物語を1本の映画として見事にまとめあげた港岳彦、岸善幸による脚本も素晴らしいし、菅田将暉、ヤン・イクチュン、木下あかりからそれぞれの最高の熱演を導き出した岸善幸監督の演出は出色である。
その猥雑なエネルギー感やエロティシズム、多彩な社会問題提起、入り乱れる人物像に、5時間にも及ぶ長大な上映時間、等は、あの園子温の大ブレイク作「愛のむきだし」を思わせたりもする。
まだ後編を観ていないので、総合評価は後編を待ってからにしたいが、後編の出来次第ではベストワン候補になるかも知れない。今から楽しみである。
岸善幸監督は、あの是枝裕和監督も所属していたテレビマン・ユニオン出身で、いくつものドキュメンタリー、テレビドラマを演出し、数々の受賞歴があるそうだ。
劇場映画デビュー2作目にして、こんなスケール感のある骨太の力作を完成させた、その力量には感服した。今後が楽しみな逸材として、注目しておこう。
ただ、残念な事に、全国38スクリーンと、上映館は極端に少ない。その上前述のように大阪では中心部でも上映していない。
これだけの秀作なのだから、もっと多くの人に観て欲しいと思う。2週間限定だそうだから、早く観ないと終わってしまうだろう。
聞く所によると、本作は9月29日からU-NEXTで6回に分けてネット配信されているそうで、11月1日にはもうDVD、Blu-rayが発売されるそうな。
つまりは劇場映画というより、ネット、ビデオセルが中心の映像コンテンツという事になる。なんともったいない。
出来がいいのだから、方針転換して劇場長期上映を優先して欲しかった。特にこれは、劇場の大画面で見る方が感動の度合いもまったく違うだろうから。
カンヌ映画祭でも、動画配信サービス大手のネットフリックス作品(つまり劇場未公開)が出品されたそうで、来年からはネットフリックス作品は除外するとかで大騒ぎとなっている。
これからも、劇場上映より、ネット配信で稼ぐ映画が増えて行くのかも知れない。時代の流れかも知れないが、劇場鑑賞主義の私としては複雑な思いである。
ともあれ、映画ファンなら、これは是非とも、上映期間中に劇場で鑑賞する事をお奨めする。必見。 (採点=★★★★★)
(付記)
寺山修司は、ボクシング・アニメ「あしたのジョー」の主題歌の作詞も手がけたり、同作の登場人物、力石徹の葬儀が行われた時には葬儀委員長を務める等、ボクシング・ファンとして知られている。
本作の原作小説を書いたのもそのせいのようだが、実は映画監督としても「ボクサー」(1977)という映画を東映で撮っている。
菅原文太扮する元チャンピオンが、今は引退し侘しく生きているが、ボクサーの才能がある若者(清水健太郎)を見出し、チャンピオンに育てようとする物語で、涙橋食堂も出て来たり、「あしたのジョー」との共通性も多い。寺山作品らしいビジュアルも見られる。
作詞に、小説に、映画監督と、本当にボクシングが大好きなのだろう。本作も、自分で映画化したかったのかも知れない。
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コメント
けいさん、映画祭後輩のぴよです。ものすごーーーーく久々のコメントです(『愛アムール』以来かな)。7年間の介護生活も2年前の夏に母が、今年の2月に父が亡くなり、ようやく終わりました。ひとりっ子・独身で親戚もない身の上でのW介護で、本当に言葉では言い尽くせないほど身体的、精神的にも過酷な日々でしたが、何とか乗り切り責任を果たしました。これからは、また映画にどっぷりの生活に戻ります(笑)。介護生活中もブログはいつも楽しみにしていて、拝見していましたが、なかなかコメントも出来ずで…。これからは、ちょくちょくお邪魔しようかなぁと思っていますので、何卒宜しくお願いします。で、『あゝ、荒野』ですが、私も予告編ですでにワクワク、絶対観に行きます。今はパークスのみの上映ですが、10/21~テアトル梅田でも上映されるようですよ。岸監督は『二重生活』も観ましたが、今回、大飛躍のようですね。後編が今イチというパターンが多い中、失速していないことを祈ります(笑)。
投稿: ぴよ | 2017年10月17日 (火) 12:39
◆ぴよさん お久しぶりです。
介護生活お疲れさま。ご苦労お察し申し上げます。
私の所も、母が長く特養に入っていまして、この3月、天寿を全ういたしました。2月中頃から容態が悪化して、ほとんど毎週のように田舎とトンボ帰りの日々が続きました。幸いというか私の所は4人兄弟で、交代で様子を見ていましたので、ぴよさんの所ほどは苦労しませんでしたが。
「あゝ、荒野」テアトルでも上映しますか。それはありがたいですね。時間があれば、もう一度見たいと思ってます。
お互い、本当に大変でしたね。これからは映画を沢山見て、こちらにもいろいろ書き込み、お待ちしております。これからもよろしく。
投稿: Kei(管理人) | 2017年10月18日 (水) 00:18