「タクシー運転手~約束は海を越えて~」
2017年・韓国/ショウボックス=LAMP
配給:クロックワークス
原題:A Taxi Driver
監督:チャン・フン
脚本:オム・ユナ
製作:パク・ウンギョン
1980年5月に韓国で発生した光州事件の実話をベースにした感動のヒューマンドラマ。韓国では1200万人を動員する大ヒットを記録した。監督は「高地戦」のチャン・フン。出演は「密偵」のソン・ガンホ、「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマン、「コンフィデンシャル/共助」のユ・ヘジン、「グローリーデイ」のリュ・ジュンヨル。第90回アカデミー賞外国語映画賞韓国代表作品に選ばれた他、第54回大鐘賞最優秀作品賞、企画賞、第26回釜日映画賞最優秀作品賞、主演男優賞等、多数の映画賞を受賞した。
1980年5月。ソウルのタクシー運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)は、「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を払う」との予約が入ってるとの運転手仲間の話を耳に挟み、先回りしてドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を乗せ、光州に向かった。マンソプは機転を利かせて検問をすり抜け、なんとか光州に着いたが、そこは民主化を求める市民、大学生と軍隊が衝突を繰り返し、騒然とした空気に包まれていた。「危険だからソウルに戻ろう」とマンソプは訴えるが、ピーターは大学生ジェシク(リュ・ジョンヨル)と光州のタクシー運転手ファン(ユ・ヘジン)らの助けを借り、撮影取材を続けた。だが状況は徐々に悪化し、軍隊は無差別に市民を銃撃し、街は地獄の修羅場と化して行く…。
光州事件の事は、おぼろげながら覚えているが、この映画を観る為の予備知識として、ネットでググって調べてみた。
1980年、それまでの軍事独裁政権に対して全国的に民主化の波が起き、それに危機感を抱いた軍部がクーデターを起こし、全土に戒厳令を敷いて民主化を求めた市民や大学生らを弾圧した。その中でも特に、民主化運動の指導者・金大中氏が逮捕された事で、彼の地元でもある全羅南道の道庁所在地・光州市で同年5月に大規模な反政府デモが起き、それを政府が軍隊を投入して武力鎮圧した事件がいわゆる光州事件である。デモ参加者は20万人に登ったそうである。
今でこそ韓国は民主化され、言論も自由になったが、当時は情報統制され、国民には事実が知らされず、この映画にも出て来るが、真実を報じようとした新聞は検閲によって都合の悪い記事は削除され、紙面の大部分が真っ白になったほどである。政府側は事件を、「北朝鮮の扇動による暴動」と発表したという。
なんだか、天安門事件が起きた当時の中国みたいだ。軍事独裁・弾圧・情報統制・検閲と来れば、今の北朝鮮ともそう変わらない。そう言えば日本でも、金大中氏が韓国KCIAによって拉致され殺されそうになった有名な事件もあった。えらい時代だったものである。
この光州事件は韓国では長く封印されて来たが、民主化後は封印が解かれ、この事件を題材にした映画もいくつか作られている。その中でも「ペパーミント・キャンディー」(1999)、「光州5・18」(2007)などは日本でも公開され話題になった。
いずれも、やや重苦しい内容である。事件の深刻さ、韓国民に与えた心の傷の深さを思えばそれも当然だろう。
だがようやく、この事件を、笑いとアクションと感動をうまく配合した、エンタメとしても楽しめる物語として描いた映画が登場した。それが本作である。
(以下ネタバレあり)
主人公はタイトル通りタクシー運転手。それものっけからチョー・ヨンピルのヒット曲を気持ちよさそうに歌いながらハンドルを握る陽気な男で、家賃を滞納してるくせに家主に娘の世話を頼んだりする厚かましい一面もある。「光州まで運んだら10万ウォンもらえる」との仲間の会話を聞くやいなや素早く抜け駆けし、予約が入ってたタクシーに成りすましてドイツ人記者を乗せ光州に向かう。「英語を話せるか」と訊ねた記者に、あまり話せないクセに、得意だと出まかせを言う。…とまあなんと調子よくズッコい奴だと呆れてしまう。
この辺り、あのソン・ガンホが演じている事もあって、かなりコミカルで笑える。下ぶくれの人懐っこい顔も含めて、まるで渥美清演じる寅さんみたいだ(笑)。
ドイツ人記者、ピーター・ヒンツペーターは、当時ドイツ公共放送の東京特派員であったユルゲン・ヒンツペーターがモデルになっており、彼を検問をかいくぐって光州まで運び、世話をしたタクシー運転手も実在したそうだ。
