「シェイプ・オブ・ウォーター」
2017年・アメリカ/フォックス・サーチライト・ピクチャーズ
配給:20世紀フォックス映画
原題:The Shape of Water
監督:ギレルモ・デル・トロ
原案:ギレルモ・デル・トロ
脚本:ギレルモ・デル・トロ、バネッサ・テイラー
製作:ギレルモ・デル・トロ、J・マイルズ・デイル
不思議な半魚人と、声を出せない女性との恋を描いたファンタジー・ラブストーリー。監督は「パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロ。主演は「ブルージャスミン」のサリー・ホーキンス。共演は「ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気」のマイケル・シャノン、「ジャッキー・コーガン」のリチャード・ジェンキンス、「ドリーム」のオクタヴィア・スペンサーと実力派揃い。他に「パンズ・ラビリンス」のダグ・ジョーンズが半魚人を演じている。第74回ベネチア国際映画祭の金獅子賞、第90回アカデミー賞の作品賞ほか4部門を受賞。
1962年、ソビエトとの冷戦下のアメリカ。清掃員として政府の極秘研究所に勤めるイライザ(サリー・ホーキンス)は、研究所内に密かに運び込まれた不思議な生き物を目撃する。アマゾンで神のように崇められていたという“彼”にすっかり心を奪われたイライザは、周囲の目を盗んで会いに行くようになる。イライザは子供の頃のトラウマで声が出せなかったが、“彼”とのコミュニケーションに言葉は不要で、2人は少しずつ心を通わせて行く…。
ギレルモ・デル・トロは、本当に怪獣、怪物が大好きなのだなとつくづく思う。
出世作「パンズ・ラビリンス」(2006)では、少女の幻想の中に、パンと呼ばれる牧神を登場させているが、その造形、どう見ても本作の半魚人かエイリアンに近い(右)。
「パシフィック・リム」でもそのまんま、"Kaijuu"が現れ人類と死闘を繰り広げる。
本作に登場する不思議な生き物は、本作の元ネタと言われている怪物映画の古典的名作「大アマゾンの半魚人」(1954)に登場した半魚人・ギルマンと姿形がそっくりで、かつ“アマゾンの奥地で捕獲された”と語られている事からも、元ネタというよりほとんど続編みたいなものである。
あの作品のラストでは、ギルマンは人間たちに攻撃されて傷つき、水底深く潜って行った所で終わっていたが、その後も人間たち(やはりアメリカ人)がギルマン捕獲に執念を燃やし、やっと捕まえた、と見れば本作とすんなり話が繋がる事になる(ちなみに本作の時代は「大アマゾンの半魚人」公開の1954年から8年後)。
「大アマゾンの半魚人」で印象的だったのは、ヒロイン・ケイ(ジュリー・アダムス)が水着姿で川で泳いでいると、水底からそれを見上げていたギルマンが、やがてケイとシンクロするように水中で泳ぐシーン(右)で、あたかもダンスをしているかのよう。まさにギルマンは美女に恋してしまうのである。
その後もギルマンはケイを見つけては抱きかかえ、さらって水中に連れ込もうと何度も試みる。しかしケイはその都度悲鳴を上げて逃げようとし、この恋はギルマンの儚い片思いに終わる。所詮彼は醜いモンスターなのである。
こうした、美女に恋するモンスター、というパターンは、名作「キング・コング」(1933)以来、数多く作られて来た。怪物が美女を抱きかかえている、という絵柄は、B級モンスター映画のポスターの定番でさえある。
しかし過去のこうした作品では、―
時にはピーター・ジャクソン版「キング・コング」のように美女の方も怪物にやや同情というか心を寄せる事もあるにせよ
―
まずほとんどの場合、モンスター側の片思いで、女からは嫌われ、ラストはあえなく人間に退治され悲惨な運命を辿る事となる。恋が成就するのは、「美女と野獣」のように、最後にモンスターが美男子の人間に変身するパターンの場合しかなかったと思う。
怪物映画を偏愛し、怪物側に深い愛を寄せるデル・トロ監督は、人間の女と怪物が相思相愛となり、ハッピーエンドで終わる映画をきっと作りたかったのだろう。それが本作である。
しかし、本来はB級ピクチャー的な題材でありながら、デル・トロ監督、緻密で周到に作りこまれた脚本と重厚な演出で、これを今の時代の空気をも反映した、見事な風格の傑作に仕上げ、モンスター映画として初めて、アカデミー作品賞を獲得したのである。まさに歴史を塗り替える快挙と言えるだろう。
(以下ネタバレあり)
本作の中心となる登場人物は、主人公のイライザは口のきけない聾唖者であり、同僚のゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)は黒人、隣室の画家ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)は同性愛者と、舞台となる1962年当時はいずれも差別されるマイノリティばかり。半魚人も醜悪な姿形で、白人の差別主義者ストリックランド(マイケル・シャノン)からこづかれ苛められており、彼もまたここではマイノリティ的存在である。
この半魚人にイライザは恋してしまう。共に言葉が喋れないが、食べ物や、音楽等を介して両者は次第に心を通わせて行く。
