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2017年12月31日 (日)

2017年を振り返る/追悼特集

今年も、あとわずかですね。いかがお過ごしでしょうか。

毎年恒例となりました、この1年間に亡くなられた映画人の方々の追悼特集を、今年も行います。

 

ではまず、海外の映画俳優の方々から。

1月27日 エマニュエル・リヴァさん 享年89歳
フランスの女優。この方の名前を知ったのは、日仏合作のアラン・レネ監督「二十四時間の情事」(59)でした。広島にやって来た女性が岡田英次扮する日本人男性と愛し合うようになる、戦争の影が色濃く漂う名作でしたね。どうでもいいけど、この邦題はヒドい。原題通り「ヒロシマ、わが愛」の方が絶対いい(最近は「ヒロシマモナムール」と原題まんまに改題されてるようだけど)。1969年にはこれも日本映画、石原裕次郎主演「栄光への5000キロ」に出演。そして何といっても2012年のミヒャエル・ハネケ監督の傑作「愛、アムール」における認知症老夫婦の役は鬼気迫る名演でした。日本で公開された作品は多くありませんが(多くは日本未公開)、どれも見事な演技でした。この人の作品、もっと見たかったですね。

1月27日 ジョン・ハート氏 享年77歳
イギリスの俳優。舞台出身で、映画デビューはフレッド・ジンネマン監督の名作「わが命つきるとも」(66)。アラン・パーカー監督「ミッドナイト・エクスプレス」ではゴールデン・グローブ賞他で助演男優賞を獲得。リドリー・スコット監督「エイリアン」(79)における、フェイスハガーに飛びつかれる乗組員役でも知られてますが、その翌年のデヴィッド・リンチ監督「エレファント・マン」での特殊メイクによる奇形の主人公役では強烈な印象を残しました。後年は「ハリー・ポッター」シリーズのオリヴァンダー老人役でも有名。晩年に至るまで精力的に映画出演していました。本当にいい役者でしたね。昨年の「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」が遺作になったようです。

2月25日 ビル・パクストン氏 享年61歳
この方も意外な事に、B級映画の帝王、ロジャー・コーマン門下生だった事を訃報で知りました。しかも最初は美術監督として。
18歳の時、ジェームズ・キャメロンと出会い、ロジャー・コーマン率いるニュー・ワールド・ピクチャーズに美術監督として入社。19歳の若さでギャングものの佳作「ビッグ・バッド・ママ」(74)などの美術を担当しますが、やはり美術を担当したジョナサン・デミ監督「クレイジー・ママ」(75・本邦未公開)でデミ監督に誘われ、同作に俳優として出演。これをきっかけとして以後俳優の道を進みます。ちなみにキャメロンも1978年にニュー・ワールドに美術スタッフとして入社。キャメロンとは意気投合したようで、「ターミネーター」「エイリアン2」「トゥルー・ライズ」「タイタニック」とキャメロン監督作品常連となります。その他ではヤン・デ・ボン監督「ツイスター」(96)、サム・ライミ監督「シンプル・プラン」(98)の好演が光ります。2001年には「フレイルティー/妄執」で監督業にも進出。サスペンス・ホラーの佳作でした。しかし61歳は早過ぎる逝去ですね。今年公開の「ザ・サークル」が遺作となりました。

3月22日 トーマス・ミリアン氏 享年84歳
キューバ生まれのアメリカ人俳優ですが、1962年にイタリアに渡り、数本の映画に出演後、マカロニ・ウエスタン「ガン・クレイジー」(66)に主演、以後マカロニ・ウエスタンの常連俳優となります。強烈だったのは、66年の「情無用のジャンゴ」。残酷極まりないグロい描写でセンセーションを巻き起こしました。以後もイタリアで映画に出続けますが、80年半ばにアメリカに戻り、いくつかの映画に出ていますが印象に残る作品はありません。やはりマカロニ・ウエスタン俳優だった頃が一番輝いていたのかも知れませんね。

4月15日 クリフトン・ジェームズ氏 享年96歳
1960年以来、多くの映画で助演して来たベテラン俳優。あまり知られている俳優ではありません。で、なぜ取り上げたかというと、ジェームズ・ボンド映画「007/死ぬのは奴らだ」でネブラスカ州の保安官役に扮し、ドジしたり敵にコケにされたりで見事なコメディ・リリーフを演じて結構人気者になり、その勢いで次の「007/黄金銃を持つ男」にも同じ役で出演、以後他の映画でも保安官役を演じる等、“デブでちょっと間抜けな保安官”というキャラクターはこの人の当り役になりました。本人も楽しんで演じていたようです。先の007映画を見る時は、是非ジェームズ氏の名演に注目してあげてください。

5月9日  マイケル・パークス氏 享年77歳
ジョン・ヒューストン監督の70ミリ大作「天地創造」(1966)で最初の人類、アダムとイヴのアダムを、イチジクの葉っぱをつけただけ(笑)のフルヌードで出演し話題となりました。その後歌手としても活躍。多くの作品に助演する傍ら、デヴィッド・リンチ監督のテレビ・ドラマの話題作「ツイン・ピークス」(90)でも存在感を見せました。また96年以降は、クエンティン・タランティーノがプロデュースした「フロム・ダスク・ティル・ドーン」に出演してからはタランティーノ作品の常連になり、「キル・ビル」「キル・ビル Vol2」、グラインドハウス・シリーズの「デス・プルーフ」「プラネット・テラー」にどちらも同じ役で出演、以後も「ジャンゴ 繋がれざる者」に出演する等、幅広い活躍を続けて来ました。昨年のメル・ギブソン主演「ブラッド・ファーザー」が遺作となったようです。

5月23日 ロジャー・ムーア氏 享年89歳
ご存知、3代目ジェームズ・ボンド役者。「007/死ぬのは奴らだ」から「007/美しき獲物たち」までの7作品でボンド役を務めました。初代ショーン・コネリーと比較され、いろいろ言われましたが、そりゃ最初のコネリーの印象が強過ぎたせいで、最初からこの人がボンドを演じてたら、もっと評価されたかも知れません。10作目の「007/私を愛したスパイ」はいろんなパロディというかシリーズへのオマージュもあって楽しめました。しかしボンド役の印象が強過ぎて、その他の出演作があまり思い浮かばないのは気の毒でしたね。なお晩年はユニセフ親善大使も務め、2003年にはイギリスでナイトの爵位も授与されています。

7月8日 エルザ・マルティネッリさん 享年82歳
Elsamartinelliイタリアの女優。知らない方も多いでしょうが、1955年よりイタリア、フランス、アメリカ等各国を股にかけて数多くの映画に出演。印象的なのはロジェ・ヴァディム監督の秀作「血とバラ」(1960)におけるメル・ファーラーの婚約者役、それにジョン・ウェインと共演したハワード・ホークス監督「ハタリ!」辺りでしょうか。その他の主な出演作は「予期せぬ出来事」(63)、オーソン・ウェルズ監督「審判」(63)、「華麗なる殺人」(65)、ヴィットリオ・デ・シーカ監督「女と女と女たち」(67)など多数。キュートな素敵な女優さんでした。

