「今夜、ロマンス劇場で」
昭和35年の映画全盛期の撮影所。映画監督を夢見る助監督修行の青年・牧野健司(坂口健太郎)は、通い慣れた映画館のロマンス劇場で、古いモノクロ映画のヒロインである美雪(綾瀬はるか)に心を奪われ、スクリーンの中の彼女に会うために映画館に通い続けていた。そんなある日、落雷で停電の後に、モノクロのままの美雪が実体となって健司の前に現われた。健司は高飛車なお姫さまの美雪を持て余しながらも、彼女をカラフルな現実世界に案内するうち、二人は少しずつ惹かれ合って行くが、実は美雪には健司と触れられない秘密があった…。
明らかに、スクリーンの中から主人公が抜け出て来るウディ・アレン監督「カイロの紫のバラ」や、モノクロの世界に主人公が入ってやがてその世界に色が付いて行くという「カラー・オブ・ハート」(ゲイリー・ロス監督)の基本アイデアを借用したファンタジーである。
私はこういうファンタジーが好きで、ポスターの図柄や予告編を見て、楽しみにしていた。昭和35年という、古き良き時代が舞台なのも、それだけで映画ファンの心をくすぐる。これは面白いぞと期待してスクリーンに向かい合ったのだが…。
(以下ネタバレあり)
うーん、お話としては確かに面白いし、切ない物語展開もいい。綾瀬はるかと坂口健太郎のコンビも役柄に合ってて健闘している。
…が、残念な事に、やはりテレビ局が作り、脚本(宇山佳佑)も監督(武内英樹)もテレビ畑の人たちであるせいか、映画としての高揚感、物語構成の緻密さがいま一つのうえ、細部にアラが目立つ。せっかく面白くなる題材なのに、もったいない。
キャラクター設定にしても、社長令嬢役の本田翼が、まったく社長令嬢に見えない。それに安月給で撮影所ヒエラルキーでも下層に位置する助監督に恋するなんて、当時の状況としては絶対にあり得ない。冴えないし、失敗ばかりしてる健司のどこに魅力を感じたのだろうか。そこをちゃんと納得できるよう脚本を練り込まないと。
それに健司の友人でライバルの中尾明慶扮する山中伸太郎のキャラクターも中途半端で薄い。途中からほとんどいなくなってしまうし。親友なら後半でももっと絡んで来るべきだろう。総じて脚本が弱い。
しかし、この映画で一番いけないのは、あまりに映画業界の事情に疎すぎる部分である。お話は荒唐無稽であっても、ディテールは丁寧に描くのはこうした作品の鉄則である。
例えば、ロマンス劇場で働いている人間の姿がまったく見えないのはおかしい。館主の柄本明しかいないようだが、映画館運営には、切符売り場、チケットをちぎるモギリ、売店販売員、それに映写技師の最低4人は必要。
特に問題なのは、映写技師の姿が映写室にすら見えない事。その映写技師が不在の間に、外部の人間が勝手に出入りなんて絶対出来ない。まして健司が勝手にフィルムかけて映写なんて。絶句してしまう。今はだいぶ緩和され特に資格は要らないが、昭和35年当時は、後述するようにフィルムの材質に問題があって、映写技師の免許を持った人間しか映写機に触ってはいけなかった。そもそも助監督の健司がどうやって映写方法を学んだのか。最低映写技師から教わらないと無理だろう。
それと健司がかけている映画「お転婆姫と三獣士」。どうやら戦前の作品のようだが(その割にフィルムが雨も降ってなく奇麗過ぎるのも疑問だが、それは許容するとして)、1950年以前のフィルムは可燃性で、ちょっと油断すると発火してしまう危険物。「ニュー・シネマ・パラダイス」でも映写機が止まって発火し火事になるシーンがあったが、それ以外でも、気温、湿度が管理された冷暗所に保管しておかないと、夏になると高温で自然発火する(摂氏38度で発火するそうだ)。映画では映写室の物置に置かれていたようだが、絶対そんな保管方法では火事になる。そんな危険があるので、そもそも可燃性フィルムは消防法で危険物指定されており、短い断片ならともかく、長編フィルムは消防署の許可を得てちゃんとした保管庫におかなければならない。まあどこに保管されてたか、はっきりとは描いてないので、もしかしたら映画会社の倉庫で健司が見つけたのかも知れないが。それでも発火危険物を無断で持ち出したらそれはそれで大問題だが。
あと、ギャグのつもりだろうが、撮影所内にダイナマイトがむき出しで置かれてるシーンにも呆れた。爆破シーンを撮影するにしても、ロケ先の富士山麓とか山の中で行うので、撮影所にそんな危険物は絶対置かない。特殊効果のミニチュアセット爆破撮影でも、花火程度の少量の火薬しか使わない(それでも消防署が立ち会うなり許可がいる)。撮影所で働いていた人に監修を頼んで、細かい所をチェックしてもらうという配慮は出来なかったのだろうか。
そんな調子だから、余計なアラも目立ってしまう。
お姫様の名前が美雪となっているが、この名前は映画の中の役名? それとも演じていた俳優の名前?
