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2018年4月22日 (日)

「ニッポン国VS泉南石綿村」

Nipponvssennan2017年・日本
配給:疾走プロダクション
監督:原一男
構成:小林佐智子
製作:小林佐智子
撮影:原一男

大阪・泉南アスベスト工場の元労働者らが国を相手に起こした国家賠償請求訴訟の経過を、8年間にわたって追ったドキュメンタリー。監督は「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」などの秀作ドキュメンタリーで知られる原一男。2017年に釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭市民賞などをそれぞれ受賞。

明治時代から石綿(アスベスト)産業が盛んとなった大阪・泉南地域。最盛期は200以上の工場が密集し“石綿村”と呼ばれていた。だが石綿は肺に吸い込むと長い潜伏期間を経て、肺ガンや中皮腫を発症する事が近年まで知られていなかった。国は70年前から調査を行い、健康被害を把握していたにもかかわらず、経済発展を優先し規制や対策を怠っていた。石綿工場の元従業員や近隣住民たちが国を相手に国家賠償請求訴訟を起こすが、国は控訴を繰り返し、その間も長引く裁判によって原告たちの身体は蝕まれ、命を落として行く。原一男監督は8年にわたり、「市民の会」の調査などに同行し、弁護団の活動、裁判闘争や原告らの人間模様を記録して行く。

原一男監督と言えば、1972年のデビュー作「さようならCP」以来、一貫して異色の骨太ドキュメンタリー作品を作って来た人である。

1974年には自分の元同棲相手・武田美由紀に密着し、彼女の出産シーンまでカメラに収めた「極私的エロス 恋歌1974」を発表し話題を呼んだ。

Yukiyukiteshingunそして1987年には「ゆきゆきて、神軍」を発表、過激に戦争責任を追及し続けるアナーキスト奥崎謙三に密着し、奥崎が激昂して相手に暴力を振るうシーンまで登場する。対象にとことん迫る原監督の熱意、行動力には圧倒された。傑作である。奥崎もだが、監督としての原氏も相当過激な作家である。
この作品はその年のキネマ旬報第2位、同読者選出ベストワン、毎日映画コンクール他各映画賞で監督賞を受賞し、内外で高く評価された。

1994年には「全身小説家」を発表。小説家井上光晴氏に5年間にわたって徹底密着し、その闘病から死までを追った力作で、今度はキネマ旬報ベストワンに輝いた。
はっきり言って、これも凄まじい作品である。ドキュメンタリーはどこまで一人の人間の内面まで探れるのか、ドキュメンタリーの可能性、限界にまで挑戦した問題作である。

―と言うか、原一男監督作はどれも問題作ばかり、観る度に度肝を抜かれ、圧倒されて来た。新作発表の都度、今度はどんな問題作を作るのか、毎回楽しみだった。

が、その後はこれといった作品がなく、2004年には初めての劇映画「またの日の知華」を発表するが、これはつまらなかった。一人の主人公を4人の女優が演じるという、実験的異色作ではあったが成功とは言えなかった。

思うに、原監督は、ユニークな、ドキュメンタリー作家として密着してみたい異色の人物を見つけ、とことん迫った時に傑作が生まれる作家なのだろうと思う。

そういう人物が見つけられなかったから、ここ数年、低迷して来たのだろう。確かに、奥崎謙三のような過激だが魅力的な人物も、井上光晴氏のような破天荒な作家も今はいなくなった。
原監督自身も、公式サイトでこう発言している。「無我夢中で悪戦苦闘している間に時代は、平成へと移っていた。さらに、もっと過激な主人公を探し求めていた。が、どこにもいなかった。なぜ、いないんだろう?と疑問に思いつつ、10年という時間が過ぎて、遅まきながら、やっと気づいた。平成という時代が過激な生き方を受容しなくなったのだ、と。それは、これまでに私がこだわってきた映画作りの方法が完全に行き詰まったことを意味していた。私が描くべき主題は、なんなのか?と、悩んだ。が容易に見つかるはずもなかった」

そして本年、やっと待ちに待った原監督の新作が公開された。劇場公開監督作としては14年ぶり、長編ドキュメンタリーとしては実に24年ぶりの作品である。

なんと3時間35分もある大長編である。だが少しも退屈しなかった。本当に、本当に久しぶりの原監督らしい秀作である。待った甲斐があった。

主人公は、今回は集団である。特定の人物はいない。ユニークで過激な人物も(少し怒る人はいるが)登場しない。

前半は、わりと正攻法で普遍的なドキュメンタリーになっている。原告一人一人の日常、生活ぶりを捕らえ、インタビューで証言を集め、裁判の経過を順次追って行く。

その間、この地で石綿産業が栄えた歴史にも迫っている。在日コリアンなども含む、社会的底辺の人たちが中心で、産業発展の為、そういった人たちに危険で健康に問題のある仕事が押し付けられ、被害が潜在し広がって行った実態が明らかになって行く。過去の公害被害事件の歴史とも問題点は重なる。

そういった内容が丁寧に語られてはいるが、この辺まではよくある他のドキュメンタリー作品とそう変わらないなというのが率直な感想である。

ところが後半に至って映画は様相が変わって来る。遅々として進まない裁判に、原監督自身も怒りを抑えられない様子で発言し、前に出て来るのである。原告たちを挑発するかのようでもある。