7月15日 マーティン・ランドー氏 享年89歳
好きな俳優でした。多くの名優を輩出したアクターズ・スタジオ出身で、1959年の映画デビューし立ての頃、いきなりヒッチコック監督の傑作「北北西に進路を取れ」でクセのある悪役を演じて注目されました。テレビの「スパイ大作戦」(66~73)におけるローラン・ハンド役でも知られています。近年の代表作は、ティム・バートン監督「エド・ウッド」(94)におけるベラ・ルゴシ役でしょうね。ティム・バートン作品ではアニメ「フランケンウィニー」(2012)で、ヴィンセント・プライスをモデルにしたジクルスキ先生の声も担当しました。
そして何と言っても、昨年公開されたアトム・エゴヤン監督「手紙は憶えている」の、ナチ戦犯への復讐に執念を燃やすマックス役は強烈でした。これがおそらくは遺作ではないでしょうか。最後まで役者として生涯をまっとうした、素晴らしい俳優でした。

7月21日 ジョン・ハード氏 享年72歳
アメリカの俳優で、マーティン・スコセッシ監督「アフター・アワーズ」(85)、トム・ハンクス主演「ビッグ」(88)、同作と同じペニー・マーシャル監督「レナードの朝」(90)、その他多くの映画に助演。中では「ホーム・アローン」(90)の父親役が印象的でした。続編でも同じ役で出演しています。ややこしいのは、上に書いたジョン・ハー氏と同じ年に亡くなったので、字面が似てるのでゴッチャになりそうですね。

7月27日 サム・シェパード氏 享年73歳
Samshepard劇作家・脚本家としても有名。舞台劇の脚本でいくつもの賞を受賞。ピューリッツァー賞も受賞しているほどの才人です。映画の脚本家としてはミケランジェロ・アントニオーニ監督「砂丘」(70)、ヴィム・ヴェンダース監督「パリ、テキサス」(84)などこちらも異色作、話題作揃い。俳優としてはテレンス・マリック監督「天国の日々」(78)、フィリップ・カウフマン監督「ライト・スタッフ」などで印象的な好演を見せています。本当に天才ですね。最近でも「ジェシー・ジェームズの暗殺」(2007)、「ファーナス/訣別の朝」(2013)など精力的に映画出演を続けていました。73歳没とは若過ぎますね。

7月31日 ジャンヌ・モローさん 享年89歳
Jeanne_moreau何と言っても、フランス・ヌーベルヴァーグの代表作「死刑台のエレベーター」(57/ルイ・マル監督)での名演技が忘れられません。止まったエレベーターに閉じ込められたモーリス・ロネと連絡がつかなくなり、あてどなく夜のパリを彷徨うモローの姿にかぶさるマイルス・デイヴィスのトランペット。もう何度見たか数え切れません。それとフランソワ・トリュフォー監督の傑作「突然炎のごとく」(61)でも見事な名演を見せました。ジョセフ・ロージー監督「エヴァの匂い」(62)、ルイス・ブニュエル監督「小間使の日記」(63)、トニー・リチャードソン監督「マドモアゼル」(66)、トリュフォー監督「黒衣の花嫁」(68)…代表作を挙げたら数え切れません。美人じゃないけれど演技力は抜群。どこか退廃的で、女の強さも弱さも併せ持つ悪女という役柄を演じたら右に出る人はいません。晩年に至っても精力的に映画に出演していました。つい最近も「クロワッサンで朝食を」(2012)で、やっぱりちょっと意地悪なバアさんを飄々と演じていました。本当に素晴らしい女優でした。

8月20日 ジェリー・ルイス氏 享年91歳
アメリカを代表する喜劇俳優。1940年代に歌手のディーン・マーティンとコンビで、日本では「底抜け」と題された喜劇シリーズに立て続けに主演しました。56年にコンビを解消しますが、その後のルイス単独主演作にも日本では「底抜け」のタイトルがつけられました。60年の「底抜けてんやわんや」からは監督も兼任。62年の監督・主演作「底抜け大学教授」は後にエディ・マーフィ主演で「ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合」(96)としてリメイクされています。70年代以降はさすがに飽きられたのか主演作は減って行きます。が、83年、マーティン・スコセッシ監督「キング・オブ・コメディ」でロバート・デ・ニーロと共演。題名からも分かるように、これはスコセッシが“キング・オブ・コメディアン”ジェリー・ルイスにオマージュを捧げた映画なのでしょう。晩年は筋ジストロフィー患者を支援する活動にも取り組んでいました。

8月28日 ミレーユ・ダルクさん 享年79歳
フランスの女優で、60年に映画デビュー。65年の「恋するガリア」で一躍有名になりました。その後も「女王陛下のダイナマイト」(66)、「太陽のサレーヌ」(66)、「エヴァの恋人」(66)、「牝猫と現金(げんなま)」(67)と奔放に生きる現代女性を好演、人気スターとなります。69年の「ジェフ」で共演したアラン・ドロンと恋仲となり、ドロンがナタリーと離婚するきっかけを作り、そのままドロンと同棲生活を送った事でも有名。ドロンとの共演作も多く、2000年代に入ってもドロン主演のテレビドラマで共演しています。不思議な雰囲気を漂わせた、異色の女優でしたね。

9月15日 ハリー・ディーン・スタントン氏 享年91歳
第二次大戦では海軍兵として沖縄で戦った事もあるそうです。戦後は演劇修行を重ね、56年に映画デビューします。いくつかのB級西部劇に出演していますが、67年のポール・ニューマン主演「暴力脱獄」辺りから注目され始めます。サム・ペキンパー監督「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」(73)、ジョン・ミリアス監督「デリンジャー」(73)、リドリー・スコット監督「エイリアン」(79)などでも渋い演技を見せ、個性的な脇役俳優として人気を得ました。ヴィム・ヴェンダース監督のカンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「パリ・テキサス」(84)では初主演も務めます。デヴィッド・リンチ監督に重用され、「ワイルド・アット・ハート」(90)、「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」(92)、「ストレイト・ストーリー」(99)、「インランド・エンパイア」(2006)とリンチ作品に連続して出ています。いい役者でしたね。

10月5日 アンヌ・ヴィアゼムスキーさん 享年70歳
ドイツ・ベルリン生まれですが、62年に渡仏。64年のロベール・ブレッソン監督「バルタザールどこへ行く」で注目され、ジャン・L・ゴダール監督「中国女」(67)に主演。これが縁でゴダールと結婚、以後「ウイークエンド」(67)、「東風」(69)と、ゴダール映画に欠かせない女優となりました。その他ではピエール・P・パゾリーニ監督の「テオレマ」(68)、「豚小屋」(69)にも出演。映画出演は多くありませんが、印象に残る作品が多かったですね。小説家、脚本家、テレビ映画の監督と、マルチな活躍をした才女でした。

