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2018年4月 2日 (月)

「北の桜守」

Kitanosakuramori2018年・日本/東映=テレビ朝日=木下グループ、他
配給:東映
監督:滝田洋二郎
脚本:那須真知子
舞台演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
製作総指揮:早河洋、岡田裕介
撮影監督:浜田毅

女優・吉永小百合の120作目となる映画出演作で、吉永主演の「北の零年」「北のカナリアたち」に続く「北の三部作」の最終章となるヒューマンドラマ。監督は「おくりびと」「ラストレシピ  ~麒麟の舌の記憶~」の滝田洋二郎。脚本は「北の~」シリーズ2本を書いている那須真知子のオリジナル。主演は「母と暮せば」の吉永小百合。共演は堺雅人、篠原涼子、岸部一徳、中村雅俊、阿部寛、佐藤浩市ほか。

1945年8月、樺太で家族と暮らしていた日本人女性・江蓮(えづれ)てつ(吉永小百合)は、ソ連軍の侵攻によって土地を追われてしまう。夫・江蓮徳次郎(阿部寛)も出征したまま行方が分からず、てつは息子二人を連れ、決死の思いで北海道の網走に辿り着く。だがそこでも想像を絶する過酷な生活が待ち構えていた。1971年、アメリカで成功を収め日本初のホットドックストアの日本社長として帰国した次男の修二郎(堺雅人)の元に、母てつが一人では暮らせない状況との連絡が入る。修二郎は母を引き取り札幌で一緒に暮らすことを決めるが、てつの行動に異常が見え始め…。

吉永小百合が日本を代表する女優である事は認める。いくつもの優れた作品に出演した事も事実ではある。だがここ数年、「母べえ」「母と暮せば」等の山田洋次監督とのコンビ作を除けば、酷い出来の駄作・凡作(例えば「千年の恋 ひかる源氏物語」(2001)、「北の零年」(2004)、「まぼろしの邪馬台国」(2008)、「ふしぎな岬の物語」(2014)等々)が並び、痛々しい限りで見るに忍びない。ちなみにすべて私が選出するワーストテンに入っている。
もっと作品を選びなさい、と言いたくもなる。

本作も、またまた無残なワースト作品になってしまった。名手・滝田洋二郎監督でさえも、どうにもならなかった。どうしたらこんな出来損ないばっかりになるのか、実はある人物が主犯と私は思っているが、それについては後述する。

どこがいけないのか。まず一番の問題は、テーマがはっきりしていない事。

冒頭で、樺太で平和に暮していたてつたち家族が、日ソ不可侵条約を破棄して侵攻して来たソ連軍に故郷を追われ、命からがら逃げるエピソードが出て来る。そして樺太で桜を大切に育てている話も出て来るし、タイトルが「北の桜守」である点も踏まえ、これはてっきり“樺太への望郷の念を絶やさず、桜の苗を持って旅をし、北海道で桜を守り続け、最後に樺太に戻って桜を植える、感動の物語”なのだろうと思っていた。やんわりと、ソ連批判、反戦の思いも盛り込まれるのだろうとも思った。

ところが、話がいきなり1971年に飛ぶと、樺太への望郷の話などまったく出て来ず、桜を育てる話も消えて、“コンビニ経営者の成功物語”が主となって来る。桜の話は、てつが頭がおかしくなって近所の桜に墨を塗るエピソードくらいしか出て来ない(それも唐突で、何故桜を守る為に木に墨を塗るのが大事かという話、樺太時代にきちんと描いておくべきだろう)。テーマがいつの間にか入れ替わってしまっている

そのコンビニの話も支離滅裂で、アメリカ発外資系の「ミネソタ24」なる店名にホットドッグが主商品、という点から、これはどう見てもマクドナルドのようなファストフード・チェーンである。が、陳列棚にカップラーメンやらお菓子やら、ファストフード店にはどうも合いそうもない商品が並んでいるので?マークが浮かびイヤな予感がした。
そのうち、ホットドッグはどこかに行って、おにぎりを売る事に、…って、外資系ファストフード店でおにぎりを売るか、とツッ込みたくなった。いつの間にかマクドナルドがコンビニに模様替え、って、ありえんだろう。
ファストフードでもコンビニでもいいが、どっちにしても親会社があるチェーン店なら、商品や材料は本社工場で製造されたものをトラックで運んで来て並べるのが建前だしそれが効率的、衛生的だろう。店が独自で、しかも保険所の許可も得ず手作りのおにぎり売るなんて、どこのコンビニでもやらない。これじゃ夫婦でやってる個人商店だよ(笑)。

さらに今度は、母が認知症になって、その母を介護する話になってる。またまたテーマが入れ替わってる
笑ってしまったのが、てつが庭で七輪にお釜でご飯を炊くシーン。外国から帰って来て豪華なマンション住まいの修二郎の家に、なんで七輪やお釜のような古い道具があったのだ?(そういう事、スタッフの誰かが気づきそうなものだが)。煙モクモクで周りの家が怒ってるシーンは、ドリフのコント並みで吹き出してしまった(笑)。これはコメディかよ。
そして修二郎は唐突にコンビニ店ほったらかして母と二人、思い出めぐりの旅をする話が延々と続く。おいおい、経営が大変じゃなかったのか。

終盤では、てつが行方不明になって、皆で捜索する展開となる。認知症老人がいたら、普通は目を離さないと思うが。てか、かなりボケがひどい話も出て来るから、むしろ介護施設に入れるのが妥当だろうに。
そのてつは、吹雪の中、一人で歩き出して行く。それから2年とテロップが出て、唐突に(こればっかり(笑))どこかの家で桜をお守りしてる話になって、ワケが分からないうちにエンド。
認知症老人が猛吹雪の中歩いて行ったら、間違いなく道に迷って凍死するだろう。誰かに助けられたのなら、回想でもいいからその経緯、助けた人物の人間像なども丁寧に描くべきだろう。ご都合主義的な展開があまりに目立ちすぎる。

