吉永小百合考
田中絹代という女優をご存知だろうか?
若い方はあまり馴染みがないかと思うが、日本映画を代表する、伝説的な大女優である。
若い頃は国民的女優として絶大な人気を誇り、1938年には主演した「愛染かつら」が大ヒット。♪花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道♪の主題歌と共に一世を風靡した。
後年には溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下惠介、市川崑といった名だたる大物監督に重用され、海外を含めた多くの映画賞で女優賞を受賞する等、その名は映画史に燦然と輝いている。
特に凄いのは、溝口健二監督の名声を高めた1952年の「西鶴一代女」において、田中は夜鷹にまで落ちぶれ、老醜を晒す過酷な運命の女を熱演し、戦前の美人女優のイメージをかなぐり捨ててしまった。これぞ本当の女優魂である。
没後はその業績を称え、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、以後毎年、映画界の発展に貢献した女優にその賞が贈られている。この賞を受賞する事は、女優にとって最大の名誉でもある。
で、その田中絹代と吉永小百合とはいろんな点で繋がりがあり、縁が深い。
なにしろ、その「田中絹代賞」の第1回受賞者が、吉永小百合なのである(1985年)。
さらにその2年後、新藤兼人の原作による、田中絹代の伝記映画「映画女優」(1987・監督:市川崑)が公開され、この映画で田中絹代役を演じたのが、吉永小百合であった。
もっと興味深い事がある。田中絹代は1924年(大正13年)、14歳の時に松竹に入社し、映画女優としてデビューしているのだが、なんと吉永小百合もまた、14歳の時に松竹映画「朝を呼ぶ口笛」で映画デビューを果たしている。不思議な偶然である。
そして二人とも、デビュー当初はアイドル女優として引っ張りだこ。田中絹代はデビュー時の1925年からの数年間は、毎年10本以上の映画に出演しており、多い時には年間16本!もの映画に出ており、生涯出演本数は250本を超えている。吉永小百合もやはり1961年には年間16本の映画に出演している。
そういう事もあって、私はいずれ吉永小百合は、田中絹代のような大女優になるのかと思っていた。
現に、「映画女優」のラストにおける、「西鶴一代女」の夜鷹のメークは、田中には及ばずとも、相当な汚れメークで熱がこもっていた。
だが、良かったのはその辺まで。以後は前にも書いたようにヘンテコな作品、吉永を持ち上げるだけの凡作に出演して、田中との距離は開くばかり。本当にガッカリである。
田中絹代が凄いのは、前記「西鶴一代女」に留まらず、作品の為には汚れ役、老人役もまったく厭わなかった点である。
例えば1958年の木下惠介監督「楢山節考」(右)では、田中は自分の歯4本を抜いて、楢山に捨てられる老婆を見事に演じきってキネマ旬報賞女優賞を受賞。この時田中絹代は48歳!
さらに1974年の熊井啓監督「サンダカン八番娼館・望郷」(右)では、からゆきさんと呼ばれる慰安婦の晩年の老女役を熱演して絶賛され、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞、キネマ旬報女優賞を受賞した。この時田中64歳。
写真を見れば分かる通り、一目見るだけでも、過酷な運命を背負った女性の人生がその顔に滲み出ている。メイクのせいだけではない。
この顔が、今の吉永小百合よりも10歳も若い時のものであると言っても、信じられないだろう。しかも昔は美人女優だった方である。いかに凄い女優であったか、お分かりいただけるだろう。
今のままでは、吉永小百合は田中絹代の足元にも及ばない。「田中絹代賞」の受賞が色褪せて見える。
かと言って、私は吉永に歯まで抜いたり、シワシワの婆さん役を演じなさいとまでは言わない。
上品な気品のある老婦人役でも構わない。
しかし、これだけは言いたい。これまで数々の演技賞に輝く、日本映画を代表する女優であるなら、映画に出る以上は、その演技で観客を唸らせ、各映画賞(日本アカデミーのようなヨイショ映画賞(笑)でなく)でベストワンを獲得し、やがては映画史に残るような名作に出演する事をこそ目指すべきではないか。田中絹代主演の上記「楢山節考」、「サンダカン八番娼館・望郷」のような(ちなみにどちらもキネマ旬報ベストワン)。
名作「キューポラのある街」以来、ずっとファンであるからこその苦言と、ご容赦いただきたい。
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コメント
いま忙しいので新作はパスしますが、山田洋次監督と組んだりすると秀作に巡り合ってるので、問題は9割くらい東映にあるのではないかと。「母べえ」などは、駄作とも凡作とも思ってません。
ちなみにオールタイムベストに入るくらい「キューポラのある街」は好きです。終盤に吉永小百合さんが言うセリフが座右の銘で、履歴書にも書いたくらいです。
投稿: タニプロ | 2018年4月11日 (水) 03:16
◆タニプロさん
>問題は9割くらい東映にあるのではないかと。
私も同感です。あとの1割は、吉永さん自身の責任もあるでしょうね。いいかげん若作りは卒業していただきたいものです。
「楢山節考」とまでは行かなくても、田中絹代さんが三益愛子さん、小暮実千代さんと共演した「三婆」みたいな作品への出演も、検討して欲しいですね。サユリストは反対するでしょうが(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2018年4月14日 (土) 00:55