10月9日 ジャン・ロシュフォール氏 享年87歳
フランスの俳優で、舞台俳優を経て60年頃から映画にも出演し始めます。多くの映画に出ていますが、注目されたのは90年のパトリス・ルコント監督「髪結いの亭主」での主演でしょうね。以後ルコント監督作の常連となります。2000年にはテリー・ギリアム監督の大作「ドン・キホーテを殺した男」でドン・キホーテを演じるはずでしたが、相次ぐトラブルに、ロシュフォールも病気で降板してしまい、映画は製作中止に追い込まれます。この一部始終は、ドキュメンタリー映画「ロスト・イン・ラ・マンチャ」(2001)の中で描かれています。2002年にも、ルコント監督「列車に乗った男」に主演、LA批評家協会賞で外国映画作品賞を受賞しました。どの映画でも、渋い存在感を示した名優でしたね。

10月17日 ダニエル・ダリューさん 享年100歳
Danielledarrieuxフランスの女優で、14歳の時に「ル・バル」(31)で主演で映画デビューを果たします。以後多数の映画に出演しています。36年にはシャルル・ボワイエと共演した「うたかたの恋」が絶賛を浴び、国際的スターとなりました。戦後は「輪舞」(50)、「赤と黒」(54)、「チャタレイ夫人の恋人」(55)など、いくつもの話題作に主演し、フランスを代表する女優として高い評価を得ています。老境に入ってもコンスタントに映画にで続け、2002年には85歳で「8人の女たち」(フランソワ・オゾン監督)に8人の女の一人として主演、貫禄を見せました。2007年には90歳でアガサ・クリスティ原作「ゼロ時間の謎」に出演。こんなに息の長い女優は他にいないでしょう。凄い女優魂です。なお62年にはレジオンドヌール勲章受勲、85年度にはセザール賞名誉賞を受賞しています。

…それにしても今年は1月のエマニュエル・リヴァに始まりこの人まで、フランスを代表する名優が多く亡くなられましたね。

 

さて、日本の俳優に移ります。

1月3日 神山 繁(こうやま しげる)氏 享年87歳
お顔を見ればすぐに分かりますね。文学座出身の舞台俳優で、映画は1953年の今井正監督「にごりえ」に始まり、映画会社各社を股にかけて無数の作品に助演してます。政財界の大物役や警察の上層部など、貫禄ある役柄が多かったですね。堀川弘通監督「激動の昭和史・軍閥」では近衛文麿首相を演じてました。テレビでも「ザ・ガードマン」(1965~71)が記憶に残っています。晩年に至るまで映画、テレビで精力的に活躍されました。映画では2012年の北野武監督「アウトレイジ・ビヨンド」の花菱会会長役が最後の作品となったようです。お元気なら今年の「アウトレイジ 最終章」にも同じ役で出演されたかも知れませんが、それは叶いませんでした。残念ですね。

1月14日 八並映子さん 享年68歳
1969年に大映ニューフェイスとして映画界入り。既に末期症状だった大映で、「高校生番長」シリーズ、「高校生ブルース」「成熟」「穴場あらし」等、大映青春エロ路線(?)に連続出演して頭角を現して行きます。1971年の「十七才の成人式」では主演を果たし、同年秋の「悪名尼」に主演しておりますが、この作品を最後に大映が倒産するという不運に見舞われます。その後は東映に移籍しますが、ここでもやがて「蛇と女奴隷」「好色源平絵巻」等の低予算ポルノに出演する事となります。1981年の「悪女軍団」を最後に映画界を引退、家庭に入ります。実相寺昭雄監督「哥(うた)」 (72)、「歌麿 夢と知りせば」 (77)にも出演していますから実力は認められてたと思うのですが、大映時代のイメージが後々付いて回ったのかも知れないと思うと、気の毒な気がしますね。

1月21日 松方弘樹氏 享年74歳
言うまでもなく、映画全盛期を支えた記憶に残る名優ですね。父は戦前から活躍していた剣豪スター、近衛十四郎。1960年に東映に入社し、61年には既に「霧丸霧がくれ」等で主役を演じています。また父・近衛主演の「柳生武芸帳」シリーズでは連続して親子共演も果たす等、徐々に時代劇スターとして人気を得て行きます。この頃で印象深いのは、加藤泰監督の秀作「瞼の母」(62)での中村錦之助との共演ですね。が、次第に時代劇に客が入らなくなり、任侠映画の助演に甘んじる事が多くなります。69~70年には市川雷蔵の急死でスターが不足した大映に貸し出されたりもしますが、やがて東映に復帰、時代劇、任侠映画の多くに主演、助演し、一流スターの道を突き進みます。一般には「仁義なき戦い」等の実録路線での活躍が知られていますが、私が好きなのは66年の中島貞夫監督「893愚連隊」、松竹で深作欣二監督で撮った「恐喝こそわが人生」(68)における、いずれも社会の底辺で飄々と、したたかに生きるチンピラやくざ役ですね。「893-」のラストで松方がつぶやく「いきがったらあかん、ネチョネチョ生きるこっちゃ」は映画史に残る名セリフだと思います。近年もリメイク版「十三人の刺客」(2010)や斬られ役・福本清三初主演作「太秦ライムライト」などで貫禄ある演技を見せておりました。まだまだ活躍していただきたかったのに、74歳は若いですね。昭和を彩る大スターがまた一人…。

1月25日 藤村俊二氏 享年82歳
出発は振付師だそうですが、既に1960年代からテレビドラマに出演しています。フィルモグラフィ眺めると、なんと少年向け人気ドラマ「忍者部隊月光」に出演してたそうです。映画デビューは日活で映画化された「ハレンチ学園」のヒゲゴジラ役というのも面白い。若い頃は石坂浩二と似てると言われ、実際松竹映画「喜劇・猪突猛進せよ!!」(71・前田陽一監督)では石坂の兄役で石坂と共演してます。その後はもっぱらテレビで活躍してましたが、久しぶりの映画出演作、1997年の三谷幸喜の初監督作品「ラヂオの時間」における、その辺にある物や、全身を使って見事な擬音を考案してドラマ作りの窮地を救う名演技には唸らされました。その後も金子修介監督の話題作「デスノート」(2006)におけるワタリ老人役で、いぶし銀の存在感を見せました。若い頃は失礼ながらうまい役者とは思えませんでしたが、晩年に至ってこんなシブい名優になるとは思いませんでしたね。もっと映画に出て欲しかったなとつくづく思います。