やがて半魚人が研究の為解剖され殺される事を知ったイライザは、彼を逃がそうと試みる。その彼女を支援するのが前述のゼルダ、ジャイルズとマイノリティばかりであるのが面白い。ついでながらもう一人、半魚人を助けるのがソ連のスパイであるホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)なのだが、彼もアメリカ国内において正体が判れば弾き出される運命のマイノリティとも言えるだろう。
研究所から脱出した半魚人はイライザの家に匿われ、雨の日にイライザは彼を海へ逃がそうと考える。それまでの数日間はイライザにとっての至福の日々。
妄想の中で彼女は歌も歌え、半魚人と軽快なダンスもする。このシーン、モノクロになって、まるでフレッド・アステアとジンジャー・ロジャース主演のRKOミュージカルそっくりになるのがミュージカル・ファンとしてはなんとも楽しい。
そして雨の決行の日、それを察知したストリックランドに追い詰められ、イライザは撃たれて瀕死の重症を負う。
半魚人も撃たれるのだが、彼にはどんな傷も触るだけで治癒してしまう能力がある(これはスピルバーグ監督「E.T.」へのオマージュか)ので、すぐに自分の傷も塞ぎ、イライザを抱いて海に飛び込む。
イライザも彼の治癒能力によって命をとり止めるのだが、その後、あっと驚くシーンがある。
(以下完全ネタバレ)
イライザの首には、以前から3本の尖った形の傷があったのだが、それがエラのように変形し、水中呼吸を始める。そして2人は水の底へと静かに下りて行くのである。
これはつまり、イライザも元は水の中で暮らしていた生き物だったという事を示している(ロン・ハワード監督「スプラッシュ」の人魚みたいな)。
それが地上に出て、人間として暮らす道を選んだ為、声を失ったという事なのか。あるいは水の中で暮らしていたから元々声帯がなかったのか。
そう思えば、映画の冒頭、イライザの幻想で、彼女の部屋が水で満たされ、その中で彼女が寝ているシーンが出て来るのだが、あれも実は伏線だったのだろう。うまい。
実に巧みに構成された、見事なファンタジー・ラブストーリーの傑作であった。
さて、物語自体も面白かったが、単なるハッピーエンドの物語に留まらず、この映画にはさまざまな寓意、風刺が込められている。
時代が、黒人や同性愛者が過酷なまでに差別され、女性の地位も低かった1960年代である事が重要である。
またこの時代は、東西冷戦で米ソの対立が深まり、互いに技術開発にしのぎを削っていた時代でもある。そういう時代背景もきちんと作品の中に取り入れられている。
悪役であるストリックランドは白人至上主義者で差別主義者である。当時はそういう風潮がまだまだ根強かった。
それから半世紀、女性の地位も向上し、同性愛も市民権を得、黒人大統領も誕生して、表向きは時代は性別、民族、国籍による差別・偏見はかなり解消されたかに見える。
だがここに来て、白人至上主義のトランプが大統領になり、メキシコとの国境に壁を作ると言ったり、移民排斥、民族差別を打ち出したり、そんな大統領を熱烈に支持する白人がアメリカにはまだまだ多い事が改めて浮き彫りになった。
この映画は、そんなアメリカの現状に痛烈な皮肉を込め、異議申し立てを行っているのだろう。監督がメキシコ出身であるだけに、特にその事はよく分かっているだろうから。
そんな映画に、アカデミー作品賞が与えられた意義も大きい。昨年も黒人が主人公の「ムーンライト」が作品賞を獲っているが、そうした真面目なテーマの作品に比べて、本作はB級モンスター映画へのオマージュ愛に満ちている点が極めてユニークなのである。
ギレルモ・デル・トロ監督の、これは最高作だろう。
それにしても、日本ではやはりデル・トロと同じくアニメ・怪獣オタクの庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」が日本アカデミー賞で作品賞、監督賞を獲っているし、昔は怪獣映画と言えば一段低く見られバカにされていた(それこそ差別・偏見にさらされていた)時代から見れば隔世の感があるなあと、しみじみ実感している次第。
(採点=★★★★★)
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コメント
ひとつ間違えただけでグダグダになりそうなプロット(笑)
なのに、どんどん説得力が増していく演出が素晴らしかったです!
投稿: onscreen | 2018年5月13日 (日) 08:28
◆onscreenさん、こんにちは。
物語のプロットはどう見たってB級怪物映画そのものですし、おまけに障碍者に同性愛者が主役。
昔だったらプロデューサーに「こんなものに客が来るか!」と怒鳴られボツにされるか、脚本をこねくり回され低予算、2本立てで公開されたあげく、批評家からは完全無視されてたでしょう。
デル・トロ監督が実績を積み重ねて来た事もあって企画が通った面もあるでしょうが、このB級的題材を堂々たる貫禄のA級映画に仕上げるのが監督の力量でしょう。やはり映画は監督次第ですね。
投稿: Kei(管理人) | 2018年5月20日 (日) 17:19