フィルムの中で、お城を脱出した姫の後方に見える城の遠景は、どう見てもディズニー映画等で見る西洋のお城。多分「ローマの休日」のキャラと設定(姫と身分違いの男との恋物語)をそのまま借りたからそうなったのだろうが、それなら映画の中の役名は西洋風の名前でないとおかしい。
では演じていた俳優の名前?それなら、フィルムから抜け出してもずっと「これ、しもべ」など、高慢なお姫様の態度を取り続けるのはおかしい。どっちなのだろう。
その美雪が、劇中でかなりファッショナブルな衣装をとっかえひっかえ着ているが(プレスによると25着)、その衣装はどうやって調達したのだろうか。貧乏な助監督が買えるはずがない。撮影所の衣装室から無断拝借?それにしたってあんな高額な衣装が次々なくなったら大騒ぎになるだろう。そこらも納得出来る説明をしておくべき。
あと、健司が老年になるまで、どんな仕事をしていたのかも不明。映画監督になったのか、脚本家になったのか、それとも別の職業に就いたのか。ただ美雪と手も繋がず歩くシーンしか登場しない。
いくらあり得ない設定のファンタジーであろうとも、手を抜き過ぎではなかろうか。多少の難点は見逃してもいいけれど、本作は細部のズサンさが目に余る。
そんな具合に、いいかげんな箇所があちこちに目立つので、物語にのめり込めなかった。
公式ページでは、引用した映画の題名をいくつか挙げているが、昔からの映画ファンならすぐに思いつくものばかりで、その点では映画ファンが喜びそうな作品にはなっている。
だが、そこまで古き良き時代の映画に思いを寄せるなら、なんで映画畑の方、例えば映画叩き上げのベテラン脚本家を脚本作りに参加させなかったのだろうか。あるいは撮影所での映画作りを熟知しているベテラン監督に撮らせなかったのだろうか。例えば金子修介あたりに監督させれば、上に挙げたような映画界事情を知らないようなアラは是正されただろうし、ずっと面白くなっただろう。
本作は所詮、テレビ局が作ったテレビドラマの延長どまりの出来である。
文句を言ったが、ラスト10分のオチは悪くない。泣いてる方もいたが、私もあそこだけはちょっぴり感動した。丁寧に、考証を重ねて、細部にも手を抜かない作品作りを心掛けたなら、これはファンタジーの秀作になっただろう。実に惜しい。 (採点=★★☆)
(付記)
あまり指摘している人は少ないが、登場人物の役名にも昔の俳優、監督をもじったものが使われており、映画ファンが見たらニンマリするだろう。
主人公、牧野健司は、映画創世記の偉人、牧野省三(息子は東映時代劇・任侠映画で活躍したマキノ雅弘)+巨匠・溝口健二(多分)。
親友の山中伸太郎は、これは映画ファンなら気づく。山中貞雄+三村伸太郎(「人情紙風船」などの名監督・脚本家コンビ)。
社長令嬢の成瀬塔子は、女性映画の名匠・成瀬巳喜男。
北村一輝扮するハンサムガイ・俊藤龍之介は東映の名プロデューサー俊藤浩滋(富司純子の父君)+戦前からの時代劇スター月形龍之介。
柄本明扮するロマンス劇場館主、本多正はゴジラ映画の本多猪四郎。
ここまでこだわるなら、映画界事情にももっとこだわって欲しかったねぇ。
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コメント
斜陽を過ぎた地方の映画館では劇場オーナーが切符、モギリ、売店を兼任して、客が入ったら映写係になるというシステムもありだと思うのですが、でも、それだと途中入場客をさばけないんすよね。
東京のなくなってしまった名画座とかでは、切符、モギリ、売店までが一人、映写がもう一人という感じでした。
映写は柄本明が教えたにせよ、上映しながら居眠りしちゃう人に任せて帰ったら火事とかなって不味いすよね。後、映写機1台しか使ってなかったみたいだったけど(見落としただけか?)、昔は二台映写の方が一般的だったんじゃないでしょうか? まあ、個人の趣味で見てるのだからフィルムのつなぎでバシっと切替とかしなくていいんでしょうけど。
投稿: ふじき78 | 2018年3月22日 (木) 00:08
◆ふじき78さん
まあモギリ、売店は1人で兼任も可能でしょうけど。
切符売り場とモギリは、一般的には構造的に仕切られてる場合が多いので(売上の現金管理の必要上)、よっぽどこじんまりとした映画館でないと1人3役は難しいでしょう。ロマンス劇場、結構大きな映画館でしたからね。
映写機は、当時は1巻ごとにフィルムチェンジしないといけないので、絶対2台が必要です。私も2台あったか記憶が曖昧ですけど、あの傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」でも映写機1台だけというミスを犯してますからね。
一人で見る場合は1巻(10分)のフィルムがなくなる度にフィルム交換しないといけないので、その都度映写室に戻って交換しては座席に戻って…なんて事してると感動が途切れて映画にのめり込めないですね(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2018年3月22日 (木) 23:54