2月8日 土屋嘉男氏 享年89歳
この方も映画史に名を残す名優ですね。一般的には54年の黒澤明監督「七人の侍」がデビュー作のように思われてますが、実はその2年前の新東宝配給、鈴木英夫監督の隠れた秀作「殺人容疑者」で映画デビューしてます。黒澤作品に多く出演し、中でも61年の「用心棒」における、妻を奪われた百姓役は好演ですね(考えれば「七人の侍」でも妻を野伏りに奪われてます(笑))。「赤ひげ」の森半太夫役を最後に黒澤作品には出なくなりますが、これは本人曰く「『どですかでん』で黒澤さんは画家になっちゃったので、演じる方から見る方に回る事にした」との事です。黒澤監督の家に居候していたというエピソードも面白い。
Tusuchiyayoshioいろんな作品で名演技を見せていますが、東宝SF映画における名演も忘れられません。「ゴジラの逆襲」に始まり、「地球防衛軍」「美女と液体人間」「宇宙大戦争」「マタンゴ」他多数。中でも「ガス人間第1号」(60)におけるガス人間役は秀逸。美人の能の家元(八千草薫)を愛し、彼女の為に犯罪を重ねる歪だが真摯な愛情、超能力者の孤独な哀しみ等が見事に表現された、大人が見るべきSF映画の傑作です。近年では91年の「ゴジラVSキングギドラ」における、ゴジラとじっと見つめ合う演技も印象的でした。意外な所では68年の松本俊夫監督「薔薇の葬列」におけるゲイの役も鮮烈でした。とにかく文芸もの、黒澤作品からSFまで、実に幅の広い、素敵な名優でしたね。

3月1日 ムッシュかまやつ氏 享年78歳
旧名かまやつひろし。ご存知、ザ・スパイダースのギタリスト兼作曲家として有名ですが、実はそれ以前、日活映画の何本かに出演していたのです。鈴木清順監督「東京騎士隊」(61)や「有難や節 あゝ有難や有難や」 (61)、「大森林に向って立つ」 (61)等にチョイ役で出演しています。この頃はいろいろ試行錯誤してたのでしょうね。ザ・スパイダース解散後も、いくつかの映画に出演。残念ながら印象に残る出演作はありませんが、あのまま1960年代の日活で本格的に映画俳優を目指していたらどうなっていたでしょうか。
その日活時代、赤木圭一郎と仲が良く、撮影所にゴーカートが届いた時、赤木とどっちが先に乗るかでジャンケンし、勝った赤木がゴーカートを運転し、撮影所の壁に激突して死去しました。かまやつさんが勝って、赤木より先にゴーカートを運転していたら、歴史はどう変わっていたでしょうか。運命とは不思議な物ですね。

3月14日 渡瀬恒彦氏 享年72歳
渡哲也の弟で、兄に5年ほど遅れて映画界入りし東映に入社。1970年の石井輝男監督「殺し屋人別帳」でデビュー。以後多くの東映映画で主演、助演しています。私が注目したのは、「現代やくざ・血桜三兄弟」(71)、「鉄砲玉の美学」(73)の2本の中島貞夫監督作ですね。前者では荒木一郎との掛け合いが楽しいし、後者は組織の命令と生への欲求との板挟みで自滅して行く鉄砲玉を熱演していました。特に製作費1,000万円のATG作品「鉄砲玉-」では「ギャラなんかどうでもいい」と中島監督に直訴したという話は泣かせます。「仁義なき戦い/代理戦争」(73)のラストにおける鮮烈な死に様も印象的でした。そして76年のKuruttayajuu_2「暴走パニック 大激突」「狂った野獣」の2本のアクション映画では、危険な撮影を自ら志願し、後者では大型バスを横転させるスタントを自分でやってのけました。若いとは言え無茶ですね。おかげで「北陸代理戦争」ではジープの下敷きになって危うく死にかけました。78年の松竹作品「事件」からは他社出演も多くなります。79年のこれも松竹、前田陽一監督の秀作「神様のくれた赤ん坊」では人間的温かみも見せて役柄の幅を広げました。
2000年代以降は主にテレビで円熟味ある好演を見せていましたが、個人的には前期の1970年代が、渡瀬さんが最も輝いていた時期だと思います。それにしても72歳は早過ぎましたね。惜しいです。

5月3日 月丘夢路さん 享年95歳
元宝塚歌劇団のトップスターで、その後1940年に映画界入り。多くの作品で主演し人気を博しました。私が観た作品では、小津安二郎監督「晩春」(49)、大ヒットドラマ「君の名は」三部作(53~54)、木下恵介監督「二十四の瞳」(54)などが記憶に残ります。素晴らしいと思ったのは、独立プロ作品で原爆の惨状を描いた「ひろしま」(53)にノーギャラで出演した事です。美人女優として売れっ子だったのに、こんな地味な作品(しかも被爆直後で衣装ボロボロ)に進んで参加したのですから。出身地広島への奉仕という事もありますが、それ以外にも多分宝塚同期で、同じ原作を使った「原爆の子」(52)に主演した乙羽信子さんの影響もあったのかも知れません。
1955年頃から製作再開した日活の専属俳優となり、多くの日活作品に出演。56年の井上梅次監督「火の鳥」に出演した事がきっかけで井上監督と結婚。以後も井上監督作品に多く出演しています。57年の三島由紀夫原作「美徳のよろめき」(中平康監督)では今で言う不倫する上流階級女性を好演、“よろめき女優”と呼ばれた事もありました。23年前の大林宜彦監督「女ざかり」を最後に映画界から引退しました。“絶世の美女”と謳われながら、独立プロ映画に無償で出る気骨もあった、本当に尊敬すべき素敵な女優でした。

5月15日 日下武史氏 享年86歳
Kusakatakeshi劇団四季の創設メンバーの一人で、多くの舞台劇に出演する傍ら、映画、テレビにも数多く出演しました。映画は66年の黒木和雄監督「とべない沈黙」や山本薩夫監督「不毛地帯」(76)、森田芳光監督「ときめきに死す」(84)など多数。92年の大林宣彦監督「青春デンデケデケデケ」では合田の父親の和尚役で出演、エレキの轟音にキレるシーンでは笑わせてくれました。味のある素敵な役者さんでしたね。

6月13日 野際陽子さん 享年81歳
NHKアナウンサーから女優になった珍しい人。テレビドラマを経て、映画は東映「日本侠客伝・血斗神田祭り」(66)が最初。以後映画、テレビと数多くの作品に出演しました。68年から始まるテレビ「キイハンター」の出演と主題歌(「非情のライセンス」)も担当、この作品で共演した千葉真一と結婚(後離婚)しました。映画は「二百三高地」(80)における乃木大将の妻役、「社葬」などいくつかありますが、やはりテレビが多いですね。冬彦さんで有名になった「ずっとあなたが好きだった」(92)、堤幸彦演出の「トリック」シリーズではテレビ、映画とも山田里見役で連続出演、最近では「必殺仕事人」シリーズの東山紀之扮する同心の姑役が有名。今年放映された倉本聰脚本「やすらぎの郷」でもお元気な姿を見せていました。