修二郎の妻の真理(篠原涼子)や、修二郎に借金無心に来る杉本(安田顕)や、てつを援助する菅原(佐藤浩市)などの人物像も、いずれも薄っぺらすぎる。てつの夫の徳次郎、チョロッと出て来て終わり。セリフだけでなく、もう少し戦地や収容所での悲惨な生活ぶりも描くべきではないか。扱いが軽過ぎる。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の舞台シーンも、違和感だけが残り失敗である。そもそも監督が「実写として描けば具体的悲惨しか伝わらない。抽象化することで心象風景がわかりやすくなる」とインタビューで答えているが、それならソ連戦闘機の機銃掃射シーンや、乗った船が撃沈され、炎の海に投げ出されるなどの悲惨なシーンはなんでCGまで使って実写で描いたのか。かと思うと、山岡(岸部一徳)が病室のてつを見舞うシーンは現代なのに舞台演出である。まるで一貫性がない。それなら1971年の話から始め、過去の回想シーンのみをすべて舞台演出とする方がまだマシだった。もう支離滅裂である。

書くだけ空しいからこの辺でやめておくが、要するに脚本がヒドい。物語展開、人物像、どれもあっちこっちから感動するようなエピソードを適当に持って来て継ぎはぎしただけである。無理やり感動させようとする話も出て来るが、全体のトーンに統一性がないからまったく盛り上がらない。

このヒドい脚本を書いたのは那須真知子…。「北の零年」「北のカナリアたち」もこの人が書いているが、どれもヒドい。そして何より、あの世紀の駄作「デビルマン」(笑)を書いた人である。あれで信用をなくしたのだろう。以後「北の」シリーズ以外お呼びがかかっていないはずである。私は「北のカナリアたち」評で、「もうこの人には書かせない方がいいと思う」と書いたのだが、忠告を守らず案の定予想通りの結果となった。

要するに本作は、70歳半ばになってもまだ美しい吉永小百合を持ち上げるだけが目的の作品である。いかに美しく、可憐に見せるかだけに神経が集中して、物語はそっちのけになっている。だから中味がスカスカなのである。
戦中、戦後あたりは30歳台後半だろうが、あの時代は今と比べ、みんな年齢より老けて見えていた(何より、凄い苦労をしている)ので、まあ役柄相応の年齢に見えなくもない。そこはいい。
しかしそれから20数年後の1971年、多分60歳台半ばになっても、髪がやや白くなった程度で顔が全然変わっていないのには呆れた。特に戦後、貧困と飢餓に苛まれ、死ぬほどの苦労を重ね、今も小さな食堂を営んでいるのだから、顔にはシワが刻まれた老人の顔になって、永年の苦労の程が表情に滲み出ていなければならないだろう。特殊メイクでもいい。そうであれば物語にいくらか説得力が生まれただろうに。
だがやっぱり小百合サマ。顔も手も綺麗なままで、全く苦労していない、美しい女優の顔のままである。これで感動してくれというのは無理な話である。やれやれ。

吉永小百合に周囲が気を使い過ぎて(流行の言葉で言えば“忖度”して(笑))、かえって贔屓の引き倒しで彼女の女優歴に傷を付けている事を、関係者は理解すべきである。

この無残な映画で一つだけ救いがあるとすれば、駄作シリーズ、「北の」三部作が本作で打ち止めになって、多分もうこのシリーズは作られない事だけである。
そしてもし彼女が今後も女優を続けて行きたいなら、企画、脚本を厳選し、年齢に見合った、本当に優れた作品に出るべきである。それを、古くからのファンとして切望する。    (採点=

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(吉永小百合作品が駄作になってしまう理由)

さて、本作がこんなヒドい作品になってしまった主犯、それは製作総指揮にも名を連ねている、東映会長、岡田裕介氏である。

岡田裕介氏は東映を立て直した功労者、元東映社長・会長だった岡田茂氏の息子である。茂氏は傑出したプロデューサーであり、優れた経営者であったが、残念ながら裕介氏がプロデューサーとして携わった作品にはロクなのがない。

前述の吉永小百合出演のワースト作品群、「千年の恋 ひかる源氏物語」「北の零年」「まぼろしの邪馬台国」「ふしぎな岬の物語」、実はすべて岡田裕介企画・製作作品である。本作も無論そう。それ以外でも、東映で岡田が製作し、吉永が主演した「 天国の大罪」 (1992)、「 霧の子午線」 (1996)などはいずれもトホホな作品だった。
つまりは岡田裕介製作=吉永小百合主演作品は、ことごとく凡作になっているのである。それはひとえに、岡田氏が吉永小百合を持ち上げる事しか眼中になく、それを周囲も誰も止められないからである。

1990年代の伝説的超トホホ映画として名高い「 北京原人 Who are you?」(1997・岡田氏も企画者としてクレジット)とか、前述の「デビルマン」とか、東映はしばしば歴史的ワースト作品を作って、日本映画の評判を落として来た会社である。それらの作品に製作者、脚本家として携わった人が本作に参加しているのだから駄作になるのも当然ではある。

そしてこんな酷い出来にも関らず、おそらく本作は来年開催の日本アカデミー賞で優秀作品賞・主演賞その他にノミネートされるのも間違いない(「北の」前2作もそうだった)。なにしろ、日本アカデミー賞協会会長が岡田裕介氏その人なのだから。ここでも忖度が広まっているはずだ。困った事である。

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