映画は、この実話を元にしてはいるが、このタクシー運転手はヒンツペーターに偽名を伝えていた為、映画製作時点でも行方が判らなかった。従って映画では、私生活も含めこの運転手に関するエピソードはほぼフィクションである。その分、自由に物語を膨らませる事が出来、それが成功している。
タクシー運転手、マンソプは政治にも民主化運動にも関心がない小市民である。光州がどんな事になってるかも知らず、着いてから軍隊が市民や学生を蹴散らしている状況に不安になる。ピーターがジェシクらデモに参加した大学生たちと知り合い、彼らのトラックに乗せてもらったのを見ると、1人で留守番をさせている11歳の娘の事も心配だし、「こんな危ない所には居られない」とばかりさっさと逃げ出そうとする。
だが途中で、「病院まで乗せて欲しい」とお婆さんに呼び止められ、それを無視して行こうとするも、お婆さんが転んだのを見て、ついバックして乗せてしまう。
このシーンで、それまでズルいマンソプに反感を持っていた観客も、案外こいつは根はいい奴なのかも知れないと思うようになる。脚本がうまい。
そして着いた病院でバッタリピーターたちと遭遇し、大学生たちと揉めたあげく行きがかりで結局彼らと行動を共にするようになる。やがて英語が堪能な大学生ジェシクが通訳として車に同乗する。彼もまた、最初は大学歌謡祭に出たくて大学に入ったという、ごく普通の若者である。
ピーターは危険と知りつつも、軍隊が市民に発砲する様をカメラに収め続ける。それを見とがめた私服に追われたマンソプたちが逃げるシークェンスもハラハラさせられる。
ジェシクが私服に捕まり、殺されそうになる辺りも緊迫感が漲る。
そして後半は、感動のシーンが連続する。
マンソプのタクシーが故障し、直るまで一晩、知り合った光州のタクシー運転手ファンの家に泊めてもらうのだが、このファンがとても面倒見がよくて、ソウル・ナンバーでは危ないと偽のナンバー・プレートを用意してくれたり、検問にかからない抜け道を教えてくれたりする。
ファンを演じた役者、見覚えがあるなと思ったら、あの「コンフィデンシャル/共助」の韓国側刑事役ユ・ヘジンだった。うまいなあと思う。この2作で今年の洋画助演男優賞はこの人に決まりである。
ファンに、もうソウルに帰れと勧められ、マンソプはピーターを置いて一旦ソウルへと車を進めるが、途中立ち寄った町で真実とはかけ離れた光州のニュースを見て、悩みに悩んだ末に、遂に決断し、光州へ戻って行く。多分そうなるだろうと思っていても、ここは感動し泣けた。
その直前、食堂でサービスにおにぎりが出されるのだが、これを見たマンソプが光州でデモに参加の女性からおにぎりをもらった事を思い出し、これが伏線となって、あの人たちを見捨てられないと思い直す事に繋がるわけで、つくづく脚本が見事だと感心した。
戻った光州で、あの人なつっこかった学生ジェシクが無残に殺された事を知り、怒りに燃えたマンソプが、命の危険も顧みず、ファンたちと力を合わせ、積極的に重傷の市民・学生たちを救おうとするシーンも泣ける。
最初は調子よくて政治にも無関心で、多額の報酬だけが目当てだった平凡な男マンソプが、ピーターや大学生たち、ファンら運転手仲間たちといった多くの人々と関わり、心を通わせる中で、少しづつ勇気と正義感を顕在化させ、光州で弾圧される人々に寄り添って行く、そのプロセスが実に丁寧で心をうつ。本当に脚本、演出とも秀逸である。
自分たちの命に代えてでも「この真実を世界に伝えて欲しい」と願う光州の人たちの気持ちを汲んで、マンソプとピーターは決死の覚悟で、幾重にも封鎖された検問をかいくぐり、ソウルを目指す。このシークェンスもスリリングだ。
ただここのくだりでは、検問の軍人が、彼らだと知ってもそっと見逃してくれる、まるで安宅の関で関守・富樫が義経一行を見逃す歌舞伎の勧進帳みたいな(笑)エピソードがあったり、軍のジープに追いかけられ危機に陥った時、突然ファンたちタクシー仲間が多数現れて、身を挺して追っ手を阻んでくれたりするエピソードはちょっとやり過ぎの感が無くもない。(そもそも道路が封鎖されてるのに、どうやってタクシー仲間が駆けつける事が出来たのか?(笑))
まあここは、ドラマを盛り上げ観客を興奮と感動に持って行く、エンタティンメントの常套手法だと割り切って楽しんだ方がいいのかも知れない。
最初は反目したり、いがみ合ったりしていたマンソクとピーターが、行動を共にするうちに、次第に心が打ち解け合い、やがてはかけがえのない友情を深め合って行くプロセスも丁寧に描かれ感動的である。
国籍も言葉も違う二人の男が、それらの垣根を越えて、深い人間的な絆で結ばれて行くというこの物語のテーマは、独裁政権による人民弾圧・殺戮が非情で非人間的であるだけに、より鮮明に際立つ事となる。主人公をこの2人に絞った着想が素晴らしい。
だがこの映画の中心テーマはそれだけではない。もっと大事なテーマが内包されている。
国家によって真実が隠蔽される状況の中で、ピーターは報道に携わる人間として、命の危険も顧みず、この惨状を世界に伝えようとカメラを回し続ける。それがジャーナリスト魂である。