8月7日 中島春雄氏 享年88歳
Nakajimaharuo_21950年に東宝に入社。多くの映画で助演して来ましたが、東宝特撮映画ファンなら知らない人はいない、54年の「ゴジラ」第1作で、日本映画史上初めて怪獣の縫いぐるみに入った初代ゴジラ・スーツアクターで、以後72年の「ゴジラ対ガイガン 地球攻撃命令」までの全ゴジラ作品でゴジラを演じました。ゴジラ以外にもラドン、「地球防衛軍」のモゲラ、バラン、キングコング、「サンダ対ガイラ」のガイラなど、この間の東宝怪獣をほとんど演じています。まさに東宝SF映画ファンにとっては神様的存在です。映画出演はそれ以外にも、黒澤明監督「七人の侍」の野伏りの一人、同じく「隠し砦の三悪人」の秋月の雑兵なども演じています。しかしやはり東宝怪獣映画スーツアクターとして、映画史に名前を刻んだ人と言えるでしょう。本当にお疲れ様でした。

8月8日 真理明美さん 享年76歳
63年、松竹が公募した「モンローのような女」のモンロー役を見事射止め映画デビュー。以後松竹作品のいくつかに出演、67年にフリーとなり、東映「網走番外地・悪への挑戦」(67)、「忍びの卍」(68)など、各社の映画に出演。69年からは人気テレビドラマ「プレイガール」などにも出演しました。74年の東宝「野獣死すべし・復讐のメカニック」では伊達邦彦(藤岡弘)の復讐相手の妻役を演じ、やがてこの作品の監督、須川栄三と結婚、以後映画出演は減って行きました。

10月11日 橋本 力氏 享年83歳
元毎日オリオンズのプロ野球選手。選手を引退後、チームのオーナーだった永田雅一に誘われ大映に俳優として入社。大映京都で多くの映画に助演しましたが、何と言ってもあの特撮時代劇「大魔神」(66)シリーズ3本で大魔神を演じた事で知られています。ギロリと睨む魔神の眼は橋本さんのもので、建物を倒壊させたホコリが目に入って苦労したそうです。が、そのせいで目が血走り、異様な迫力が出たのは怪我の功名でしたね。あと同じく特撮時代劇「妖怪大戦争」(68)の悪の魔人ダイモンのスーツアクターも演じました。勝新太郎の勝プロが製作した「男一匹ガキ大将」(71)に出演した事で勝新太郎に気に入られ、その紹介でブルース・リー主演の香港映画「ドラゴン怒りの鉄拳」(72)でリーと戦う日本人悪役を演じました。
それにしても考えたら、今年は「ゴジラ」「大魔神」2大傑作特撮映画のスーツアクターを演じた方が同じ年に亡くなられたわけですね。特撮映画ファンとしてはとても寂しく悲しいです。

 
           
さて、ここからは映画監督の部です。まず外国勢から。

1月27日 ロバート・エリス・ミラー氏 享年84歳
1968年の監督作「愛すれど心さびしく」はいい作品でした。後にクリンド・イーストウッド作品の常連となるソンドラ・ロックのデビュー作で、まだ少女の、初々しい演技を見せているのも見所。それ以外はパッとしませんでしたね。

4月26日 ジョナサン・デミ氏 享年73歳
B級映画の帝王、ロジャー・コーマンの所で働きながら修行し、コーマン製作の「女刑務所・白昼の暴動」(74)で監督デビュー。その後も「クレイジー・ママ」「怒りの山河」とコーマン製作作品の監督を務めます。77年にはTVムービー「刑事コロンボ・美食の報酬」も監督。86年の「サムシング・ワイルド」で注目された後、90年にあの「羊たちの沈黙」が大ヒットして一気にブレイク、一流監督の仲間入りを果たします。ちなみにこの作品には、御大ロジャー・コーマンも役者として出演しているのも見所。デミ監督、よほどコーマンに恩義を感じてたのでしょうね。その後も93年の「フィラデルフィア」も評価されました。ただその後は2008年の「レイチェルの結婚」がまあまあだったのを除いてこれといった話題作もなく、最後まで「羊たちの沈黙」を超える作品を作れなかったのが残念ですね。

6月16日 ジョン・G・アヴィルドセン氏 享年81歳
ご存知、シルヴェスター・スタローンの出世作「ロッキー」(76)を監督し、アカデミー作品賞、監督賞を受賞して一躍名を上げました。
しかし最初から順風満帆だったわけではなく、劇映画デビュー作は低予算のポルノ映画「Turn on Love」(69)。70年にはニュー・シネマの流れを汲むこれも低予算作「ジョー」が一部批評家、ファンに支持されましたが興行的にはいまいち。しかし73年のジャック・レモン主演「セイブ・ザ・タイガー」(日本未公開)がレモンにアカデミー主演男優賞をもたらし、これでやっと第一線監督となりました。そして3年後の「ロッキー」に至るわけです。
しかしその後はこれといった作品はなく、平凡な出来のものばかり。84年には空手少年を主人公にした「ベスト・キッド」を監督し、興行的には大ヒット、シリーズ3本を監督しますが、内容的には普通の出来でした。90年には「ロッキー」シリーズ5作目「ロッキー5/最後のドラマ」を監督してますが、1作目には及びませんでした。結局「ロッキー」1作目が監督としてのピークだったという事ですね。

7月16日 ジョージ・A・ロメロ氏 享年77歳
68年、低予算で作ったゾンビ映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」で名を上げ、以後「ザ・クレイジーズ 細菌兵器の恐怖」(73)やゴキブリゾロゾロの「クリープショー」(82)などのホラー映画もありますが、やはり「~・オブ・ザ・デッド」とタイトルに入った一連の「ゾンビ」映画が生涯を通じた代表作と言えるでしょう(ただ日本では「ドーン・オブ・ザ・デッド」(78)が「ゾンビ」、「デイ・オブ・ザ・デッド」(85)が「死霊のえじき」と邦題が付けられ、シリーズという感じがしないのはどうなんでしょうね)。以後“ゾンビ映画の教祖”と崇められ、「バタリアン」(85/ダン・オバノン監督。原題"THE  RETURN OF THE LIVING DEAD")、「ショーン・オブ・ザ・デッド」(2004/エドガー・ライト監督)などのパロディ、オマージュ作品もいくつか作られました。今も作られ続けている「ゾンビ」映画の土台を築いた事で、映画史に残る人だと言えるでしょう。