それに煽られるかのように、「泉南地域の石綿被害と市民の会」代表の柚岡一禎さんも次第に怒りを露わにして来る。
この柚岡さんの行動が面白い。厚労省の前でも警備員と激しく対立し、制止を押し切って厚労省内に入ろうと揉みあいになる。どこかに入る所はないかと厚労省周囲をうろうろする。その姿をカメラはずっと追い続ける。
結局断念するのだが、もう少し暴走したら、ミニ奥崎謙三になる所だ(笑)。

こうした後半の描き方が実にスリリングで、命がかかっている原告団の方々から見れば不謹慎かも知れないが、映画は俄然面白くなって来る。画面が、何というか熱を帯びて来るのである。

裁判で国は敗訴するが、上告を繰り返し、その間も一人、また一人と原告被害者たちが亡くなって行く。その葬儀も描かれる。見ているこちらも居たたまれなくなる。

やっと厚労省の役人と原告団との面会は実現するが、やはり役人はのらりくらり逃げ回る。それでも柚岡さんも含め原告たちは粘り強く交渉を進め、その攻防は21日間にも及ぶ。原監督とカメラはその様子もずっと追い続ける。このプロセスも見応えがある。

そしてとうとう最高裁でも国は敗訴する。遂にニッポン国と闘った泉南石綿村は、国に勝利するのである。なんともドラマチックである。
判決を受けて、塩崎厚生労働大臣が原告たちに謝罪する様子もきちんと描かれる。

映画のラストは、この8年間に亡くなった方の写真と名前が次々と映し出されて行く。
たったこれだけの期間に、かくも多くの命が、石綿によって奪われて行った事、国が裁判を長引かせた為に、裁判の結果を見る事なく死んで行った方がこんなにも大勢いた…その事に、愕然となる。
1本のドキュメンタリー映画の中で、こんなにも多くの人が死ぬ所を描いた作品はなかったのではないか。8年というカメラを回した期間、3時間35分もの上映時間は、どうしてもそれらを描く為に必要だったわけである。

まさに、原告たちの執念が乗り移ったかのような、原監督渾身のドキュメンタリーの傑作である。
何より、原監督が長い低迷を抜け出し、見事に復活した、その事を喜びたい。

原監督はこうも言っている。「作品が完成して、自分がこだわってきたものの中身がやっと姿を現した、と思えた。ストーリーとしては、裁判闘争を闘っている民衆が主人公として構成されているが、私自身もまた民衆の一人である、という自覚に沿うならば、他ならぬ私自身へ檄を飛ばす、そういう映画なのである」

そう、この映画の主人公は、名もなき民衆であり、原監督自身も彼らと同じ目線で共に闘った主人公の一人なのである。そういう意味でも本作は原監督作品としても、以前の、一人の特異な人物に密着する手法から脱却し、新たな方向性を見出した作品と言えるだろう。今後のさらなる活躍を期待したい。    (採点=★★★★☆

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(付記)
「ニッポン国VS泉南石綿村」というこの題名、どうもどこかで聞いた事がある気がしていたが、思い出した。

1982年の小川紳介監督のドキュメンタリー映画「ニッポン国・古屋敷。これと題名がよく似ている。

Nipponkokufuruyashikimura小川紳介は「三里塚の夏」他の多くのドキュメンタリー作品で知られる我が国を代表する記録映画作家である。この作品も、山形県の蔵王山系にある、過疎化が進む小さな村、古屋敷村にカメラを据え、村の人々の生活と村の歴史を追ったドキュメンタリーで、82年度キネマ旬報ベストテンで第5位を獲得している力作である。
こちらも、上映時間が3時間30分ある大長編で、なんと原監督の本作の上映時間と5分違うだけ。題名だけでなく、上映時間、テーマも似た所が多い。

で、原一男は1971年頃、小川紳介率いる小川プロに入る事を希望したが叶わなかったそうだ。多分ドキュメンタリー作家の大先輩、小川監督を敬愛し、同じドキュメンタリー作家として小川監督から何かを学ぼうと思っていたのだろう。

また2002年公開の小川紳介の実像に迫ったドキュメンタリー「Devotion-小川紳介と生きた人々」(監督:バーバラ・ハマー)に原一男は出演している。

こういう繋がりがあるから、本作の題名も尊敬する小川監督作品から一部を拝借した可能性が高いと私は見るが、どうだろうか。

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コメント

前半も必要な情報だと思うのですが、映画としてはやっぱり沸々と湧き上がってきた怒りが遂に臨界点を突破して沸騰する後半が文句なく面白いですね。
もちろん、それは前半の事実や記録が礎になってるのだろうけど。

しかし、長いとやっぱり見に行くまでが大変だ。なかなか気持ちが乗らない。

投稿: ふじき78 | 2018年8月19日 (日) 10:36

◆ふじき78さん
確かに長くて、見るのに躊躇する人も多いでしょうね。
でもこの前半をカットしたり端折ったとしても、多分3時間半の全長版ほど面白くはならないでしょう。前半で一人一人の人物をじっくり描き、その内面にまで迫ったからこそ、そうした人たちの無念が伝わり、後半の怒りに説得性をもたらしていると言えるでしょう。
原監督や登場人物たちの、8年にも及ぶ忍耐に比べたら、3時間半程度の忍耐なんて何てことない。…と考えてみてはどうでしょうかね。
とは言いつつも、私も本音では短い作品の方が有難いですが(笑)。

投稿: Kei(管理人) | 2018年8月19日 (日) 19:01

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