この映画の韓国公開のちょうど10年前、ミャンマーで反政府デモを取材中、兵士に撃たれ殉職した映像ジャーナリスト、長井健司さんの事件を思い出す。長井さんも死ぬまでカメラを回し続けた。
そしてもう1点。映画の中盤、地元の新聞記者がこの事件を大衆に伝えようと、夜中にこっそり輪転機を回し、事件の詳細を報じた新聞印刷を始めると、それを察知した新聞社上層部が、「会社を潰す気か!」と怒鳴り輪転機をストップさせ、新聞版組を壊すシーンが出て来る。
真実を伝えるべく決死の行動に出たこの新聞記者もまた、ジャーナリストとしての気概に溢れた素晴らしい人間である。
まったく偶然だが、ほぼ同時期に我が国では「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」が公開されている。
この作品も、政府が隠して来た事実を国民に伝えるべく、勇気ある行動に出た新聞社の物語である。
もしこれによって政府を怒らせれば、新聞社の存続も危うくなる。その危険を冒して新聞社主キャサリン・グラハムは発行を決断し、政府の不都合な真実が明らかになる。
本作の新聞記者がやろうとした行為も、「ペンタゴン-」でワシントン・ポスト紙が行った勇気と決断と内容はよく似ている。ただ言論の自由がなかった独裁国家の当時の韓国では、もし発行したら間違いなく新聞社は潰れ、記者は人知れず抹殺されたかも知れないが。
本作の中で、印刷工場の高い所を、刷り上がった新聞の束がコンベアで流れて行く映像があったが、「ペンタゴン-」にもほぼ似たようなシーンが登場していたのは、偶然ではないかも知れない。
こういった具合に、本作は権力の圧力にも負けず、真実を伝えようと行動したジャーナリストがいた事、それが如何に尊い、勇気ある行動であるかを、中心テーマとしてきちんと描いている。それが何より素晴らしい。そこも是非心に留めて欲しい。
特にアメリカでは、トランプ大統領が政府に批判的なマスコミをフェイク・ニュースだと攻撃しているし、日本では公文書を改ざんしてまでも省庁が真実を隠そうとした事実が新聞によって明るみに出た。こうした、マスコミを押さえつけようとする権力者と、それに対抗するジャーナリズム、という構図が至る所で見えて来た今の時代に、本作の公開は実にタイムリーである。
公開規模は大きくないのが残念だが、これは是非多くの人に観て欲しい秀作である。必見。 (採点=★★★★☆)
DVD「ペパーミント・キャンディー」
DVD「光州5・18」
| 固定リンク
コメント
やはり力が入るのか、光州事件を扱った映画はハズレなしですね。
チャン・フンは「高地戦」も素晴らしかったけど、今回も虚実の組み合わせが絶妙でした。
光州事件じゃないですがもう直ぐ公開の「1987、ある闘いの真実」も評判が高く、かなり楽しみです。
投稿: ノラネコ | 2018年5月11日 (金) 22:02
◆ノラネコさん
ご紹介の「1987、ある闘いの真実」、調べてみましたが、光州事件に並ぶ、韓国民主化運動の中のもう一つの重大事件の実話が元になってるようですね。これも楽しみです(9月公開予定)。
出演者がキム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ソル・ギョング、と有名スターが豪華共演ですね。あ、「タクシー運転手-」に出ていたユ・ヘジンまで。
こういう、国家権力の横暴・独裁に命がけで対決した勇気ある人々、という難しいテーマの作品を、著名人気スターを起用して続けさまに製作し、大々的に公開する韓国映画界って素晴らしいですね。つくづく羨ましいです。
これも期待しましょう。
投稿: Kei(管理人) | 2018年5月20日 (日) 12:45
> 案外こいつは根はいい奴なのかも知れないと思うようになる。
ソン・ガンホって顔が圧倒的にソン・ガンホで似た人が他にいない。なので、映画に出てるソン・ガンホってみんな同じで違う性格だった事がない気がする。
ソン・ガンホが1万人くらい集まった村があって、そこから映画毎に1人ずつ派遣されてきてるのかもしれない(バリ嘘やん)。
投稿: ふじき78 | 2018年9月 4日 (火) 16:45
◆こんばんは、ふじき78さん
>映画に出てるソン・ガンホってみんな同じで違う性格だった事がない気がする。
パク・チャヌク監督の「渇き」ではかなりシリアスで怖い役を演じてましたね。「シークレット・サンシャイン」でも一途な思いの男を熱演してましたし。
最近はそんなシリアスでシンドい作品が多くて、もう少し軽くて笑える作品が欲しいな、と思ってた所に本作の登場で、やっぱりこの人にはこうした、出て来るだけで頬が緩むような作品が似合うなあ…
と思わせるだけでも、このキャスティングは成功と言えるでしょうね。
投稿: Kei(管理人) | 2018年9月 4日 (火) 18:47