8月26日 トビー・フーパー氏 享年74歳
16歳の頃から短編映画を撮り始め、ドキュメンタリー映画を経て、74年に発表した「悪魔のいけにえ」で世界中にセンセーションを巻き起こします。これは私も最初観た時震え上がりました。その後も「悪魔の沼」「ファンハウス/惨劇の館」などホラー映画一筋。その腕をスティーヴン・スピルバーグに認められ、70年スピルバーグ製作「ポルターガイスト」を監督します。85年にはSFとホラーを合体させた「スペースバンパイア」を監督。晩年に至るまでホラー映画を作り続けましたが、やはり「悪魔のいけにえ」を超える作品は作れませんでした。しかしこの作品が後のホラー映画に与えた影響は計り知れず、これ1本でホラー映画史に名を残した監督になったわけですから、持って瞑すべしという所でしょうか。
しかし、ホラー映画の代表的監督お二人が今年、相次いで亡くなられたわけですね。

9月7日 キム・ギドク氏 享年83歳
このお名前を聞いて、ええっと思いました。「魚と寝る女」や「うつせみ」「レッド・ファミリー」「殺されたミンジュ」などで知られるあの巨匠ならまだお若いのに、と思ったら、同姓同名の別人だったようです。紛らわしい(笑)。
1961年「5人の海兵」でデビューし、「裸足の青春」「勇士は生きている」「大怪獣ヨンガリ」など、合計66本の映画を演出した、1960年代を代表する監督だそうです。私は知りませんでしたし、映画も見ていません。まあ、60年代には韓国映画は日本でほとんど公開されていませんからね。         

 

さて、日本の監督に移ります。               

2月13日  鈴木清順氏 享年93歳
Suzukiseijun大好きな監督でした。私の敬愛する日本映画監督の5本の指に入ります。
この方の名前を知ったのは、1968年頃、日活をクビになって、それを抗議する運動が草の根的に巻き起こっていた辺りからです。監督作はそれまで見た事はなく、ちょっと興味を持っていたら、私の在籍する大学で、映画研究会主催で鈴木監督作品の連続上映が行われ、料金も格安(100円だったかな)だったので全部見る事にしました。最初の作品は「刺青一代」(65)。途中まではアクションもなく、ちょっと退屈かな、と思い始めた終盤、高橋英樹の弟が斬られた途端、画面が真っ赤に染まり、それ以降は鮮やかな色彩にスタイリッシュかつシュールな不思議な空間が広がり、ポカンと口開けたまま、なんだこれは!と興奮しました。周りの学生たちは知ってたのか、拍手・口笛に嬌声ともうお祭り騒ぎ。もうこれで一気にハマッてしまいました。「東京流れ者」(66)もまたまた色彩美とカッコいいセリフ(「流れ者に女はいらねえ」等)にシビれまくり。「けんかえれじい」(66)はバンカラだが切ない青春映画でこれにも感動。この3作は個人的に鈴木監督のベスト3だと確信しています。その他で好きな作品を挙げておくと、「野獣の青春」(63)、「悪太郎」(63)、「関東無宿」(63)、「肉体の門」(64)、日活最後の作品となった「殺しの烙印」(67)など。
後に「ツィゴイネルワイゼン」(80)が日本アカデミー賞監督賞、キネマ旬報ベストワンと映画賞を総ナメし、一躍有名になりましたが、確かに名作とは思いますが、日活時代のプログラム・ピクチャーの制約の中で自由奔放に撮り上げた作品群は何度見ても楽しいし、その色彩美や「けんかえれじい」のバーバリズム溢れる青春讃歌は、後の多くの映画監督に多大な影響を与えています。例えば「けんかえれじい」は山根成之監督「愛と誠」、曽根中生監督「博多っ子純情」などに、色彩美はやはり山根成之監督「同棲時代」、山下耕作監督の数本の任侠映画などにその影響が見られます。そして海外でもジム・ジャームッシュ監督、クエンティン・タランティーノ監督(「キル・ビル」)など、鈴木監督を敬愛する映画作家は多数います。最近では今年公開されたデイミアン・チャゼル監督「ラ・ラ・ランド」にも鈴木監督オマージュが感じられます。黒澤明と並んで、海外でも最も信者の多い監督だと言えましょう。こんな天才監督を「分からない映画を作る」と言ってクビにした日活の経営者(堀久作)はアホとしか言いようがありません。今なら契約解除されても、どこでも映画は撮れるでしょうが、五社協定が幅を効かせていた当時は田宮二郎にしろ、映画会社をクビになった人は他の映画会社でも使ってくれませんでした。このおかげで、鈴木監督は脂が乗り切っていた1968年から以後10年間、映画を撮れませんでした。日本映画界にとっても大きな損失だったと思います。
1970年代中期だったか、神戸福原国際東映劇場で鈴木作品の5本立てオールナイト上映会と鈴木監督の講演があり、私も駆けつけました。後で知ったのですが、主催者グループの中に大森一樹がおり、この時の講演の様子は大森監督の出世作「暗くなるまで待てない」の中にも挿入されています。日活時代の名作は、評論家からはほとんど無視されましたが、若い映画ファンからは熱烈に支持された点で、極めて特異な監督だったと言えるでしょう。晩年は俳優としての活動も多く、この点でも異色でしたね。
思い出は尽きません。鈴木監督、沢山楽しませてくれて、本当に有難うございました。

3月28日 渡辺邦彦氏 享年83歳
早撮りで知られた職人監督、渡辺邦男監督の息子ですが、特に父の影響はなかったそうです。56年東宝入社。70年に監督第1作「制服の胸のここには」を完成させますが、諸事情でおクラ入り。公開は2年後となる不運に見舞われますが、71年には第2作「恋人って呼ばせて」を監督、公開順ではこちらが1作目となります。いずれも爽やかな青春映画で、同年の「白鳥の歌なんか聞えない」もナイーブな感性の力作でした。しかしもう一つ個性が発揮出来ず、75年の「阿寒に果つ」もどうって事ない出来で、以後尻すぼみ、81年の「アモーレの鐘」を最後に映画作品はありません。個人的には「白鳥-」と同じ庄司薫原作、岡田裕介主演の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の森谷司郎、「俺たちの荒野」の出目昌伸に続く東宝青春映画の旗手として期待していたのですがね。残念です。

4月12日 松本俊夫氏 享年85歳
ドキュメンタリー映画出身で、61年の「西陣」はヴェネツィア国際記録映画祭で銀獅子賞を受賞しています。その後劇映画に進出。69年のATG製作「薔薇の葬列」はピーターの映画デビュー作で、ゲイの世界を鮮烈な映像で描き話題を呼びました。この映画に、同じく今年亡くなった土屋嘉男氏が出演していた事は上に書きました。その後もこれもATG映画「修羅」(71)、秋吉久美子のヌードがまぶしい「十六歳の戦争」(73)、夢野久作原作「ドグラ・マグラ」(88)と寡作ながら意欲作を次々発表しました。

5月7日 坂野義光氏 享年86歳
Godjillavshedora1955年東宝に助監督として入社。黒澤明監督作をはじめ多くの作品で助監督を務めた後、71年、ゴジラ映画「ゴジラ対ヘドラ」で監督デビュー。公害問題がテーマで、ヘドロから生まれた怪獣ヘドラ(笑)とゴジラが死闘を繰り広げますが、何といっても話題になったのは、ゴジラが口から吐く放射能熱線を推進力として空を飛ぶシーンです。なんと大胆な発想!一部ではゴジラをバカにしてるとファンから叩かれたりもしましたが、それで却ってカルト作として評価されてもいます。以後も企画は出しますが、「何を作るか分からない」と敬遠されたのか、監督作品はこれ1本のみに終わりました。最近名前を見つけておおっと思ったのは、2014年のギャレス・エドワーズ監督「GODZILLA  ゴジラ」で製作総指揮とクレジットされていた事です。その後「ヘドラ」の続編も企画していたようですが、実現は叶いませんでした。生涯「ゴジラ」に情熱を燃やし続けた人生だったわけですね。         

8月1日 西村昭五郎氏 享年87歳
従兄は日本映画の名匠・吉村公三郎氏。その紹介で54年日活に入社。63年「競輪上人行状記」で監督デビューします。小沢昭一演じる競輪狂いの坊主の生きざまを描いた力作でしたが興行的には惨敗。以後会社から押し付けられたアクション、任侠映画、青春映画等を撮る事となります。そして71年、日活は製作規模を縮小、ポルノに方針転換するする事となりますが、その記念すべきロマンポルノ第1作「団地妻 昼下りの情事」を任されたのが西村さんでした。際どい性描写で警察からも睨まれますが、臆する事なく日活はロマンポルノを量産し続けます。その先頭に立ってこの路線を牽引したのが西村さんで、監督したロマンポルノ作品数は80本以上と最多を記録しています。しかしロマンポルノの歴史は1988年で終わり、同時に西村さんの監督業もほぼ終わりとなります。ロマンポルノに殉じた監督と言えるでしょう。

さて、ここからはその他の方々です。   

1月12日 ウィリアム・ピーター・ブラッティ氏 (作家、脚本家) 享年89歳
この方が有名になったのは何と言ってもオカルト映画の代表作「エクソシスト」(1973)の原作兼脚本でしょうね。3作目「エクソシスト3」ではとうとう原作・脚本に加え監督にも挑戦しました。その後も2004年の映画「エクソシスト・ビギニング」、さらには2016~17年のテレビ版「エクソシスト」に原作を提供する等、生涯を通じ「エクソシスト」に関わり続けたのは本人にとって幸運だったのか、不幸だったのか、何とも言えませんね。なお映画デビューは、ブレイク・エドワーズ監督、ピーター・セラーズ主演のクルーゾー警部もの「暗闇でドッキリ」(1964)の脚本で、以後も「地上最大の脱出作戦」(66)、「銃口」(67)、「暁の出撃」(70)とエドワーズ監督作品に連続して脚本を提供しています。本当は、こうしたトボけたコメディが好きだったのかも知れませんね。

1月21日 中村州志氏 (美術監督) 享年89歳
1948年に後に東映となる映画会社に入り、東映東京撮影所専属の美術監督として多くの映画で美術を担当しました。フリーになってからは伊丹十三監督作品が多く、「マルサの女」シリーズ、「あげまん」「ミンボーの女」「大病人」等を手掛けました。和田誠監督「麻雀放浪記」(84)では日本アカデミー優秀美術賞を受賞しています。
特筆しておきたいのは、1954年以降の東映作品における、冒頭の会社マーク背後の岩に波ザブーンの実写映像、いわゆる“荒磯に波”の映像を発案し構成したのが中村さんだったという事です。東映映画を見る度、あの岩にぶつかる波のオープニングに胸ワクワクしたものでした。当初はやや平らな岩の映像でしたが、後の尖った岩の映像はなかなかの迫力があり、今なお使われています。ある意味、東映のトレードマークを確定した功労者と言えるでしょう。
細かい事ですが、訃報の経歴では48年東映入社となっていますが、48年はまだ東映は設立されていません(設立は1951年)。おそらく前身の東横映画の事でしょう。
Toueimark

3月14日 ジャック・H・ハリス氏 (映画製作者) 享年98歳
1956年に自身の映画製作会社を立ち上げ、まず人間の体が壁を通り抜けるSF映画「4Dマン」を製作、続いてまだ無名時代のスティーヴ・マックィーンが主演したSFホラー「マックィーンの絶対の危機」(1958)がヒットします。60年の「最後の海底巨獣」は氷漬けの古代恐竜が現代に蘇るお話、とひたすらB級SF映画を作り続けます。面白いのは、どれも映画の最後にエンドマークの代りに「」マークを出して終わるものばかりで、これはハリス作品のトレードマークにもなりました。で特筆しておきたいのは、74年、ジョン・カーペンターの記念すべき商業映画第1作「ダーク・スター」の製作総指揮を担当している事です。有能な新人監督の後押しをした、こういう功績も評価すべきでしょう。   

5月31日 フレッド・J・コーネカンプ氏 (撮影監督) 享年94歳
半世紀に亘りアメリカ映画の話題作の撮影監督を務めて来た方。代表作は「パットン大戦車軍団」(70)、「パピヨン」(73)、パニック大作「タワーリング・インフェルノ」(74・アカデミー撮影賞受賞)、「チャンプ」(79)など多数。   

6月21日 三浦大四郎氏 (映画製作者) 享年89歳
池袋文芸坐の経営者として、優れた名画を発掘、上映して来ました。今でも記憶にあるのは、70年代から始めた、土曜日深夜の5本立オールナイト特集上映会ですね。特定のジャンル、監督、俳優の代表作5本をテーマを絞って連続上映するパターンは、以後関西の京都京一会館、神戸福原国際東映にも引き継がれ、大阪では私も参加していたシネマ自由区オールナイトと、全国に拡大して若い映画ファンに熱狂的に支持されました。その先鞭を付けた功績は大でしょう。またプロデューサーとしても、「子育てごっこ」(79)、「星空のむこうの国」(86)等、いくつかの良心作を製作しています。   

6月25日 長谷川元吉氏 (カメラマン) 享年77歳
吉田喜重監督作品が多く、「エロス+虐殺」(70)、「告白的女優論」(71)、「戒厳令」(73)などがあります。また原田真人監督のデビュー作「さらば映画の友よ」(79)、ホイチョイ・プロ第1作で後にスキー・ブームをもたらした「私をスキーに連れてって」(87)と、意欲的な若手監督のデビューを手助けした事も功績でしょう。   

7月18日 - 横尾嘉良(よしなが)氏 (美術監督) 享年87歳
1960年に日活専属の美術監督となり、数多くの映画で美術を担当しました。初期の頃はプログラム・ピクチャーが多いですが、その中の異色作が鈴木清順監督の傑作「野獣の青春」(63)ですね。清順美学の開花に貢献したとも言えます。69年の浦山桐郎監督「私が棄てた女」の美術も印象的でした。日活がロマンポルノに転換した後は、「戦争と人間」「華麗なる一族」(共に山本薩夫監督)などの大作を手掛けるかたわら、ロマンポルノにも積極的に参加、田中登監督の意欲作「牝猫たちの夜」(72)のシュールな絵作りに貢献しました。その他の代表作には、長谷川和彦監督「太陽を盗んだ男」(79)、「セーラー服と機関銃」(81)、「ションベン・ライダー」(83)、「魚影の群れ」(83)の相米慎二監督作、「死の棘」(90)、「眠る男」(96)の小栗康平監督作などがあります。   

7月19日 小川寛興氏 (作曲家) 享年92歳
Gekkoukamenこの方のお名前は、テレビ黎明期に子供番組を見ていた人なら忘れられないでしょう。なにしろ、高視聴率を誇った伝説的なテレビドラマ「月光仮面」の主題歌を作曲した方です。♪どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている 月光仮面のおじさんは、正義の味方よ良い人よ♪-川内康範作詞のこの曲は一世を風靡しました。以後も「豹(ジャガー)の眼」「怪傑ハリマオ」「隠密剣士」と宣弘社プロの製作する連続テレビ映画のヒット作の主題歌を一手に引き受けていました。その他でも、「七色仮面」、NHK連続ドラマ「おはなはん」など、耳に馴染む素敵なメロディを沢山作曲しました。創世記のテレビを盛り上げた功労者の一人でしょう。映画音楽も、54年以降大映、松竹を中心に数多く担当しています。小林旭主演の「銀座旋風児」(59~)では主題歌も作曲しています。      

8月3日 大谷巖氏 (映画録音技師) 享年97歳
大映で永く活躍された、我が国を代表する録音技師です。なにしろ題名を挙げるだけでも、溝口健二監督「雨月物語」「山椒太夫」「近松物語」、黒澤明監督「羅生門」と世界に名だたる名作を手掛けていますし、その他市川雷蔵主演「大菩薩峠」「眠狂四郎」シリーズ、勝新太郎主演「座頭市」シリーズ、「悪名」シリーズなど、A級・B級含め代表作を挙げたらキリがありません。最後に手掛けたのは2000年の市川崑監督「どら平太」。本当の職人と言える方でしたね。
   
10月3日 永田秀雅氏 (映画製作者) 享年92歳
ラッパの異名で知られる元大映社長・永田雅一の息子で、父の威光(?)で大映入社、東京撮影所長を経て大映副社長に出世します。1953年以降、プロデューサーとして多くの作品に「製作」としてクレジット。まあほとんど他愛もないプログラム・ピクチャーばかりでしたね。大映の特撮怪獣映画「ガメラ」シリーズでは、1、2作目を父が製作し、3作目以降から秀雅氏に製作がバトンタッチされてます。まあ社内の立場がこんな所にも見えてる気がします。大映が倒産した71年以降は、名前を見る事もなくなりました。この人がプロデューサーとして意欲的な話題作を発表したり、斬新な社内改革を行ってたら、大映は倒産しなかったかも知れません。故人を悪く言いたくはないですが、大映倒産の責任はこの人にもあると思いますね。       

10月17日 ハリー・ストラドリングJr.氏 (撮影監督) 享年92歳
父親も著名なカメラマン、ハリー・ストラドリング氏。父のカメラマン助手を務めた後、68年のバート・ケネディ監督「夕陽に立つ保安官」でカメラマンとして一本立ち。以後ケネディ監督作品の撮影を連続して務めます。73年のシドニー・ポラック監督「追憶」ではアカデミー撮影賞にノミネートされました。その他の代表作にアーサー・ペン監督「小さな巨人」(70)、ジョン・ウェイン主演「オレゴン魂」(76)、サム・ペキンパー監督「コンボイ」(78)等があります。       

12月16日 早坂 暁氏 (脚本家)  享年88歳
1953年頃からテレビドラマの脚本を書き始め、初期には「七人の刑事」(63~66年)、「若者たち」(66年)、「泣いてたまるか」(66年~67)、「必殺仕掛人」(72~)などのテレビ史に残る名作にも参加していました。注目されるようになったのはNHKのテレビ時代劇「天下御免」(71~72)からでしょうね。テレビで評判になったのは「夢千代日記」(81)辺りで、「花へんろ」シリーズ等、いくつも名作を執筆しています。
映画初参加はなんと植木等主演の「日本一の裏切り男」 (68)。以後 浦山桐郎監督「青春の門」(75)2部作、映画版「夢千代日記」(85)、原作のみ提供の山田洋次監督「「ダウンタウンヒーローズ」(88)など、こちらも力作が多いです。
ただ東映に頼まれて書いた「超能力者 未知への旅人」(94)、「北京原人 Who are you?」(97)の2本は、観終わってズッコケてしまいました(笑)。まあ良く言えばカルト作ですが。
それはともかくも、テレビ界に残した作品は素敵なものばかり、いいお仕事をされました。ご冥福を祈ります。       

その他にも惜しい方が亡くなられていますが、本稿では映画関係に絞って取り上げましたので割愛させていただきました。以下お名前だけ挙げさせていただきます。(敬称略)
  2月16日 船村 徹 (作曲家) 享年84歳 
  3月18日 チャック・ベリー (ロックンロール歌手) 享年90歳 
  4月12日 ペギー葉山 (歌手) 享年83歳
  7月21日 平尾昌晃 (作曲家) 享年79歳
12月12日 はしだのりひこ (歌手、作曲家) 享年72歳       

 
…今年も本当に素晴らしい功績を残された方たちがお亡くなりになりました。慎んで哀悼の意を表したいと思います。       

今年1年、おつき合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしく、良いお年をお迎えください。

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コメント

相変わらず力作の追悼特集ありがとうございます。今年も色々な方が亡くなりましたね。
ご冥福を祈ります。
こちらのおかげで見る事の出来た映画もたくさんありました。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

投稿: きさ | 2017年12月31日 (日) 17:42

◆きささん
今年1年、いろいろ書き込みありがとうございました。
今年の掲載方針としては、話題作、ヒット作よりも、地味だったり、小規模公開されたりした中でちょっと面白かったものをメインに取り上げる事にしました。そんなチョイスが参考になったり、満足いただけたのなら嬉しいですね。
来年も当ブログをご贔屓に、よろしくお願いいたします。
よいお年を。

投稿: Kei(管理人) | 2017年12月31日 (日) 22:45

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